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2章 その7

 三十分後、僕たち考古学部員一同は部室に集結していた。


 みんなが座る長いテーブルの真ん中にはさっき発掘した大きな壺。

 恐らく邪馬台国時代の壺などではないだろう。白磁に碧い絵付けがされたその壺自体はかなり綺麗でしっかりとしている。せいぜい百年から二百年くらい前の壺だと思われる。


「さあ、開けるわよ」

 浅野部長が壺のふたに手を掛ける。

 みんなが固唾を呑んでそれを見つめる。


 ガチッ


 長いこと土中に埋まっていた壺だが、何の問題もなくふたが開いた。

 僕らは一斉に壺の中を覗き込む。そこにあったのは……


「うわあっ、これは凄いわ」

「明治時代の古銭…… みたいですね」

「出してみましょうよっ」


 浅野部長、白銀さん、金条寺さんが目を輝かせながら大きな壺を覗き込む。

 壺の中には明治時代の一円や五十銭銀貨、一銭銅貨などがたくさん入っていた。いっぱいと言っても壺の下から三分の一くらいの量なのだが、壺が大きいので相当な量だ。ざっと見ても全部で五百枚は下らない。当時としては相当な価値のものだろう。状態も結構綺麗なのでコインとして売りに行ってもかなりの金額になるはずだ。


「これで考古学部は大金持ちねっ。やったわねっ妃織ちゃん。このお金で毎日ケーキを買ってきましょうねっ!」

 嬉しそうに妃織に声を掛ける金条寺さんに白銀さんが茶々を入れる。

「あら、毎日ケーキばかり食べててカロリーの収支計算は大丈夫かしら? 体脂肪率アラサー女さん」

「ふんっ、パンがないからケーキを食べるのよっ。、このエネルギー変換効率最低賃金!」

「あらまあ、お褒め戴いてありがとう。しかし美味しいお菓子と言ったらケーキしか知らないなんて、貴和は本当に可哀想な人ね」

「どうせ貴女は上用饅頭に番茶が一番って言うんでしょうねっ。枯れてしまった更年期お姉さまの趣味は分からないわっ」

「あら、なっくんは和菓子の良さが分かっているわよ。ねえなっくん」


 ふうっ、と溜息をひとつついて浅野部長が立ち上がる。

「まあ暫く喧嘩でも何でもしていて頂戴。大石君、顧問の天草金四郎先生に報告しておくからついてきて」

「あっ、はいお供します!」

「えっっ?」

 浅野部長の言葉を聞いて意表を突かれた表情の後、すぐさま慌てふためく妃織。


「ちょっと待ってください。これを顧問の先生に報告したら発掘物は全部没収されるんじゃないですか? この古銭、売りに行ったら数百万円はするはずですよ。ここは黙ってアリババした方が……」

「それを言うならネコババだね、妃織」

「はい待ってました、お兄ちゃんのツッコミ!」

「注文通りの兄妹漫才はもういいわ。妃織ちゃん、ここは学校の部活動なの。このようなものが学校内から発掘されたら当然学校への報告義務があるわよね」

 やはり浅野咲美部長はお堅い。もう少し融通が利いたら松の廊下も平和だったろうに。

「でも、それじゃあ今回の発掘の目的である考古学部の予算確保が……」

「安心して、妃織ちゃん。考古学部顧問の天草先生は物分かりがいいからきっと学校合意の上でこの発掘物の恩恵にあずかれるように便宜を図ってくれるわ」

「でも……」

「大丈夫よ」

「しかし……」

「心配性ね。ではこの話を聞いたら安心してくれるかしら」


 一瞬下を向いて逡巡したように見えた浅野部長がコホン、とひとつ咳払いをする。

「ねえ、妃織さん、貴女は天草先生に童貞疑惑があるのをご存じ?」

「えっ? 童貞…… 疑惑?」

「そうよ、教師二年目の天草先生には童貞疑惑が掛けられているの。そして私は処女」

「は?」

「みんな何よその目は。私が処女って言うのが信じられないの?」

「いえ、そこは充分信用に値する発言なんですけど、それがどう関係するのかと……」


 バシッ!


 発言元の大石が浅野部長にハリセンで殴られる。

「そこは嘘でもいいから『信じられなません、先輩のようにお美しくモテモテで毎週お声掛かりがある方が?』って言うところでしょ、大石君」

「はい、ごめんなさい。ごめんなさい。仰るとおりです」

 激しく土下座する大石。


「でも浅野部長。どうしてその話が天草先生の童貞疑惑に関係するんですか」

「日丘君も分からないの? いいこと良く覚えておきなさい。童貞は処女の言うことには絶対服従なのよ」


「へっ?」


 皆キョトン顔で浅野部長に視線を集中させる。

「お、大石君、さっさと行くわよ!」

 急に顔を紅潮させた浅野部長は慌てた様子で大石を連れて部室を出ていった。しかし『童貞は処女のしもべ論』には一体どんな意味があるのだろうか。まさかとは思うが童貞とか処女の話はカムフラージュで、単純に天草先生が浅野部長のしもべだと言うことを言いたかったとか…… いや、さすがにそれはないよね。

 

 それにしても考古学部の顧問が僕の担任の天草金四郎先生だったとは。何だか最近僕の周りの出来事がご都合主義で動いている気がする。


「あの、茶和先輩と貴和先輩」

 と、浅野部長と大石が部室を出て行くのを確認するかのようにドアが閉まるのを見ていた妃織が少し遠慮気味に声を出した。


「あの、茶和先輩、貴和先輩。ひとつ伺ってもいいですか」

「何、妃織さん。遠慮なんていらないわ。わたくしの義妹なんだから」

「勝手なこと言わないでねっ茶和! ごめんなさいねっ妃織ちゃん。妃織ちゃんのお姉さまは私よねっ、うふっ」

 しかしそんな軽口も今の妃織には通じないようだ。


「あの、もし失礼な質問だっらた許してください。でもどうしても知りたくて……」

 珍しく妃織の声が震えていた。

「わかったわ妃織さん。何でも聞いて頂戴」

「ええ、その通りよっ」

「多分、不躾な質問ですけど……。 どうして…… どうしておふたりは仲が悪いんですか? 兄から聞いたんですけど昔は双子として仲良く暮らされていたんですよね」

「……」

「……」


「それなのに今は…… 申し訳なですけど決して仲が良くないですよね。どうして……」

「妃織ちゃん……」

 いつもニコニコ現金笑顔の金条寺さんの顔が真剣な表情になっていた。

「そうね。貴女のお兄さんも巻き込んでしまっているから私にも話す義務があるかも知れないわね」


 金条寺さんは大きな碧い瞳を閉じてゆっくり息を吐き出しながら呼吸を整える。

「妃織さんは『オイルゲート事件』ってご存じかしら」

「知ってますよ。確か時の総理大臣に…… あっ!」


「ご存じのようね。その通りよ。時の総理大臣に東西鉄道の社長が多額の賄賂を贈った事に端を発する政財界を巻き込んだ大スキャンダル事件よ。今から十五年以上前の話。首相は刑事告訴され失職。そして東西鉄道も贈賄で多数の逮捕者を出した」

「東西鉄道って貴和先輩の……」

「その通り。その社長がわたしの祖父。その時まだ若いけど取締役だったわたしの父も捜査を受けたわ。毎日のように検察や警察が土足で家に入って来たわ。それだけじゃない。テレビ、新聞、雑誌にラジオ。よくぞまあ世の中にはこれだけたくさんのマスコミ関係の人がいるのかって思うくらいに大勢の人が家の周りに集まったわ」

「……」


「父は長いこと拘置された。まあそれは仕方がないのかも知れないわね。でも私の母も耐えられなくなってしまった。いつ終わるとも分からない取り調べや取材の嵐の中で肉体的には勿論、精神的にも自分が何者かすら分からなくなるほどに参ってしまった。私の実家は生まれて数ヶ月の私を育てられる環境ではなくなったのよ。そこで私は金条寺家と深い親交があった白銀家に預けられた。あとはなおちゃんが知っている通りよ。なおちゃんと一緒に遊んでいた仲良しの双子は幼稚園年中組までこの町で育てられた。双子と思い込んで育った姉妹はとても仲が良かったわ。そう、まるで今の妃織ちゃんとなおちゃんのように」


「でも……」

 少し声を震わせながらも妃織の声がハッキリと通る。

「でも、それならばおふたりが不仲になる理由なんてないですよね。いつまでも仲良しでいてもおかしくないですよね!」

「そうね」

 と、今度は白銀さんの深緑の瞳が遠くを見るように自嘲気味に話し始める。


「上手くやれば仲良しのままでいられたのかも知れないわね。でも本当は双子でも姉妹でもないのに仲良くなりすぎたのが悪かったのかも知れないわ」

「それはどういう事ですか!」

「わたくしと貴和はどうも勝手に自分たちを『双子』だと思い込んでいたらしいの。父も母も周りの誰もがあまりに仲がいいわたくしたちに本当のことが言えなくなっちゃったらしいの。しかしある日貴和は当然いるべき元の家庭に戻ることになった。その時初めてわたくしたちは全てを教えられたわけ。まだ五歳に満たない子供にはどれほど衝撃的な話だったか想像に難くないでしょう……」

「…………はい」


「けれど、きっとあの一件がなかったらもう少し違っていたかも知れないわね」

「そうね」

 金条寺さんは遠い昔を思い出すように天井を見上げた。

「私達は別れる直前に大喧嘩をしたのよ。この世にひとつしかない大切なものを巡って、それをどちらが持って行くかでね。多分それが私たちふたりの最初で最大の大喧嘩。今でも覚えているの。それは凄い喧嘩だったわ。罵り合い、相手を騙して嘘をつき、女の子なのに暴力にも訴えたわね。結局その大事なものは喧嘩の最中に破れてしまって見かねた茶和のお母さんが取り上げてしまったけど」


 金条寺さんと白銀さんがチラリと僕を見る。

「それ以来会えば必ず喧嘩ね。でもね、最後の喧嘩はひとつのきっかけ。多分だけど姉妹じゃない事が分かった瞬間、『仲良しの魔法』が解けたのでしょうね。分かるかしら妃織さん」

 白銀さんは少し悲しそうな表情で妃織を見る。


「分かりません。どうしてですか。姉妹であってもなくても仲良しでいいじゃないですか! 『仲良しの魔法』が解けたのなら、また掛け直せばいいじゃないですか!」


 珍しく妃織が感情を顕わに食い下がる。

「実家に帰ることが分かった時、ああもうこの人と一緒には暮らさないんだ。姉妹でも双子でもなかったんだって思うと、何かが心の中で変わったのよ。そう、茶和の言うとおり魔法が解けて元の世界に戻るかのように」

「そんな…… 仲良しだったのに、どうしてそんなことが起きるんですか……」

 拳を握りしめ何かを堪えるように妃織が声を絞り出す。

「血の繋がりがないって分かっただけで、どうして仲が悪くなってしまうんですか…… どうして……」

 その声と同様に、握りしめていた妃織の拳からだんだん力が抜けていく。


「妃織さん、ごめんなさいね心配を掛けて。でもわたくしたちは仲が悪くても何とも思っていないから大丈夫よ、ねえ貴和」

「そうねっ、ちょっと傍迷惑かも知れないけどっ」


 しかし妃織の鬱陶しい前髪と黒縁の眼鏡の奥には微かに光るものが見え隠れする。

「どうして…… 血の繋がりがなくても、そんなの関係ないじゃないですか……」

 そして妃織の唇から頬から、血の色が薄れていく。

「どうして……」

 そうだったのか。

 暗い影などおくびにも出さないこのふたりにそんな過去があったなんて。

 しかし、僕には妃織が何故ここまでもこのふたりのことを思いやるのか。

 どうしてそこまで、まるで自分のことのように必死になるのか理解できなかった。


「お話は…… 分かりました…… ごめんなさい。不躾な質問をしてごめんなさい……」

 下を向いたまま声を絞り出す妃織。

 その後暫くの沈黙。

 重苦しい雰囲気を破ったのはドアを開ける音だった。

 

 ガラガラガラ


「みんな、天草先生の決定を連絡するわね」

 入ってきた浅野部長は妃織、金条寺さん、白銀さん、僕の順に見回すと厳しい顔つきになった。


「まず、今回発掘した壺、及び格納物は基本的に学校のものとなります」

「ええ~!」

「そんなぁ!」

「天草先生、わたくしに楯をつくとはいい度胸だわ」

 僕、金条寺さん、白銀さんが不服の声を上げる。


「但し」

 ここで浅野部長は少し口元を緩めて。

「考古学部が今度の文化祭で今回の発掘成果を発表するのに必要な古銭はあらかじめ抜き取っておいてもいいそうよ」

「それって」

「ええ、種類や枚数は私たち次第。自主性を重んじるそうよ」

「やったわねっ」

「まあ、わたくしの担任だから当然ね」

「浅野部長、ありがとうございます……」

 金髪銀髪コンビの表情が一気に緩む中、妃織の表情は硬いままだった。

「と言うわけで、今からこのコインの山分けタイムよ!」

 浅野部長以下、考古学部の面々が壺から出てきたコインの物色を始める。

「一円銀貨、五十銭銀貨の価値が高いから、これらふたつの内から程度がいいものを五十枚ほど探して。少なくとも三十万円にはなるはずだから。

「やったあ!」


 部員全員でコインの品定めを始めた。

「明後日の月曜日は祝勝会をやりましょう。私がお茶とお菓子を用意しておくわ」

「美味しいケーキの事なら私に任せて!」

「ここはやっぱり上用饅頭よね」

「わたしにもお手伝いさせてくださいね……」

 金条寺さんの破顔の笑顔、白銀さんの凛としても心から嬉しそうな表情に対し、妃織はどこか吹っ切れない笑顔だった。


「魏皇帝の銅鏡は出てこなかったけど、卑弥呼喫茶で稼ぐ必要もなく考古学部の予算確保ができたのだから、まあこれで全てハッピーエンドだな、大石」

「ああ、そうだな日丘。当面使い切れそうにない予算が確保できそうだな」

「ところで大石、天草先生の童貞疑惑について何か新情報はあったのか?」

「日丘君。あなたのお宅に四十八士を送り込もうかしら」

「すいません浅野咲美部長。ごめんなさい。許して下さい!」


 その後僕らは一円銀貨と五十銭銀貨の美品を二十五枚ずつ選んだ。

「では今日は解散としましょうか。お疲れさま」

 浅野部長の言葉で考古学部の体育館倉庫裏発掘作業はお開きとなった。



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