第十二話 我欲な大人達
■天文20年(1551年)10月 信濃 平瀬城郊外 武田晴信
天文十九年七月の林城での戦いに敗れた小笠原長時は、家臣の平瀬義兼が守る平瀬城に落ちた後、葛尾城の村上義清を頼っていた。更なる抵抗を続ける長時と義清は平瀬城(現 長野県松本市大字島内)を拠点に筑摩郡への侵攻を図ろうとした。
しかしその動きをとらえた儂は、今、筑摩郡に出陣して平瀬城を総攻撃している。
「かかれぇぇ」
「「おおおぉぉぉぉぉ」」
馬場美濃守、小山田越前守、原美濃守とその子である隼人佐昌胤の各隊の動きが良い。今少しで曲輪の攻略も終わり、この平瀬城も落城となろう。
「城主・平瀬義兼の首、討ち取ったりー」
「おおー」
■天文20年(1551年)10月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田義信
「兄上ぇ、剣の稽古をつけて下さい」
「ああ、良いよ」
元服しても戦場に行かない僕ちゃんは、相変わらずの勉強三昧、鍛錬三昧の日々を送っているのだが、たまには気分転換もしたい。でも前回の砥石城への逃避行からは遠出が許されない。常に護衛という名の監視が付けられている、もう家出しないって!
そんな俺に唯一許された気分転換が『庭の散歩』だ、俺はジジイじゃねえ! そして今、気分転換をしていると後ろから四郎が俺に声を掛けてきた。
可愛ええのお、四郎。確か今年で六歳だったよな、コイツ。コイツだけだよ、俺を癒してくれるのは……。
すぐ下の次男・二郎(後の海野信親)は産まれてから暫くして失明しちゃって過保護に育っているし、三男の三郎(後の武田信之)は病弱で遊べない。だから、必然的に四郎の遊びに付き合ってあげている訳です。
庭の散歩だって四郎に会う為と言えなくもない。でも、また母上から『側室如きの子と遊ぶなど汚らわしい』って小言を吐かれるんだろうな、ハア。もう少し親父様が正妻の顔を立ててくれれば、母上様の気持ちの落とし所もあると思うんだけど……。
「えいっ、やあ」
「脇が甘くなってるよ、四郎」
俺は暖かくも厳しく四郎を叱責する。ああ、虎昌も俺に対してこんな気持ちで接してくれていたんだな。これからはもう少し書状を書いてあげて虎昌に優しく接してあげよう。
「はい、えいっ」
「今度は踏み込みが甘いよ、疲れてきた時こそ頑張らないとね。油断大敵だよ」
「はいっ」
健気に四郎が俺に打ち込んでくる。何度でも言おう! 可愛ええのお、四郎。これが後十年もすると虎昌みたいなオッサンに成長するかと思うと、お兄ちゃんは悲しいな。
でも頑張ってくれ。お兄ちゃんは『家督なんか要らない』って親父様に宣言しちゃったから、必然的に君に武田家の家督が回ってくるんだよ、きっと。
ただ一度で良いから言ってみたいな、『御旗、楯無も御照覧あれ!』って。まあ、家督放棄したようなものだから、無理かな。
■天文20年(1551年)11月 甲斐 躑躅ヶ崎館 馬場信春
「平瀬城での戦勝、おめでとうございます」
「「おめでとうございます」」
「うむ、皆もご苦労であった」
若君の掛け声と共に皆が唱和すると、御館様が頷きつつ労いの言葉を掛けて下さった。
挨拶が終わって一拍おいて、典厩様(武田信繁の事)が御館様に話し掛けた。
「して、兄上。今後の御予定は?」
「ふむ、戦働きは当面行なわぬ予定じゃ。皆、兵達の英気を養っておけ」
「ははっ」
成程、暫くは戦は無しか……。では、じっくりと兵達を可愛がってやるとしよう。
色々と諸事の連絡が滞りなく進み、話は若君の事に変わった。はて、最近の若君はいたく大人しく暮らしていると聞いているが。
「兄上、そろそろ太郎の具足始をお考えですか?」
「うむ、来年早々に執り行おうと考えておる」
おお成程、もうそのようなお年頃か。儂以外にも其処彼処で感嘆の声があげる。
「なれば初陣も」
「いや、その前に嫁を娶らせようと考えておる。その事で勘助が今川と調整しておる」
儂等が感慨に耽っている間も、御館様と典厩様の間で話が進んでいく。初陣の前に婚礼、目出度い事が続きそうだわい。
当の若君の方に目をやると、本人は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で呆けていた。安心あされよ、誰もが通る道にございます。
「では、婚礼も来年……」
「いや、この話は当家と今川との間だけでの話ではない。相模の北条と共に三家での縁談をと考えておる。よって、当家からは梅姫(後の黄梅院)を北条家へ嫁がせる運びとなる」
「それでは」
「うむ、梅姫はまだ幼いゆえ、暫し太郎の婚礼も先の話となろう」
なんとっ、三家での婚姻、それは……。いつの間にか儂は御館様に訊ねていた。
「それは三家で同盟を結ぶという事ですか?」
「そうなるな。だが、当家だけでなく他のニ家の婿も姫もまだ幼いゆえ、同盟が先でその後に婚礼、という流れとなろう」
三家で同盟、そうなれば、当家は南の駿河と東の武蔵を意識する事無く信濃の平定に専念できる。面白くなってきたわい。
この後は論功行賞が行なわれ、更に宴の用意がされていると聞く。今日は格別に旨い酒を呑めそうだわい。
■天文20年(1551年)11月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田義信
あっ、あのー、勝手に話を進めないで下さい。
親父様と信繁が俺の婚礼が近い事、嫁は今川家から迎える事などを話している。
当人の知らぬ所で話をまとめないでくれ! それにしても最近、勘助が居ないと思ったら、駿河に行っていたのか! 卑怯だぞ、勘助、俺を政略結婚の道具に使いやがって! 親以上に大事に思ってきた俺の気持ちを返せ。
それに、なによりも大事なのは俺が童貞だって事だ、参ったか! 前世でも勿論ヤッた経験は無い。
そんな可哀想な俺を他所に、周りの大人共が勝手に盛り上がっている。こんな薄情な大人達に囲まれている俺ってなんて可哀想なんだろう。よくグレずに育ったものだ。偉いぞ、俺!
更に言えば、今川の姫って誰なのよ? 会った事無いけど、もしかして公家っぽいの? だったらイヤだぞ。
ああ、公家っぽいお姫様像を思い浮かべたら目眩がしてきた。だって、俺の知っている『公家っぽい姫様』って言ったら、ウチの母ちゃんしか思い浮かばなかったんだもの。
イヤだー! 今でも十分お腹一杯なのに、それが二人になるなんて……。
今年、元服した竹松(後の一条信龍)が俺の肩を無言で叩いて首を振っている。同情するなら代わってくれ。お前に何が分かる! ああ、この憤りを無精に信龍にぶつけたくなった。
信龍、後でケツを蹴り倒してやるから覚悟しておけよ!
■天文20年(1551年)12月 相模 小田原城 北条氏康
「喜べ、新九郎(後の北条氏政)。そなたの嫁が決まったぞ」
「はい、有難うございます」
嫁が決まった事に喜ぶ新九郎。倅は凡庸ゆえ家督を継がせるには正直不安がある。
だが今川家との同盟がなれば、猫の額ほどの河東なんぞのに煩わされずに済む。いよいよ、本腰を入れて関東に集中できる。
それに武田家が敵対しなくなるのも僥倖じゃ。これで武蔵西部の兵を上野に向けられる。
まずは古河公方と関東管領山内上杉家じゃ。そして上総・下総・安房と進軍すればおのずと関東の覇者となる道も見えてこよう。
そうと決まれば早速調略じゃ。
「小太郎」
「はっ」
儂が呼ぶと、音もなく風魔党の棟梁である小太郎が現れた。
「風魔党を従えて、武蔵の民に触れ回れ。『納める税の少ない北条家が間も無く参る。重税で苦しめるだけの古河公方と関東管領など頼りにならぬ』とな」
「ははっ」
うむ、これで関東の平定に専念できる。倅の代までに北条の安泰を図らねば……。
■天文20年(1551年)12月 甲斐 躑躅ヶ崎館 三条の方
ああ、忙しい。
でもこの疲れは嫌ではない。何と言っても私の可愛い太郎の具足始の準備なんですもの。既に今川家から姫を娶る事が決まっているという。無様なモノには出来ない。いくら今川家が足利将軍家に連なる名家といえど、『山猿の田舎大名』と侮られるように、『所詮、裏富士しか見れない哀れな武士』と罵られぬような儀式とせねばならぬ。
ふんっ、今川家なんぞは所詮公家の真似事を好むだけじゃ。妾の様にれっきとした公家の出ではないではないか!
北条家も論外じゃ。いくら当家よりも領地が広かろうが、所詮は成り上がりではないか! 可哀想な梅姫、直ぐに迎えに行きますからね。
負けぬ、負けてなるものか! 太郎も梅姫も誰にも渡さぬぞよ。
「当日の饗応の膳はどうなっておる!?」
妾は饗応に出す膳のお品書きを見ながら、これからの段取りを考える。家臣達の席次に式の手順、太郎が当日着る礼服に……。手の掛かる子ほど可愛いというが、誠に太郎の為ならば何でもやってあげたくなるわ。
そろそろ子離れせねばならぬと御館様にも厳しく申し付けられているが、やはり可愛いものは可愛いのじゃ!
ああ、いつまでも小さい可愛い太郎であってくれておれば良いものを……。月日が経つのは速いものじゃ。