アイラブ桐生 9~11
アイラブ桐生
(9)第三章 輪島から兼六園へ(その1)
レイコが、助手席から、
「煙草が、ある?。」と左手を伸ばしてきました。
「吸えるんだ。」
「うん、たまにね・・吹かすだけだけど。」
ふう~っと長く煙を吐いてから
「いい車だね、良く走る。」
ありがとう、とだけ答えました。この車だけは自慢です。
アフリカで毎年行われている、サファリ・ラりーを
見事に疾走していくその勇姿に一目ぼれをして、無理した買いこんだ愛車です。
ブルーバードのSSSは、かけだしの板前などが乗るのには、
きわめて贅沢すぎる車です。
ただし私に、暴走族的な趣味は一切ありません。
普段はほとんど乗らず、たまの遠出とドライブを楽しむ程度です。
しかしこの時代になると、高性能を誇る国産車がつぎからつぎと各メーカーから
発表がされて、多くの若者たちの間でスピードだけを競い合う
危険な風潮などもたかまりました。
「サファリを走った心臓だぜ。」
「そうなの?
それじゃあ、あんたの心臓も、そのくらい強いと、
わたしも安心して報告が出来るんだけど・・・・
何の話か、聴きたい?」
「?」
「M子が、春になったら結婚するという話です。
誰かから、聞いたかしら?。」
初耳でした。
レイコに、誕生日祝いのプレゼントを届けてもらって以来、
その後は会うことも無くなり、ついにはそのまま放置といえる状態になりました。
「あんたが勝手に転校をして、
思う存分、柔道に励んでいた頃に、それこそM子は毎日泣いてたわ。
捨てられた訳じゃないけれど、ほとんどなんの相談も無く、
突然居なくなられたのでは、M子も辛すぎたと思う。
結局、そんなM子を優しくいたわってくれた、遠い親せき筋の男の子が、
あなたの身代わりをしてくれたわ・・・
ということで、愛を育んできた二人は、
この春めでたく、ゴールイン。」
「そうだったんだ・・・」
「いいんじゃないかしら別に。
つき合っていたことは事実でも、あんたはM子に、
手も足も、ちょっかいさえも出したわけではないんだし、
将来を、固く約束し合っていたという訳でもないんだから・・・
いまさらそれほど、気にしなくても。」
女同志のおしゃべりは、いったいどこまで、どんな内容にまでおよぶのでしょうか・・・
当人同士だけの秘密や内緒と思っていた事がらが、実に見事に、
筒抜けになっている気配がします。
「そうだ・・・あなたも着替えておけば。
お兄さんの普段着を借りてきたから。」
なんで大量に、男物まで借りていくのかM子は、不思議には思わなかったのでしょうか、
それともレイコが、よほど上手く言いくるめたのか、ちゃんと、
男物のシャツが3枚も綺麗に折りたたまれて入っています。
なんで3枚も・・・?
その枚数にも驚きましたが、もっと驚いたのは大量の文庫本が転がり出てきたことです。
手にとってみるとそれは愛読している「青春の門」のシリーズで、
しかも全巻分がちゃんと揃っています。
「おいっ、お前、まさか・・・・」
「あ~、ついに、ばれちゃったか。
ついでに渡してくださいって、M子から頼まれてきました。
あなたのことは内緒にするつもりだったけど、
M子の幸せそうな顔を見ていたら、あたしの中の悪魔がつい悪戯をしちゃったの。
ごめんねぁ、つき合うかもしれないって、ついつい嘘をついてしまいました・・・・
(私は、その気なんだけどさ、でも、あんたの本心は分かららないでしょ)
実は、あんたの誕生日に自分から渡したかったそうです。
あの日のプレゼントのお返しに。あんたが愛読している「青春の門」が、
文庫本で、やっと全部揃ったので、あれから5年間も待たせてしまったけど、
レイコから渡してくださいって。そう言われてしまいました。
断るわる訳にもいかず、
はいって、快く返事をして、預かってきました。」
(やっぱり全部、筒抜けだ・・・。)
紺碧に輝く日本海を右に見て、
何処までも南下していく国道線は、実に快適そのものです。
朝早いことも有りますが、表日本では考えられないほど、
人家も見えなければ反対車線を走る対向車とも、めったには行き会いません。
のんびりとしていて、鈍く照り返しを見せはじめたアスファルトの一本の路が、
海岸の景色を見え隠れさせつつ、南西方向へ向かってどこまでも単調に伸びて行きました。
小さな集落が接近をしてきても、
民家は、あっというまに車窓を通りすぎてしまいます。
再び山と斜面だけの景色に変わり、右側には日本海の青い海がまたひろがりました。
左手の山脈から駆け下りてきた急な斜面は、そのまま突きささる角度を保って
海へと落ち込んいく、そんな同じ景色ばかりを繰り返します。
能登半島の付け根、氷見をすぎたころには、
真夏の太陽はすでに頭の上で、今日も激しく気温をあげはじめています。
耐えきれずに、エアコンの目盛りをひとつだけあげました。
「お腹、すいたね」
レイコが、ポツンとつぶやきます。
大きく入り江を回り込んんでいく道路のはるか先に
キラリと屋根が光っている、ドライブイン風の建物が見えました。
とりあえず、休憩と決めて道を急ぎます。
寄りこんだのは、地元の海産物を扱っている漁港のお土産処でした。
なんでもいいさ、身体を伸ばして休めるのなら・・と
背伸びをしながら裏手へ回ったところで、思いもかけない
地元の絶景が、目に飛び込んできました。
「へぇぇ・・」
思わずフェンスに両手をついて、海に向かって身体を乗り出しました。
足元から一気に削りとられた断崖が、
その急角度を保ったまま、海の中へと吸い込まれています。
真っ白い海底の砂のひろがりの中に、青い海藻と黒茶色した岩礁がどこまでも交互に
重なりあいながら、はるか沖合にまで縞模様を織りなしていました。
水の色さえも感じさせない、これほどまでに透明な海の様子を見るのは、
生まれて初めてともいえる経験です。
「わぁ、絶景!」
海面を覗きこんでいる私の右脇の下から、レイコが
ひょっこりと顔をのぞかせました。 お前、そんなところから・・・・
「吸いこまれそう・・」
わきの下をくぐり抜けたレイコが、私の身体の前へ回り込んできました。
フェンスに両ひじをついた瞬間に、思い切り元気よく身体を前に乗り出します。
窮屈な態勢のまま、私の懐にもぐりこんでいるレイコは、
息を止めたまま、そのまま海面に眼を凝らしています。
目をクギつけにしたままの密着しているレイコからは、ほのかに甘い香りがします。
やがて潮風の中には、懐かしい思いものせて、かつて嗅いだ覚えのある、
レイコの洗いたてのような髪の匂いも混じってきました。
「おまえ、大胆だなぁ・・・」
「迷惑?」
否定はできませんが、しかし肯定することもできません。
「田舎じゃあ、できないもんね・・・」
「・・」
それも、どこかで聞いた覚えがありました。
古い記憶をたどりながら、それがどこであったか思いだそうとしていると・・・・
「ごはんに、しましょう!」
なんの前触れもなく、クルリと振り向いたレイコの顔が、
触れてしまいそうなほんの数センチといえるほどの、至近距離に現れました。
レイコの瞳が一瞬だけ、私の瞳を見つめて止まったような気もしました。
が、次の瞬間には、左の脇の下をするりとくぐり抜けてしまいます。
「お腹すいたぁ~」
またそこで一回転をしながら髪をなびかせて、レストランを目指して、
軽快に走り去って行きました。
何だったんだろう今・・・と考えながら、
もう一度、海底まで夏の日差しがとどいている海の様子を目におさめてから、
レストランの入り口で元気に手を振っているレイコに向かって
ゆっくりと歩き始めました。
(10)へつづく
アイラブ・桐生
(10)第三章 輪島から兼六園へ(その2)
国道160号線は、能登半島の東海岸線を走る道路です。
きわめて海に寄り添いながら、どこまでも真北へ向かって続く道路です。
それはまるで、河の堤防上を走っているような錯覚をおぼえるほど、
実に快適で見晴らしの良い道路でした。
小高いと感じた丘陵部を越えると、一転して道は長くゆるやかに下りはじめました。
やがて前方に低い屋並みばかりを見せて、七尾の市街地が見えてきます。
さらに進んで、和倉温泉街のホテルや旅館などを抜けると再び、車窓に海が現れます。
湾内にある能登島も、東の海上に見えてきました。
道路はそこからさらに、能登湾の海岸にそって左から右方向へと回り込みます。
人家の途絶えた静かな道は、なだらかな斜面と海の間をさらに北端へと向かって
延々と続いていく気配だけを見せていました。
輪島があるのは、この道路とは正反対の西海岸です。
朝市で知られている輪島へ向かうためには、もうこのあたりから半島を横断して、
外洋に面した西の海岸線に出る必要がありました。
そろそろ横切る道路でも探そうか・・・
そう思い始めて、適当な道路を物色しはじめた矢先に、レイコが前方に
何かを見つけて指をさしました。
海の上には、丸太で組まれた櫓が立っています。
同じように造られた櫓が、海岸近くを点々とならんでいました。
「俺たちの盆踊りは、道路の真ん中でやぐらを組んで八木節をやるが、
此処の連中は、海の上で盆踊りをするのかなぁ・・。」
「なぁに馬鹿いってんの。
そんなはずないわよ、河童じゃあるまいし。」
(おいレイコ。海に、河童は住んでいないぜ!)
良く見ると櫓は全体として、貧弱と思える造りです。
丈夫そうな丸太で組まれていますが、床の部分には簡単に板が渡されているだけでした。
日差し除けの屋根として、頭上にすだれがチョコンと乗せてあるだけで、
人の気配はありません。
なんおための櫓でしょう・・・・
「なんなんだろうね・・一体。」
過ぎ去る櫓を後ろ向きに見送りながら、レイコがいつまでも小首をかしげています。
小高く切り立った丘がひとつ、前方から壁のように立ちあがってきました。
急傾斜の直前まで達した道路は、いままで寄り添ってきた海岸線からは、
未練たっぷりに進路を変えた後、やがて徐々に離れはじめます。
急斜面を斜めに登り始めた道路は、丘の中腹を半周したあとに、
ふたたび進路を頂点に向けて、一気に最高点を目指しての直登を始めます。
見た目以上に、最高点までは距離がありました。
頂点付近で振り向いたときには、通り過ぎたそれまでの景色が
まるで箱庭のように眼下に広がっていました。
「けっこう小高い丘だったわね、見た目よりも遠かったもの。
まったく手こずらせて・・・
ねぇ、 見て見て、あれっ!。」
登りきったとたんに顔を前に向け、前方の海へ目線を落としたレイコが
突然、大きな歓声をあげはじめます。
眼下には、静かな入り江に囲まれた、ごくありきたりの小さな漁村が現れました。
入り江も自体も、ささやかすぎる大きさです。
人一人が歩くのがやっとと思われるほど細すぎる堤防が、両腕を伸ばし様な形で
ほんのわずかな隙間だけを残して、両岸から中心部にまで伸びています。
波一つない湾内は、静かに太陽の光を照り返しています。
入り江を取り囲む真白の砂浜には、10隻あまりの小舟が引き上げられたままで、
小さな発着用の桟橋には、操業中なのか、船の姿が有りません。
どこを見回してみても、どこにも人の姿はありません・・・・
「ちょっと・・ねぇ、 素敵!。
ネェ、停めて。」
レイコが反応をしました。
時刻は、午後3時を少し過ぎたところです。
炎天下を避けて、木立ちのある木蔭まで車を移動をさせました。
小さな入り江を見降ろすために、ドアを開け放したままレイコが煙草に火を付けました。
日本海側で、北陸の漁村や寒村の風景といえば、
おそらくこんな景色のことを指すのだろうと思いました。
これといった特別のものは何ひとつとして見当たらないというのに、
妙に心が落ち着く、そんな光景です。
右手には日本海の外洋がどこまでも横たわり
三角の白い波とうねりを見せながら、青空と溶け込む果てまで続いています。
左手側には、低く続く丘陵地帯が幾重にも重なったまま、まだその先へ
延々と続いていく様子が見て取れます。
その真ん中の空間に、小さな入り江がひろがっています。
真夏の太陽に照り返された、細く頼りない道が少しずつ、ゆるやかに折れ曲がりながら
その入りまで降りて行く様子が見えました。
細い堤防に抱かれた、小さな入り江の周囲には、潮風にくすみきって
すっかり色あせた瓦屋根と、錆びたトタン板の屋根たちが、
仲良く肩を寄せ合いながら立ち並んでいます。
この小さな集落を過ぎてしまうと、次の丘陵をめざして道路はまた登り始めます。
ゆるやかな傾斜を斜めに横切りながら、道が見え隠れに進みます。
その先には、もう人家も畑も見えません。
この道の先にあるのは、未開の地というような雰囲気さえもありました。
しかしこちらの入り江でも、まったく人の気配がありません。
聞こえてくるのは、セミの鳴き声と、かすかな寄せてくる
波打ち際の音だけでした。
「ほんと、静か・・・」
隣へ座り肩を寄せてきたレイコの口もとが、
こころなしかに、ほんおりとピンク色に濡れています。
よく見ると、指先の煙草の吸い口にも、ほんのりとピンクの色が滲んでいました。
(あれ、こいつ、いつの間にお化粧を・・・)
そういえば、少しだけまどろんで目覚めた時に、ほんのりとかすかに
車の中で、甘い香水の香りがしていたことを、ぼんやりと思いだしました。
レイコも昨夜から、お化粧をする気持ちの余裕が無いままに、
ただ一直線に、私と一緒に、能登半島の東海岸まで走り抜けてきたのです。
またまた、どうでもよいようなことを寝不足の頭でグダグダと模索をしかけた時に、
レイコが再び、何かを見つけました。
「あれ、ほら・・・・民宿の看板。」
なるほど、レイコが指差す先には、
電柱に取りつけられた、小さな民宿の古ぼけた看板が有りました。
たしかにそれは民宿を示す看板ですが、見るからに古いもので
その存在自体さえ危ぶまれました。
「泊りたいわねぇ・・・」
もう、レイコは完全にそのつもりでいるようです。
この景色に辿りついたときからレイコは、なぜか北陸を代表するような、
そんな気配が濃厚に漂っている、まりにも素朴なここの入り江の景観にすっかりと、
心を奪われていました。
しかし看板だけでは、どこにあるのか解りません。
「有るのかなぁ。」
そう思いながら、眼下の入り江沿いに視線を流していくと・・・・ありました!。
看板とおなじように、すっかり古びて錆びきってしまった建物が。
あまりのも、出来すぎた話だろう・・
そう思いながらも、とりあえず泊まりの交渉へ出かけました。
今は、もう営業はしていないという話です(やっぱり)
しかし、予想に反して「家族と同じ食事でも良ければ、泊めてもいい」
という嬉しい返事が返ってきました。
はるばると群馬県の方から飛び込みで来るなんて・・と
向こうのほうが、逆に恐縮しきりです。
一休みができるなら助かるな、と思いきゃ・・休むどころかレイコは、
ふたりの子供たちといきなり表に出て、遊び始めてしまいました。
夏休みで、里帰りをしている、お孫さんの姉妹です。
そうだ、レイコは、保母さんになるのが夢だった・・・
結局、子供たちとは夕暮れ近くまで遊びました。
すこし昼寝などしようと思う間もなく、はしゃぐレイコにせかされて
私まで、子供たちと延々と砂浜で過ごす羽目になってしまいました。
夕食は、老夫婦と二人のお孫さん、
その真ん中に座ったレイコと、少し離れた座った私の6人です。
夜になると民宿では、窓も障子もすべてを開け放ちます。
寝室には、すでに蚊帳も吊られています。
うだるようだった昼間の暑さもどこかに消えて、
吹きこんでくる潮風は涼しいどころか、時間と共に肌寒いほどになりました。
この地域では、交番が必要ないというくらい治安が良いために、
誰も家にはカギなどは掛けることなく、あたりまえのように暮らしています。
(泥棒は、いないんだ・・)
びっくりしたのは、仏壇の大きさでした。
仏間と呼ばれていて、全部を開けると部屋いっぱいの大きさになります。
外観の造りも内装も実に、贅沢を極めています。
家一軒分よりもお金をかけ、贅を尽くして祖先を敬う現れです。
すごいですね~などと、見惚れているうちに、いつの間にかウトウトと、
居眠りなどが出てきました。
口当たりの良い日本酒が、
寝不足の身体に、あっというまに酔いと眠気を誘いました。
ほとんど食事にも手を付けないうちに、落ち込むような眠気に襲われて
ついに我慢ができなくなり、ちょっぴり不満そうなレイコを置き去りにして、
それじゃぁお先に・・・・
と言うのと同時に、深い眠りに落ちてしまいました。
すこし期待はあったものの、能登半への到着の
記念すべき最初の夜は、完璧に熟睡・爆睡の夜になってしまいました。
・追伸です
湾で見つけたやぐらは、伝統漁法の「ぼら漁」です。
四つ手に組んだ網を海中に仕掛け、魚が入った瞬間にすかさず
(人力で)すくいあげるという長い伝統をもつもので、かつ原始的な漁法です。
ぼらは、珍味「からすみ」の原料で、たいへん高価な一品です。
(11)へつづく
アイラブ・桐生
(11)第三章 輪島から兼六園へ
のどの渇きで目が覚めました。
レイコの布団は、すでに綺麗に片づいていました。
布団の上には、綺麗にかつ丁寧にたたまれた浴衣がちょこんと置いてあります。
昨日の夜から大きく開放されていた障子は、今朝は半分になっていました。
真夏の夜明けだというのに、浜辺に近い民宿は建物全体を、
涼しい潮風が通りぬけていました。
眠気覚ましも兼ねて、海岸の散策へ向かいました。
すでに海の上には、朝日が登りはじめています。
今日も熱くなりそうな気配を見せはじめている夜明けの空を見上げながら、
堤防の上を歩いていくと「おはよう」という元気な声が聞こえてきました。
振り向くとレイコと二人の女の子が、松林の中から現れました。
妹のほうは、レイコの首筋にしっかりとかじりついています。
頬をしっかりと寄せたまま、満面の笑みを見せながらレイコの胸で無邪気に遊んでいます。
上の子は私の顔を見た瞬間にレイコの腰へ、顔だけ見せて隠れてしまいました。
まるで子供のお母さんそのものだ、と思いながら
「おはよう」と声をかけると、上の子がやっとレイコの腰から出てきました。
摘んできたばかりの浜辺の花を私に、はにかみながらもプレゼントをしてくれました。
結婚すると毎朝がこんな感じになるのかな・・それも悪くないなどと、
寝ぼけた頭で、ふと余計なことを考えてしまいました。
朝食を済ませ、何度もお礼を言ってから、
教えられた通りに、半島を横切り、西海岸へと向かう山道へ向かいました。
子供たちは元気に道路まで飛び出して、車が見えなくなるまで
精一杯に手を振りながら笑顔で見送ってくれました。
小供たちが涙も見せずに、レイコと笑顔で別れてくれたことに、
内心ほっとしたと素直に白状をすると・・
「甘いなぁ、民宿で育ったこどもたちなのよ。
親しくなるのも早いけど、人と別れることにも慣れてるの。
別れたら他人で、みんな別の人ょ」
なるほど、女は、別れたら別の人になるのか、
そうだよな・・・よくわかりましたと、妙な納得をしてしまいました。
小1時間ほどの山道を走り終えると教えられた通り、下りに入った斜面の先に、
大きくひろがる日本海が見えてきました。
目の前に横たわるのは、今度ははるか大陸にまで続く外洋です。
黒々とした海面のあちこちには、白いうさぎと呼ばれる三角の波が光っていました。
30分ほど海沿いを走ると、ようやく輪島市の看板と遭遇をしました。
街の入り口の少しだけ手前で、運河に架かった小さな橋を渡ります。
渡り切ったすぐ先で、駐車場の案内看板を見つけました。
標識通りに進んで行くと海岸沿いに造られた、朝市専用の駐車場が現れます。
充分な広さをみせる、未舗装の駐車場です。
朝早いせいか、意外なことに、数台の車が点々と停まっているだけで、
あとは寂しいだけの空間が広がっていました。
しかし朝市の場所が定かではありません。
駐車場から見えるのは、立ちはだかるような民家の密集だけです。
潮風に晒されて、木目がやせ始めた板壁ばかりがやたらと目につく景色です。
そんな屋並みを歩いていくと、人が一人やっと歩くそうな路地が現れました。
「よしなさいよ」と引き止めるレイコを無理やりに従えて、
その路地へ入り込んでしまいます。
何度か突き当たりながら適当に歩いていたら、突然前方が開けました。
民家の隙間をすり抜けながら、やっとの思いで辿りついたのは
ちょうど朝市通りの真ん中あたりでした。
それほど広くない道の両脇に、隙間も見せずに地元の野菜と魚を中心にした
小さな露店がいくつも仲良くならんでいます。
そのほとんどが、地面に無造作に商品を並べただけの露天商です。
すこぶる素朴ともいえる情景で、普段着の食糧市場そのものという風情でした。
手拭いで頬かぶりをした、しわだらけのおばあちゃん達が笑顔を見せています。
目を細めながら能登なまりそのままで、なにやらしきりに話しかけてくれました。
しかし、会話の中身が一向に解りません・・・・
まるで、宇宙人が会話をしているような違和感が有りました。
(同じ日本人だというのに、本格的な方言というものは、確かに何かが違う!)
それにしても、こんな光景と雰囲気を、どこかで見た覚えがありました。
どこだろうと考えていたら・・
同級生で、芸術家志望の西口くんの顔が、フイに頭の中に現れました。
・・・そうだ、あいつが好んで書いた渋い色調の画の中にも、
たしか、アジの干物と一緒にこんな婆さんたちが、たくさん登場をしていました。
油断をしていたら後ろから、レイコに頭をこずかれました。
「また、遠くをみている!」
振り返った私の耳もとで、レイコがささやきます。
「おにいさん達はどこから来たのと 聞いてるん・・だって。」
輪島塗りのお店の前に立っている、人の良さそうな女将さんを指さしました。
(ほら、あそこに立っている女将さんが、そう翻訳をしてくれました・・)
その女将さんが、目ざとく私たちに近よってきます。
元気に背後までやってきて、私とレイコの肩へ両手を置きました。
「とても綺麗で可愛いいお嫁さんだって、褒めているのよ。」
ポンポンと、私とレイコの肩を軽く交互に叩きます。
それだけ言うと、またにっこりとほほ笑み、声を出して笑いはじめました。
「群馬からです!」 とレイコは、笑顔で元気に答えています。
「おやまぁ、ずいぶんと遠いところから・・・・
ええ~と、どの辺りでしたかしら、
たしか関東ですねぇ、関東ねぇ・・・・
たしか・・ええとぉ・
あらぁ、どのあたりでしたかしら、う~ん。」
・・・実にあやふやなうちに、女将は詮索を打ち切ってしまいます。
まあいいでしょうと、勝手な相槌をしてからまた賑やかに話し始めます。
「輪島の朝市というのは、
女たち同士の暮らしをかけた、女の熾烈なたたかいなの。
家で待つ男や子供たちを養うために、女は朝早くから働きに出掛けて来て
こうして朝市で物を売るの。、
いくら旨い事言われても、言い値で買っては駄目ですよ。
此処での流儀は、”値切り”です。
値段なんてものは、交渉次第でどうにでもなるの。
朝からそんなかけひきを楽しむことも、また輪島流の朝市です。。
気をつけなさい・・・ここのおばあちゃんたちは、とっても商売上手だから。
あら・・・そういえば、
あんた、よく見ると、格別に別嬪だねぇ。」
と、またまた元気に笑いました。
ようやく到着した輪島の朝市での散策は、わずか30分ほどで終わりました。
採れたての野菜や魚介類を売っている朝市は、観光用というよりも
日々の暮らしの食をまかなうために、路上で繰り広げられる小さな日常市です。
レイコは先ほどの輪島塗りの女将さんの所で、
さらにしばらく話しこんでいます。
お土産代りに、最後に何か小物を買ったようです。
はるばる12時間以上もかけて走ってきたというのに
わずか30分ほどの滞在では短かすぎるような気もしたが、どうする?と聞くと
せっかくだから、金沢まで戻ろうという話になりました。
戻る? ・・・金沢は群馬への帰り道とは、まったくの逆方向にあたります。
それはまだ、さらに旅は先へ進むということを意味しました。
しかし当初の目標は無事に達成したために、もう先を急ぐ必要はなくなりました。
レイコものんびりしたまま、車窓を流れる景色にぼんやりとしています。
たぶんこのまま金沢まで、のんびりペースのドライブが楽しめる・・・・
そう決め込んでいたら、またまたレイコが、何かを見つけてしまいした。
「渚を・・・車で走れるって・・へぇ~
よし、行こうッ。」
能登半島の西海岸線に有る、千里浜なぎさドライブウェイです。
日本で唯一、一般車両やバスなどがその波打ち際を、約8㌔にもわたって
走行することができるという、渚の観光用道路です。
その看板が、レイコの目にとまったようです。
なぎさドライブウェイでは、
極めてきめの細かい砂が、砂浜全体を敷き詰めています。
この砂の高密度が、重量のある車両物の走行を可能にしています。
走行する車たちによって造られた何本もの轍が、延々と続く薄茶色の海岸でした。
展望台にもなっているドライブインの屋上から
はるかに続いていくそんな、地上線と水平線の様子をながめていたら、
下の方から私を呼ぶレイコの声が聞こえてきました。
「降りて来い」と呼んでいます。
その手元には、いつの間に買ったのか、お土産袋がふたつ握られています。
そのまま車まで、急いで戻れと言っているように聞こえました。
もう行くのかと思いつつ、車まで戻ってくると・・・・
「はい、綺麗なお嫁さんからの、初めての貢物。」
と、袋のひとつを手渡してくれました。
もう一つは自ら封を切り、中から原色でど派手なアロハシャツを取りだしました。
「ちょっと待て、」と、止める暇さえありません。
今度こそ車内でのストリップがはじまりそうな気配がしました。
制止するわずかな時間もないままに、レイコは今朝いちばんで着替えたばかりのシャツを
あっというまに脱ぎ捨ててしまいました。
ブラジャーまで外してしまい、人目も気にせずの素っ裸になってしまいます。
それでも臆する様子も見せないレイコは、平然と鼻歌などを口ずさみながら、
買ってきたばかりのアロハに着替えていきます。
幸い周囲に人影はなく、やれやれと一息つきながら、
なをもあっけにとられて、その様子を眺めていると、「お揃いだから、君も着て。」
と、すました顔で命令をされてしまいました。
ハイハイ(さからうとまずい空気になりそうなので、)・・解りましたと
着替えてから、これでいいですか、と、レイコを振り返ります。
そこでまた、度肝をぬかれてしまいました。
真赤な口紅に、まっ黒のサングラスと派手なアロハシャツに着替えて、
短い髪をさらりと掻きあげながら、すました顔をしているレイコがそこにいました。
悠然と、たばこに火をつけます・・・・
フ~とあえてゆっくりと、煙を天井に向かって噴きだしました。
意味ありそうに流し目で私を見てから、右手の指を一本だけ立ました。
ことさら強調するように、私の目の前に指をかざしてから、真っ赤な唇に向かって
そ~と押し当てる仕草を見せました。
そういえば、昨日の口紅はピンクでした。
サングラスを少しだけ下にずらして、長いまつげを見せたレイコは、
ゆっくりと、悩ましそうに、ウインクなどをして見せます。
「準備は万端。
ここから、これからが、この旅の佳境です。
ねぇあんた。私の言っていることの意味を、ちゃんとわかってる?
爆睡してたんだのもの、覚えているはずはないわよね。
この口紅を使うのは、これで二度目なのよ。
二度目は、たった今使ったわ。
一度目は、昨夜。あなたのための、使ったの。
あなたのために、初めてのルージュを塗ったのに・・・
寝ちゃうんだもの。まぁ、其れも仕方ないか、
まだ時間もたっぷりと残っていることだし、
未来の花嫁さんを乗せて・・・
さあ行こうぜ、二人を待ってる金沢へ!。」
アイラブ・桐生
第三章、その3・(完)