3章 その4
妃織から逃げるように家を出てきた僕は、
……少し訂正
妃織から逃げて家を出てきた僕は、
取りあえず駅の方へ歩いていた。
いつもより急ぎ足で駅の方へ向かっていると、くだんの三角公園にこの一週間で見慣れてしまった金髪少女の姿が目に入った。彼女はブランコに乗る小学生の背中を押していた。
ブランコに乗っているのは小学1、2年だろう。赤いスカートの女の子だった。
すぐさま向こうも僕に気がついたらしく、その子に一言二言交わしてから僕の方へ走ってくる。
ピンクのブラウスにレースがついた黒いスカートを着こなした金条寺さんが満面の笑みで駆け寄ってくる。
「なおちゃん、おはようっ!」
「貴和さん、おはよう。さっきの子はお知り合い?」
「いいえ、ここで待っている間にお友達になったのっ。とってもいい子よっ!」
「ここで待ってたって、僕、約束なんかしてないよね」
「うん、してないわっ。でもよかったっ。なおちゃんに逢えて」
そう言うと金条寺さんは僕の横に並んできた。
「さあ、行きましょうっ」
「行きましょうって、どこに?」
「どこにって……」
俯きながら少し考えた金条寺さんが顔を上げる。
「今からなおちゃんが行くところよっ。一緒に行きましょ!」
「でも貴和さん、どうしてここにいたの?」
「どうしてって……」
また少し逡巡した金条寺さんが少し目を逸らしながら。
「待ち伏せしてたのよ。折角の日曜日、なおちゃんが一日中家の中で自宅警備してるわけないもの」
冷静に考えると、これはれっきとしたストーカー行為とも思えるが、彼女のような優しい美少女にストーカーされて怒る男がいたらそれは贅沢というものだろう。
「じゃあ、駅の方へ行くよ」
「お買い物かしらっ?」
「いや、実は何も考えてないんだけど……」
「えっ、そうなの」
金条寺さんは一瞬驚いたような顔をして見せたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「そうねえ……」
金条寺さんは顎に指を当てて考えること暫し。
「じゃあ、カラオケに行きましょっ!」
「カラオケ?」
「ええ、ボックスのカラオケってところ。なおちゃん連れてって!」
「どうしてカラオケなの?」
僕は頭に浮かんだ疑問をそのままストレートにぶつけてみる。
「どうしてって…… 実は…… なおちゃん、笑わない?」
「勿論だよ、笑ったりしないよ」
「ほんと?」
「ほんと!」
「実はね、星ヶ崎高のクラスの女の子がカラオケに誘ってくれてるの。歓迎会だって」
なるほど。
金条寺さんってお金持ちの超お嬢様だけど気さくで誰とでもすぐ友達になるタイプだから、クラスの女の子ともすぐに馴染んだのだろう。僕の知らないところで。
「でもねっ、私、カラオケって行ったことがないのよっ」
「えっ!」
一瞬驚いたが、よく考えると東西グループオーナーの超がつく資産家お嬢様が場末のカラオケボックスで歌を歌う事の方が異常事態なのかも知れない。
「オーケストラとか歌唱の先生のピアノの伴奏でなら歌ったことがあるんだけどっ……」
「オーケストラバックに歌ったことがあるの!」
「ええ、NNKフィルハーモニーさんとか……」
日本を代表する交響楽団バックに一体何を歌ったんだ!
「す…… 凄いね」
「全然凄くないわっ。東西グループ協賛のイベントだからっ。後ろ盾があっただけの話よ」
「いや、後ろ盾があろうとなかろうと凄いよ。一流のホールでなんだろう?
「東西鉄道クラシックホールだから内輪よっ」
「内輪って、歴史ある名門ホールじゃないか!」
「そうだけど、別にたいしたことないわよっ。それよりも、なおちゃんはカラオケってよく行くのっ?」
「そうだね、時々かな。2ヶ月に1回くらい。少ない方だと思うよ」
「少なくなんかないわっ! ねえ、教えてっ教えてっ。ドレスコードとかマナーとか心構えとかっ!」
金条寺さん、やっぱり凄いお嬢様なんだ。僕の発想の遙か上空から質問が来る。
「うん。ドレスコードはないよ。公然わいせつ罪で警察に捕まらない範囲でなら。マナーもないよ。順番にリクエストすることと他の人に迷惑が掛からなければ。心構えって考えたこともないよ」
「へえ、そうなの。難しいわね」
「難しくないじゃん!」
「あら、ルールがあった方が簡単よっ。それに従えばいいんだからっ。ないって言われると困るでしょっ!」
言われてみると論理的には理解できるが、そんなものなのだろうか。
ともあれ、今から行く当てもないことだし、僕自身も彼女とカラオケに行くのが楽しく思えていた。
「じゃあ、カラオケ屋に行ってみようか」
「ほんと! 嬉しいわっ!」




