1章 その4
その日、学校からの帰り道。
僕は駅前の商店街をどこを見つめるともなく歩いていた。
学校中を巻き込んだお弁当対決は終わった。
本当に大変な一日だった。
朝登校すると決戦前の金条寺さんと白銀さんは剣呑な雰囲気を漂わせ、火花と殺気を周りにまき散らしていた。僕がどちらか一方に声を掛けようなものならそれを発端に喧嘩が始まること必至の状況だった。
僕の親友である大石は妃織に連れられどこかに行っていた。多分ふたりで昼のお弁当勝負の打ち合わせをしていたのだろう。大石は戻ってきてからも何やら台本みたいなのを必死に暗記していた。多分妃織が作ったのだろう。一晩で台本を完成させるとは凄い妹だ。そんなわけで僕は午前中息を殺し授業に没頭し、緊張した雰囲気のまま、あのとんでもない昼休みを迎えたわけだった。そして想定外の結末。
「お兄ちゃん!」
後ろから声がした。妃織だ。
「やっぱりお兄ちゃんだ」
そう言うと妃織が早足で近づいてくる。
黒縁眼鏡を外し目を覆う前髪をチューリップの髪留めで纏めながら僕に並んでくる。
後ろ髪を束ねると艶めかしい白いうなじが顕わになる。
そうして、きらきらモードへ変身して僕に微笑んでくる。
そんな妃織を見ていると血が繋がった実の妹なのに妙にドキリとしてしまう。
僕はそんな気持ちを抑えながら妃織に声を掛けた。
「今日は大変だったね妃織。お疲れさま」
「お兄ちゃんこそお疲れさまでした。今日は白銀さんにとても助けて貰いました」
「そうだね、格好いい役は全て彼女に持って行かれたね」
「はい、白銀さんは本当に格好良かったです。今日は妃織の完敗です。それに見ましたか? 白銀さんの料理の腕前。残念ながら今の妃織ではとても敵いません。でもいつかきっと逆転して見せます」
「うん、味もね、本当に美味しかったよ。でも妃織の料理も最高だ。どっちも最高だよ」
「お兄ちゃん……お世辞が上手!」
妃織が嬉しさを隠さずに笑いかけてくる。
「ところで妃織、今日は大岡裁きが出来なくて残念だったね」
「ええ、残念でした。折角「大岡一膳」の服まで作ったのに。大石さんも結構楽しみにしていたんですよ。でも本当は2勝2敗になった時点で勝負はそこで終わる予感がしていたんです」
「と言うと?」
「昨日一緒にお弁当を食べていて思いました。白銀さんも金条寺さんも本当は凄くいい人で、それにお兄ちゃんの事が大好きなんだって。そんなふたりがお兄ちゃんの引っ張って争うなんて事するはずないじゃないですか。多分2勝2敗になった時点でおふたりとも今日の白銀さんと同じ結論にたどり着くって確信していたんです」
「そこまで考えていたのか」
「はい、一応。でも失敗しましたけどね」
ぺろりと舌を出す妃織。
「で、わたし、今日確信した事があります。白銀さんと金条寺さんって元々仲がよかったんですよ、きっと」
「えっ?」
「そうでないとあんなに仲が悪くはなれません。最初から普通に気が合わないだけだったらお互い無視して終わり。そうでしょ?」
「なるほど、そう言われればそうかもなあ」
「間違いありません。妃織のカンは犬が歩いて棒に遭遇するよりよく当たるんです」
「よくわからない例えだな」
「だからわたし、あのふたりを元通りの仲良しに戻したいです。決めました。わたしやります。あのふたりを仲良しで、お花畑で蝶々がヒラヒラな関係に戻して見せます」
目をきらりと光らせガッツポーズをつける妃織。
お花畑で蝶々がヒラヒラしているのはお前の脳内だよ、妃織。
「で、お兄ちゃんは白銀さんと金条寺さんおふたりに迫られてどんな気分ですか?」
「おいおい妃織まで僕を冷やかすのかい。勘弁してくれよ」
「どちらも凄いお嬢様で、とっても美人で。今やお兄ちゃんは星ヶ崎全生徒の羨望の的ですよ」
「そうだよなあ。そりゃあ僕だってドキドキするよ。少しは。と言うかあの状況で平静でいられる方が変だよね。まあ、あまりの急展開に戸惑いっぱなしだけど」
「そうですよね……」
そのまま暫し無言で僕は妃織とゆっくり家路を進んだ。
気がつくと商店街はとっくに通り過ぎ、目の前には三角公園が見えてきた。
我が家はもうすぐだ。
「あの……あのね、お兄ちゃん」
公園の横で妃織が歩みを止めて、前を向いたまま話を続ける。
「もしも……もしもですよ」
「……」
「あくまで、もしもの話ですよ……」
「うん」
「もしもの話ですから深く考えちゃ嫌ですよ」
「分かった」
「もしも妃織が実は身寄りのない子で、それでお兄ちゃんとは、実は血の繋がりなんか全くなかったのだとしたら、お兄ちゃんはどうしますか?」
「何を言ってるんだい妃織。そんなの、妃織は僕の大事な妹に決まっているだろう。血の繋がりがあってもなくても関係ないよ。妃織は僕の誰よりも大切な妹だ」
「大切な、妹……」
「そうだよ。いつも優しくて朗らかで、とっても頑張り屋の僕の大切な妹だよ」
「……そんなに褒めてくれたって今日の晩ご飯はサンマの塩焼きですよ。お兄ちゃん、変なこと言ってごめんなさい。妃織はもっともっと素敵な妹になって見せますね」
そう言うと妃織はまた歩き始めた。
「さあ、明日は何が待っているのでしょうね。白銀さん言ってましたよね、これからもっとお兄ちゃんに絡んでくるって。お兄ちゃんの受難の日々はこれからですね」
「ああ、そうかも知れないね。まったく」
夕暮れ時、既に薄暗い歩道をふたり並んで歩く。
ふと見た妃織の横顔は微笑んでいるように見えて。
しかし、その瞳からは何故か一筋の滴がこぼれ落ちたような気がした。
1章 完