第一〇話 『試験艦隊』1
星暦五九八年、八月二一日。
主星ヤマタでは、赤道付近に沿って等間隔に、全四本の軌道エレベータが運用されている。ファイン・カーボン・ナノチューブを基軸に安価な高硬度軽合金なども織り交ぜて製作されたこれら巨大建造物は、静止軌道直下、高度約三五〇,〇〇〇キロメートルに浮かぶ軌道リングへと接続され、ヤマタにおける宇宙への窓口となっていた。
実際のところ宇宙船の多数停泊する宇宙港などへは、軌道リングからさらに倍近い距離をリニアカーゴで移動する必要があるが、軌道リング上にも宇宙港がないわけでもなく、また宇宙船を建造する造船所や宇宙軍の工廠などが併設されている。
軌道リングは宇宙に関わる人間達の生活の場であったり、地上で消費されるエネルギーの重要な生産場といった意味合いも持ち合わせているが、それについては割愛する。
ともあれ、そんな軌道エレベータのうちの一基、首都イカルガ南方にある地上発着点と軌道リングとを約二時間ほどで繋ぐ旅客用リニアカーゴの一室に、真崎アヅマの姿があった。球形のリニアカーゴ、その最上部に設えられた個室であり、利用料が一般席の何倍、へたをすると十倍以上もする一等客席だ。アヅマの肩書きからすれば、利用して当然と言えるランクではある。機会とその気さえあれば。
普段のアヅマなら自分から利用するようなものではないのだが、『上司の気遣い』とかいうありがた迷惑な理由により、半ば無理やりに押し込められていた。
見るからに高級感漂う自然木製の内装も、体型どころか利用者の体調さえ感知して最適な形に変形するナノマテリアル製のクッションも、主張しすぎることなく微かに、それでいてじんわりと染み込んでくるアロマの芳香も、なにもかもが居心地の悪さへと繋がっている。そもそも、宇宙で生きる人間にとって、空調に負荷をかける香を焚くなど正気の沙汰とは思えない。成金趣味なのだろうか。
だが、気に入る部分もあった。
シートに深くもたれると、自動でゆっくりと傾斜していく。その傾斜は、アヅマの顔がちょうど直上、個室の天井を向いたところで停止した。
ゆっくりと深く、息を吐く。
アヅマの眼前には、主星ヤマタの威容が広がっていた。既にして減速に入っているリニアカーゴが、かかるGを有効活用するため反転しているので、発進時には足元にあったヤマタが天頂に来ているのだ。
緑の多い陸地と白い雲、そして広大な海。ヤマタは居住可能惑星の中でも数の少ない、表面積の約七割を海が占める水の星、俗に人類発祥の地になぞらえて地球型惑星と呼ばれる星だ。
その青い星の雄大な姿が、眼前に広がっている。端に目を遣ってみると、ゆるく弧を描く惑星表面と、それを覆う大気の層が、真っ黒な宇宙空間をくっきりと切り取っている。
美しい、と、そう思う。
モニタ越しの風景ではあっても、その存在感、美しさは微塵も損なわれていない。
惹き込まれ、吸い込まれ、まるで落ちていきそうな――それでいて実際は高速で離れて行っている。その奇妙な感覚もまた、心地よい。
宇宙からヤマタを見ることは何度となくあったし、軌道リングからも同じような風景を見ることは出来る。普段利用するリニアカーゴの一般席にも、小型とはいえ同じ風景が投影されている。
だが、何度見ても飽きることはないし、なによりこの感覚を味わうのは初めてだった。
――今後は、積極的に個室も利用しようかな。
給料の額面としては恵まれた地位にいたし、それでいて使う機会があまりなかったので、貯金はかなりある。それに、変則的とはいえ二階級も一気に上がったのだ、その分給金も期待出来るだろう。
雄大な自然の風景と金銭的余裕との相乗効果により生まれた心の余裕が、ついつい財布の紐をゆるめてしまう。
「――せんぱい、聞いてます?」
感慨深くも生臭い夢想空間へと旅立っていたアヅマだったが、その一言で現実へと引き戻された。
なにやら夢から覚めたかのような様子でひとつ瞬きをするとゆっくり身を起こし、視線を巡らせた。
視線の先、声の主はアンナだった。
赤いツインテールに改造スカート、黒いガーターベルトと同色のストッキングは先日と同じだが、上衣は開襟シャツから白を基調としたダブルのジャケットにネクタイという、宇宙軍正式装備に着替えている。アヅマとの相違は、副官を表す銀糸の飾り紐ぐらいだ。ボディラインの浮き出にくい服装とはいえ、胸部の平面具合も男性であるアヅマとトントンなのは余談である。
この個室には、アヅマの他にアンナもいたのだ。
彼女はアヅマの副官である。この移動は公務によるものであり、それに副官が同道するのは当然といえた。
「ああ、悪いねアンナ」
言葉ほどには悪びれていない体で、懐疑的な視線を向けるアンナへと一応の詫びを入れる。
そんなアヅマの言葉に、アンナは「むーっ」とふくれて見せた。
「いつも思ってるんですけど。こないだといい、せんぱい、あたしの扱いが雑じゃないですかー?」
口を尖らせながら、アヅマへと半眼を向ける。
「そんなことはないと思うよ」
対するアヅマは、ひらひらと手を振りながらぞんざいにそう返すだけだ。
なにせ、くされ縁のような付き合いだ。アンナ自身のキャラクターのせいもあり、良くも悪くも遠慮のない間柄である。
「むー。やっぱり雑だー」
口で「ぷんぷん」と言いながら怒ってみせるアンナだが、彼女は彼女で、このようなやり取りを楽しんでいるのだろう。
と、思うことにしている。真実は知らない。
その辺は本気で雑に扱っている証拠であるが、そのことにアヅマは気づいていなかった。
――とまれ、一応は副官の報告だ。ちゃんと聞かなきゃな。
そう考え、いまだぶちぶちと愚痴を垂れ流し続けるアンナを促そうとしたアヅマであったが、その愚痴の中に聞き捨てならないものがあった。
「……アンナ、いまなんて言った?」
問い詰める調子が、思いのほか強くなる。
「ふぇ?」
突然食いついてきた真剣な様子のアヅマに面食らったのか、きょとんとするアンナ。
だがアヅマは構わず、問いを重ねる。
「いま、アンナ、いま確かに、入院中の見舞いをどうこうって言ったね?」
問いというよりも、確認といった調子の質問である。
ここへきてアヅマの質問の意味を諒解したアンナは「ああ」と軽い調子で応じて、
「せっかくのお見舞い品を憲兵に投げ――」
「あれはやっぱりお前かぁ!」
アヅマが爆発した。
常に穏やか……というより脱力しているといった方が近しいアヅマが声を荒らげるような事態は珍しい。
常にない異常事態にアンナは目を白黒させているが、猛るアヅマはとどまる所を知らなかった。
「ベッドの下にあんなもの仕込みやがって! あやうく冤罪で逮捕されるところだったわ!」
「いやほら、隠すならベッドの下って太古の昔から決まってますし」
「そこじゃない! そもそも入院患者になんてもの差し入れしてんだ!」
「だって入院中はいろいろ溜まるでしょ?」
「あほかー! いやコイツあほだったー!」
うがー、と、まるで人が変わったような豹変振りでアヅマが頭を抱える。
アヅマが失った左腕の再生治療を受けるために入院していた頃、とある事件が起こった。
彼の使用するベッドの下から、とある映像ファイルが発見されたのだ。発見者はアヅマを担当していた若い女性の看護師である。
それそのもの自体は、まあ長期入院している若い患者の所持品だ、問題がないわけではないが仕方ないで済まされる程度のもの――の、はずだった。所持者と思われる当人に、まったく覚えがなくとも。
だが、それの内容には大いに問題があったのだ。それこそ通報を受けた憲兵がすっ飛んでくる程度の問題が。
どうしてこんなものが、とか、そもそもこれの持ち主はどうやって入手したんだ、などの疑問は当然あったが、それ以上に、である。
あの時の看護師や憲兵たち、彼ら彼女らから向けられる、まるで性犯罪者を見るかのような視線――いや、それそのものの蔑むような絶対零度の視線は、今でも心の傷となって記憶にはっきりと残っている。誤解を解くのに多大な労力――主に精神的な――を消耗したし、その後も看護師の態度は退院するまでどこかよそよそしかった。
だというのに――
「むむー。せっかくの厚意を無下にしたどころか、あほ呼ばわりってなんですかあほって」
「少しは反省しろ!」
まるで悪びれるところのない元凶の態度に、首を締め上げかねない勢いでアヅマが詰め寄る。
そうしてぎゃいぎゃいと喧しく騒ぐ彼らの後ろで、機械的な合成音声による「まもなく、軌道リング第一ステーションへ到着します。皆様ご着席のうえ、シートベルトをお締めください」というアナウンスが淡々と流れていった。