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お兄ちゃんのためなら、鬼にも小悪魔にもなってみせるわ。  作者: 日々一陽
第三章 降伏な王子(ある晴れた日曜に)
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3章 その8

 映画館は最近出来た大きなショッピングモールの三階にあった。十のシアターを持つ、所謂いわゆる『シネマコンプレックス』と言うヤツだ。たくさんの映画から好きな作品を選んで観ることが出来る。


 日曜日でもあり映画館はいっぱいだったが、幸い『ルパン十三世・カリオストロのポチ』は公開から既に日が経っていたせいか席は十分に空いていた。


「お席はどこにいたしましょう?」

カウンターの人が現在の空席状況をモニターで見せながら尋ねて来る。

「ねえ茶和さん、席は前がいい? それとも後ろの方?」

「ふたりの個室なら何処でもいいわ」

「いや、映画館に個室はないから」

「じゃあ、シャワーなしの部屋で我慢するわ」

「だから、部屋自体がないんだってば」

「それなら今から周りに壁を建設して貰いましょう」

「いや、出来ないからそんなこと……」

白銀さんは僕たち庶民の常識を持ち合わせている、と勝手に思っていた僕がバカだった。


「ポップコーン買おうか。飲み物も一緒に」

「なっくん大丈夫よ。ちゃんと持ってきているから」

「持ってきてるって何を? ここは食べ物持ち込み禁止だよ」

「ふふふ。秘密よ、なっくん。期待しておいてね」

「何が秘密なんだよ。バレたら怒られるよ」

「大丈夫。わたくし、全世界映画館連合協議会の持込許可証を持っているから、ほら」

「えっ、持込許可証?」


 僕は彼女の財布に入れてある一枚のカードを見せられた。


  白銀茶和 殿


  上のものは所定の教習を終了したので、

 映画館客席に全ての飲料、食事、調理用具、機材等を

 持ち込みむことを許可します。


  条件 : 限定解除


 発行  全世界映画館連合協議会


すごく胡散うさんくさい。

「今、なっくんはこの許可証に疑念を抱いたわね。この許可証はわたくしが通信教育で必死に勉強し、毎週レポートを提出して百二十もの単位を3年がかりで取得した血と汗と涙の結晶なのよ」

「……何だか凄いね、茶和さん。疑って悪かったよ」

「そうよ。反省して頂戴。そうやって身につけて知識と技能をフルに活用して昨晩自宅のプリンタから印刷したカードなんだから」

「パソコン講座を受けてただけかよ!」


 どこまで冗談でどこから本気か分からないけど。

 もし全てが冗談だとしても、彼女の脳内が僕たち庶民の常識からはかけ離れていることは確かだと思う。


          ***


 百五十ほどの席は半分も埋まっていなかった。左側やや後方に座った僕たちふたりの両横は空席だ。

「わたくし、劇場で映画ってこの何年も観ていないわ」

 予告を観ながら白銀さんが囁く。

「僕も映画館に来ることはあまりないかな。だいたいレンタルでビデオ借りて家で観るからね」

「妃織さんと一緒に?」

「そうだね、大体一緒だね」

「本当に仲がいいのね、妃織さんと」


 やがて映画本編が始まった。

カッコイイ音楽と軽妙なセリフ回しに乗ってアクションが繰り広げられていく。

白銀さんもストーリーに入り込んでいるのか、寄り添ってきたり、手をつないできたりと言う僕が恐れていた行動には出てこない。

心のどこかでちょっとだけ残念な自分もいるが……

本当にちょっとだけ。

ちょっとだけよ。


「ねえ、なっくん、ここらで一服しましょうか」

 白銀さんが耳元で囁く。

 一服?

 まさか、煙草?

 そんな思考が頭を巡る。

 恐る恐る横を見ると白銀さんは自分の膝にお盆を載せ、その上に茶器を置いていた。

「お茶?」

「一服と言えばお茶よね。まさか煙草を想像しましたか? 高校生なのに」

「っていうか、そう言う問題じゃないだろっ!」

「なっくん、上映中はお静かに」

「いや、お静かにって、お茶なんかてたら……」

「便利な結界が張ってあるから大丈夫です」

「そんな言葉で騙されないからね!」

「じゃあ見てて下さい」


 そう言うと白銀さんは茶筅ちゃせんを使ってお茶を点て始めた。

 …………

「ほんとだ、音がしない……」

「信じてくれましたか、わたくしの結界魔法」

「いや、全然信じない」

「疑い深いですね。仕方ありません。本当のことをお教えしましょう。この茶筅と茶器はわたくしが長い年月を掛けてお茶を点てる際に発生する摩擦音について研究し開発された、『音が立たない茶道具』、コードネーム『お茶を点てても赤ちゃんスヤスヤ一号』なの」

「なんか凄いようだけど、開発目的が理解できないよ」


「さあどうぞ、なっくん。お茶菓子もありますよ」

 白銀さんはそう言うと右手でお茶を点てながら左手で僕の膝にお茶菓子を置いた。

 とっても器用だが、作法としてアリなのか?


「でもさ、この茶菓子って細かい細工がしてある綺麗なお茶菓子なんだろうけど、上映中だと真っ暗で全く見えないね」

「よくぞわたくしが考え出した『シアター茶会』の問題点に気がつきましたね。さすがはなっくん」

「いや、気づくから。普通」


「はい、どうぞ」

 白銀さんは点て上がったお茶を僕に回す。

「三回廻してワンと言うんだったね」

「ニャーよ」

「ふたりともボケたら話が進まないよ、茶和さん」

 キリがないので僕は白銀さんが点ててくれたお茶を戴く。

「えっ……」

 驚いた。

「すごく美味しいね、これ。もっと苦いものかと思ってたよ」

「ふふっ。ありがとう」


 目の前でルパン十三世がスクリーン狭しと暴れ回る。

 そして目の横では薄茶うすちゃを点てて貰ってお茶菓子と一緒に戴く。

 シアターで映画を観ながらお茶を一服したのって生まれて初めてだが、結構いいものだ。意外とポップコーンより静かに戴ける。

 まったりとお茶とお菓子を戴いていると映画は後半に差し掛かっていた。


「そろそろわたくしも寛いでいいかしら」

「勿論だよ。いままで寛いでなかったの?」

「そうよ、一応シアター茶会の主人だから」

「気にしなくてもいいよ、って言うかちゃんと映画は観てたじゃん」

「そうね……」

 彼女は僕の膝に置かれていた茶器一式を回収する。


 さて、映画もクライマックスに近い。

 ゆっくり映画鑑賞に没頭しよう……

 と、思ったのも束の間。

 僕の右手に柔らかで暖かい感触が伝わる。

 どくん、と心臓が跳ね上がる。

 急に彼女のサラサラの銀髪から漂うシャンプーのいい匂いが気になり始めた。

 彼女の小ぶりな頭が僕の肩に触れる。

 鼓動が次第に早くなる。

 音楽で言うとアッチェレランド。

 そして次第にフォルテッシモ。


「ふっ」

 微かに彼女の吐息が聞こえる。

 やがて彼女の小さく柔らかな指が僕の右手に絡まってくる。

「なっくん、わたくし今とっても幸せよ」

 その密かな呟きが聞こえると、僕の右手は彼女の方へ引き寄せられていった。


 ……!

 

 柔らかく暖かなものが僕の手のひらに触れる。

 白銀さんの、太ももだ……

 スカート越しでも彼女の華奢きゃしゃな太ももの感触は僕の気持ちを狂わせた。

 一瞬で映画の展開なんかどうでもよくなった。


「ん……」

 彼女の吐息が近くで聞こえる。

 そして彼女の繊細な髪の感触が僕の頬を優しく撫でる。

 僕の心が狂わされていく。

 映画が終わったら、彼女の顔をまともに見れなくなる予感……


「あの、ポップコーン落ちましたよ」

 突然、後ろの人に声を掛けられた。

 後ろの人はまるで僕らの仲を邪魔するかのように、僕と茶和さんの間に手を伸ばしてポップコーンを差し出した。


「えっ、あっ、すいません……」

 一粒のポップコーンを受け取る僕。

 あれっ

 ぼくらポップコーンなんて食べてなかったんだけど。

 それに普通ポップコーン落としてもいちいち拾わないよな……

 まあいいか。親切にしてくれたんだろうし。

 一気に僕と茶和さんの距離は離れてしまったけど。


 その後僕らは再び手を重ね合わせることもなく、映画はクライマックスへ突入していった。


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