第一話 『再会』1
星暦五九八年、八月一八日。星系国家『ヤマタ皇国』主星ヤマタ、その赤道と北極との中間に位置する首都イカルガ。
亜熱帯気候で四季豊かなイカルガの八月は夏真っ盛りであり、暑い。この日も正午前だというのに既にして気温は摂氏三八度に達し、種々様々な肌色をした道行く人々をげんなりさせていた。
吹き出る汗を拭いながら信号待ちしている歩行者の群れが見上げる先では、主に宣伝目的などに使われる大型スクリーンが正午前のヘッドライン・ニュースを流している。
南半球で予想される寒波に対応するための追加予算案が皇国議会下院で可決――
今年のオオグルマグロ漁獲量は過去最低、輸出量に規制か――
エルリッヒ自動車の新型車が大規模リコール、ブレーキに致命的な欠陥――
次々と流れ去ってゆくニュースを漠然と眺めていた会社員が、「お」と声を上げた。
スクリーンには、「『ソロモン事件』の慰霊式典、軍人墓地にて執り行われる」というテロップが流れていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
首都イカルガ郊外、区画整理により整然と立ち並ぶ人工建造物と、寄り添うように共生する緑豊かな自然の中を走るハイウェイを、一台のリムジンが滑るようにして進んでいく。
自動運転と交通管制システムの恩恵によりスムーズに流れる自動車専用道路を走る黒塗りリムジンの後部座席には、真崎・アヅマ『大佐』の姿があった。
上級士官用礼装を着用している彼は、誰の目もないのをいいことにコートじみて裾の長い上衣を脇に脱ぎ捨て、ネクタイもワイシャツのボタンも緩めて、柔らかなシートに深く身を沈めている。
その目はぼんやりと、高速で過ぎ去る景色を眺めていた。
二ヶ月前の戦闘で重傷を負ったアヅマが次に目を覚ましたのは、皇国軍総括本部基地内にある病院の豪華な個室だった。
沈みゆく駆逐艦『夕立』の指令所から救出された彼は、所属する辺境の基地から主星へと後送され、そこで救出の際に切断した左腕の再生治療を受けることとなった。
目を覚ましてすぐ専属の軍医により簡単な問診と診察を受けた彼は、その直後に見舞いに来た士官学校時代の後輩――彼女は後方参謀として宇宙軍本部に勤めていた――により、中佐から大佐への昇進を伝えられた。
受け取った略式の辞令には『ソロモン事件』での功績による昇進と書いてあったが、部下の半数を死なせ乗艦も沈めた艦長への処遇としては疑問の残るところだ。
今は退院後初めての仕事として、『ソロモン事件』慰霊式典に参列した帰りである。
自分の命令で死んだ部下の家族や恋人などと顔を合わせるのは、何度経験しても慣れないものだった。
――今回は数が多くて、特に堪えた。
胃の辺りの重いものを吐き出すかのように深くため息をつくと、先日再生治療が完了したばかりでリハビリ中の左腕を眺め、調子を確かめるように軽く動かした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ああ、よく来てくれた」
式典からの帰路に呼び出しを受け宇宙軍本部へ出頭すると、奥まった一室へ通され、妙齢の美女に出迎えられた。
艶のあるハスキーボイスで発せられた労いの言葉に、アヅマは敬礼を返す。
広い室内の奥に設えられた天然木製の執務机からすっと立ち上がり、キビキビとした動作で歩み寄ってくる女性の姿に、アヅマは見覚えがあった。
というより、皇国軍人で知らない人間はいないだろう。
切れ長の目に理知的な光を湛え、瞳と同色の艶のある黒髪をショートカットにしたその女性は、過去数度の戦役にて名を馳せた宇宙軍の将校で、彼も因縁の出来たばかりである『ソロモン宙域』にて数多の敵艦を沈めてきた女傑である。
敵の進軍を幾度も阻み、蟻の子一匹通さなかった戦いぶりに贈られた名が『鉄壁提督』。今は皇国元帥の一人として宇宙軍の四分の一を統括しており、士官学校で使用される宙域防衛戦闘の教科書にも載っている。
はっきり言ってかなりの大人物であり、アヅマには、大佐へ昇進したばかりの自分が呼びつけられる理由が思い浮かばなかった。ついでに言えば彼女はどう見ても二〇代半ばにしか見えない美人で、女性にあまり免疫のないアヅマにとって苦手な部類に入る。
だからということでもないだろうが、思考はやや現実逃避気味に逸れていく。
――『鉄壁』というより『絶壁』だな。
視線は彼女の顔に固定しながらも、スマートに歩く彼女のややスマートすぎる胸元に意識をやってそう思う。式典帰りのアヅマと違って涼しげな熱帯用略式制服の半袖開襟シャツとパンツは、彼女の細いボディラインをはっきり見せつけているが、それでも胸部の起伏はほとんどわからない。
色々とひどい冗談だという自覚はあるが、くだらないことでも考えていないと、混乱してわけがわからなくなりそうだった。
人体科学の発展により、実年齢を推し量る上で外見がまったく当てにならないこの時代である。
過去の授業で習った彼女の経歴から、大まかな年齢を把握しようと尚も現実逃避を続けるアヅマの目の前で立ち止まった『鉄壁提督』は、平均よりやや高い身長を有するアヅマより頭一つ低い位置から、涼しげな美貌にやわらかな微笑を浮かべて右手を差し出してきた。
「はじめまして、だな。宇宙軍元帥、近藤・優子だ」
「お初にお目にかかります。真崎・アヅマ大佐です」
歴戦の勇将であり元帥でもある優子のフランクな応対に失調感を感じつつ、同時にその魅力的な微笑に高揚感を感じるという無駄なところで器用な真似をやってのけたアヅマだったが、それでも表面上はなにごともなく平静な体で握手に応じた。
ぎゅっと固い握手を交わすと優子は身を翻し、「まあ座ってくれ」と言い置き応接セットのソファへと歩み去る。
握手は形式的なものだろうと思っていたアヅマも、固く握られた右手を見下ろし内心で首をかしげつつも、後に従い優子の対面に腰を下ろした。
「とりあえず、どうかな、一服」
アヅマの着座を足を組んで待っていた優子はそう口を開くと、サイドテーブルに手を伸ばした。
優子が差し出した木箱には、細身の葉巻が詰まっていた。アヅマは勧められるまま手に取った一本を咥え、続けて差し出されたオイルライターの火を礼を言いつつ借りる。
煙草の良し悪しなどわかりもしないが、とりあえず曖昧にほめておいた。
優子はというと、こちらも天然木の一枚板を使用した応接テーブルの上にクリスタル・ガラスの灰皿を載せながら、「やっぱりコレが地上勤務一番の醍醐味だな。それにしても細巻きは良い、端を切る手間がない」などと上機嫌で紫煙をくゆらせている。
――なんだこれは?
この状況に、アヅマは困惑していた。
何の接点も思い当たらない、平民の出でありながら実力で元帥の位まで登り詰めた才女が、上級士官とはいえ彼女からしてみれば木っ端軍人と大差ない自分に、こうも親しげに接する理由が見当たらない。
うなじの毛が逆立つ。戦場で培った第六感が、さきほどから警鐘を鳴らしている。
見えないところで、ろくでもない事態が進行しているぞ、と。
「近藤元帥」
黙っていてはらちが明かない、そう判断したアヅマだったが、「硬いなアヅマ大佐、私のことは優子でいい」と返され、初手でつまづいた。
「……それでは、優子元帥」
「何ならさんづけでも構わなかったのだが……まあ良い。それで、なんだ? ああ、そういえば左手の調子はどうかな?」
よほど「『なんだ?』はこちらの台詞です」と返してやりたかったアヅマだったが、無言で配膳ロボットの淹れたコーヒーに手を伸ばすと、文句と共に飲み込んだ。
立ち上る芳醇な香りも、すっきりした苦味や酸味も、ほのかに感じる甘みも、どれもが普段飲み慣れているものとは雲泥の差で、だからというわけでもないが落ち着いた様子で「腕の調子はぼちぼちです」と返す。
「それで、どういったご用件で私を呼んだのでしょうか?」
「なに、茶でもどうかと思っただけだ。それともなんだ、何か用がなければ部下を呼んではいけないのか?」
「……帰ってもいいですか」
どうにも緊張感に欠ける雰囲気と、どこから突っ込んでいいかわからない返答に、思わず本音がぽろっと漏れた。
「そう連れないことを言ってくれるな、無論冗談だ」
「……笑えません」
げんなりと返すアヅマの様子に、優子は「くっく」と愉しそうに目を細めて笑う。優子の人を食ったような笑顔はアヅマに、遥かな過去に実在したと言われるキツネという動物を連想させた。
形勢は圧倒的に不利、完全にあちらの手のひらの上であり、まな板の上の鯉だ。身に覚えがなく胡散臭い元帥の態度からどう考えても厄介ごとに巻き込まれているとしか思えないが、どうあがいてもあちらのペースを崩せないのであれば、抵抗するだけ無駄である。
だったら、もう、開き直るしかない。
諦観をため息に乗せて、吐き出したアヅマだった。