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お兄ちゃんのためなら、鬼にも小悪魔にもなってみせるわ。  作者: 日々一陽
第三章 降伏な王子(ある晴れた日曜に)
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3章 その3

  20XX年。

  日本は超過保護政党・ママン党の横暴により『美しい絵本良化法』が制定されていた。


  国粋主義、茶髪禁止を標榜するママン党は『美しい絵本良化法』によりR15以上の

写真雑誌への黒髪の女以外の掲載、閲覧を完全に禁止したのだ。掟を守らない者はママン特殊警察に捕らえられ『晩ご飯抜きの刑』『先生に言いつけちゃうもんねの刑』『よその子におなりの刑』と言う、残酷で過酷な刑が待っていた。


  長く苦しい金髪エロ写真暗黒時代。

  楽しみを失い、笑顔を失い、生きる喜びを見失った日本の若者達。

  しかしその深い闇を切り裂くため、今、ひとりの少年が立ち上がった!


  『金髪ロボ・ヤンキードール』

 』

 

 オープニングソングが流れ始める。


「お兄ちゃん、面白そうですね、これ!」

「作者側が面白がってるだけかもね」

 僕たちふたりは居間にある3人掛けのソファに座り録画しておいたアニメを見ていた。


 妃織はテーブルに載っているコーヒーカップを僕の方へ動かす。

「さあ、冷めちゃいますよ、お兄ちゃん」

 妃織は少し僕の方へ寄ってきたのか、彼女の肩が僕の肩に触れる。


「妃織、お先に戴きますね」

 すらりと細く長い彼女の指が、しなやかにコーヒーカップの取っ手に絡みつく。

 そしてほっそりとして実にすべやかな白い腕に導かれ、彼女の瑞々しいくちびるへそのカップを運ぶ。

「キリマンジャロ、美味しいですよ! とっても爽やかな酸味があって大好きです!」

 妃織が嬉しそうに僕の顔を覗き込む。


 ほっそりとした彼女の顔立ちはまだあどけなさを残しながらも、上品な女の色香で溢れていた。そして吸い込まれそうな黒い瞳に天真爛漫な輝きをたたえて縋るように僕を見つめる。僕の魂を吸い込んでしまうかのように。


 『我慢だ、直弥』

 僕は必死で、許されない自分の衝動を抑え込む。

「カチッ」

 妃織が優雅な手つきでコーヒーカップをソーサーに戻すと、その艶やかな黒髪から清潔なシャンプーの香りが漂い爽やかな香水の匂いとともに僕の理性を麻痺させていく。

「このオープニング曲カッコいいですね」

 鈴のような声でささやく妃織。

 気がつくと彼女は吐息がかすかに聞こえるほど近くにいて。

 彼女の柔らかでも弾力豊かなヒップの感触が服越しでもしっかりと伝わってくる。


 『我慢だ、直弥。大切な妹には手を出すな!』

「うふっ、お兄ちゃん!」

 CMが終わり画面を見つめる妃織。しかしその小さな頭が少し僕の方へかしいできたのは気のせいだろうか。


 「諸星ナオヤ! お前の部屋を確かめさせて貰う!」

 「だめだあ!

  この部屋には僕が死に物狂いで集めた大事なものがたくさんあるんだ!」

 「ママン党に密告があったのだ! みんな踏み込めえっ!」

 「ああっ、僕の命より大事な美しい絵本五百冊が!」

 「これは金髪もの、こっちは銀髪!

  美しい絵本良化法違反だ!

  全て没収だ!」

 「やめろ、やめてくれえ~!」

 』


 金髪ロボ・ヤンキードールの主人公は諸星ナオヤという高校生らしい。


「ナオヤさん、金髪とか銀髪ものより黒髪女の絵本を集めるのよ! そしたらみんなハッピーなのよ!」


 妃織が画面に向かって何か語りかけている。

 助かった。

 どうやら妃織は主人公の『ナオヤ』という名前に引っかかったようで、僕の全身を包み込んでいた彼女の魅惑包囲網が番組が進むにつれて緩まってきたのだ。

 さっきまで僕の方へかしいでいた彼女の上半身は今、画面の方へ前屈みになっている。

 

 「それではお前が持っていた禁止書籍は全て没収していくぞ! みんな撤収だ!」

 「ま、待ってくれ~!

  ……

  ああ、僕の大事な美しい絵本が。

  僕の大事なあきこちゃんが、せいかさまが、なおちゃんが、いのりちゃんが、

まやこやんが、かおるちゃんが、しづるちゃんが、しおりちゃんが、みやこちゃんが、

みずほちゃんが、たかこちゃんが、まりやさんが、しおんさまが、ゆかりちゃんが、

かなちゃんが、ひさこちゃんが、いちこちゃんが、りこちゃんが、なつおちゃんが、

すずねちゃんが、さいりちゃんが、ゆずこちゃんが、

きわちゃんが、さわちゃんがあ~!」

 』


 この番組ではエロ本を『美しい絵本』と称するらしい。


「ナオヤさん、どうして『ひおりちゃん』がいないんですかっ! そんな本は没収ですよ! ええ没収です! わたしが許可します!」


 妃織が拳を握りしめ画面に向かって叫ぶ。

「何という横暴な理由。主人公可哀想過ぎだろ!」

 思わず僕もツッコミ返す。

「ダメです。ナオヤさんのエロ本選びは間違っています!」

 なんだか変な方向にパワー全開だけど。

 これがいつもの妃織だ。

 こんなウケだけを狙ったアニメに没頭して脳内が漏れ出すのは兄として心配だけど。


 でも、そんな妃織を僕は誰よりも可愛いと思う。


 画面の中では物語が進んでいく。

 自分の部屋から強奪された命より大切なエロ本を取り戻すべく、主人公ナオヤは謎の老婆に弟子入りし、金髪ロボ・ヤンキードールのパイロットへと成長したらしい。


 「出撃だ! 金髪ロボ・ヤンキードール!

  その黒髪の姫ロボをやっつけろ!」

 「ほっほっほ、馬鹿な少年ね。

  行きなさい姫ロボ一号、ねねサマーZ。その不埒な金髪女をひねり潰しておしまい」

 「許さないぞ、クイーン・ママン。

  僕の大事な美しい絵本『遠山の金髪・桜吹雪がダイナマイト』を焼却炉に投げ込んだ

  報い、受けてもらう!」

 「ほっほっほ、やれるものならやって頂戴。

  ねねサマーZ、かかあ天下ビームよ!」

  

   ビビビビビ~ 


 「どうした、ヤンキードール。立て、立つんだ!」


 「ナオヤサン、アナタガテバ、ワタシノパワー、フッカツシマス。

  サア、ワタシヲミテ。ハツデンスルノデス。キョウノオカズハ、ナーニカナ」


 「おおお~ ありがとう。力が湧いてきたぞ、ヤンキードール! うおおお~ 

海綿体充填率120% イけぇ~」

 』


「何してるんですか『ねねサマーZ』。そこで一気にひねり潰せば勝てるんですよ! なに黙って敵の復活を待っているんですか! アホですか! ええい、じれったい!」

「妃織、応援する相手、間違えてないか?」

「いいえ、間違ってません。わたしはママン党党首・クイーン・ママンを応援します。そして姫ロボを応援します!」

「妃織なぁ、結局は正義のヤンキードールが勝つんだぞ」

「お兄ちゃん。勝負は下着を脱ぐまで分かりません!」

「……それを言うなら、下駄を履くまで分からない、だよね」

「そうでした。言い直します。勝負はパンストを穿くまで分からないんです!」

「……わざとやってるね」

「お兄ちゃんはニーソックスの方がいいですか? それなら言い直します。勝負はヒールを履くまで分からないんです!」

「だいぶマシにはなったけど、そこは問題じゃないから」

「ともかく、今から『ねねサマーZ』が『まんどころパンチ』で大逆転勝利するんです」

「いや、ないからその展開は。このアニメに限ってはストーリー見え見えだから」

「それに……」


 妃織が画面から僕の方に顔を向ける。

「知ってますか? ねねは当時には珍しく政略結婚ではなく恋愛結婚してるんですよ。しかも結婚当時自分よりかなり身分が低い秀吉と。ああ素敵です。純愛です。ブラボーです。ファンタスティックです~!」

「いや、その歴史秘話はこのアニメとは全然関係ないから。そんなこと絶対にアニメ作者は気にしてないし」

「関係あります。ねねは悪い人じゃありません! 応援しないと! あっ、ああ~っ!」


 妃織が意味不明の理屈を展開している間に金髪ロボ・ヤンキードールの必殺技『女王様とお呼ビーム』が頭のてっぺんから発射され、『姫ロボ一号・ねねサマーZ』は僕の予想通りあっさり吹き飛ばされると、天空の花火と化した。


 『女王様とお呼ビーム』が安直に脚の付け根あたりから発射されなかった事には、このアニメ制作者の最後の良心を見た気がするが、何故頭のてっぺんから発射されるのかは理解できなかった。禿げるじゃん。


 しかし、『ねねサマーZ』が粉砕されて、妃織は憤懣ふんまんやるかたないらしい。

「だからすぐにトドメを刺せって言ったのに!」

「このアニメを一回目で最終回にするつもりかい、妃織?」

「はい。そして主人公のナオヤさんは黒髪の姫ロボのものになるんです!」

「いや、ロボと結ばれても仕方ないだろう」

「来週こそ姫ロボ二号、『おいちのカータンV』が仇を討つんですからね!」

「そんな予告いつあった?」

「今わたしが作りました」

「僕が思うに、来週は『よどギミーエース』だと思うぞ」

「そうか! そうですね。正室の仇を側室が果たす訳ですね。そのアイディアいいです。わたしの発想は迂闊でした。お兄ちゃん凄い!」

「いや、僕はそこまで考えてないから。多分この作者もそんなこと気にも留めていないから。きっとネームバリューと語呂しか考えてなから」


 そうこうしている内に『金髪ロボ・ヤンキードール』は終わり、録画の再生が終了する。


「あ~あ終わりました。凄く面白かったですね、お兄ちゃん!」

 そう言いながら僕の顔を覗き込む妃織。

 僕が笑って応えると彼女も無邪気な笑みを返してくれた。

 が、その一瞬の後、何か大事なことを思い出したかのように、彼女はハッと息を飲んだ。


「あの、次はわたしが見たいビデオがあるんですけど、一緒に見ませんか?」

 妃織は前髪を留めるチューリップ柄の髪留めを外すと、その艶やかな黒髪を掻き上げ、まるで僕にその白く滑らかなうなじを見せつけるかのように髪を整え直した。そして僕の方に向き直りにっこりと微笑む。

「お兄ちゃんと一緒に見たいアニメがあるんですよ」

「少し上目遣いに僕を覗き込む妃織の大きな瞳には、さっきまでなりを潜めていた妖しげな女の光がよみがえっていた」


 まずい。

 さっきはアニメの登場人物の名前と、あまりに荒唐無稽なストーリー展開に助けられたが、次は自分で自分を自制できる自信がない。

 今日の妃織はなんだか変だ。

 あくまでも優しく、しかし徹底的に僕の理性を破壊してくる。僕の中にある妹という意識を葬り去ろうとするかのように。そして否応なく彼女をひとりの女として見せつけてくるのだ。


「知っていますか? 『バトン部長はメイドさま』。アニメも面白いんですよ」

 まずい。

 『バトン部長はメイドさま』はコメディではあるけど基本的に恋愛少女漫画だ。メイド喫茶でバイトする頑張り屋のヒロインがイケメン王子様に見初められる究極のサクセスストーリーだ。

 今日の妃織とそんなムード満点のシーンを一緒に観たら……

 僕には何も起こさない自信はこれっぽっちもない。

 と言うか、きっと押し倒してしまう。


「ねえ、どうしましたお兄ちゃん。わたしコーヒー淹れ直しますね」

 僕の視線を一瞬でその黒い瞳に絡め取るとにっこり微笑んで妃織が立ち上がる。


「妃織、ちょっと今日は用事があるんだ。今から出かけないといけないんだ」

 僕は咄嗟とっさに嘘をついた。

「えっ、そうなんですか」

「そうなんだ、あっ、もう時間がない」

 そう言い残すと僕は背後からの呼び声を振り切って自分の部屋へ逃げ込んだ。

 早く着替えて出かけよう。行く当てはないけど。


「ドンドンドン」

 ドアをノックする音がする。

「お兄ちゃん、どこへ行くんですか? よければ妃織も連れて行って下さい。今すぐ準備しますから」

「いや、ごめん。本当に急ぐんだ」

「もしかして『バトン部長はメイドさま』はお嫌でしたか? それなら『わたしの彼氏と執事とパパとお兄ちゃんが修羅場すぎる』もありますよ。お兄ちゃん好きでしたよね!」

 『わたしの彼氏と執事とパパとお兄ちゃんが修羅場すぎる』はタイトルからしてヒロインが一瞬で終わっているアニメだが、実はこう言うの、僕は好きだ。

 一瞬ぐらつく僕の心をドアの向こうで見透かしたかのように妃織が声を上げる。

「じゃあ、一緒に観ましょう! コーヒーより紅茶がいいですか?」

「いや、本当に用があるんだ。ごめん」

 危ない危ない。引っかかるところだった。

「じゃあ、今すぐ妃織も着替えます。待ってて下さいね」

 そう言うとドアの向こうで廊下を駆ける音と妃織の部屋のドアが閉まる音がする。


 こう言う時、男は着替えが早いから有利だ。

 僕はTシャツの上から長袖のシャツを着て、下をGパンに履き替える。靴下を穿いてクローゼットからお気に入りの上着を羽織ると財布と携帯を持って部屋を出た。妃織はまだ着替え真っ最中のはずだ。何せメイド服姿だったのだから。さすがの妃織もあの格好のまま外へは出られないだろう。


 僕は妃織の部屋の前に立つとドア越しに声を掛ける。

「妃織、悪いけど行ってくるよ」

「そんなぁ、あと十分だけ、いえ、せめて五分だけ待って下さい!」

「ごめんね妃織。本当に悪い。でも急ぐんだ。この埋め合わせはまた今度な」

「そんなぁ! 今、妃織の体内時計が加速して、超高速お着替えモードに突入しています。直ぐにお着替え終わりますからぁ!」

「ごめん、妃織!」


「お兄ちゃんのばかぁ、お兄ちゃんのいけずぅ、お兄ちゃんがひどかとばい~!」

 もはや出身地が不明な妹を残し、僕は一階へ下りると靴を履いた。

 尚も二階の妃織の部屋からは断末魔のような声が聞こえる。


「お兄ちゃんのためなら、妃織は鬼にも小悪魔にもなってみせますからね~!」


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