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お兄ちゃんのためなら、鬼にも小悪魔にもなってみせるわ。  作者: 日々一陽
第三章 降伏な王子(ある晴れた日曜に)
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3章 その11

 夕食を食べながら、今日妃織がどこに出かけたのか聞きたかったが、それを聞くと僕の行動も聞き返されそうだったので黙っていた。


 たわいもない会話とともにカレースパゲティが僕の胃袋に収まる。

 僕が洗い物のため台所に立つと妃織も横に立ちコーヒーを淹れはじめた。

 電動ミルで挽かれたコーヒー豆が芳しい匂いを放つ。


「お兄ちゃんは茶和先輩と貴和先輩がどうして仲が悪くなったのか、理解できましたか?」

 妃織がいつもより声のトーンを落として聞いて来る。

「ああ、あの話? 姉妹と思い込んでいたけど、そうじゃないって分かったとたん仲が悪くなったって話?」

 そう、昨日考古学部室で妃織が珍しく感情的に食い下がっていた話だ。姉妹であってもなくても仲良しでいいのに、どうしてそうなったのか分からないって。


「白銀さんこう言いました。姉妹じゃない、血の繋がりがないって分かった瞬間、『仲良しの魔法』が解けたって。お兄ちゃんはそんな事あると思いますか?」

「さあね。あのふたりもとっても苦労したんだと思うよ。僕には経験がない事だから分からないけど……」

「そうですよね、分かりませんよね……」

 コーヒーがドリップされサーバーに落ちるのをじっと見る妃織。

 やがて彼女は自らを奮い立たせるように背筋を伸ばして。

「さあ、コーヒーも入りました。一緒にアニメタイムですね、お兄ちゃん!」


 『バトン部長はメイドさま』は頑張り屋で才色兼備のバトン部長が実は貧乏な家庭を支えるために隠れてメイド喫茶でバイトしていると言う話だ。

 学校一のイケメンにして文武両道と言う文句なしの王子様とお互いに惹かれていくお決まりの展開だが、何故かヒロインはメイド喫茶のバイトの秘密を打ち明けられず苦悩する。


「こんなに悩んで十円ハゲができるくらいなら、バイトの秘密打ち明ければいいのにな」

 アニメが終わってエンディング曲が始まり、素直な感想を述べる僕。

「何言っているんですか! 女の子はそんなこと言えないんです。彼氏の方がたった一言「好きだよ」と言えばこの話は全て丸く収まるんです!」

「うん。確かに丸く収まるけど、話が終わっちゃうよね」

「いいんです! 攻略ルートは一本でも。長くて太ければ!」

「その表現は誤解を生むから止めた方がいいよ……」

「はっ、わたしとしたことが。長くて太いて黒いだなんて……」

「清純派はもう諦めたんだね、妃織」

「すいません。わたしがお下劣でした。お通じのお話なんて……」

「少しだけホッとしたよ」

 狙って言ってないだろうな、妃織。


「ところでお兄ちゃん」

 妃織がその大きく意志が強そうな瞳に妖艶な光を宿しながら僕を見上げてくる。

「お兄ちゃんはたくさんの女性を攻略してみたいですか?」

「いや、ゲームやってる訳じゃないから、そんなにたくさんはいらないかな」

「このアニメの彼氏は脇目もふらず彼女一本なんですよ」

「このヒロインの方も他のどんなイケメンにもぐらつかないよね」

「お兄ちゃん……」

 突然妃織は立ち上がると手を後ろに組み、少し体をくねらせた。

「妃織は……絶対……ぐらつきませんよ……」


 ショートパンツから伸びる健康的でも清らかに輝く彼女の太ももが僕の目を捕らえる。

 僕の頭の中の『正常な精神』を司る組織が一撃で破壊される。

 胸の鼓動が乱れていくのが分かる。

 困った。目のやり場に困るとはこのことだ。

 少し下に目を動かそうとすると、彼女の長く滑らかな曲線を誇るふくらはぎが。

 少し上に目を動かそうものなら、引き締まったウエストと形のよいバストが織りなす完璧な曲線美が。


 僕は首を左に回し、街灯の灯を映す窓の方を見る。

 しかし敵前逃亡を謀る僕の目を、体を折り曲げ妃織が笑顔が覗き込む。

「ねえ、お兄ちゃん」

 少し恥じらう表情を見せながらも、妃織の大きな瞳は妖しい炎をたぎらせて僕の視線の自由を奪い取った。


 しかしここまでは想定の範囲内だ。

 ここからが本日のメインイベントだ。

 僕は着ているチェックのシャツを脱ぎ捨てる。

 一瞬驚く妃織。

 構わず僕は立ち上がり胸を張る。

 下に着ているのは白いTシャツ。

 その胸元には黒字ででっかくこう書いてあるのだ。


 『あえて言おう、兄であると』


 これを見たら妃織もきっと思い直すに違いない!

「あっははは…… なんですかお兄ちゃん、そのTシャツ!」

 結構ウケたようだ。妃織が笑っている。

「ふっふっふ。駅の近くにあるアニメショップで買ったんだよ」

「面白いですね、そのTシャツ。じゃあ、妃織も負けないように頑張りますね!」

 負けないようにってどういう事だ?


 しかしみるみるうちに妃織の表情に何か強い意志が浮かび上がってくる。

「今日の妃織はどう……ですか」

 お互いに立ったまま向かい合う妃織と僕。

 妃織の妖しくも澄んだ瞳が上目遣いで僕を覗き込む。

「わたしのこと、どう……思いますか」


 どくん!


 心臓が飛び出したかと思うほどの衝撃が走る。

 僕の視線は妃織の魅惑的な瞳に捕らえられると、どうにも身動きが出来なくなった。

 そして視界に飛び込む彼女の若々しく清らかでも肉感的な太ももが、意外にも深く柔らかな暖かみを感じる胸の谷間が、僕の鼓動を、理性を、魂を屈服させる。

 妹なのに、実の妹なのに、こんなにも僕は彼女のことが……


「お兄ちゃんお願いです。わたしの質問に……」

 妃織の声は消え入りそうにか細くなって。

「答えて……ください……」

「……妃織……僕は妃織が……」


「えっ!」

「あっ!」


 突然、ぽたぽたと赤いものが床を染める。

「お兄ちゃん、待っててください!」

 慌てて駆け出す妃織。

 しかし、鼻血を流しながらも僕の鼓動は激しく乱れ、僕の意識は妃織で埋め尽くされたままだ。


 実の妹に見つめられただけで鼻血を流すという無様な格好を晒したまま。

「大丈夫ですか、はいこれ」

 妃織はティッシュで優しく僕の鼻を押さえて流れ出す血を止めると、床に落ちる血を拭い始める。


「あっ、折角の新しいTシャツに血が!」

 床を拭いていた妃織は立ち上がり、今度は僕のTシャツに手を掛ける。

「脱いでくださいお兄ちゃん。すぐに洗いますから」

 妃織に掛けられた妖しい魔法が解けていき僕の意識が戻ってくる。


 少しずつ状況を把握し始めた僕の目に映るのは、甲斐甲斐しく僕のために奮闘する妃織の姿。その姿は先ほどまでの妖しげな女の色香で僕を狂わせた妃織とは違う、得も言えわれぬほどに愛おしい妃織の姿だった。

「はい、手を上げてください、お兄ちゃん」

「あっ、ごめん妃織」


 僕が手を上げると妃織は僕からTシャツを脱がしてくれた。

 妹とは言え上半身を若い女に晒すことになる恥ずかしさを考える余裕はまだなかった。

 Tシャツを脱がされた僕の前には優しく可愛い妃織の姿が。


「あっ……」


 しかし、血のついたTシャツ手に持った彼女は僕に向かって立ち尽くし、僕を見つめたまま動こうとしなかった。


「お兄ちゃん……」


 妃織は僕を……いや違う。僕の胸元を見つめながら次第に表情をこわばらせていく。


「お兄ちゃん……」


 妃織が見つめる先には僕の右の肩口から胸に延びる古い傷跡があった。

 この傷跡は幼い頃、僕が崖から落ちて怪我したときについたものだ。

 あれは、そう、もう十年前の事だった。


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