第一七話 『乙二種特一号作戦』1
「二宙戦、全艦出港!」
軽巡『川内』指令所の定位置で仁王立ちしたアヅマが短く号令を放ち、打てば響くかのごとく川内艦長が肉声で応じる。
「『川内』出港! もやいを解け!」
艦体を船渠に固定するための繋留腕が、ゆるやかに『川内』から離れていく。
「機関二〇分の一、微速前進!」
続く指令に応え、無重力空間に浮かんだ『川内』の推進器が青白い燐光を放つ。構内にダメージを与えぬよう慎重に、だが確かな足取りで、『川内』は既に開いたゲートへ向かってゆっくりと進んでいった。
『『暁』、出港よ!』
『『響』、微速前進!』
『『雷』出港、ぶつけんなよ!』
『『電』、出港します。前に続いて!』
所属する駆逐隊各艦も、通信越しに動き出したことを伝えてくる。
旗艦である『川内』を先頭にゲートを抜け、船渠から宇宙港の待機所へ。そして周囲の安全を確認した後、いよいよ宇宙空間へと飛び出していく。
宇宙港の構造物を避けるようにして距離を取り、単縦陣を形成した艦隊全艦が足並みを揃えて徐々に加速していく。
軌道リングから離れたところで、気は抜けない。この先には軌道エレベータのアンカーとして設置された宇宙港もあれば、周辺は軍用・民間問わず様々な船舶が航行する宙域だ。宙域を所管する管制官とも連携しながら、衝突の危険がある航路は避け、時に譲り時に譲られながら進んでいく。
やがて。五五〇メートル級という、軽巡としては最大級である『川内』の巨体が無事に安定航行へ入ったのを見届けて、アヅマは肩越しに背後を振り返った。視線を受けた人間が頷くのに首肯を返し、今度はニーナへ。ニーナも頷くのを確認して、指揮卓を離れる。
先ほど合図した人間は既に指令所の出入り口をくぐろうとしている。アヅマもそれに続き、副官であるアンナも当然のように後を追う。
「副長、航路は既に算定済みだ。難所も当分はない。後は任せた」
そしてニーナも副長に簡単な指示を残し、アヅマ達の後を追うのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「すみませんねぇ、有機ナノマシンは導入していないものでして」
司令室の隣に設えられた会議室。先に指令所を退室していた人物が、後に続いてきたアヅマの開いた扉をくぐりながら頭を下げる。
濃紺のスーツに身を包んだ、五〇前後に見える男性だ。柔和な顔立ちに、これまた人のよさそうな微笑を浮かべている。どう見ても害のないおだやかな初老の男性であり、顔合わせの際に「名刺です、どうぞ」と言って渡された電子情報との間に多大な差異を感じるアヅマである。
「改めて自己紹介といきましょうか。皇国府情報庁第三外事部部長、アウフ・アルトマンです。名刺は……ああ、もうお渡ししておりましたね」
そう言って微苦笑する様子も、なんら警戒心を刺激するものはない。あらゆる場所に浸透し情報を集めるという職務にはうってつけの才覚かもしれないが、同時に足元を見られそうな印象もある。が、部長という肩書きから察するに、そういった局面を危なげなく切り抜けるだけの技量も備えていたのだろう。
油断は禁物。自己紹介を返しながら、アヅマは自らを戒めた。
「皇国軍務省宇宙軍第二宙雷戦隊司令官、真崎・アヅマ准将です。こちらは副官のアンナ・カーリン・フリーデン大尉に、旗艦『川内』艦長のニーナ・アレクセエヴナ・トルスタヤ大佐」
アヅマの紹介に合わせて、アンナ、ニーナの両名が軽く会釈する。
「これはご丁寧にどうも……しかし、艦長ですか」
紹介を受けたアルトマンも会釈を返す。続いて疑問を発するが、その笑顔は微塵も崩れていなかった。化かし合いの世界で何年何十年も生きてきたのだ、表情も声の調子も自由自在なのだろう。やはり油断できるものではない。
アヅマは背中にうっすらと寒いものを感じたが、対する姿勢は自然体のままだ。
「恥ずかしながら、我が二宙戦には幕僚団が存在しません。私になにかあれば、以後はトルスタヤ大佐が司令官代理として指揮を引き継ぐことになります。よって、作戦会議には同席させたほうがよろしいかと」
「なるほど、そのような理由であればご一緒していただきましょうか。それにしても、英雄殿もなかなか苦労なさっておいでのようだ」
「…………は?」
一瞬の間。急によくわからないことを言われたアヅマの思考に空白が生じる。その元凶はというと相も変わらず人のよさそうな微笑みを浮かべているが、
「おや、ご存知ありませんか?」
アヅマは直感する。絶対、楽しんでいると。そう思えば、人のよさそうな微笑も人を食ったような笑顔に見えてくるから不思議といえば不思議だ。
「単艦で何倍もの敵に対峙した猛将。文字通りに己の半身を喪ってなお再起を図る勇将。外連味溢れる方々の間では、ソロモンの孤狼とか牙狼だなんて呼ばれているらしいですねぇ」
続けて放たれたあんまりにもな新事実に、アヅマは強い衝撃を受けた。高硬度炭素結晶のハンマーで力いっぱい殴られたような、なにもかもが吹っ飛びそうなショックだ。だが、おかげで、というべきか。自失からは立ち直っている。
「……それは職務上知りえた情報でしょうか」
努めて言葉の内容を考えないようにしながらも――羞恥で人を殺せるのなら、アヅマは既に息を引き取っている――アルトマンの発言の意味を探るべく思考を巡らせる。ただ若者をからかって愉しんでいるというわけではないだろう。必ず、発言の裏にはなにかある。半ばは願望も混じってはいるが、アヅマはそう予想していた。
「いいえ、ニュースですよ。と言っても、ワイドショーですがね」
果たして、読みは当たった。確信したアヅマの意識が、困惑から完全に立ち返る。懸命に笑いをこらえるアンナの姿など視界の端から排除して、その思考は戦闘時のごとく冷静に稼動を始めた。
「つまり、公的に英雄を作り上げようとしている、と」
兵たちが酒の肴にのたまう与太話ではなく、程度の低いワイドショーとはいえ公共放送で個人を持ち上げているという。
英雄という偶像を作り上げる理由は、いくつか考えられる。
ひとつは、わかりやすい話題性だ。明確に敵対していたわけではない国家が領域を犯し、現在も行方不明となっている駆逐艦『五月雨』の乗員も含めれば実に四〇〇名近い死傷者を出した凄惨な事件。さらには海賊の不穏な動きもあった。『ソロモン事件』の話題性に、更に英雄という象徴を加えてやれば、それは相当な効果を生むだろう。
だが、あれから三ヶ月近くが経過している。話題性にも旬があり、この間がアヅマはどうしても気になる。単純な話題づくりというわけではないだろう。
となれば。
「私はカーテンの役割を与えられた、ということでしょうか」
輝かしい英雄という記号は、その光でもって盲目を作り出す。都合の悪い事柄から目をそらさせるのに丁度いい存在だ。『ソロモン事件』は外交を司る外務省、領域を哨戒する宇宙軍、スパイ活動を防止する情報庁、これら三者の不祥事とも言える。実際に、事件直後にはそういう声も上がっていた。
これら事柄から目をそらさせるための偶像か。
「それとも……」
偶像には、もう一つ用途がある。それは象徴となり、意識を一方向にまとめることだ。軍人が、戦った功績を、象徴として祀り上げる。それが意味することは――
「さあ、それは私にはわかりませんが。それより、作戦会議をはじめましょうか」
アルトマンが一瞬、笑みの質を変えた。口角をほんの少し吊り上げただけだったが、それだけで雰囲気ががらっと変わる。
さすがに魑魅魍魎溢れる魔窟で生き抜いてきただけはある。アヅマは一つ納得しながら、アルトマンに頷き返すのだった。
さて、こっから物語が加速して行きます!
と、いいなぁ