3章 その6
結局デュエットはまともに出来ないまま予定時間が来たので店を出た。
取りあえず僕たちは駅の方向へ歩いていた。
「なおちゃんありがとうっ! ほんとに楽しかったっ!」
金条寺さんの笑顔を見ていると僕も嬉しくなる。
考えてみれば彼女と再会してからまだ一週間も経っていない。
けれど長い付き合いがある友人のような感覚で一緒にいられる。
勿論、異性を感じることも少しはあるけど。
失礼、異性を感じることも時々あるけど。
前言撤回、異性を感じます!
でも、何というかな、今まで仲良しの友達だった子が少し気になり出したって感じかな。
彼女は一緒でいることに全く窮屈さを感じさせない。
行く当てがない僕だったけど、今日は楽しめそうだ。
「金条寺さんってお金持ちのお嬢様なのに凄く気さくで優しいよね」
僕は思ったことをそのまま口にする。
「あら、お金持ちは傲慢で意地悪でないといけないのかしらっ」
金条寺さんはいつもの笑顔でやり返す。
「言われてみればそうだね。僕が持っていた勝手な幻想かもね」
「いえ、案外幻想じゃないかも知れないわね……」
金条寺さんは前を向いたまま、少し小さな声になる。
「……前にお話ししたでしょう、私は茶和の家に預けられて育ったって」
「うん」
「正しくは茶和の実家の別宅なんだけどね」
「……」
「私は今でも悪い女だわ。でもね、預けられる事がなかったら、私はなおちゃんの想像するような、もっと傲慢で鼻持ちならない女になっていたかも知れないわね……」
「えっ」
僕は思わず彼女の顔を覗き込む。
それでも彼女の美しい顔は真っ直ぐ前を向いたまま動かなかった。
「昔からね、みんなに笑って貰うために、ひとり笑ってたのよっ、私」
「……」
「今は仲が悪いけど、茶和とは本当に仲良しだったわ。お花畑に蝶々が飛び交うくらい。本当に楽しかった。あっ、なおちゃんもね。あの頃は本当に楽しかった。みんな、私の周りは笑顔が絶えなかった。でもね、五歳で戻った私の実家はそうじゃなかったのよ。丁重で重厚と言うか、慇懃無礼というか。たくさんの人に面倒を見て貰ったけど誰も自分から笑ったりしなかったわ。私はみんなに笑顔になって欲しかった。私が笑ったらみんな戸惑いながらも少しは笑ってくれたわ。でも私が笑わないと誰も笑ってくれないの…… あっ、ごめんなさい、面白くない話だったわねっ」
「いや、僕の方こそごめん。最初に変な質問してしまって……」
なるほど、彼女って幼い時に違う環境に放り込まれ苦労したんだろうな。普段の彼女の笑顔からは全く分からないけど。
「ねえ、そろそろお昼ご飯戴かない? 一緒に!」
僕の前に飛び出して軽やかに振り返る金条寺さん。
そのはち切れんばかりの笑顔に僕は当然の答えを返す。
「うん、行こう!」
***
僕たちは駅の近くにあるハンバーガー屋で昼食を済ませた。
これも金条寺さんのリクエストだ。やはり歓迎会の予行演習だそうだ。
「クラスのみんながカラオケ行って『マックロナルド』でお喋りしようって」
なるほど。
百円で何時間粘るつもりか知らないが、うちの貧乏学生どもが考えそうなことだ。
しかし金条寺さんは今日ハンバーガー注文の時、こんな遣り取りをしていたのだ。
「オードブルは頼まなくてもいいんですか?」
「え、ええ。ご自由に、お客様のお好きにお決め戴ければ……」
「メインのハンバーガーはお肉とお魚をひとつずつ選べばいいんですか?」
「それはお肉でもフィッシュでも、おひとつでもおふたつでも、よろしければおいくつでも……」
「それから食後のデザートも今注文しておいていいんですか」
「はい、今ご注文戴かないと……」
と言った調子で、スープにハンバーガー、ジュースにポテト、アップルパイにコーヒーを全部単品で頼んだのだ。勿論そんなことしなくていい事は後でちゃんと説明しておいたけどね。
けれど、そんな金条寺さんには百円で何時間も粘るって言う僕らの行動がどう映るのか、ちょっとだけ心配だ。
次は何処に行こうかを話ながら店を出た僕たちだったが、その目の前に黒いスーツを着た男が現れた。
「お嬢様、探しましたよ。さあ、もうそろそろお時間です」
男は丁重に金条寺さんに話しかける。
「どうして分かったんですか、私がここにいること!」
「今日はお祖父さまのお誕生パーティーの日。お父様もお待ちです。お車へどうぞ」
「もう少し、もう少ししたら行くわ。ちゃんと行くから。ねえ、もう少し……」
「お嬢様!」
「……分かりました」
金条寺さんは男に連れられ止めてあった黒いリムジンに乗せられる。
去り際、彼女は僕だけに聞こえるように小さな声で。
「なおちゃん、ごめんなさい。今度、今度また遊んでね。お願い……」
「勿論、こっちこそありがとう貴和さん……」
車は静かに去っていった。
彼女かなり無理をして来てくれてたんだ。
僕は少し寂しくなる。
転校してきて一週間経たないのに、学年の男どもを二分する人気を得ている彼女。
確かに、あんなに優しくて綺麗な娘を好きにならない男なんているはずがない。
僕も彼女が好き、なのだろうか……




