第一五話 『試験艦隊』6
星暦五九八年、九月六日。
「各員、注目」
軽巡航艦『川内』の作戦会議室のさして広くもない空間に、凛とした声が響き渡る。
隣に立つニーナの号令で艦長へと視線を集める指令所要員の顔を、アヅマはざっと見渡した。
『川内』副長、テオドル・アレクサ中佐。
同・航海長、近衛・紗希少佐。
同・砲雷長、山口・直衛少佐。
そして、電装長である浅田・香奈少佐。
昨日を休日に設定していたということもあって、各員ともさっぱりした表情をしているように感じる。が、注意して見てみると、香奈一人がややくたびれた雰囲気を滲ませていた。
傍目にはとぼけた表情でただ突っ立っているように見えるアヅマの様子を視界の端でちらりと確認したニーナだが、何も言わずに意識を切り替える。
「これより、司令官から人事について話がある。各員、傾聴するように……では司令、お願いします」
続いて口にしたのは事務的なものだった。
軽く一礼して下がるニーナと入れ替わりに、アヅマが一歩前に出る。
「まずは皆、連日の演習ご苦労様。なにぶん実験的な艦で実験的な艦隊運用をしているんだ、新しいことが多い。手探りでやっているので負担をかけていることと思う」
最後の一語に、うなずくような気配があった。少ない人数で、距離も近い。さすがに目に見えて首肯したりはしないが、集まる視線に力がこもったような感覚がある。
「そこで、だ。戦闘配備時に限り、アンナ・カーリン・フリーデン大尉を浅田・香奈少佐のサポートにつける」
ざわ、と。わずか数えるほどの人数しかいないにも関わらず、空気が毛羽立つ。香奈と直衛は唖然とした表情で固まり、紗希は眉間にかすかな皺を寄せている。寡黙なテオドル・アレクサ中佐も、その巌のような表情筋をぴくりと反応させていた。
既にこの件を話したニーナはともかくとして、アヅマの後ろに控えるアンナは平然とした雰囲気を崩していない。
なにせ今回の当事者である。普段の彼女の落ち着きのなさを知るアヅマとしては意外さを感じると共に、納得するところもあった。やはりそういうことか、という意思を込めて肩越しにちらりと視線を投げてみると、アンナのすまし顔にぶつかった。どことなく狸かアライグマを連想させるその頬を、思いっきりつねってやりたい衝動に駆られる。
上司の先見の明に喜ぶべきか、それとも手のひらの上で踊らされていると嘆くべきなのか。
脳裏に黒毛の狐を思い浮かべるとげんなりしてしまうアヅマだったが、言うべきことはまだ言い切っていない。しいて思考を切り替えると、正面へと視線を戻した。
「フリーデン大尉には主に艦隊データリンクなど通信関係を担当させ、浅田少佐には『川内』に集中してもらう。二人はこのあと残ってくれ、詳細はそこで詰めよう。以上だ」
「司令、質問をしてもよろしいでしょうか?」
アヅマが口を閉じるのとほぼ同時に、航海長の近衛・紗希が挙手をする。疑問・質問が出るのはアヅマとしても予想の範疇だった。範疇ではあったのだが、いの一番に質問してくるのはてっきり電装長だとばかり思っていたため、やや面食らう。その香奈はと見れば、いまだショックが抜け切らないのか呆然としていた。
考えてみれば、無茶振りに対応するべく尽力していたところを取り上げられた形である。迂闊だったと反省もあるが、どの道ほかに手段も思い当たらず、既に口にしてしまっている。アヅマに撤回の意思はなく、だからゆえに後のフォローを考えると頭が痛い。
香奈のフォローにはニーナの知恵も借りるとして、今は紗希の対応だ。予想される質問に対する回答を脳裏に思い浮かべつつ、「もちろん」と許可を出す。
「なぜ増員ではなく、副官に兼務させるという形なのでしょうか?」
「では」と口を開いた紗希の投げかけた質問は、単刀直入なものだった。大人しいというか、どちらかといえばおっとりとして見える外見に反して直球な発言は、それだけ腹に据えかねるものがあったということなのだろうか。
「それは単純に、現時点での増員が難しいからさ」
対するアヅマの回答も早かった。なにせ問題の原因は人手を減らしすぎたことである。減らしすぎたのならば増やせばいいということは真っ先に思いつくものだし、先日ニーナにも詰め寄られた話題でもある。回答は既に用意されていた。
「その理由をお聞きしても?」
食い下がる紗希に首肯を返すアヅマ。
「皆も知ってのとおり、我が国の政治は複雑だ」
いきなり話題が飛んだように思えるが、指令所要員たちは騒ぐことなく静かに聞いている。アヅマが話を逸らそうとしているのではなく、前提の確認だということを理解しているのだろう。
「立憲君主制を採っている我が国の最高議会は、地方を分割統治している貴族からなる上院と、市井の代議士からなる下院に分かれている。それだけでも立場の違いや主義主張の違いで複雑な構造となっているが、軍が絡むと余計ややこしくなる」
静かに傾聴する中にも、はやばやと理解の色が浮かび始める。部下の理解力の高さは頼もしいが、話の内容は苦々しさを多分に帯びるものであり、アヅマは複雑な気分になる。
「軍に対して否定的な政治家もいれば、二宙戦のような多分に実験的な部隊に眉をひそめる人もいる。さらに軍需産業は莫大な金の動く市場であり、利権やらなにやら力の流れを考えると頭が痛くなるほどだね」
「つまり、近藤元帥の影響力では、現状が精一杯と?」
紗希の発言は容赦のない、へたをすると上官への侮辱ともとられかねないものだ。浮かべる表情に困ったアヅマは苦笑を選択すると、やんわりと否定する。ニーナといい、『川内』には頭に血が上ると暴走しがちな人間が多いのかもしれない。
「いまのところは、だね。増員を望むのであれば、少なくとも譲歩を引き出す程度には結果を出さなければならない」
「そのために増員が必要なのでは」
「そのための兼務さ」
「ですが」
だんだんとヒートアップしていく紗希は、それにつられて姿勢も前のめりになってきている。ただでさえ彼女のジャケットを押し上げる双子山は凶暴だというのに、姿勢のせいでそれが強調されている。アヅマは努めて意識を外すと、周りへと目を向けた。
砲雷長の直衛やニーナは、驚愕に目を見開いている。彼女らの様子から、紗希は本来、見た目どおり大人しい人物なのだろうことが察せられた。少なくとも、上官に対してこれだけ食い下がる人間ではないはずだ。
それだけ指令所要員間の仲がいいということだろう。アヅマの脳裏に、過去のニーナのせりふが蘇る。
『いい艦だよ、『川内』は。指令所要員も信頼出来る』
納得できる話だと、そう思う。だが、アヅマ一人が納得しても意味がない。彼女にも納得してもらう、少なくとも一定の理解は得らねばならなかった。
「問題点は理解しているさ。特殊な個人のスキルに頼ったところで、安定して運用するための実績とはならない」
そのために、アヅマは言葉を重ねる。
「だが、『ちゃんと運用できればこれだけの実績が出せる』と証明することが出来れば、『そのための環境を整えさせろ』と要求することも出来る。そうすれば、電装班は電装班で陣容を整えることもできるだろう。納得は出来ないかもしれないが、理解はしてもらいたいものだね」
「……失礼いたしました」
アヅマがそう結ぶと、紗希は姿勢を正して引き下がった。不承不承といった様子に、思わず苦笑が漏れる。
「いや、当然の疑問だ。頼もしく思うよ」
短くフォローを入れると、アヅマはこれからの演習のために一旦の解散を指示した。
紗希が矢面に立ち、当事者であるはずの香奈が始終おろおろしていたというのが、妙に印象に残るアヅマだった。