4章 その1
第四章 大いなる悲惨 ~ 失われたトキメキを求めて
金条寺さん、白銀さんとデートした翌朝。
激動の一日の直後だというのに、僕は変な夢を見た。
「鏡や、鏡。トイレの壁に掛かる魔法の鏡よ。学校で一番美しくモテモテでセクシーでボンキュボンなのは誰か答えておくれ」
豪華なドレスを身に纏う高慢そうな赤毛の美少女が鏡を覗き込む。
女子トイレの手洗い場に掛けてあるらしい魔法の鏡が彼女に答える。
「会長様は確かにお美しくてモテモテです。しかし今、学校で一番美しくモテモテで男子生徒のおかずランキングトップを争うのは考古学部にいる転入生でございます」
「なに~、あの金条寺と白銀とか言う転校生か。そんなことはこのあたしが絶対に許さない! 一番綺麗なのはこのあたし! くそっ、目にものを見せてくれよう!」
そう言うと会長と言われた赤毛の美少女は僕の方を真っ直ぐに睨みつける。
「見ていろよ~ 考古学部のブスどもめ!」
ドンドンドン!
「お兄ちゃん、起きてください。今日も元気に朝ご飯ですよ。お兄ちゃん」
「んん…… ふあ…… 今行くよ……」
なんだこの夢は。会長様って誰? なんだか嫌な予感しかしない夢だ。
金条寺さん白銀さんが現れた夢を見た日からまだ六日しか経っていないというのに。
僕は眠い目をこすりながら洗面を済ませる。
歯磨きよし、顔磨きよし、毛繕いよし!
朝の指さし点呼を終えると食堂に入っていった。
「おはようございます、お兄ちゃん。今日はフレンチトーストと目玉焼きのベーコン添えです。甘さ控えめバナナジュースもありますよ」
「妃織の料理はいつも美味しそうだな。しかしバナナジュースが多いのは何故?」
「近所のスーパー、毎週週末はバナナ特売日で一房七十八円なんです。栄養価も高いのでバナナ係数が高いのは許してください」
微笑みながら食器を並べる妃織。
しかし今日の妃織は目の下がうっすらと冴えない色をしている。
「眠れなかったんだな……」
「お兄ちゃん、何か言いました?」
「いや、何でもないよ」
そう言いながら僕は昨晩の事を思い出していた。
***
昨晩。
僕の胸元の古傷を見て泣き出した妃織はいつもより早く自分の部屋に戻っていった。
僕は今日予定されている日本史のテスト勉強と言う名の丸暗記をしていたが、どうしても彼女の事が気になり静かに一階へ下りてみた。もう十二時をとっくに過ぎていたのだが僕の予想通り居間には電気が灯り、妃織が座っていた。
彼女の前には古いアルバム。先日も深夜にひとりで見ていたアルバムだ。
「お母さん、わたし、何か悪い魔法に掛かったみたい、です……ひとりぽっちは怖いんです……」
小さな声で呟く妃織。僕は声を掛けることが出来なかった。
「うっ……」
やがてアルバムをゆっくり閉じると、妃織はただ漠然と前を向いて。
「お兄ちゃん、わたしを……助けて……お願い……」
「……」
ゆっくりと彼女は立ち上がりアルバムをガラス戸に戻しに行く。
僕は慌てて、しかし彼女に気づかれないように自分の部屋に戻った。
***
「じゃ、お先に行くよ!」
一週間の始まりの月曜日。外は快晴。今日も元気だ、暗記が冴える。
「いいカモ作ろう、キャバクラ幕府……」
僕は昨晩何を暗記したんだろう。情報量が限りなくゼロだ。
学校でもう一回おさらいしないと。
そんなことを考えながら教室に入ると大石が窓際に立っていた。そして僕と目が合うと手招きをする。
「どうした、面白いアニメでも発掘したか?」
「そうじゃないよ。今日のあのふたり、いつにもまして険悪なムードなんだけど」
「えっ、あのふたり?」
どのふたりかは一瞬で分かった。オリンピック男子百メートル走ファイナリストのスタート反応時間よりも断然短かい一瞬で分かった自信がある。
「なんだあの有刺鉄線のバリケードは!」
見ると、金条寺さんと白銀さんの席の間、即ち僕の席があるはずの場所に高い塀が築かれ、有刺鉄線が凶暴な光を発していた。
「僕の席はどこに行った?」
思わず口をついて出た僕の疑問に大石が答える。
「ちゃんとあるだろう、2カ所も」
「2カ所?」
なるほど。金条寺さんの右隣と白銀さんの左隣にそれぞれ机が並んでいる。
金条寺さんの横の席の真上には、
熱烈歓迎 日丘直弥さま 愛の巣へようこそ!
と書かれた黄色い横断幕が掛かっている。
何だか頭痛がしてきた。
一方、白銀さんの横の席の真上には金色の巨大なくす玉が準備万端で待っていた
何だか腹痛もしてきた。
それでも陣痛を感じないだけ僕はまだマシなのだろうか。
「僕はなんて不幸なんだ」
僕の一言に大石が怒ったように言う。
「日丘、お前は全然不幸なんかじゃない。不幸なのは俺だ!」
「どういう事……」
よく見ると大石の席は消失していた。
僕の席が二カ所になったとばっちりを食ったらしかった。
「だから大石はここで立って僕が来るのを持ってたんだな……」
「そうだ。あのふたりの喧嘩と日丘争奪戦争の生け贄になったんだ」
「ともあれ、何とかしないといけないな」
僕はふたりに声を掛けた。
「何してるんだよ、貴和さんも茶和さんも」
「あらっ、なおちゃんおはようっ! 昨日はごめんねっ! さあ、貴和の隣へどうぞっ! お席暖めておきましたからっ」
戦国時代以降使い古されたネタだが、美人に言われるとツッコミも出来ない。
「おはようなっくん。昨日は暗闇でふたりだけの秘密のプレイ、楽しかったわ」
突然、周囲の視線が僕を突き刺した。
「あのね、そう言う誤解を量産する表現はやめてよ。単に映画館で美味しく戴いただけじゃないか!」
しまった。ちょっと表現間違えた。視線が本気モードに変わってきた。
「ともかく、わたしの隣へいらっしゃい。くす玉が待っているわ」
「くす玉から鳩が出てきたら怒るからね!」
「ぎくっ」
白銀さんの表情が珍しくフリーズする。図星のようだ。
「ともかく教室に勝手にベルリンの壁を作っちゃダメだ。今すぐ撤去すること」
「なっくん、何を言っているの? 昨日の貴和の抜け駆け知っているでしょう?」
「なおちゃん、わたしが強制連行された黒幕は茶和だったのよっ! 許せないでしょ!」
「昨日は昨日! ともかく今すぐこの壁を撤去して大石の席を元に戻さなかったら、貴和さんも茶和さんも大嫌いになるよ!」
「あら、なっくん。イヤよイヤよも好きの内」
「なおちゃんがわたしを嫌いになるなんてないわよねっ。ないわよねっ!」
「僕は本気だよ。言うこと聞かないと今すぐ隣のクラスの子になっちゃうよ。天草先生なら何とかしてくれるだろうね」
僕の言葉を聞いたふたりは慌てたように声を上げた。
「皆さん、撤去お願いしますっ!」
「これ、悪いけど今すぐ撤去よ」
ふたりの声をどこで聞いたのか、廊下からぞろぞろと金条寺、白銀両親衛隊の皆さんが入ってくる。どちらも隊員1号から隊員100号までいるらしい。背中にゼッケン番号が貼ってあるので分かった。総勢200人の働きで壁はあっと言う間に撤去された。まるで親が来た瞬間に散らかしたエロ本を一瞬のうちに片づける少年のように。
「ふたりとも、昨日は本当にありがとう。楽しかったよ。でもあんなに優しい貴和さんと茶和さんがこんな喧嘩をするなんて僕は寂しいな」
さっきまでまだ何か言いたそうだったふたりが揃ってシュンとなる。
「ねえ、今週も仲良くやろうよ」
「なおちゃんのお願いならっ」
「分かったわ、なっくん」
こうしてその日は平穏に時が動き出した。そう、放課後までは。




