第十一話 便所と謀略
■天文20年(1551年)6月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田義信
「じゃあ、そこに厠(お便所)ね」
「はい」
俺の指揮に大工の棟梁が了解する。
俺は今、躑躅ヶ崎館の増改築を任されており、大工30余を従えて台所の隣に仮の陣場を築いてあれこれと指示を出しているのだ。
事の発端は至って簡単な理由だ。各間の板張りが古くなっている事が原因だった。
最初は、ただ大工に任せておけば良いという事だったのだが、俺が勘助から城取り(築城術)を教わっていた事や、築城するにしても初回から俺に任せる訳にはいかない事など諸々の事情が重なった結果、手始めに躑躅ヶ崎館の修改築の陣頭指揮を俺が任される事になった訳だ。
で、よくよく館の見取り図を見てみると厠が極端に少ない事が判った。薄々は感じていた事なんだけどね、ハハハッ。親父様には専用の厠が有るくせに、館内で働く者達(ざっと50名程度)には数箇所しか割り当てられていない。
よってこれを機に厠の増設も、という運びになった訳だ。誰だって朝、親父の長便所の所為で、便所の前で悶絶して天国の母を見た事があるだろう……。厠の増設は俺の長年の夢だった、そして遂に叶う時が来た!
そして折角、厠を作るのならボットン便所はヤダ、だってあれ臭いもん。って事で……。
「厠は水洗にしよう」
「す、水洗?」
初めて聞く言葉に戸惑っている大工の棟梁。確かに困惑するわな、見た事もない物を作れと言われれば。でも折角、厠を新増築するんだから、しっかりと機能するモノを作って貰いたいからね。しっかりと理解して貰えるように説明してあげよう。
「うん、こう、穴の下にコの字型の板を斜めに置いて、用をした後に水で流せるようにしたいんだ」
「ほえー、で、流れた糞は何処に……」
「うん、一旦、桶に溜めておいて、ある程度溜まったら肥溜めに持っていくようにしようと思うんだ」
「成程ねー、坊ちゃんもよく考えたもんだねー」
俺の提案に対して関心する大工の棟梁。坊ちゃんって……、まあ良いけどさ。
「厠も綺麗で臭くなくなるし、農夫達も嬉しいから一石二鳥だと思うんだ」
「分かりやした、早速作ってみます」
「うん、じゃあ頼んだよ」
「へい」
うん、仕組みを理解して貰えたようだ、これなら棟梁に任せて安心だな。
それにしても他の城はどうしているのだろう? 山城は水の便が悪いからなあ。今度、他の城にも厠を増設するように進言してみよう。長期の籠城戦になった場合、あの臭い城中に閉じ込められると兵の士気に影響するとか言ってさ。
■天文20年(1551年)7月 駿河 今川館 山本晴幸
相変わらずこの部屋か……。雪斎坊主のお気に入りか? まあ良い、今は話に集中すべきだ。気を抜くな、勘助!
「太郎殿、いや、今は飛騨守殿か……、無事に元服されたと聞いた。祝着じゃな」
「はい、お陰様で」
雪斎が祝いの言葉を述べてきたが、一応の形式だという事は俺が知っている。さて、今回はどんな要求を突きつけてくるか見物だな。
「武田殿は信濃の南信から中信までを平定され、残す所は北信のみか……、早いものじゃ」
「恐れ入ります」
「そんな中、飛騨守殿は家中の雑用に勤しんでいると聞く。先日は館の増改築の指揮とはいえ、厠の増設では可哀想であろう」
「……」
既に駿河にはそこまで知られているのか……。今川家の情報収集能力も侮れない。
「のお、山本殿」
「何でございましょう」
いよいよ本題か……、機を引き締めねば!
「飛騨守殿と当家の春姫様との婚姻をそろそろ次の段階に進めたいのじゃが」
「それがしの一存では……」
「山本殿、儂の目の黒い内に見届けたいのじゃ」
「……」
泣き脅しか? しかし同情などこの坊主には似合わん。
俺が折れない事を察したのだろう、雪斎は顔から表情を消して話し始めた。
「既に当家の若君と北条の姫との縁談は進んでおる。今更、武田家が躊躇する事は許されぬぞ」
「……分かっております」
「では、早々に甲斐府中に戻り、飛騨守殿の婚礼と、梅姫様(後の黄梅院)の北条への輿入れを進められよ」
「……御館様に相談して参ります」
「早うせよ、早う。こう見えても儂は忙しいのじゃ! いつまでも待てれぬぞ」
「善処します」
糞坊主め、調子に乗りおって。お前こそ早くくたばりやがれ!
■天文20年(1551年)8月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田義信
夏真っ盛りです。甲斐の夏は暑いですタイ、干からびて死ぬっつーの。
俺は縁側で袴をパタパタさせて蒸れた空気を股から逃しながら、これからの事を考えている。勿論、謙信の事だ。
一時的な経済封鎖ではびくともしなかったな。それに守護・上杉定実の急死に乗じて自分が越後国主になりやがった。それも将軍・足利義輝から認められての事だから誰も文句を言えない。
うーん、ここは越後で謀反や一揆などの内乱を発生させるしかないか……。現地の住民には誠に迷惑千万な事かもしれないが、俺が生き残る為には謙信の率いる手勢を少しでも減らすしかない。ゴメンね、越後の皆さん。
「誰か居る?」
「はい、何でございましょう」
声を掛けると直ぐに一人の女中さんが現れた。やべっ、袴をパタパタさせてたの見られちゃったかな? お行儀の悪い若様でスイマセン。
「真田弾正を……、いや、此方から伺う。呼んでゴメンね、下がって良いよ」
「は、はい」
幸隆には直接話があるが、わざわざ甲府まで来て貰うのも大変だよね。なんてったって幸隆は砥石城は最前線で遠いもん。よし! 3、4日遠出をしてくるから心配しないでねって置手紙を書いておこう。
カキカキ……。
これで良し! おっと、心配されないように行き先も書いておこう。
■天文20年(1551年)8月 信濃 砥石城 真田幸隆
「わ、若君! 大事ございませぬか?」
「う、うん。別段、怪我はしてないけど……」
「ハア~……、領内は騒然としたのですぞ! 『若君が消えた』と」
「弾正に会いに来たかっただけなんだけど……」
「……ハア~」
また溜息が出た。そしてそんな俺の心配の言葉に対して若君が多分に消沈している。
しかし、この程度の苦言では済まされない事を若君がしたのだ。甲斐府中から早馬で来た使い番から事の次第を聞いた時には卒倒しそうになった。急に若君が居なくなった、若君は書置きを残している、書置きには『砥石城に行って参る』と書かれている。使い番の話では躑躅ヶ崎館では上から下まで騒然となって蜂の巣を突いたような状態だったらしい。
「呼んで頂ければ此方から参りますゆえ、今後、このような軽挙は自重願います」
「……うん、ご免なさい」
「まあ、反省されている故、小言はこれぐらいで宜しいでしょう」
「済まぬ。源太(後の真田左衛門尉信綱)、それに徳次郎(後の真田兵部少輔昌輝)、源五郎(後の真田安房守昌幸)、源次郎(後の真田隠岐守信尹)は息災か?」
「はい……、で、今回は何用で参ったのですか? まさか倅達の安否確認が目的ではございませんよね」
話を変えよう、もうお説教は十分だろう。わざわざ俺を頼って来られたんだ、理由があるのだろう。
「うん、また越後に対する調略のお願いに来たんだ」
「……越後、ですか」
「ああ、どうやら昨年の経済封鎖程度ではビクともしないようだ。越後の民には迷惑な話ではあるが、内乱や一揆を誘発させて長尾家が動員出来る兵を減らしておきたいんだよ」
「……誠に迷惑な話ですな」
「ゴメン」
「いや、越後の民に対してです」
「う、うん」
全くこの御仁は……。武田家家中が信濃の平定しか頭に無いという時に何を考えているのやら。確かにこのまま武田家が北進すれば、後ろには越後が控えているが……。
「それで、内乱と一揆はどの様に起こさせようとお考えです?」
「それなんだけど、内乱については長尾家の別家に景虎の家督相続に不満を持たせられればと考えているんだ。出来たら影ながら支援して内乱を長引かせられればなお嬉しいな。一揆については越後は重税で苦しんでいるって聞いたから、税の軽い北条家を引き合いに出せば上手くいくんじゃないかと」
「聞くところによると、既に昨年から一族の坂戸城主・長尾政景(上田長尾家)が反乱を起こしているようです。どうやら長年に渡り上田長尾家と対立関係にあった古志長尾家が、景虎を支持してきたために発言力が増してきた事が原因のようですが。もっとも最近入ってきた報せによれば今月上旬に坂戸城(現 新潟県南魚沼市坂戸字坂戸山)を包囲した後に和議となったようです」
「そうかあ……、だったら長尾家の家臣を謀反させる事を考えないといけないかなあ」
若君は思案しながらポツリと言葉を発した。
■天文20年(1551年)9月 越後 春日山城 長尾景虎
「……」
漸く越後を統一出来たというのに、俺の心は一向に晴れない。理由は二つ有る。
一つは家臣団が対立していること。相変わらず上田長尾家と古志長尾家は己の感情で相手の意見に異論を唱えている。更に三条長尾家までが加わって、収拾がつかなくなっている。
もう一つは領内の一揆だ。ヤツ等、こちらが成敗してもあとからとも無く湧いて出てきおる。正直、鎮圧に向かうたびに当方の兵の数が減っているように思える。ここは家中の引き締めが必要だろう。
「実城様、評定のお時間でございます」
「……うむ」
また、結論のでない不毛な評定が始まる。いっその事、童のまま寺におれば良かったと思えてくる。