第三話 『再会』3
「ま、それは置いておくとしてだ」
直後に続けて放たれたその一言に、思わず反応してしまったアヅマの体から力が抜ける。
ソファにもたれて恨みがましい目を向けると、優子はにやにやと笑っていた。
――担がれた……わけじゃあ、なさそうだな。
からかわれたのは確かだろうが、優子の目の奥は笑っていない。
確証がないから話せないのか、まだ話す時期ではないのか、そもそもアヅマに知る権限がないのか。
いずれにせよ、暗に「上はちゃんと仕事してるから安心しろ」と言われたようで、アヅマとしては嘆息するしかない。
ふてぶてしく見せて、その実これまでのやり取りでだいぶ神経をすり減らしていたアヅマだが、笑みを深めて再びソファに腰掛けた優子を見るに、まだ解放してもらえないらしい。
内心でいささか以上にげんなりしているアヅマの視線を悠々と受け止めながら、優子は新しい葉巻に火をつけると、急に真面目な顔になった。
突然の豹変に軽い失調感を感じるアヅマだったが、
「アヅマ大佐、『ソロモン事件』での君の活躍は、目を見張るものがあった」
「……は?」
今度こそわけのわからないことを言われ、思考が停止した。
アヅマにとってあの事件は、自国の領域内で挟撃をかけられ、自分の艦も多くの部下も失った、とても苦い事件である。「活躍などと……」と返すので精一杯だった。
「そう謙遜するものじゃない。実質駆逐艦一隻で敵性艦隊に突撃し、駆逐艦四隻を大破撃沈、重巡一隻を中破に追い込んで生還した君の事を英雄視する声もある。希代の勇将、猛将だとな」
表情をキツネじみた胡散臭い笑顔に戻して応じる優子に、アヅマは嫌そうに顔をしかめる。
閉口するとはこのこと、とばかりに黙り込むが、ますます上機嫌の妖狐は調子を上げるだけだった。
火をつけたばかりの葉巻を灰皿に押しやり、なおも続ける。
「若い連中に下手に真似られても困るんだが、まあそれはいいんだ。
問題はな、アヅマ大佐。限定的な状況とはいえ君が示した艦隊戦における雷撃の有効性を、上層部が評価しているっていうことだ。無論、この私もな」
「君は共和国艦隊の動揺につけこみ、雷撃で陣形を引き裂き、前代未聞ともいえる単艦による艦隊の中央突破という偉業を成し遂げた。そのことへの評価だな。つまり、艦隊決戦において決定機を作り出す打撃力としての期待だ」
いつしか熱を帯びはじめた優子の長口舌に、アヅマはただ圧倒されている。
さらっと不穏な単語が混ざったような気がしたが、それについて思考し口を挟む間隙もない。
「そこで、部隊を新設することにした。政治的なあれこれやらなんやら色々とあった結果だが気にするな。役割は色々あるが、艦隊護衛と雷撃戦に主眼を置いた部隊だ。足の速い軽巡航艦を旗艦にいくつかの駆逐隊を配備した高速艦隊だな。
名づけて宙雷戦隊。とりあえず実験的に二個艦隊を創設することになったのだが、君にその片方の指揮を執ってもらいたい。ああ、もちろん艦隊指揮官に抜擢するにあたって昇進は決定している。夕刻には君の副官になる人間が自宅まで辞令を届けに行く手はずだ」
優子はここまで一息にまくし立てると、理解が追いつくにつれて呆然から愕然へと表情が変わっていくアヅマに色々な意味で熱い視線をやりながら立ち上がる。
「すまんな、楽しくてつい時間を忘れてしまった。私はもう出ねばならんから、詳しいことは後で副官にでも聞いてくれ。期待しているぞ、真崎・アヅマ『准将』」
最後にとびきりニヤリと笑みを深めると、ソファから動けないアヅマを残して足早に去っていった。
閉じられた扉の向こうで足音が遠ざかっていく――と思いきや引き返してきて、
「ああ、そこの細巻は箱ごと持っていけ、君はやらないようだが良い葉を使っている。接待にでも使うといいだろう。ではな」
半開きの扉から顔だけ出してそう言い残すと、今度こそ去っていった。
足音がバタバタと遠ざかっていく。
アヅマはひとり取り残されたまま、しばらく呆然としていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……嵐のような人だったな」
優子が去ってしばし。ようやく再起動を果たしたアヅマは、本部庁舎の廊下を力なく歩きながら、そうごちた。
「結局、重要な部分はほとんど説明されないままだったし……」
わかったのは、上がなにやらごたごたしていて、自分はそのあおりを食らうような形で准将に昇進させられた挙げ句、新設艦隊の司令官に担ぎ上げられる羽目になったということぐらいだ。最初に感じた嫌な予感は、このことを指していたのだろうか。入院中に大佐へ昇進したのも、このための準備だったのだろう。二階級の特進は戦死者のための特例であり、生者に適用するための苦肉の策か。
それに、優子がまくしたてた中には、かなりキナ臭い単語が混ざっていた。そのことに不安を覚えつつ、しかし最初から説明する――少なくともあの場では――気もなかったように思える。
説明する気があるのなら、「楽しくてつい」時間配分を間違えることもない――そう思いたい。元帥の位にある人間が、まさか本当に部下をからかうのに夢中になって重要な説明を忘れるなどと思いたくもない。
高級士官用の区画なのだろう――本部にほとんど縁のないアヅマにはよくわからない――廊下を、優子に貰ったというより押し付けられた気分の葉巻の木箱をもてあそびながら歩いていると、先方から歩いてくる女性と出くわした。
女性としては平均的な身長の、銀髪の上級士官だ。細身のシルエットだが、歩く姿勢のよさと相まって、遠目からでも確かな膨らみが開襟シャツの胸部を押し上げているのがわかる。質量自体は中の上から上の下といったところだが、細い肢体とのコントラストで強い存在感を放っている。
――なにを考えているんだ、私は。
軍全体の男女比はほぼ半々であるはずなのに、いままで就任した艦の指令所要員がどういうわけか男ばかりだったせいだろうか。
思春期なのか中年なのか判別しがたい自分の視線の動きに自分でつっこみを入れながら、すれ違うため脇に寄るアヅマ。
だが、その女性はアヅマに気づくと、そのまま真っ直ぐ向かってきた。
彼女の視線はアヅマに固定されている。
アヅマは立ち止まって、近づいてくる女性を観察する。長い銀髪を結い上げた、若く見える女性だ。十代後半にも見える。整った顔立ちだが、彼の記憶の中に該当する人物はいなかった。
「ひさしぶりだね、アヅマ」
しかし、彼女の方には覚えがあるようだ。ばかりか、その口調は親しげですらあり、アヅマの困惑は深まっていく。
「……アヅマ?」
黙ったままのアヅマを覗き見るようなその女性に、やはり彼の中の検索結果はゼロだった。
涼しげな美貌に凛とした佇まいでありながら、ゆるく結った長髪が華やかさとやわらかさを加えている彼女は、控えめに言っても美人である。
悲しいかな女っ気のない青春を送ってきたアヅマには、このような美人に親しげにされる覚えがないし、よしんばあったとしても忘れるわけがなかった。
しかし、人違いというわけでもないようだ。
彼女は確かに自分の顔を見て、自分の名前を呼んでいる。ますますわからない。
「…………」
「…………」
互いに無言のまま時間だけが流れていったが、やがてアヅマの困惑に気づいたのだろう。女性の表情に険が宿る。
「……もしかして、私を忘れた?」
はたから見ていたらなんだか酷い男だと思われそうだが、そんなことを言われても、そもそも覚えがない。
そう思ったアヅマだったが――そのしかめ面と、意思の強そうな琥珀色の瞳を見て、遠い記憶がフラッシュバックした。
「……ニーナ? ニーナ・トルスタヤ?」
今日何度目かわからない、愕然としたアヅマの口から、その名前が零れる。
「ん、よろしい」
思い出すのに時間はかかったが、ちゃんと覚えていたようだ。そのことに彼女――ニーナは機嫌を直すと、口元にやわらかな微笑を浮かべる。
「改めてひさしぶり、アヅマ。具体的には七年四ヵ月と二一日ぶりくらいかな」
「……それ、数えてた?」
「いや、適当に言ってみただけさ」
驚愕から一転、げんなりと肩を落とすアヅマの姿に、楽しそうに笑うニーナだった。
本日分の更新はこれでラストです。
次回の更新は11月8日、金曜日を予定しています。
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