1章 その3
翌日も素晴らしい晴天が広がっていた。
時は既に昼休み。いよいよその時はきた。
天気とは裏腹に、どんよりした気分のまま僕は約束通り学校の屋上へ向かった、
そしてそこで僕が目にしたのは屋上に突然出現した特設のリングだった。
「いつの間にこんなものが!」
驚く僕の耳に大歓声が聞こえてくる。
特設リングの周りには百人を優に超える観衆が詰めかけている。
「さあ、屋上東階段から今日の主役、星ヶ崎高が世界に誇る転校生キラー、日丘直弥の入場だぁ!」
「なっ! なに実況してるんだよ、大石っ!」
リングサイドでマイクを持った大石が声を張り上げ実況をしている。
「青コーナー、103パウンド4分の1。世界BWHは秘密のボンキュボン。
金条寺貴和~」
うおおおおお~~!
貴和ちゃ~ん!
野郎どもの歓声に右手を突き上げ、観衆に投げキッスを飛ばしまくる金条寺さん。
ゴージャスな金髪が風になびき、はち切れんばかりの笑顔を振りまく。
セーラー服にクマさんのエプロン姿というのもまた一興。
なんだか知らないが横断幕まで掲げられている。
「転校2日目にしてこの人気!天性の美貌と人懐っこさでファンクラブまで出来てしまったというのは伊達ではありませんね!」
「妃織まで実況席の隣でなに解説してるんだ!」
大石の横で野暮ったいモードの我が妹がノリまくって解説している。頭痛がしてきた。
「赤コーナー、95パウンド2分の1。ミスインターナショナル星ヶ崎非公認代表。
白銀茶和~」
おおおお~!
茶和さま~!
不敵な笑みを浮かべた白銀さんは軽く右手をあげてリングに上がる。
サラサラの銀髪は陽の光に煌めき、自信に満ちた涼しげな瞳で声援に応える。
こちらもエプロンはしているが、その下は制服ではなく体操服だ。
何故に体操服。何故にブルマ。
「動の金条寺に対して静の白銀。こちらも大応援団を背に、しかしその姿からは真っ赤な炎が見えます。燃えています!」
燃えているのは解説している妃織、君も同じだよ。
しかしだ、それよりもだ。
何故、どうして、学校の屋上に特設リングが設置されてるんだ。
リングの奥には大画面のモニターまで設置されてるし。
たくさんののぼりや横断幕が揺らめいて。
あり得ないだろう、普通……
まさか、夢?
僕は自分のほっぺたをつねってみる。
いででで……
「大変なことになったね、日丘君。羨ましいを通り越して同情すらしたくなるね」
「天草先生!」
僕の横には担任の天草先生が立っていた。
何故に先生まで観衆に加わっているんだ。
しかし天草先生はそれがさも当然のような顔をしている。
「しかし凄いねぇ、このイベント。さすがは金条寺財閥と白銀宗家の力だね」
「金条寺財閥って、もしかして、あの東西鉄道グループの!」
「そうだよ、日丘君は気がついてなかったのかい? 彼女はあの東西鉄道や東西百貨店を束ねる日本を代表する企業グループオーナー一族の本流、金条寺家のお嬢様だよ」
金条寺家と言えば、毎年納税ランキング十傑に必ず顔を出す超資産家だ。資産数千億と言われてもそれがどんなものか一般人の僕には想像も出来ないが、雑誌によると子供のお誕生会にディスニーランドを貸し切るらしい。アホのようだが多分凄い。
「それじゃあ、白銀茶和って」
「もう気がついただろう。彼女は茶道の大家、桃山時代から続く二大宗家のひとつ、白銀宗家のお嬢様だ」
なんと。
白銀宗家のお嬢様。
白銀と言えばあの歴史上の偉人、豊富猿吉に仕えたとされる茶道の創始者の名だ。
今でも日本に何百万と言う門下生を持ち、日本の文化だけでなく政治経済にまで強い影響力を持つと噂されている。
ペットボトル流の僕には無関係だが、とんでもない名家であることは想像に難くない。
「で、そんな凄い名家のお嬢様おふたりが一介の平凡な高校生のお弁当を作る権利を争って、一介の地方都市にある県立高校の屋上で勝負を繰り広げるって言うんですね」
「そんな冷めた言い方するなよ。お祭りは踊ってナンボだ。ほら「長いものにはマカロニ」とも言うだろう!」
この先生、本当に現国の先生なのだろうか。
と言うか、この先生に教えて貰って本当に大丈夫なのか。
「ではここでルールの説明をします」
実況の大石がルールの説明を始める。
「今回のお弁当勝負、選手にはそれぞれ4種類の料理を用意して貰います。審査員は勿論我が星高が誇る転校生キラー日丘直弥。日丘には料理を交互に食べて貰い、毎回美味しいと思った料理に箸を置いて貰います。4回戦勝負でより多く箸を獲得した方が勝ち。勝者には高校卒業まで昼休みに日丘直弥を好きにしてもいい権利が与えられます。ええ、煮ても焼いても油で揚げても、どう料理しても構いません」
おい大石、いつの間にか条件変わってないか?
お弁当作ってくれるんじゃなくって僕が好きに料理されるのか?
大石のやつ他人事だと思って調子に乗ってないか?
しかも何故に4回戦勝負?
普通3回戦勝負とか5回戦勝負とか、奇数の勝負で雌雄を争わないか?
引き分けになったらどうするつもりだ?
こんなルールで大丈夫か?
と、忘れていた。ルールは大丈夫だ。
そう、このルールはきっと妃織が決めたものだ。
そうあれは昨日の夜、夕食を食べながらのことだ。
今日のお弁当勝負の必勝作戦を妃織が話してくれたのは。
***
昨日の夕食はハンバーグだった。
「お兄ちゃんどうですか、今日のハンバーグは?」
「うん、凄く美味しいよ。いつもよりコクがあるよね」
「分かりますか! 今日はレバーを入れて香辛料を工夫したんです。ソースも牡蠣肉エキスを隠し味にしてみました」
「いけるよこれ。さすが妃織だね。気に入ったよ。レバーが入って栄養のバランスも良さそうだし。料理に関してはもう僕の出る幕は全くなくなっちゃったね」
「そんなに褒めても週末のお料理当番は変わりませんよ。わたしお兄ちゃんのカレー大好きなんですから」
メイド服を見事に着こなした妃織がにっこりと笑う。
10畳間のリビング兼食堂には僕と妹の妃織のふたりだけ。
そう、僕と妃織はふたりでこの家に住んでいる。
父は仕事の都合で東南アジアに単身赴任中だ。
母は二年前に他界した。
だから晩ご飯は自分たちで作る。
最初は兄である僕が毎日作っていたのだがそれも最初の一週間だけ。
妃織の方が調理も早いし料理も美味しいので、今では僕の出番は土曜と日曜の2日だけだ。
土曜日は決まってカレー。
そして日曜日はカレーシチューとかカレーうどんとか、カレーの残り物の応用だ。
そう、僕はたいして料理は上手くない。
当時妃織は毎日自分が作ると言い出したが、同じ学生としてそれは不公平だと僕が主張し、協議の結果、週末だけは僕が作る事になったのである。
毎回カレーなのは妃織がカレーが好きだから。
と言うか、多分そういう名目で僕の負担を減らしてくれているのだ。
毎日自分が作ると、きっと兄の気持ちが収まらない。
でも、兄に負担は掛けたくない。
だからカレーが好きって事にしたら少しは週末の僕の負担が減ると思っているのだ。
何せ僕のカレーは市販のルーを使った間違いようのないカレーだ。毎週毎週二年間も食べたら誰だって飽きるはずだ。でもそんな僕のカレーを大好きと言ってくれる妃織。僕に気を遣ってくれているとしか考えられない。きっとそうだ。妃織はそんな妹だ。自分を犠牲にしても他人に優しくできる。
「でね、お兄ちゃん、明日のお弁当勝負のことですけど、わたし考えたんです」
「考えたって言うと?」
「全て丸く収める方法。もしかしたら「全て」ではないかも知れませんけど、少なくとも
お兄ちゃんとわたしの平和な毎日は守り抜ける方法です」
「どんな方法なんだ?」
僕は付け合わせのにんじんを頬張りながら妃織を見た。
「全てをお兄ちゃんに話してしまうとリアリティがなくなってこの秘訣は成功しないかも知れません。だから全てはお話できませんが、次のことを必ず守って欲しいんです」
「次のこと?」
「はい」
妃織は身を乗り出して説明を始めた。
「ひとつ目。お兄ちゃんは料理の審判をしますよね。そのとき「結果が公平」になるようにしてください。「審判が公平」ではないですよ。「結果が公平」です。分かりますよね」
「結果が公平?」
「そうです。どんなにどちらかが鉄人級に美味しい料理を出してきても、どんなにどちらかが一瞬で気絶するほど悩ましい箸にも棒にも掛からない料理を出してきても、両者引き分けの判定にしてください」
「それって不正っぽくない?」
「いいんです。そもそもこんな勝負そのものが不正で不純で不潔で不埒なんです。気にせず豪快に引き分けに持ち込んでください」
「……わかった」
「しかし、引き分けになってもあのおふたりが矛先を納めるとは思えませんよね」
「そうだね」
「そこで、ふたつ目。引き分けの時は料理以外の原始的な方法で決定戦を行います。原始的と言うか、力尽くと言うか、力任せの方法ですから少し痛いかも知れません。でも、痛いときはすぐに痛いと叫んでください」
「そんなに痛いの?」
「はい、多分痛いと思います。ですからお兄ちゃんは痛くなる前にすぐに痛いって叫んでください」
「なんか情けない役だね、僕」
「大丈夫です。お兄ちゃんが痛いって叫ぶとすぐにわたしが助けに行きます」
「妃織が助けに来る?」
「ええ。でも心配しないでください。わたしだけではありません。最後は名奉行が丸く収めてくれますから」
「名奉行?」
「ごめんなさい、口が滑りました。そこは秘密にしておいてください、ね」
「分かった。そこは忘れるよ」
と言いながら僕には妃織の考えていることが何となく分かってしまった。
時代劇で有名なお奉行の講談のエピソードが頭を駆け巡る。
多分僕は左右から両手を引っ張られるのだろう。
僕を自分の元に引き寄せようと両手を左右にぐいぐい引っ張られ痛み苦しむ僕。
僕が痛いと叫ぶとそれを見かねた……
おっとこれ以上喋ったらネタバレなので止めておこう。
しかし、そんな安直な計画がうまくいくのだろうか、とも思ったが妃織を信じておこう。
「じゃあ、僕は今のふたつの約束を守ればいいんだね」
「はいそうです、お兄ちゃん。約束ですよ。大事なことなので繰り返します。ひとつ目、結果を公平にしてください。ふたつ目、手を引っ張られたらすぐに痛いと言ってください!」
「妃織、また口が滑らなかったか?」
「あっ、滑ったようです。今のも忘れてください。ねっ。」
妃織がにっこりとお願いしてくる。この笑顔には敵わない。
「勿論忘れるよ」
「ありがとうございます。このふたつさえ守ってくだされば大丈夫です。あとは妃織に任せてください。わたし達ふたりの平和で平凡な毎日を絶対に守って見せます!」
「ありがとう妃織。でも無理はしなくていいからね」
「無理なんかしてません。お願いですから心配しないでわたしに任せてください!
わたし、明日のお弁当コンテストの主催者を買って出ます。そして全てを丸く収めて見せます。ええ、やります。やって見せますとも」
「ちょっと妃織。何も妃織がそこまでしなくても」
「いいえ、これは神がお兄ちゃんの妹であるわたしに与え給えた使命なのです」
妃織の周囲からメラメラと真っ赤な炎が燃えさかっているのを感じる。
妃織が燃えている。
意味不明で原因も不明なお弁当勝負に燃えている。
妃織は頑張り屋で気配りもできる素直でいい子なんだけど、すぐに調子に乗って暴走を始めるのが玉に瑕だ。これはもう僕が何を言っても無駄だろう。
もの凄く無茶な展開に思えるが、ここは妃織の好きにさせることにしよう。
「分かったよ。妃織に任せるよ。でも何かあったらすぐに僕に相談してくれよ」
「はい。でもご安心ください。妃織はお兄ちゃんを悲しませることは絶対にしませんから」
そう言うと妃織はまるで誓いを立てるかのように右手を握りその腕を胸に添えた。
「お兄ちゃんのためなら妃織は鬼にも小悪魔にもなって見せます!」
妃織の最後の言葉は小さすぎて僕には聞こえなかった。
***
「では、いよいよ勝負開始です!」
ピイーー!
試合開始を告げる笛の音がする。
僕はリングの中央に置かれた食卓に案内される。
花柄のテーブルクロスが掛けられた食卓には椅子がひとつだけ。
勿論僕が座るための椅子だ。
そして両サイドには金のエンジェルと銀のエンジェル……もとい、金髪の美少女と銀髪の美少女が各々のコーナーに設けられた厨房に立って調理を始めている。
リングの上に食卓があるのは、まあ分かる。
普通そんな状況はないけど、やろうと思えばできる。そんなに無理はない。
しかし、リングの上に厨房を作るのはいかがなものか。
コンロが3つにオーブンやら収納棚まで付いているし。
金条寺財閥の財力とか白銀宗家の影響力とか、そんな金とかコネの次元の話ではなく、発想そのものがイカれている。
そんなイカれたリングの上でセーラー服にクマさんエプロンを纏った金条寺さんと、ブルマ姿の上に浮世絵が描かれたエプロンをつけたの白銀さんが一品目を準備している。
「さあいよいよ勝負開始だあ。金条寺選手と白銀選手、ふたりとも油の準備をしているぞ。これは、一品目は揚げ物勝負だあ!」
大石がマイクを握りしめ中継を始める。
頼むからマイクを握る手の小指だけ立てるのは止めてくれ。それ絶対狙ってるだろう、大石。
「金条寺選手はどうやらトンカツのようだあ!」
「やっぱり育ち盛りの高校男子にはトンカツよねっ! それも肉の味と歯ごたえが十分楽しめる産地指定厚切りロースをサクッと揚げるわよっ!」
観客席も盛り上がる。
「うわああ、なんかすげえ旨そう!」
「ひとくち、僕にもひとくち。口移しでひとくち!」
好き勝手なことを言う野次馬たちに負けじと実況の大石が声を張り上げる。
「それに対して白銀選手は、唐揚げのようだあ!」
「唐揚げこそ男子高校生のお弁当の王道。お弁当不動の主役。お弁当の絶対的王者。この秘伝の十種類のスパイスで直弥さんはわたくしのもの!」
「これはいい匂いだあ! 某フライドチキンのチェーン店のような香りがしてきたあ!」
実況のトーンが上がっていく。
「ひとくち、俺にもひとくち。咀嚼してひとくち。」
野次馬の妄想レベルも上がっていく。
「さあ、いよいよ一品目も大詰めのようだ」
と、ここで衣を付けたトンカツを油に入れたばかりの金条寺さんが不思議な行動に出る。
「うふっ、トンカツはこのまま油で5分間揚げます。が、時間が掛かりますので揚げ上がったものがこちらに用意してありますっ」
そう言う彼女の前にはどこからともなく皿に盛られて出来上がったトンカツが現れる。
「はい、こちらが先ほど揚げておいたトンカツですねっ。黄金色でいい揚げ具合ですっ」
どこかのテレビの3分クッキングか!
それを見た白銀さん、勝ち誇ったように僕の方を見ていった。
「直弥さん見ましたか。料理番組のパロディを装ってるけど、あれはお料理が全く出来ないのをカムフラージュしているだけなの。そもそもあの油の温度では綺麗に出来ないわよ、ねえ貴和さん」
「うぐぐぐ…… だったらどうなのよっ! 大体お弁当勝負なのにその場で調理するって言うルールが変なのよっ!」
「あらもう敗北宣言? そういう間にこちらも出来上がったわ。うん、いい出来だわ」
白銀さんは手際よく唐揚げを引き上げていく。
黄金色に揚がった唐揚げはまだ油が弾けている。
ピイー!
「調理終了! さて、いよいよ一回戦の試食です。金条寺選手のローストンカツか?白銀選手の唐揚げか? さあ日丘よ、試食の開始だあ!」
勝手に盛り上がる進行役の大石。
分かったよ。食べますよ。結構腹も減ってきたし。
僕の目の前にはひとくち大に切り分けられたトンカツと、バスケットに盛られた唐揚げが並んでいる。
まずは金条寺さんのトンカツから。
シンプルなトンカツにシンプルにソースが掛かっている。
ひと切れを口に入れる。
直前にレンジでチンしたらしく充分暖かい。
「うん……これはお肉が、豚肉が凄く美味しい!」
こんな美味しい豚肉は食べた事がない。
噛めば噛むほど肉の味がする。
相当いい食材なのだろう。
「これは美味しそうだ! 笑顔がだらしいないぞ日丘! しかもほっぺたが落ちているぞ!」
ほっぺたが落ちるのって見て分かるのか!
出来ていたものをレンジで温めただけのようだが、元々が相当美味しいのだろう。
事の成り行きから考えると誰かに作って貰ったのだろうか?
さて、次は白銀さんの唐揚げだ。
僕はバスケットにお行儀よく盛られた唐揚げに目をやる。
見るからに熱々。ひとつ箸で摘んでお口の中へ。
「はううっ! これはパリパリでジューシーな肉汁が堪らない!」
鶏の皮と肉の割合や、切り分けるサイズが素晴らしく適切。
完璧な塩加減、適度に刺激的なスパイスが食欲をそそる。。
そしてパリパリ感と溢れる肉汁が堪らない絶妙な揚げ具合。
「こちらも美味そうだ! 無意識の内にふたつみっつと食べ進んでいく日丘直弥!
解説で妹の日丘妃織さん、どうでしょうこの勝負」
「これはまさに「最高の食材」対「最高の料理技術」の勝負と言えますね。しかし意外です。「料理なんか出来ませんよ、わたしお金持ちのお嬢様だもん」って感じの白銀さんがこんなに料理上手とは。悔しいけどわたしより上手じゃないですか! これはうかうかしていられないわ!」
何言ってるんだ解説者。この際妃織の料理技術はどうでもいいだろう。
「リング中央テーブルの日丘は料理を試食し終わったようです。さあ日丘君、そろそろ判定をどうぞ!」
ダダダダダダダダダダダ……
どこからともなく判定を促す太鼓の音が鳴り響く。
どちらも美味しかったけど。
どちらかに入れるとすると、正直なところこっちだな。
パシッ!
僕は思い切りよく白銀さんが作った唐揚げの皿の前に箸を置いた。
「一回戦の勝者は白銀茶和選手だあ!」
「うおおおおおっ!」
「凄いです! 茶和さまあ!」
「せーのっ、茶和ちゃ~ん!」
盛り上がる白銀応援団。
一方金条寺サイドにもまだ悲観の色はない。
「貴和ちゃ~ん、そのトンカツ、ボクが食べるよ、口移しで!」
「貴和ちゃ~ん、そのトンカツ、ボクが食べるよ、お口あ~ん!」
各々の応援団が精一杯の声援を飛ばしている。
取りあえず最初は本音で判定をしてみたけど、これって最後は2勝2敗にしないといけないんだよな。妃織との約束だ。出来合レースに少し胸が痛むけど仕方がない。次は金条寺さんに入れよう。
そんなことを考えていると金条寺さんが僕の前に立っていた。
「なおちゃん、正直に白状するわっ。私、茶和の言うとおり料理はからっきし駄目なのっ。でも信じてっ。今日の料理は朝から家の料理長さんに教えて貰いながら私が作ったのっ。決して人が作ったものなんかじゃないのっ! お願い、これだけは信じてっ!」
金条寺さんの大きな瞳は真剣に、真っ直ぐに僕を見て。
そしてその手は絆創膏だらけだった。
「僕のために頑張ってくれたんだね。ありがとう、嬉しいよ」
突然金条寺さんの顔が真っ赤になり、頭の上から湯気がでる。
意外と分かりやすい性格だ。
凄いお金持ちのお嬢様で、しかも凄く美人の彼女。
あっと言う間に学校に親衛隊まで出来ているのに、偉ぶったり人を見下したりと言った感じは全くない。近づきがたい風貌とかなりのギャップがある。
と、その時解説席から笛の音がした。
「ピピピピー! 競技中のナンパ行為は日本国憲法第29条により禁止されています!
金条寺さんは今すぐお兄ちゃんから離れてください!」
何を言っている妃織。憲法第29条は財産権の保障だろう。関係ないじゃん。
「ピピピピー! 関係あります!「兄」と言う私の私有財産が侵害されました!」
「考えただけで切り返してくるとは。お前は読心術師か、妃織! しかし憲法第29条はだな……」
「公共の福祉にも反しません」
やっぱりこいつは人の心が読めるようだ。
「では二回戦、次は煮物勝負だあ!」
実況の大石が声を張り上げる。
金条寺さんと白銀さんは各々の厨房で料理を作り始めた。
ではここから2回戦、3回戦の様子は放送時間の関係上結果のみをお伝えする。
2回戦。煮物勝負。
金条寺さんはタンシチュー、白銀さんは肉じゃがだった。
これは本音のところ甲乙付けがたかったが、『結果を公平』にする都合上金条寺さんに一票を入れた。
「2回戦、勝者、金条寺選手~!」
「うおおお~!」
「やったぜ貴和ちゃ~ん」
「やられたぜ茶和ちゃ~ん」
「一気に抜くぞ~貴和ちゃ~ん」
「一気にヌかれるぞ~茶和ちゃ~ん」
「このままいくぜ~貴和ちゃ~ん」
「このままイかされるぜ~ どぴゅ~」
応援席からは品性が疑われる声援と嬌声が飛び交う。
3回戦は焼き物勝負だった。
金条寺さんはフォアグラのソテー、白銀選手さんは卵焼きを作ってくれた。
金条寺さんの料理も美味しかったけど、卵焼きがともかく絶品だったので、ここは白銀さんの卵焼きに一票を入れた。
「3回戦、勝者 白銀茶和選手!」
僕の恣意的な審判をよそに応援団はヒートアップし続ける。
「わあー!」
「茶和さまステキ~!」
「茶和さまステーキ!」
微妙に違うオーダーも入っているようだ。
一方、一勝二敗となり後がなくなった金条寺陣営。
「貴和ちゃーん、そろそろ本気出して~」
「貴和ちゃーん、そろそろポロリ出して~」
後がないのに節操もない応援団だ。
そんな意味不明の盛り上がりを見せる中、学校の屋上に実況兼進行役の大石正義のアナウンスが響く。
「では、泣いても笑っても、怒っても中指を立てても、これが最後の勝負です!最後の勝負のテーマ、それは主食!」
主食?
お弁当の主食って、ご飯とか。
おにぎりとか。
サンドイッチだとか。
そんなもののことかな。
僕はナンがいいな。
焼きたて暖かなホクホクのナンが。
そんなことを考えていると、白銀さんがタンドール釜の用意を始める。
普通、この状況でナンは出てこないよね。
偶然とは考えにくいよね。
人の心を読むなよ、白銀さん。
そう思いながら僕は自分の考えを変えてみた。
やっぱり僕は普通におにぎりがいいよ、おにぎり。
そう心の中で呟くと、白銀さんがタンドール釜を撤去し始めた。
「お弁当と言えばやっぱりおにぎりよね、直弥さん」
「人の心読むなよ、超能力者かよ!」
僕のツッコミに不敵な笑みを浮かべる白銀さん。
妃織といい白銀さんといい、まさか本当に超能力者という設定じゃないだろうな。
「さあふたりとも炊きたてのご飯を取り出した。これは両者ともおにぎりで勝負に出たか!」
どこからか突然炊きたてのご飯が現れた。都合のいい展開だ。
「ご飯は3時限目後の休憩で両者飯ごうで炊き始めていたようですね」
心の中で考えたことに対しての解説をありがとう、妃織。
「金条寺さんのおにぎりの具は何でしょう…… これは魚の卵の燻製のような……
あっ、からすみですね、からすみを具に選んだようです」
からすみならおにぎりに合いそうだけど、どこまでも高級食材でくるんだね金条寺さん。
「一方白銀選手は……梅干しだ。これは定番、何のひねりも意外性もサプライズもない選択できた!」
「解説者さん、王道と言って頂戴。梅干しは食欲を増進させるだけじゃなくて、その強い酸がご飯の腐敗を防いでくれるのよ」
そう言いながら白銀さんは塩をつけた手にご飯を取り形のいい三角形のおにぎりを作っていく。
その美しい手の動きから綺麗なおにぎりが作り出される様はまるで魔法のようだ。
一方の金条寺さん、おにぎりの型にご飯を詰めていく。
「ふふふっ。現代文明の利器を使わない手はないわよね。それに衛生的だし。ほら、私にもバッチリ綺麗に出来たわよ」
なるほど。
おにぎりの型を使えば白銀さんのように熟練の技を使わなくても綺麗に出来るよね。
「おにぎりは何故手で握るかお分かりかしら? ねえ直弥さん、食べてみればきっと分かるわよ」
白銀さんは余裕の表情だ。
「カンカンカン!」
「はいそこまで! いよいよ最後の一品が終わりました。この一品で白銀さん勝てば白銀さんの勝利。金条寺さんが勝てば同点となり同点決勝となります」
「さあ金条寺さん、白銀さん、出来た主食の一品を中央テーブルに運んでくださいね」
おにぎりを載せたお皿を大事そうに手に持ってふたりの少女がリング中央に歩み寄る。
この一品、僕は金条寺さんに一票を入れる。
妃織と固く約束した2勝2敗にするためには僕の感想とは関係なく金条寺さんに一票を入れる番なのだ。少し心がちくりとするがここは仕方がない。
そして2勝2敗のイーブンとなって同点決勝が行われる。
その先、妃織が用意したシナリオはきっとこうだ。
今日は用意している材料がないとか時間の制約だとか理由をつけて、同点決勝は金条寺さんと白銀さんに僕の左右の手を引っ張らせるつもりだ。
勿論、僕を引き寄せた方が勝ち。
そう言って引っ張り合いをさせておいて、両手を左右から力一杯引っ張られた僕が「痛い、痛いよう!」と叫んだところで妃織が泣きながら「やめて! お兄ちゃんを助けてあげて」とか何とか言いながら乱入する。
そこに大石が出てきてこう言うつもりだ。
「本当の母親なら痛み苦しむ我が子の様を見て放っておけるはずがない。痛がる直弥の手を引っ張り続けたその方らは本当の母親であるはずがない。本当の母親はその妃織と言う娘じゃ!」
と、多分こう言うシナリオだ……
あれ? これじゃあ妃織が僕の母親になってしまう。
何か少しおかしい。
実況席の大石の方を見る。
大石は大急ぎで頭を時代劇風のチョンマゲにして、腰に太刀を差し、着物に着替えている。着物の背中には大きく「大岡一膳」の文字が。
やっぱり間違いない。
僕の想像通り大岡越前の有名な講談「子争い」を再現するつもりだ。
全くもって見え見えでスケスケのシナリオだ。
などと僕がこれから起こるであろう事を頭の中で想像している間に、おにぎりを載せた皿を手に持ち金条寺さんと白銀さんが僕の前に立っていた。
「さあ試食を始めましょう」
実況兼進行役の大石の声が響いたその瞬間だった。
気まぐれな春の強い風が吹いた。
金条寺さんのセーラー服のスカートが風に翻る。
「きゃああ~!」
慌てて舞い上がったスカートを押さえる金条寺さん。
手に持っていたおにぎりを落としてしまった。
ころころころりん ころころりん。
おにぎりは金条寺さんの前方に落ちると、そのまま勢いよく転がっていく。
一方、白銀さんは。
「ブルマ穿いててよかったわ」
体操着にエプロン姿だったため難を逃れた白銀さんは、おにぎりの行方を目で追った。
ころころころりん ころころりん。
おにぎりは屋上の端っこまで転がっても止まらない。
屋上の柵の隙間をくぐり抜け、校舎の下へ一直線に自由落下運動。
ひゅ~…… ドスン。
それでもおにぎりは止まらない。
ころころころりん ころころりん。
おにぎりは校庭の隅っこにまで転がっていく。
そして、そこにはネズミの巣穴が。
ここころころりん ころころりん。
こうして金条寺さんが作ったおにぎりはネズミの巣穴に転がり落ちてしまいまし
たとさ。
と、まるでどこかのお伽噺のような展開になってしまった。
追いかける間もない一瞬の出来事に金条寺さんの顔面は蒼白だ。
「もう……作り直す材料がないわ」
しかし顔面蒼白なのは金条寺さんだけではなかった。
「なんてことでしょう。折角金条寺さんが一生懸命作ったおにぎりが……これでは試食が出来ません。どうしましょう! 妃織の……一晩かけた妃織の計画が……」
解説席で妃織が呆然とマイクを持ったまま脳内をダダ漏れさせている。
「妃織ちゃん、どうするのこれ。予定狂っちゃうよ。まずいよ」
実況の大石までマイクスイッチが入っていることに気がつく余裕がない。
そうなのだ。ここでは金条寺さんに一票を入れないと2勝2敗の引き分けにならない。
白銀さんに入れると白銀さんの3勝1敗となり勝利確定。
そうなると白銀さんは高校卒業まで僕の昼休みと言う大切な時間を奪い取り、僕をどう扱ってもいい権利を得ることになってしまう。
昼休みだけだからいいじゃないかって?
とんでもない。考えてみて欲しい。
うちの高校の昼休みは12時から1時までの1時間。
1ヶ月の登校日が20日としてひと月20時間。
1年で240時間。
高校卒業まで2年あるから480時間。
丸々20日分の時間を白銀さんの奴隷として扱われるのだ。
白銀さんって昨日知り合ったばかりだし、クールで全然笑わなくて、どんな人なのかまださっぱり分からない。今のところ悪い印象は全くないけど、もしかしたら裏の顔があって物凄く冷徹で非情で強欲な人なのかも知れないのだ。
毎日昼休みに近くのコンビニに使い走りにされるかも知れないし。
毎日ホストの格好をして白銀さんの執事の役目をやらされるかも知れない。
いや、実は白銀さんは変な趣味の持ち主で、毎日裸で校庭10週走らされるかも知れない。
いやいや、もしかしたら白銀さんは吸血鬼で、毎日400ml献血を強要されるかも知れない。
いやいや白銀さんは実は魔王の娘で……
想像が膨らむと言うか、空想が加速すると言うか、妄想が暴走していく。
ともかく何とかしなくてはいけない。
しかし、片や美味しそうなおにぎりが出来ているのに、もう片方の皿には何もない。
棄権と取られても仕方がない状態だ。
この状態で料理を出すことが出来なかった金条寺さんに票を入れることは誰も認めないだろう。しかし金条寺さんに一票入れないと。引き分けに持ち込めない。
考えろ。考えるんだ直弥。
そうだ。
僕は既におなかが一杯だ。
だからこれ以上何も食べたくない。
そんな僕の状態を見抜いた金条寺さんはわざとおにぎりを落とした。
その素晴らしいファインプレーに一票。
これなら、この理屈なら無理矢理ストーリーは通る。
しかし誰が見てもえこ贔屓だし、何よりそんな判定をしたら白銀さんに申し訳ない。
白銀さんも頑張ったんだ。あまりにひどい判定は彼女を傷つけるだろう。
横目で妃織を見る。
青い顔をしていた妃織が意を決したように立ち上がった。
きっと土下座でも何でもして謝るつもりだ。
同時に金条寺さんの唇が力なく動き出す。
「この勝負、私の……まけを……」
万事休す!
と、その時白銀さんの凛とした声が響き渡った。
「この勝負はなかったことにしましょう」
「茶和……」
「白銀さん」
「……」
金条寺さん、妃織、大石、そしてそこにいる全ての人の視線がリング中央で長い銀髪をなびかせながら凛として立っているブルマエプロン姿の白銀さんに集まった。
「昨日転校してきたばかりの貴和とわたくしのどちらかをいきなり選べとか、無理矢理勝負ごとに持ち込むとか、直弥さんも困ったでしょう。いいえ、直弥さんだけじゃない。妹さんも相当困らせちゃったわね。分かってるわ。わたくし、これから直弥さんともっともっと沢山の時間を共有して茶和のことをちゃんと分かって貰おうと思うの。そして今度こそ直弥さんの心からの言葉で答えを貰うわ。だからこんな勝負の結果はもうどうでもいいの。直弥さん、妃織さん、ごめんなさい。あっ、そこで実況をしている大岡一膳さんもご苦労様でした。大岡裁きが出来なくて残念だったわね」
「白銀さん……ありがとう」
僕にはそれ以上の言葉が見当たらなかった。
白銀さんは狐に摘まれたような顔をしている金条寺さんにも声を掛ける。
「ねえ、貴和もそれでいいわね。今日はこれでお開きにしましょう」
「ええ勿論……」
妃織はふたりに向かって深々と頭を下げている。腰90度の見事なお辞儀だ。
「妃織さん、頭を上げてくださらない。困らせたのは茶和たちですから」
「……いいえ、あげません。あげることが出来ません。ありがとうございます」
妃織の足下には何滴もの滴が光っている。
結構涙もろいんだな、妃織。
「そうそう、折角だからこのおにぎり食べてくださらない。勝負とは関係なしに、ね」
僕は白銀さんの手から彼女が作ったおにぎりをひとつ受け取った。
香ばしく炙られた焼き海苔が食欲をそそる。
ひとくち囓る。
綺麗な形のおにぎりがホロリと口の中に入っていって。
絶妙な塩加減が海苔ととても合う。そして梅干しが口の中をさっぱりとしてくれて。
何より白銀さんが僕のために一生懸命作ってくれたことが伝わってくる。
「白銀さん、ありがとう。おにぎり凄く美味いよ!」
特設リングから降りて屋上の出口に向かう白銀さんに僕は大きな声で叫んだ。