第一話 転生はゲームと違う!
■天文23年(1554年) 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田義信
「褒美を取らす。近こう寄れ」
我が父であり甲斐武田家第19代当主である武田大膳大夫晴信が貫禄ある声で俺に告げる。この十七年近くずっと聴いてきたが相変わらず渋いぜ、親父様。俺も一度で良いから『褒美を取らす。近こう寄れ』って言ってみたいものだ。
今回の戦である知久氏攻めは俺の初陣だったのだが、周りの者達や傅役の飯富兵部少輔虎昌のお陰で何個かの侍大将や足軽大将の首を得る事が出来たので、俺もおこぼれで褒美を貰える事となった訳だ。
初陣で無様な醜態を晒さなかっただけでも御の字だと思っていたが、虎昌の計らいもあって親父様に褒められる事となったのだが……。どうも親父様のご機嫌が斜めのようだ。
「父上、御気分でも優れないのですか?」
「いや、別段気分は悪くない」
どうやら俺の気の所為だったようだ。だけど……歳を重ねる毎に俺に対する親父様の態度が妙にぎこちなくなっている様にも感じている今日この頃です。
「そうですか……申し訳ございませぬ。私の勘違いだったようです」
「うむ。今後ともそなたの働きに期待する故、当面は英気を養うが良い」
「ははっ」
その後は他の武将達の論功行賞が続いた訳だが、はっきり言って俺の時より親父様の機嫌が目に見えて良くなっている。
うーん、俺、何か悪い事でもしたのだろうか?記憶に無いけど……。
■天文7年(1538年) 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田太郎
所謂、俺は転生者だ。
転生前は普通のどこにでも居る中学生でした。趣味といえばシミュレーションゲーム『信○の○望・革新』で全大名での全国統一やイベントコンプリートを目指していた位のものだった。あとは飛騨の姉小路氏、日向の伊東氏、大隅の肝付氏、西土佐の一条氏、そして蝦夷の蠣崎氏といったレベルSクラスの弱小大名での統一を残すのみといった腕前だった。
(城好きの俺には物足りんかったが……)
前世の親からは手の掛からない子供だと言われ、俺自身でも自負していた。そんな平凡な人生が一変したのは、登校中にトラックに轢かれそうになった子犬(多分、柴犬。他の犬種や動物だったら助けたかは不明)を救おうとしたのが事の始まりだった。トラックに体がぶつかった記憶はあるが、無我夢中だったのでぶつかる瞬間は目を瞑ってしまった。そして目を開いた瞬間、世界が変わっていた訳だ。
……よくある話だ。
再び目を開いたとき、これが天国か?とも考えたが、どうも様子がおかしかった。だって俺の横には麻呂っぽい顔で白い着物を着た女性が寝ながら俺の顔を見つめていて、俺自身も寝かされていたのだから。どうやら、この麻呂っぽい顔の女性が俺を産んだ母親と知ったのは俺が赤子になっている事に気付いたのと同時ぐらいだった。
そして次から次へと疑問が湧いてきた。此処は何処、異世界?多分母親であろうこの女性は誰?今は何時、過去、未来?……ところで親父は?
■天文8年(1539年) 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田太郎
この一年で少しずつだが状況が判ってきた。
先ず俺が居る建物が純和風の木造建築という事から此処が日本である事。そこそこ裕福な建物の様だから武家に近い旧家だろう事、少なくとも公家の家ではない。母親であろう女性が『三条の方様』と呼ばれている為、恐らく江戸時代以前である事。
そして産まれて(転生して)暫く経ってから、俺の父親らしきニーチャンと壮年のオッサンが現れた時、オッサンが『晴信、跡取りが産まれたこと、誠に祝着である』と言っていた事。
晴信、晴信……。俺の知っている『晴信』といえば、戦国時代から江戸時代初期にかけての大名の有馬晴信と、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名の葛西晴信、そして甲斐の虎の異名を持つ武田信玄ぐらいだ。
俺の第二の親父は有馬晴信?。うーん、九州で龍造寺氏や島津氏の間で頑張っている大名?でも有馬晴信ってキリシタン大名だったよな、奥方が『三条の方』って名前だった記憶は無いぞ。じゃあ葛西晴信?嫌だー、絶対嫌だ!豊臣秀吉の小田原征伐に参陣できず、改易されてる一族なんぞになりたくない。でも周りの大人達の話を聞く限り、奥州訛りは無いから葛西晴信が親父って事は無いだろう。
って事は……って事です。はい、ご想像の通り至極簡単な消去法です。
この時代は戦国時代の中期であり、此処は甲斐府中。そして俺の第二の親父は武田信玄。今はまだ出家してないから『信玄』じゃなく、まだ武田大膳大夫晴信って事かな。そして俺は『太郎』って呼ばれているから……後の武田義信って事ですね。
……死んだ!齢一歳にしてフラグが立ちました。
そして今日、今この時から俺の生きる目標は『どうやってフラグをへし折るか』となった。
■天文10年(1541年)6月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田晴信
「御館様、甲駿国境の封鎖が完了しました」
「並びに前国主である信虎様の追放に向けた諸事、万事滞りなく……」
「うむ」
俺の目の前で板垣信方、甘利虎泰が報告してきた。俺と家臣達との利害が一致した結果だが、今回の件は彼ら譜代家臣の支持を得られた事が大きい。
まあ親父においては嫡男の俺を疎んじて次男の信繁を偏愛し、遂には廃嫡を考えるようになったり。家臣を身勝手な理由で手打ちにした事で家臣団との関係が悪化させあり……。到底、新羅三郎義光から続く甲斐源氏の当家を束ねる器ではなかったという事だ。
「して、今川殿の方は何と言って参った」
「はっ。万事問題無く、と言いたい所ですが。大層な額の隠居料を吹っ掛けられましてございます」
「左様か、まあ良い。近年、当地から算出され始めた碁石金を充てれば済むだろう」
「ははっ」
父上についてはこれで良い。今後とも今川家とは同盟関係を強固に築いていけば良い。これからの問題は……。
俺が今後について思案を始めようとしているところに、太郎が無断で部屋に入ってきた。
「ちちうえー」
「……」
嫡男の太郎が満面の笑みで俺の下に寄ってくる。
「ちちうえー、槍の手ほどきをお願いします」
「わ、若君、槍は私がお教えしますから……」
俺に槍の手ほどきを所望する太郎。その後ろから傅役の飯富虎昌が頭を下げながら追ってきた。
礼儀をわきまえぬ愚息もそうだが、童如きをを満足に躾られぬ傅役にも腹が立つ。
「虎昌、何をやっておるか!」
「はっ、申し訳有りませぬ」
虎昌が平謝りをしているのを見つめる太郎。幾ら童とはいえ考え無しな言動には一言申さねばならぬ!
「太郎、今は大事な評定の最中ぞ!貴様如きがおいそれと入ってきて良い場でないわ!」
「……はい」
「分かったら、とっとと出て行け」
「……失礼致しました」
肩を落として立ち去る太郎と虎昌。普通の親であれば我が子は可愛いものだろう。だが儂は違う、自身が父親を追放したばかり故にそう思うのかも知れぬが、もし太郎が儂と同じく親の追放を画策すれば……。
因果応報、先代の習い……。フンッ、そんなもの儂が断ち切ってくれるわ。儂に従順に育つのなら良し、そうでないのならば……。
■天文10年(1541年)6月 甲斐 府中 武田太郎
うーん、俺が子供の三種の神器の一つ『愛嬌』で接してもそれに屈せずに威厳を保つとは、やりおるわ信玄!おまけに逆に叱責されてしまったのは失敗だった。こう言った事の積み重ねから親子の不和が生じる恐れがあるからな。これからは礼儀正しく親のいう事を聴く子を演じよう、三種の神器の二つ目『素直』だ。ちなみに三つ目は奥義『満面の笑顔』だと、俺は思う。
それにしても信虎は孫の俺を可愛がる前に追放され、親父様も俺を可愛がってはくれない。俺って嫌われているのだろうか。
それとも乳飲み子の頃に、夜中に隣の部屋でギシギシアンアンと五月蝿かった夫婦を黙らせるために、その都度泣いたことを根に持ってるのだろうか。確かに、余りにも俺の夜泣きが五月蝿かったためか、速攻で乳母に預けられたんだよなあ、俺。
戦国は、殺伐としてて世知辛い時代だよな。
そんな事を考えていると、後ろから我が敬愛すべき傅役の飯富兵部少輔虎昌が小言を言い出した。
「若君、御館様は新しく当主となったばかりで何かとお忙しいのです。若君のお相手はこの虎昌めが務めますので、今後は我侭を言われませぬように宜しくお願いします」
「判ってるよー、五月蝿いなー!もう邪魔だから兵部もさっきの評定に出ておいでよ」
俺の一言が胸に刺さったのだろう、虎昌が意気消沈……するどころか更に闘志を燃やして俺の教育方針を言い始めた。
「なっ、邪魔とは……。むー、これからは礼儀と言葉遣いに重きを置いて、指導して差し上げましょう!」
「はいはい、じゃあ近所の童達と遊ぶ約束があるから、じゃあね。あと母上には適当に誤魔化しといてね」
「若君、まだ話の途中……ハァ」
俺が虎昌から逃げると、後ろから虎昌のため息が聴こえてきた。全く、これ以上あの熱血馬鹿に構ってられるかっての!
それよりも今日は興因寺にでも行って遊ぼう。早く行こう、今行こう、すぐ行こう。母上に見つかる前に!
ウチの母上様は公家出身のため、『格式』について兎に角五月蝿い。俺が近所の鼻タレ坊主たちと遊んでいるなんて知れたら卒倒するだろう、間違いなく。それにどうも俺はこの母上が苦手だ。童に和歌や短歌が分かるかっての!
そもそも自慢じゃないが、転生前の俺は漢文や古文がからっきしだった。この時代に転生したからには漢文や古文が必須なのは、今でこそ実感している。なぜなら武芸だけなら虎昌辺りが教えてくれるけど、先人の知恵の結晶である兵法書などは読んでおいて損はないはずだ。一応ウチの書庫には貞観政要や朱子語類、論語、孟子、大学、中庸などの写本が山のようにあるから学ぶ環境は十分に揃っている。
ただなあ、問題はウチの親父様が本の虫なんだよ。
困った事に長便所で糞をしながら本を読む、読んでる本も便所に置き忘れてたりするから臭い。どうしたものか……。俺は自分で言うのもなんだが几帳面な性分で、整理整頓がなっていないと無情に気になって仕方が無い性質なのだよ。
だから一度、親父様の近習に言って書庫に戻して貰ったのだが、便所に行った親父様が“読み掛けの本が無い”と激怒してその近習を叱責してからは俺の言う事が中々聞いて貰えなくなった。全く、困ったものだ。
おっとイカン、思考が飛んでしまった。今は興因寺に行って有意義な四歳児を演じるのだ!寺の境内に行くと其処には既に十人程度の童達が遊んでいた。
「あっ、太郎様だ」
「太郎様だー」
元気だねー子供達よ。って俺も今は子供か、ハハハッ。
「今日は何して遊ぶのー」
「相撲しようよ、相撲」
「えー、かくれんぼしようよ」
「かくれんぼなんて詰まんないよ、やっぱり鬼ごっこだよー」
「かくれんぼと鬼ごっこってどう違うの?」
童達がやいのやいのと今日の遊びを提案してくる。皆、俺と同年齢かちょっと上だが俺を『武田家の御曹司』とは見ていない。うーん、和むね。家柄とか身分とか関係ない、俺を唯の四歳児として見てくれる、嬉しい限りだ。
「よーし、今日はかくれんぼだ!勝った者には美味しい褒美を出すぞー」
「褒美って何?」
童達が俺の出す褒美に対して目を輝かせて聞いてくる。良いね、この優越感。
「褒美はねえ……」
「「褒美は……ゴクンッ」」
出し惜しみしてみる俺と固唾を呑む童達。聞いて驚くなよ、子供達よ!
「褒美は唐果物だ!母上の部屋からくすねてきたんだ。結構珍味らしいよ」
「「カラクダモノ?」」
あれ?皆さんピンときてない感じですね。よーし、じゃあ試食させてみよう。
「じゃあ、茜ちゃん、試しに食べてごらんよ」
「……うん」
俺は同い年の女の子の茜ちゃんに試食させてみる事にした。いつも俺に優しいからね、お礼の意味も込めて一個渡した。当の茜ちゃんは不安気に一口たべる。
「うわぁー」
「どうしたの茜ちゃん、大丈夫?」
「酸っぱいの?苦いの?」
“うわぁー”と感慨の声を発する茜ちゃんに対して心配する童達、健気やのー。そんな皆さんの心配を他所に茜ちゃんの頬が上気する。
「甘くて美味しいー」
「いいなー、俺も欲しい」
「私もー」
絶賛する茜ちゃんの感想を聞いて、俺も私もと欲しがる童達に俺が再度宣言する。
「勝った者にはとっても美味しい褒美を出すぞー!(まあ、みんなの分は持ってきているから、かくれんぼが終わったら全員で仲良く食するんだけどね)」