第五話 『再会』5
「……ええと」
今日のアヅマは神経に堪える場面が多々あった。いい加減胃が痛み出しそう――決して食べすぎのせいではない――なので、早々に白旗を揚げることにした。
「良ければ、知ってることを教えて欲しいんだけど」
「……私も詳しく聞いているわけではないんだけどね」
それでも良ければ、と気を取り直してニーナが顔を上げる。
これから話される事はれっきとした軍事機密であるが、二人に情報の漏洩を心配する雰囲気はない。
互いへの信頼という見方も出来るが、それだけでなく、例え壁に耳があろうが気づける、もしくは対処出来るがゆえのことだ。
「新設される部隊――宙雷戦隊だったかな、それの編成は聞いてる?」
「軽巡を旗艦として、複数の駆逐隊を組み込む」
「ん、そうだね。我々第二宙雷戦隊には、旗艦となる軽巡一隻と、一等駆逐艦四隻からなる駆逐隊が一つ、計五隻の艦船が配備される」
「五隻か……」
「戦隊としては最小の部類になるけど、まあ実験的な部隊でもあるからね。その分若くて優秀な人間を集めたと元帥は言っていた。人事部にいる知人は過労で死にかけていたけど」
「相当大規模な異動をやらかしたんだね」
「今回の件に伴って、宇宙軍全体でいろいろと再編の動きがあるらしいからね」
「軍全体で、か……」
ニーナと会話しながらも、アヅマは、優子との会談を思い出していた。
宙雷戦隊について彼女の語ったことを要約すると、「艦隊戦も視野に入れて部隊を新設します。政治も絡みました」ということだ。
しかも、時期を同じくして宇宙軍全体が再編されるという。
更には、『ソロモン事件』だ。
あの件に関してアヅマが抱いた危機感と同じくらい、もしかするともっと深刻に、優子は考えている……と、思う。あの元帥はいかんせん食えない人だが、そこは通じたと見ていいだろう……そう思いたい。
そして、これらは全て連動している。
以上の事柄を踏まえ、導き出される結論は――
「滅多な事を口にするものではないよ、アヅマ」
表情の厳しくなったアヅマの機先を制し、ニーナが釘を刺す。
しかしそれは、アヅマの疑問に答えたも同然だった。上層部は戦争――少なくとも艦隊規模の戦闘が起こる事を前提として動いており、上層部の意思をニーナも確信――少なくとも予測はしているということだ。
「すまない。続けてくれ」
アヅマとしては、ひとまず満足すべきところであった。
この場で議論を詰めても憶測の域を出ることはないし、そもそも一軍人に過ぎない自分たちにどうこうできる問題でもない。心構えが出来たこと、それを共有する人物が身近にいるというのがわかったこと、この二点だけでも僥倖である。
「ん、続けよう」
ため息をひとつ、思考を切り替えたアヅマに頷きを返すニーナ。
「といっても、私が聞いているのはこれくらいなんだけどね」
やや重みを増した空気を振り払うかのように、軽く肩をすくめてみせた。
肩透かしを食らった形のアヅマだが、まだ重要なことを聞いていない。
「ニーナ、君も第二宙雷戦隊に配属になるんだろう?」
「…………」
一段落ついた、とばかりにおどけてみせたニーナだったが、続くアヅマの言に、そのままの姿勢で硬直した。
「……ニーナ?」
「は、第二宙雷戦隊旗艦、軽巡洋艦『川内』艦長に就任することとなりました!」
すぐさま再起動を果たしたニーナがビシッ、と、綺麗な皇国軍式敬礼――揃えた右の指先を眉の上に挙げるもの――をとって答える。だがしかし、急なキャラ変更はただの照れ隠しであるとアヅマは見抜いていた。
「……忘れてたんだろ?」
「は、なんのことでしょうか?」
「…………」
「…………いやうん、あまり見つめられると照れるね」
じっと半眼を向けてやると、あっさりと折れた。我ながら柄でもないキャラクターを演じているという自覚はあるのだろう、やや引きつった表情のニーナは耳を赤くしている。
あまり深く追求してまた癇癪を起こされたらたまらない。そう考えたアヅマは、深く息を吐いて気持ちを切り替える。
ふと、今日はやけにため息の数が多いということに気づいたが、無視した。
「試験航行というのは、その関係かな?」
「うん、『川内』はもともと艦暦の若い船だけどね、一ヶ月前に改修を終えたところで、それから調整して慣らしてたんだ」
「もう終わったのかい?」
「そう。結果は上々。いい艦だよ、『川内』は。指令所要員も信頼出来る」
「そうか……」
旗艦となれば、これから自分が指揮を執る上で乗り組むことになる艦である。いわば命を預けることになる艦であり、艦長自身の口から良い評価を聞けたことは、今日一番のニュースといえよう。
なにぶん情報が少なすぎるということもあり、先行きは不透明だ。
だが、能力的に全幅の信頼が置ける人物が麾下に入り、いわく旗艦も「いい艦」らしい。ひとまず安堵することにして、アヅマは肩の力を抜く。そして『左手』で湯飲みを掴んだ。
気を抜いていたのがいけなかったのだろう。
未だ万全とは言えない左手から湯飲みがすっぽ抜け、重力に従って落下を始める。
「!?」
「っ!」
落としたアヅマも、机を挟んだ向こう側にいるニーナも、反応は速かった。アヅマは落とした湯飲みを追うように咄嗟に『左手』を伸ばし、ニーナは落下前にキャッチしようと右手を伸ばす。
そして、思ったように動かないアヅマの左手は湯飲みを上から押さえつける格好になり、
タイミングのズレたニーナの右手は、掴み損ねた湯飲みを宙高く舞い上げる。
バシャンッ
「…………」
「…………」
沈黙が降りた。イミテーションの湯飲みがカンッ、コロンッと軽い音を立てて床を転がる。
アヅマが取り落としてニーナがすくい上げた湯飲みは、綺麗な放物線を描いてニーナの頭に逆さまに落ち、いっぱいに入っていた冷たいほうじ茶を余さずぶちまけたのだった。
俯いて黙り込むニーナの顔には濡れた前髪が張り付いていて、表情は窺えない。
ポタリポタリと滴が落ちる先では、濡れたシャツが肌にぴったり貼りついていた。しっかりした生地で作られた士官用の開襟シャツは通常、光を透過することはないが、白は白であり、水に濡れてしまっては性能を十全に発揮出来ない。
つまりは、肌も下着も透けて見えている。
アヅマにとって、今日は厄日とも言えるくらい、精神的に疲れることが多々あった。
彼の処理能力は既に限界に達しようとしており、言ってしまえばいっぱいいっぱいであった。
そこへ来て更なるアクシデントである。
「…………青、か」
もはや彼は、自分がなにを言っているのかわかっていなかった。
アヅマの率直にすぎる発言に、沈黙していたニーナの肩がピクリと震える。
ゆっくりとした動作で顔を上げると、透けた胸元を隠すこともせず、前髪の隙間から鋭い眼光を放った。
「……言うべきことはそれだけか?」
『言うべきこと』が『言い残すこと』に聞こえる、それくらい怒気にまみれた雰囲気である。
ゆらりとした動きも相まってかなりの迫力があり、アヅマは完全に気圧されていた。
「アヅマが二ヶ月前に左腕を失って、再生治療が終わったばかりで、リハビリも済んでなくて、まだ上手く動かせないことは知ってる。知ってるよ」
動けないアヅマを睨み据えながら、ニーナがゆっくり、ゆっくりと緩慢に、テーブルを回り込んでいく。
「知ってるけどさ……この状況で、言うことがそれか? それなのか?」
この時アヅマは、その半生で一番強く明確に、自身の死を意識した。後に韜晦していわく、「『死の恐怖』っていうのは、ああいうののことだね」と。
「いや、ええと、その」
明確な危機に、過負荷で止まっていた脳細胞がフル回転を始める。
「うちに来るかい、シャワーも洗濯機もあるし」
そうして導き出した打開策がコレであり、言下に自分で自分に突っ込んでしまう。思わず「この流れでこれ、直球なのか変化球なのか判然としないな」などと現実逃避に走ってしまうくらい明後日の方向にぶっ飛んでいる。
アヅマは自分という人間がわからなくなった。
「…………はい」
その一言でぷしゅーっと音を立てて怒気が抜け、違う意味で真っ赤な耳はそのままに、しおらしく頷いてみせたニーナのこともわからないが。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ちなみに、店の支払いに関しては、
「ごちそうさま、アヅマ」
「ええと……ニーナ?」
「食事は上官がおごるのが筋ってものでしょ?」
「いや、意味がわからない。それに私はまだ大佐だし、大佐としてはニーナの方が先任だろう?」
「……女にたかる男はモテないよ、アヅマ」
「うぐっ……いや、そういう話でも」
「私をこんなにしておいて」
「……わかった。わかったから、誤解を招くような発言はよしてくれ」
といったやり取りがあったことを追記しておく。
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