第六話 『再会』6
慢性的に軍部の人員不足に悩まされるヤマタ皇国では、別に住居を持たない皇国軍人に対して、軍本部からほど近くにある官舎の個室が貸与される。
上級士官、大佐ともなればその広さはちょっとした邸宅ほどもあり、一年のほとんどを宇宙で過ごすアヅマに対しても、タワーマンション型官舎の最上階に近い一室が与えられていた。
入居率・使用率共に低く『税金の無駄遣い撲滅』を掲げる議員や市民団体が常に槍玉に挙げる箱物建造物であり、あまり物を持たないアヅマとしては『あるから使う』程度の施設でもあったのだが、この日アヅマは初めて、この部屋に感謝をしていた。
静かな室内であるにも関わらず、使用中のバスルームの音が完全にシャットアウトされているのは大いに評価するべきポイントである。
公営住宅と侮るなかれ、なんと完全防音である!
などと現実逃避気味に考えていたアヅマだったが、ふと我に返ると深いため息をついた。
――落ち着かないな。
ここへの道中、平然としていた――少なくともアヅマにはそう見えた――ニーナの様子から、ここでシャワーを使うということに、彼女としては特段の意味も感じていないということなのだろう。仲の良い友人宅への訪問、その程度の認識かもしれない。
アヅマとしてもニーナは妹のような存在だったはずであり、今さら特段に意識するのもばからしい。
そうは思いつつも、どうしてもバスルームへと続く自動扉を意識してしまう。
先ほどからアヅマはずっと、そうして自身の内面と格闘していた。
だが、ずっとそうしていてもらちがあかない。
――疲れているんだ。
悶々とした思考の堂々巡りを無理やりそう片づけると、コーヒーでも淹れようかと、腰掛けていたソファから立ち上がる。
くわえていた葉巻を流しに突っ込んで――なにせ灰皿がないのだ――消火すると、ホームコンピューターのメニューからコーヒーを選択して起動した。
ちなみに、愛煙家達は口を揃えて「精神安定剤だ」とのたまう煙草だが、アヅマは一切効果を感じなかった。もらいものではあるが、二度と自分で使用することはないだろう。
――欲しがる人間がいたら、箱ごと贈呈しよう。
内心でそう決めつつ、わずか数秒で用意されたコーヒーを手にソファへと戻った。
が、手にしたコーヒーを一口すすると、思いっきり顔をしかめた。
昼に飲んだものが上等すぎたせいか、常と変らないはずの備え付けコーヒーの味が、とても不味く感じる。
――これではまるで泥水だ。
なにが違うのか――プラント製ではなく自然栽培の豆を使っていたのか、ホームコンピューターの設定やそもそもの質が違うのか。水だけはきっと同じだろうが、それ以外は何もかもが違うのだろう。
そうして、優子のところで飲んだコーヒーとはまるで別物のそれを不味そうにすすりつつぼんやりすることしばし。
ピピッ
スライド式の自動扉がかすかな電子音と共に開き、ニーナがリビングへと顔をのぞかせた。
音につられてそちらを見やったアヅマは口に含んだコーヒーを危うく噴き出しそうになる。
どこか不機嫌そうな表情で現れたニーナが身に纏っていたのは、バスローブ一枚だった。
湿り気を帯びた長い銀髪は艶やかに光を弾き、バスローブから覗く首元や、すらっとした白いふくらはぎには水滴が残っている。
まさしく風呂上りそのものの格好だ。
「げふげふっ、ちょっ、ちょっと待った!」
コーヒーが気管に入りかけたアヅマが、咳き込みながらも慌ててつっかえ棒にでもするように片手を挙げる。
――いくらなんでも無防備すぎる!
その胸中では、困惑と驚愕と少々の歓喜が、動悸と共に踊りくるっていた。
官舎備え付けの洗濯機でも、十分もあれば染み抜き洗濯乾燥からアイロンがけまで終わるはずである。
洗濯機の場所は最初に案内したし、なぜ軍服を着直さずバスローブなんてものを引っ張り出してきたのか。というかこの部屋、バスローブなんて備え付けられていたのか。
新たな、そしてどうでもいい発見とともに混乱しているアヅマだったが、その視線はニーナに据えられたままだ。蟲惑的とも言える湯上り姿の彼女から、視線を外すことが出来ない。吸い寄せられるように固定されてしまう。
その事実がアヅマの動揺をさらに増幅させているが、ニーナはお構いなしだ。
やや乱暴な足取りで座ったままあたふたしているアヅマに歩み寄ると、目の前で腕を組んで仁王立ちとなる。
近い。
近すぎる。
ふわっと立ち上る石鹸の香りが、普段自分の使っているものであり嗅ぎ慣れているはずだというのに、妙に背徳的な魅力を感じさせる。感じてしまう。
湯上りで上気した彼女の顔を見上げているのだが、この位置関係もまずい。
近すぎる立ち位置、座っているアヅマと立っているニーナ、さらに彼女は轟然と胸を反らして仁王立ちの構えだ。
結果として、強調された山脈が視線の間にはだかることとなった。
アヅマから見ると、ふわふわのタオル地に包まれた双丘の向こうに顔がのぞいている形である。
やや豊か、『巨』という修飾語をつけるには少々物足りなさもある、そのくらいの質量ではあっても、この場合は客観的な数値など関係ない。
ただただその存在感に、圧倒されていた。
「アヅマ」
「はい」
上擦りそうになる声をなんとか押しとどめて、平静を装って答える。
顔に血が上っているという自覚はあるが、そこはもう半ば意地だった。平常運転の――不機嫌そうではあっても――ニーナに対し、自分一人が意識してしまっている状況は、認めがたいものだったのだ。なんとも情けないではないか。
だが、アヅマの葛藤をよそに、ニーナはさらに攻め立てる。
ぐっと、身を乗り出すように――アヅマを見下ろしていた姿勢から上半身を折り、覗き込むような格好になった。
ニーナの動きにつられて下がった視線が、顔で止まらずさらに下へと下がろうとする。
それを鋼鉄の意思で押しとどめて――意識を集中した一瞬の間隙に、ニーナの一言が滑りこんで零れ落ちた。
「セキュリティ」
「…………は?」
聞き漏らしかけたその言葉に、思わず素に戻って間抜けな声が漏れる。
――兎にも角にも、座ったままだと不味い。
遅まきながらそう判断したアヅマは、やや仰け反るようにして立ち上がってニーナと距離を取ると、頭蓋内部に常駐している有機ナノマシンを通じてホームコンピューターへとアクセスする。
一語一句同じ調子で催促する彼女を両手で押しとどめながらホームセキュリティの項をチェックしてみると、家電を含む全ての項目で生体認証が適用されていた。
大して物も置いていないアヅマの部屋は空き巣に入られてもあまり困らない。そのため、ものぐさな部屋の主は普段からセキュリティ関連はフリーにしていたはずだ。精々が自動扉にロックをかける程度である。
ありていに言ってしまえば、身に覚えがない。
――頼んでたハウスキーパーが勝手に設定したのか?
家事のほとんどが自動化されているとは言っても、時には人の手を入れた方が家具等は長持ちする。
不在時の多いアヅマは定期的にハウスキーパーを入れていたのだが、気を利かせたつもりで勝手にセキュリティを強化したのだろうか。勝手に部屋の設定をいじられるのは気持ちの良いものではないし、そういった報告も受けていない。
――業者を変えるべきかな。
割と真剣にそう考えたアヅマだったが、いま第一に対応すべきことは他にある。
懸案事項は一旦脇にどけると意識をホームコンピューターから離し、ふたたび仁王立ちに戻ったニーナへと向き直った。
ネタ女神は、大別して3種類にわけられる。常にべったり張りついて離れないヤンデレ型、気ままに構ったり構わなかったりの自由奔放型、ここぞという大一番に現れる一点集中型。
いずれも共通しているのは、見初められたが最後、その人生はネタにまみれるということである。
まあつまりアレ。
風邪ひいたの気づかずに、こじらせて気管支炎になりました。
どんどこ寒くなってく時期ですし、皆様どうかご自愛なさいませ。
あと、自身の体調不良には早めに気づきましょう(教訓
とりあえず今回短くなったので、次回15日正午に更新します。