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御旗、楯無も御照覧あれ!  作者: 杉花粉撲滅委員
越後の龍神 ~竜攘虎摶~
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第十八話 生と死の感慨






■天文24年・弘治元年(1555年)11月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田晴信


「駄目か? もう踏ん張れぬか?」

「……殿、四郎の事……」

「ああ、分かっておる。案ずるでない、必ずや一廉の武将に育ててやる」


「……殿、お先に失礼い、たし、ま、す」

「……お、おお」


最後の言葉を言い終えると握っていた諏訪御前の手から力が抜けていった。儂が唯一愛し、心を開く事が出来た諏訪御前が……。


「四郎」

「はい、父上」


横を見ると四郎が涙を溜めておるが懸命に、そして毅然と我慢しておる、全く健気な奴じゃ。


「泣く事を許す。男が泣いて良いのは親が旅立った時だけじゃ」

「はぃ……エッグッ、エッグッ」


「だがな四郎、泣くのは今日だけだ。明日からは当家の男児として振舞わねばならぬ、良いな」

「エッグッ……はい」


そう、悲しむのは今日だけだ。儂も明日からはまた武田大膳大夫晴信として越後や美濃、そして上野の外敵に立ち向かう甲斐の虎でなければならぬ。


「少し早いが来年にもそなたを元服させる」

「……」

「元服後には諏訪家の名跡を継がせる故、肝に銘じておけ」

「ッグ……はい」


「良いか、四郎。諏訪の名跡を継ぐという事は、そなたの母の実家を再興するという事じゃ。母の喜ぶ顔を思い出して精進せよ」

「はっ」


ふむ、やっと泣き止んだか……四郎が着物の袖で涙を拭いておる。全く、確かに泣いて良いとは言ったが、どうも泣き喚く童というのはどう扱って良いのか分からぬ。太郎が産まれてより何人もの子を成してきたが、どうやら儂には人の親として何かが欠落しておるのやも知れぬな。


「それから諏訪の名で元服してからは、今は秋山虎繁(甲斐国志では信友)が務めている信濃高遠城を与える。また入城に際しては馬場信房に城の改修をさせる」

「そ、それがしが高遠城の城代ですか」


元服だけでなく城まで与えられると聞いて、余程驚いたのか四郎が目を見開いて此方を見上げてきた。ふん、何も亡くなった諏訪御前の為だけではない。今後の信濃の統治を睨んでの事じゃ。


「ああ、そうだ。信濃で今だに諏訪家を慕っておる者共を当家に従わせる為にも、そなたが諏訪家の名跡を継ぐだけでなくその居城に鎮座する事に意味がある」

「わ、分かりました。亡き母の笑顔を曇らせぬよう、身命を賭して元服までの日々を精進します」

「うむ、但し元服までではなく城代となってからも精進を怠らぬ事じゃ」

「はい!」


四郎の目処も付いた。諏訪御前の葬儀の後は儂の次女を一門衆の穴山信君に、そして三女も木曾義昌に嫁がせねばならぬ。忙しくなる、いや忙しい方が良い、この諏訪御前を亡くした虚無感から抜け出す為にも……。



■弘治2年(1556年)1月 甲斐 躑躅ヶ崎館 山本晴幸


昨年の閏十月に我が天敵とも言うべき太原雪斎が黄泉路に旅立った。


あの坊主が死んだと御館様から聞かされた時も信じられなかったが、いまだに腑に落ちない。そもそもあの御仁は人間だったのだろうか……。いつも話の先手を取り、俺が敵わなかった男だった。もうあの男との外交という名の合戦はが出来ぬとはな、寂しくもある。


そんな何やら薄ら寒いモノを首に感じていると、同僚の真田弾正忠幸隆が笑みを携えて近づいてきた。

「どうしたのだ、暗い顔をしておるぞ」

「うむ、そう見えるか」

「ああ」


どうやら同僚にまで心配されるほどに顔色が悪くなっていたようだ。いかんな、生きている者が何時までも故人に気を取られていては、この戦国乱世では直ぐに冥府に引っ張られる。


「大丈夫だ。それより弾正の方こそまだ忙しそうだが大丈夫か?」

「ああ、中々北信濃の調略は思い通りにはいかぬよ」

「そうか」

「まあ御館様からは今年一杯掛けて良いと言われているから心配はしておらぬがな」


成程、俺の心配は余計なお世話のようだな。だが、この男が最近自分の領地に、家に帰っていない事を俺は知っている。


「ふむ……のお、弾正」

「なんだ、恐い顔をして」

「たまには家に帰ってやれ。奥方だけでなく息子共もそなたの帰りを待っておるぞ」

「しかし、そうは言ってもこの役目を果たすまでは……」

「先程、そなた自身が申したであろう、今年中に北信濃を何とかすれば良いと。なればこそ時々で構わぬゆえ家に帰れ。時には奥方の愚痴を聞いてやれ、そして息子共の成長を確かめよ。儂もそなたも何時死ぬかもしれぬのだぞ」

「……」


俺の言葉から察したのだろう、弾正が真顔になって言葉を返してきた。


「分かった。そなたの言う通りにしよう」

「ああ、そうしてくれ」

「それにしても……そなたも早く嫁を貰え! 家族を作れ。そなたこそ根無し草ではないか」


フンッ、それこそ大きなお世話だ。



■弘治2年(1556年)9月 尾張 清洲城(現 愛知県清須市清洲) 織田信長


それにしても親父が死んでもう五年が経つ。時が経つのは早いものだ。そう俺が感じるのも、この五年間に様々な事が有り過ぎたからだろう。それとも俺が生き急いでいるからだろうか。しかし俺は尾張一国では満足出来ぬ。一刻も早く尾張を平定し、美濃、そして天下に号令せねばならぬのじゃ。


しかし俺の思い通りには事は運ばない。まず親父の跡目を俺が継ぐと、織田大和守家の織田信友は俺の弟の信行(信勝)の家督相続を支持して俺に敵対して謀殺計画を企てきおった。まあ信友により傀儡にされていた尾張守護の斯波義統が計画を俺に密告してきた事で事無きを得たが。これに激怒した信友は斯波義統の嫡子の義銀が手勢を率いて川狩に出た隙に義統を殺害したのだ。


斯波義銀が俺の下に落ち延びてくた為、叔父で守山城主の織田信光と協力して信友を主君を殺した謀反人に祭り上げて殺してやった。これによって織田大和守家が滅びおったので、那古野城から清洲城へ本拠を移して尾張の守護所を手中に収める事が出来た。ふん、これで織田氏の庶家の生まれであった儂も名実共に織田氏の頭領じゃ。



一難去ってまた一難だった。先月には義父の斎藤道三が、子の義龍との戦い(長良川の戦い)に敗れて戦死したのだ。俺は道三救援の為に木曽川を越え美濃の大浦まで出陣するも、道三を討ち取って勢いに乗った義龍勢に苦戦し、道三敗死の知らせにより退却した。


こうした中、俺の当主としての器量を疑問視した重臣の林秀貞(通勝)、林通具、柴田勝家らが俺を廃して聡明と勘違いされている弟の信行(信勝)を擁立しようとしたのだ。これに対して俺には森可成、佐久間盛重、佐久間信盛らが味方した事で両派が対立が生まれた。全く、我が弟ながら他人に祭り上げられるとは難儀な奴じゃ。


道三の死去を好機と見た信勝一派は、八月に挙兵して俺に挑んできたが(稲生の戦い)、軽く玉砕してやった。その後、末盛城に籠もった信勝を包囲したが、生母の土田御前が泣きついてきおったので渋々信勝や勝家らを赦免した。


更に庶兄の信広も斎藤義龍と結んで清洲城の簒奪を企てたが、これは事前に情報を掴んだ為に未遂に終わり、信広は程なくして降伏したため赦免してやった。


ふん、赦免してやったからにはこき使ってやるわ! だが、次は許さぬ!


「誰ぞ居る!?」

「はっ」


俺が声を掛けると直ぐに近習が来た。俺には内輪の事に頭を悩ませている暇は無い。


「茶じゃ。それと尾張、三河の絵図を持って参れ」

「ははっ」


先年、親父を悩ませていた今川の太原雪斎が死におったが、当主の義元はいまだに尾張への侵攻を諦めてはおらぬと聞く。それに敵は今川家や斎藤家だけではない。早く、早く尾張一国を手に入れて外敵に対抗出来る体勢を作らねば!



■弘治2年(1556年)12月 信濃 上原城城下の屋敷 武田義信


あー、今年も色んな人が産まれ、そして死んでいったなあ。


今年産まれたはずの藤堂高虎が当家に仕官してくれないかなあ。でもコイツも近江出身だから無理か……。にしても俺の認める有能な武将が近江出身者ばかりってどういう事だ。少しは甲斐や信濃にも生まれてよね、全く。


まあ、近江という商業の発達した地域だからこそ生まれるんだろうな、きっと。なればこそこの上原城城下を甲信越屈指の商業都市にすれば、グフフフッ。


そんな感慨に耽りながら俺が硯に向かって墨汁をせっせと作っていると、虎昌が話し掛けてきた。コイツ、俺の一挙手一投足まで監視してやがる。今に閨にまで押し入ってくるんじゃなかろうかと心配だ。

「若君、何をお考えです」

「んーああ、今年も色々あったなあと思ってさ」

「左様ですな、この城下にも徐々に人が集まり始めておりますゆえ、大小の違いは有れど騒動の絶えぬ一年でございました」


全くだ。人が増えるに比例して喧嘩や窃盗といった事件が後を絶たなかった。そろそろ専属の防犯組織を作った方が良いだろう。それから火消し組も必要だし、医療関連も充実していきたい。ただ、直ぐに出来るほど金も技術も人も居ない。徐々にこの街と共に育てていかなければいけないな。


虎昌? 虎昌は駄目だ。コイツに任せたら全部を力技で解決しようとしちゃうもん。それじゃあ、心の火種は消えないからね。



「ところで若君、誰に文を出そうとしておるのです?」

「あ、ああ、四郎だよ。何か父上から来年元服して高遠城の城代になるよう下命されたようだから、俺の知ってる範囲で心構えを教えておいてあげようと思ってな」

「成程、お優しい兄君ですな」


むむ、何か棘があるぞ、今の言葉には……。


「何が言いたい」

「……では、この際ですからはっきり申させて頂きます。四郎様は今後、一門衆とはいえ武田家の家臣となられるのです。次期当主となられる若君とは違うのですから、何時までも兄弟として接するのではなく上下の分別を付けて頂かなくては……」

「ならないよ」

「なりませぬ、……って何と申されました、若君」


俺に話を遮られて虎昌が目を白黒させている。今の表情は面白いな、今年一番の表情だったぞ、虎昌。


「そうはならぬと申したのだ」

「? それがしには意味が分かりかねます。どういった意味でございましょう」


ああ、そういえばコイツにまだ言ってなかったな。なんか説明するのが面倒臭いなあ。でも良い時期かも知れんから、この際だからしっかり言っておこう。


「俺は武田家の次期当主にはならぬし、四郎も俺の家臣にはならぬという事だ」

「は……はああ?」


虎昌は一拍おいてから俺の言葉を飲み込んで素っ頓狂な声を発した。そんなに驚くなよ、虎昌。


「俺が元服する前に父上には既に申しておる。俺は当主の座を要らぬとな、だから……次男の信親は盲目のため無理で、三男の信之は夭折した。だから順番として四男の四郎が家督を継ぐんじゃないかな」

「あ、いや、でも」


まだ理解までは出来ないか……。まあ確かに聞いて直ぐに『はい、そうですか』とはならんわな。


「俺が当主の器ではないと熟考の末に出した結論だ。それに何時今川家と敵対するとも限らぬし、そうなっても父上に背いてまで当主になりたいとは俺は思わぬ」

「はあ」


「安心せよ、俺は俺だ。これからも父上を始めとする武田家の為、甲信に住む民の為、そして俺を支えてくれるそなた等の為に働くつもりだ」

「……」


俯いて何やら思案に暮れる虎昌。まあゆっくりで良いから俺を理解してくれ。今川義元殿が桶狭間で憤死するのは……ええと、確か永禄年間のはずだったよな。


……永禄って、西暦何年?







―――― それから三ヵ月後、三回目となる川中島での戦いが起こった ――――






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