4章 その11
トントントン
生徒会室のドアをノックする。
はい、と言う声とともにドアが開く。
生徒会室には浅野部長と生徒会の役員らしき女生徒、それから予想通り妃織がいた。
「お兄ちゃん!」
「日丘君、金条寺さん、白銀さん!」
驚いたように妃織と浅野部長が声を上げる。
「お兄ちゃん、どうしてここへ……」
「昨日の夜、妃織が言ったじゃないか、吉良会長が心配だって」
「そうですけど。お兄ちゃんも心配してくれたのですね」
「で、どうなんだい、吉良会長は?」
「それが……昨日よりずっと深刻で……」
声が聞こえた。
生徒会室の隣の部屋からのようだ。
「あたしはいりませんか……」
何と淫らな! と言う発想を一切起こさせない暗い声色だった。
「生徒会室の隣の部屋はこのドアで生徒会室からも行き来できるんです」
生徒会役員らしい女生徒が教えてくれる。
そのドアの向こうから声が聞こえてくる。
「誰か、あたしはいりませんか…… 誰も、あたしはいらないの…… 誰か、一緒にあの人に復讐をして……」
見ると浅野部長は真っ青な顔をして心なしか震えているようだ。
そして妃織は、うっすらと涙を浮かべている。
声が聞こえる。
「阿久里先輩をいじめましょう! 浅野なんか無視して! ねえ、誰か、あたしと一緒に……」
吉良会長の阿久里先輩に対する恨みってそんなに凄かったのか。
妃織が生徒会の女生徒に声を掛けている。
「わたしに、吉良会長とお話をさせてください」
「しかし……」
「もうこれ以上は危険だと思うんです」
「それはそうだけど……」
浅野部長は吉良会長がいるドアの方を見ながら震えている。
「どうしてそんなに酷いことばかり言えるの……」
そんな浅野部長を横目で見ながら妃織が意を決したように口を開く。
「今、吉良会長の味方になれるのはわたししかいません。お話ししてきます」
しかし浅野部長が声を上げる。
「あんな吉良の味方になんかならなくてもいいのよ! 助ける必要なんてないわ! 阿久里先輩は、阿久里先輩は……」
ドアの向こうからの声は続く。
「誰も……あたしはいりませんか…… 今日は寒いわ…… (ボッ)あっ、クリスマスパーティーが見える! (ボッ)わぁ、美味しそうな料理がいっぱい!」
どうやら時間も空間もぶっ飛んで完全に妄想の世界に入っているらしい。
マッチを擦る音まで混じっている。
「これは……噂に聞くアンデルセン症候群の最終症状『マッチ売りの症状』!」
白銀さんが誰ともなく呟く。
「なんだその取って付けたような仮想の症候群は!」
「貴和も聞いたことがあるわ。『マッチ売りの症状』が出たらすぐに対処しないと危険だって。妄想におばあさんが現れてマッチがなくなると命の危険も伴うって」
なんだか凄く恐ろしい病気のようだが、症状は確実に進んでいるようだった。
「誰かあたしと一緒に…… (ボッ)ねえ誰か…… (ボッ)あっ、フォークが刺さった七面鳥さん、こっちよ…… (ボッ)七面鳥さん、あたしと一緒にいてくれるの!」
妃織が僕たちの方をみる。
僕と同様に心配そうな表情で妃織を見る金条寺さん。
しかし白銀さんは妃織を優しく見つめながら大きく頷く。
「はい」
妃織は白銀さんに小さく頷くと吉良会長のいる部屋へ向かった。
もう、そんな彼女を誰も止めようとはしなかった。
「(ボッ)美味しそうな七面鳥さん!」
マッチを刷り続ける音が聞こえる。
妃織はノックもせずに吉良会長が閉じこもる部屋へと入っていく。
「吉良会長、わたしとお友達になって、ください」
「えっ!」
「吉良会長と、お友達に、なりたいんです。一緒にお話ししたいんです」
「貴女は、だれ?」
「恋に苦しむ、ただの女の子です」
「恋に苦しむ……」
「はい。思い通りにならない恋に」
「……思い通りにならない恋…… そう、よね。思い通りにならないの、よね」
「やっぱりね」
小さな声で白銀さんが呟く。
「やっぱり?」
意味を聞き返す僕。
「ええ。生徒会や他の人たちの話で何となく予想はしていたんだけど、確信に変わったわ。吉良会長は阿久里先輩に恋をしていたのよ」
「吉良会長が?」
「ええ、多分だけど初恋。きっと好きな人への好意の伝え方を知らない小学生のように吉良会長は好きな人の気を引きたくて意地悪ばかりしていたのだと思うの」
「……」
「でも、阿久里先輩は浅野部長と恋仲になった。わがまま放題に育った吉良会長は何でも思い通りになると思っていた。でも恋は違った。本気で好きになった焦がれるような初恋は何ひとつ自分の願いが叶わない。吉良会長の一方的でも深い愛情は恐ろしいまでの憎悪に変わったのでしょう」
もう、ドアの向こうからは独り言もふたりの会話も聞こえない。
ただ、嗚咽とも泣き声とも知れない声だけが聞こえてくる。
「しかしなっくんの妹さんは凄いわね。吉良会長を目を見て、恋に破れた女の怨嗟の目だと見抜いたのでしょうね。最初から吉良会長に同情的だったものね」
「妃織……」
浅野部長を見ると先ほどまでの震えが止まり、ただ虚ろに宙を見つめている。
暫くみんな無言で立っていた。
やがて妃織が吉良会長を抱き抱えるように生徒会室へ入ってくると、まだ呆然と立ち尽くしている浅野部長の前に立った。
「浅野部長、ごめんなさい。勝手なことをして」
妃織が頭を下げる。
その瞬間、ふっと浅野部長が我に返る。
「い、いいえ。妃織さん。こちらこそ…… ありがとう」
浅野部長は何かを吹っ切るように妃織に微笑んだ。
その間、吉良会長は無言で下を向いたままだった。
白銀さんが誰にともなく呟いた。
「あとは時間が解決してくれると思うわ」




