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お兄ちゃんのためなら、鬼にも小悪魔にもなってみせるわ。  作者: 日々一陽
第三章 降伏な王子(ある晴れた日曜に)
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3章 その5

 時計は十時を少し過ぎたところだった。


 僕は何度か行ったことがある駅近くのカラオケ屋に向かった。確か会員証もあったはずだ。

 午前中からカラオケ店が開いているか少し不安だったが、幸いにも休日は十時開店だった。


 僕たちふたりは最新の機種が設置された部屋へ案内された。

 カラオケ屋の若い男性店員さんは金条寺さんと目が合う度に俯いてしまう。凄い美人だもんな。その気持ち同じ男としてよく分かるよ。この店に来る途中もそうだった。人通りが多い駅前の通りを歩くと、ひとりで歩いているときには感じない視線を常に感じていた。当然僕に向けられた視線ではない。横で一緒に歩いている金条寺さんを見ているのだ。よく毎日あんな視線に絶えられるもんだと思う。


「ワンオーダー制だから何か頼んでね、はいメニュー」

「ワンオーダー制って?」


 僕はこのカラオケ屋のシステムを説明する。

 さっき僕は金条寺さんにカラオケにはマナーなんてないと言ったが、考えてみるとそれなりのシステムというか手続きは存在するものだ。


 僕はアイスコーヒー、彼女はオレンジジュースを注文した。彼女は最初『わたしはこのハイボールってやつ』と言っていたが、それは止めるよう忠告してあげた。


「この電話で注文したら、どの部屋からの注文か分かる訳ねっ! 凄いっ!」

 金条寺さんには何でも珍しいようだ。僕はカラオケのリクエストの機械について説明する。彼女はとても聡明で操作方法などはすぐに理解した。しかし別の大きな問題があることがここで判明する。


「で『ある晴れた日に』はないのっ」

「えっ、ある晴れた日に? それ誰の歌?」

「誰の歌って色んな人が歌ってるけど。マリア・カラスとか」

「マリア・カラス?」

「作曲はプッチーニ」

「プッシーニ?」

「なおちゃん、わざと言ったでしょ!」

「わかりました? ごめんなさい。マジ謝ります」

「いえっ、いいわっ。なおちゃんとなら何でもとっても楽しいからっ!」


「でもね貴和さん。ある晴れた日にってオペラ蝶々夫人のやつでしょ。さすがにそれはないと思うよ」

「えっ、じゃあどんな歌劇があるの?」

「どんな歌劇って…… 貴和さんはポップスとか歌謡曲とか洋楽とか聴かないの?」

「えっと、ごめんなさいっ。あんまり知らないわっ」

「困ったな。じゃあ僕と一緒に探そうよ」

 僕はカラオケリクエストのリモコン画面で誰でも知ってそうな歌を見せていった。しかし驚いたことに金条寺さんはどれひとつ知らなかった。これじゃあ折角カラオケに来ても意味がない。


「はい、アイスコーヒーとオレンジジュースですね…… あの~、リモコンの使い方が分からなかったら言って下さいね」

「大丈夫です。分かってますから」


 飲み物を運んできた店員さんも何も歌っていない僕たちを不思議に思ったようだ。

 このまま機械と睨めっこをしていても埒があかない。

 気晴らしに一曲行ってみるか。


「じゃあ、取りあえず僕がひとつ歌ってみるね。あまり上手くないけど……」


 何も考えずに、取りあえず僕の十八番おはこを入れてみる。

 いつも歌っているから慣れたものだ。曲名検索で……っと。

 あった。僕の十八番。

 ピピピピピッ っと。

 モニターに曲名が出る。

 ……

 ……

 しまった。

 僕の十八番はアニソンだった。

 しかも『妹のことなんか全く好きじゃないんだからねっ』のオープニング曲だ。

 女の子の前で歌うには歌詞が微妙にまずい。

 ウェイティングなしの一曲目だからすぐにイントロが始まる。

 早くキャンセルしなくては……


「貴和さん、入れ間違えたみたい。この曲キャンセルするね」

「なおちゃん、この曲知ってるっ! 私、知ってるっ。私、歌えるわっ!」

「えっ!」

「アニソンもあるのね。私アニソン大好きっ!」

「そうなの……」


 取りあえず貴和さんにマイクのスイッチを入れて渡す。歌い始める金条寺さん。上手い。オペラ習ってたというだけあって発声からして全然違う。ある意味カラオケとしては多少違和感があるけど、抜群に上手い。

 ただ……

 マイクいらないくらい声量でかすぎ……


 一線だって越えたいわ~

 楽園の気分知らない私じゃいられない~


 微妙な歌詞を平然と歌う金条寺さん。

「凄いじゃん貴和さん。上手いよ。完璧だよ」

「ありがとう、なおちゃん! 私、アニソンならいっぱい知ってるのよっ。アニメ好きだから」

「どうして貴和さんのようなお嬢様がアニメ好きでアニソンなら知ってるのか、一応聞いてもいいかい?」

「勿論よっ。前の学校で仲良しだった友達がいつもアニメのDVD貸してくれてたのっ」

「どんなアニメ?」


「赤子のバスケとかあっ」

「母性本能刺激のスペシャリストが活躍するバスケアニメだね。人気あるよね」


「テニスの幼児様とかっ」

「ショタコンアニメの金字塔だね。僕には痛すぎて見てないけど……」


「歯周病でも恋がしたいとかっ」

「中高年ラブコメの名作だね、笑ったよね、あれ」


 その後、金条寺さんと僕はアニメ談義で大いに盛り上がった。勿論カラオケも歌いまくりだ。


「ねえなおちゃん、このハートマークはなあにっ?」

「ああ、これはね『デュエット曲』のマークだよ。男性と女性が一緒に歌える曲」

「へぇ~、そんなのがあるんだっ…… ねえ、なおちゃん、デュエット曲歌いましょ!」

「ええ~ ちょっと、恥ずかしい、よ」

「何言ってるのなおちゃんっ。さあ探しましょっ!」

「デュエットねぇ…… デュエットなんてしないからなあ……」

「ダメよなおちゃん後ろ向きじゃ。何でも前向きに、ねっ!」


 そう言いながら金条寺さんは何かをリクエストしている。

 画面にリクエストされた曲名が出る。


 『前向きミサイル団』


 子供に人気のアニメ『ポケット門下生』、略して『ポケもん』。

 門下生をカプセルに入れて持ち歩けるという、何だか凄いお話なのだが、その悪役キャラクターのテーマ曲だ。結構はっちゃけてるね、金条寺さん。


「じゃあ、デュエットねっ!」

 曲が始まると自然とふたりとも立ち上がって歌い始めた。

 

 ぱっぱぱらぱら ぱらぱらぱら~ 

 それ行け ミサイル団~!


 間奏になって僕と金条寺さんの目が合う。薄暗いカラオケボックスの照明に照らされ、いつにもまして色っぽい金条寺さん。僕をまねしているのか、スカートの下からすらりと伸びた細く神々しいおみ足が軽くリズムを取っている。可愛い黒のピンヒールが見事に引き締まった足首を引き立たせ僕の目を釘付けにする。


「なおちゃん、私の足許には何にも落ちてないわよっ」

 金条寺さんに見られていた。恥ずかしい……

 恐る恐る顔を上げる。

 しかし、そんな僕を金条寺さんはいつものように、ただ満面の笑顔で見つめていた。


 もうすぐ間奏が終わる。

 心なしか金条寺さんが僕の方へ寄ってきている気がする。

 肩が触れあう。

 びくん、と僕の心臓が跳ね上がる。

 彼女の肩の方に目をやると否が応でもその圧倒的な胸の膨らみに目が釘付けになる。

 本当に高校生かと思うその見事なボリュームは成熟した女を主張している。


 ダメだダメだ。そんなところをジロジロ見ては!

 僕は理性を奮い立たせ彼女の胸から目を逸らすが彼女の美しい金髪がまた僕を虜にする。

 腰に届くかと言うほどに長い金色の髪はふわりとした量感を伝えながらカラオケボックスの照明に煌めく。その髪が華麗に揺れると妃織とはまた違ったシャンプーのいい香りが僕の心を捕らえていく。


「ドンドンドン」


 その時だった。

 乱暴にドアを開けて店員さんが入ってきた。


「灰皿持ってきました~」


 スニーカーにシーンズ、目深に被ったベレー帽にサングラスを掛けた店員さんが灰皿を置いていく。


「じゃあ、ごゆっくりどうぞ~」


 慌ただしく去っていく。

 僕ら煙草吸わないんだけど……

 と言うか、この店って灰皿は受付の横に置いてあって勝手に持って行くシステムじゃなかったっけ?


 ともあれ、なんとなく金条寺さんとのウフフなムードはぶち壊された。

 別にそうなりたかった訳じゃないけど。

 別にそうなりたかった訳じゃないんだからねっ。


 ……ともかくリスタートと言うことで。

「じゃあ、次は金条寺さんの番だね」

「ねえ、もう一度デュエットしない?」

「うん、でもあんまりデュエット曲って知らないし…… 普通に貴和さんが好き曲を入れれば一緒に歌うから」

「ほんとっ! 嬉しいっ!」


 喜々としてそう言うと金条寺さんは『バトン部長はメイドさま』のオープニング曲をリクエストした。

 今朝、妃織が一緒に見ようと言っていたな、このアニメ。

 女子高生の定番なのだろうか?

 多分ちょっとキーは高いだろうが僕も高音なら自信がある。


 曲が始まる。

 僕たちはどちらからともなく立ち上がる。

 そして、またふたり並んで歌ってみる。


 しかし、本当に金条寺さんは歌が上手い。

 音が高くて僕がついて行けない時も僕の方を見てにっこり笑ってカバーしてくれる。

 お金持ちのお嬢様なのに、ほんとに優しくていい子だな、貴和さんって。

 歌は進んでいく。


 だけどほんとはひとつだけ 誰かに打ち明けたい

 内緒があるものだから~ 胸がズキンとするわシークレット~


 いよいよ間奏だ。

 横に立つ金条寺さんが上目遣いに僕を覗き込む。


 長い睫毛まつげに筋が通った細く高い鼻。情熱を思わせる赤くしかし小ぶりで形のいいくちびる。それらが小さな顔に見事に栄える。一瞬派手な印象を受けるが見つめているとその完璧に整った形は清楚さをも感じさせる。

 僕は思わず見とれてしまう。


「なおちゃん、私の顔に何かついてるっ?」

 やばい、ばれてる!

 しかし彼女のぱっちりと大きな碧い瞳は妃織の瞳の魔力とはまた違った甘い魅力で僕を捕らえて離してくれない。

 

「ドンドンドン」


 再びドアをノックする音。


「すいません~ 灰皿取り替えに参りました~!」


 さっきのベレー帽にサングラスの店員が全く汚れていない灰皿を取り替えると慌ただしく去っていく。


 ……この店の制服、あんなんだったっけ?

 何となく雰囲気が壊れたまま歌い終わる僕たち。


「何だか今日のここの店員、必要以上によく働くね。今日暇なのかな?」

「貴和は初めてだから分からないけどっ。でも、なおちゃんと歌えて嬉しいわっ!」

 金条寺さんはそう言うと持ち前の笑顔を爆発させた。


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