鉄紺の蟷螂は帰路に就かず ―立ち向かうこと―
外の騒然で目が覚めた。同時に僕は寝てしまったことに気づいた。
トラジの件があって、僕は学校の空気を吸うこと自体が嫌になっていた。
昨日は榎本さんに謝るためにも、どうにか普段通り放課後まで耐えた。
けど今日は、水曜日からのトラジの恐怖と、昨日、榎本さんに謝り損ねた罪悪感で、ずぶ濡れのコートを着させられたように全身が重くなった。
そして僕は、一時限目を終えてすぐ、保健室に逃げてしまっていた。
窓側の片側のカーテンを開けて、壁掛け時計を見る。
十二時五十五分――昼休みの中間だ。
記憶が確かなら、僕が十一時半あたりに時計を見た気がする。つまり僕は最大で一時間半くらい寝てしまった。でもって保健室の先生が気を使ってカーテンを閉めてくれたということか。
収まりが悪いので、もう片方のカーテンも開けた。
ギルフォードが、椅子――先生が使ってるもの。勝手に座っていいんだろうか――に座って、ドアの方を向いて、顔をしかめていた。
僕はベッドから出て、ギルフォードのそばに寄って、
「ごめん、一昨日から、また弱気になってウズウズして……」
「……それもそうだが、オレ様がピリついてるのはそこじゃない」
「その自覚症状はどこから?」
ギルフォードは両こめかみに両手をおい、目を強くつぶる。
「さっきから、邪悪な気配らしきものがここ近辺に増えているんだ」
「邪悪な気配……なにそれ」
「オレ様たちの世界『アリュシスト』では、しばしば導霊とは真逆に、人を困らせることに特化した悪霊が現れるんだ」
「この現実世界にも、悪霊が現れたってこと?」
「それが、そうとも言い切れないんだ。オレ様たちが学んだ悪霊と大まかに言えば一緒なんだが、微妙に違う。大きな括りは一緒だが、根本が違う」
「うどんとそばくらい?」
「それいい喩えだな。とにかく、数分前からこの妙な気配がするんだ。しかも、時間が経つごとに増えているんだ……」
出入口の引き戸が勢いよく、全開まで開く。
そこから、保健室の先生が入ってきた。
軍隊さながらの均一化された歩幅で、文字通り目を水色に輝かせながら。
「でもって、今、その一人がここに来た」
保健室の先生が突進してすぐ、ギルフォードは立ち上がりざまに足を払って転ばせる。
先生が起き上がろうとしたところで、ギルフォードは頭に右手のひらをかざす。
手のひらと頭の間の空気が、一瞬ゆらいで見えた。
そして先生はうつ伏せに倒れてぐったりした。
僕はいつのまにか隠れていた机の下から、
「な、何したのさ今の……」
「魔力を撃っただけの単純な念力で気絶させた」
「そう、なんだ……」
僕は机の下から這い上がり、うつ伏せの先生の様子を確認する。息は、あるらしい。
僕は立ち上がり、ギルフォードを見上げる。
「……こんなのが、ここに大勢いるの?」
「……ああ、いっぱいいる。だが、性質が違うもんだから具体的な数はわからない」
ギルフォードは、僕の目をしっかり見下ろし、そして開きっぱなしの戸を睨んだ。
僕も同じように開いた戸を睨む。
「それで、どうするのギルフォード?」
「そりゃあ学校から脱出するに決まってるだろ」
「決まってるんだ。それで……」
ギルフォードは僕が他の選択肢を匂わせてたことに気づいたようで、少し言い淀んでから、
「ああ、生憎、オレ様はミハルを助けるために来た。本格的な悪霊退治は、一度上を通して権限を貰わないといけない。
この邪悪な気配の正体が何なのかもわからない段階で、見習いが独断で動いたら危ないしよ」
「……そう、それは妥当性があるね」
「じゃあさっさと行くぞ」
幸い、保健室から生徒用玄関までの距離は短く、角を一つ曲がるだけ。一分あればすぐたどり着く。
僕はリュックを背負い、急いで保健室を出る。
ギルフォードを傍にし、廊下を走った。
それで一分以内に、僕は靴箱が並び立つ玄関についた。
「すんなりと来れたな」
「こういう類の様式美に反するけど」
ところが、言霊が故か。はたまたフラグを立ててしまったのか、
「うわあああ、来るなあああ!」
僕が逃げてきた反対方向……僕から見て三十メートルくらい先、一人の女子が走ってきた。
その先の薄暗さが逆に、何が彼女を走らせているのかがわかった。水色の光が合計六つ。
僕は靴箱前の段差に立ち、赤の他人のものの仕切りを掴みながら、その様子を覗く。
導霊なので靴を脱ぎ履きする必要のないギルフォードは、とっくにガラスドアの前に立っている。
「おいこら、早く逃げるぞ」
「待ってよ、あの人が……」
「気持ちはわかるが、キリがないぞ。安心しろ、落ち着いたところに行って、救援を呼べば、後は元通りにしてもらえる。だから行くぞ」
「……うん」
逃げる女子と、追手の三人は、僕からはっきりと姿が確認できるところまで来ていた。
だから僕は、
「うりゃあああ!」
靴箱の影から、リュックにあったメッシュケースを投げた。
メッシュケースは縦方向に、手裏剣の如く回転して空を切り、水色の目をした三人の内、左側の眉間に命中し、そして仰向けに倒した。
残り二人が僕に目を合わせる。刹那、狙いをこちらへ変更する。
僕はチャックが開いたままのカバンを盾のように構え、やぶれかぶれの突進をした。
そして僕がもう一人を壁に弾き飛ばし、残る一人をギルフォードが蹴飛ばして、気絶させた。
「う、嘘……やった……」
「後の一人は、オレ様が半分力貸してやっただけだがな」
ギルフォードは、自分が蹴飛ばした人を、もう一度蹴飛ばし、廊下の隅に押しつつ言った。
僕はさっき投げたメッシュケースを拾い直す。全部、無事だった。
「けど最初の人は、僕の力で倒した」
「それは認める。しかしよ、何故こんな冒険を今したんだ。あれだけ臆病になってたミハルが、ここにきて……」
僕は、ギルフォードと、メッシュケースから透けて見える例の小説の主人公の姿を言ったり来たりさせ、しばらく言葉に迷ってから答えた。
「……僕の好きな小説の主人公に憧れてるから。その少女のように、守るべきもののためなら、臆病な自分を捨て去って、押し隠していた才能を……」
「けどその小説、武器としてだけど、投げたよな?」
眉間が急に痛むような気がした。僕は言おうとしていた台詞を、盛大に飛ばし、固まった。
「……なあ、これだけの勇気を出せたんだからよ、自分の感情くらい、小説の後ろ盾を借りずにおまけで言い切れよ」
僕はうなづく。
「……ここまで逃げ切ったら、僕はもう、一生このまま何もかもに追われ続けて生きていかなきゃいけない。それも、ギルフォードが味方してくれるという好機があるのに。
もう一回勇気を出さなきゃ。そんな気がしたんだ」
「……そうか。で、改めてどうする?」
僕は勇気を止めずに答える
「ギルフォード。お願い、今から邪悪な気配とかに立ち向かう僕を、助けて」
ギルフォードは、不服そうに言った。
「そこまでやるか? 一度脱出して、準備を整えてからでもいいんだ」
「今からじゃないと嫌だ! どうせ『テメェが戦ってどうするんだよ』とか『テメェ、守るべき友達とかいねーじゃん』とか言いたくなると思うけどさ! それでも僕はこの問題をなんとかしたい!
貴方というアイツらに対抗する手段があるのに、たとえ一瞬だとしても何もしないでいるのは、胸が痛むんだ!」
「……それも、あの主人公に重ねたからじゃないのか?」
「そう! 純粋にほっとけないから!
貴方が軍事的な観点とか、導霊の決まり事を優先したいからというなら、無理は言わないけど……お願い、力を貸してよ、ギルフォード!」
ギルフォードは、一度目をつぶった後、いつになく真剣な面持ちな顔をして、
「……違う。俺がお前に逃げようと言っているのは、単純に、お前の身に何かあってほしくないからだ」
「なるわけないよ。貴方がいるんだから……」
「……俺がどうして、ミハルの元にやってきたか、教えてないよな。
こんな緊急時に言うのもなんだが、ざっと教えとく。
俺は、ミハルの前――俺の最初の使命の担当者を、死なせたんだ」
ギルフォードが最初に助ける使命を下されたのは、落ちこぼれの若い兵士だった。
彼は元軍人のギルフォードによる的確な指導の元、急成長を遂げ、武功と昇進を重ねた。
そして彼は半年後に戦死した。更なる功績を求めて無茶をしたせいだった。
ギルフォードは彼を必死に諌めてはいた。けれども聞いてもらえなかった。
どうにかしようとしたとはいえ、担当者が死んだのは事実。
なので彼は、住み慣れない別世界での特別使命という罰が科せられた。
その結果、僕の元にやってきたのだ。
「今のお前は、その兵士と同じ目をしてた。どうにかしなきゃ、変わらなきゃ。って焦りの色が見えた。
だから、ミハル。頼むから一度避難しようぜ。そこからもう少し安全な……」
僕はもう一度、例の小説が入ったバッグを投げた。狙いは当然、ギルフォード。
この攻撃は見事意表を突いた。角がギルフォードの眉間に命中して、彼は二歩後ろに下がる。
そして僕は叫ぶ。
「僕はこんな臆病者にお世話になったんじゃない! 僕はほんの少し態度が悪くて強引だけど、僕に自炊とかコミュニケーションとか、色んなことに踏み出す勇気を与えてくれた導霊ギルフォードにお世話になったんだ!
これ以上僕の足を引っ張るなら、とっとと元いた世界に立ち去れ! ……て、テメェ!」
久々に大声を出して、肺の中の空気が無くなったかもしれない。
僕は数回、大きな深呼吸をくり返した後、投げつけられたバッグを受け止める。
「テメェこそよくも言ってくれたな! 面倒くさいひきこもりを散々世話してきたこの導霊ギルフォードに向かってよ! こうなりゃ仕返しだ!」
ギルフォードは僕へと力強く歩み寄り、そして右手を差し出す。
「オレ様と一緒に戦えッ! この後どうなっても知らんがなぁッ!」
僕は、どうにか笑顔をしかめて返し、
「望むところだ!」
僕はギルフォードの右手を右手で握り返した。
そして、僕とギルフォードは、さっきの三人が走ってきた、薄暗い廊下へ向く。
「今も力を半分貸しているとはいえど、油断するなよ。オレ様もこの敵がなんなのか、未だにわかってないんだからな」
「それはわかってるよ。僕なりにどうにかする。最低でも、死なないように」
「そうか、ありがとよ……」
僕とギルフォードは目を合わせ、最後の確認を済ませて、目の前の廊下へと駆けた。
ところが、
「おい待てよミハル!」
僕たちは振り返り、柱の影に隠れていた少女――さっき三人に追われていた人へ目線を向ける。
あれ、そういえばこの人……そうだ、トラジとよく一緒にいた女子だ。
「なにお前ごときが、アタシの友達を勝手にボコしてるわけ! しかも、なんか2.5次元俳優みたいなワケわかんない男とイチャついてんの!?」
隣を一瞥すると、ギルフォードが、目を過剰にしばたたかせていた。僕だけは常に見えるから、気づいてなかったけど、どうやらどこかしらのタイミングで透明化を切ってしまっていたようだ。
さらに、気絶させた三人を見ると、みんな背が高めで、髪が無駄に手入れされた女子だった。アイツの子分だったのか。
正直、いちいち説明したくもないし、アイツもトラジの副官として嫌いだけど、一応言っておく。
「助けて貰ったのにその言い方はなんなの?」
「はぁ!? お前みたいな中二病疫病神王子に助けられたつもりないし!? むしろ早く謝ってくれないかなぁ! 友達ボコして、アタシの気分を悪くした罰で……」
ここでギルフォードは、念力を飛ばし、彼女も気絶させた。
「ナイスショット」
「こんなんでいちいち褒められたくねえよ」
改めて、僕たちは学校に跋扈した謎の邪悪との戦いに向かった。
*
校庭の中央に、玉座があった。
曲線がどこにも見受けられない、古代様式の黒い玉座だ。
その周りには、半径百メートル規模で、砂地に、文様が描かれている。
文様の一部には、水色の光が灯り、徐々にその距離を伸ばしていた。
最悪の事態が起こるのは、この文様全てが輝く時だろう。
今の完成度は一割程度。
止めるには充分なまでの時間がある。
だが確実性を得るためにも、私は窓から飛び立った。
落下しながら、両足首に巻き付けてあるホルダーに、ボールペンを一本ずつ装着する。
私は念じ、遠隔操作を用い、両足のボールペンからエネルギーを噴かせる。
これにより落下の衝撃を無効化し、安全に着地した。
すぐに私は、真っ直ぐ歩き、玉座から十メートルの近距離まで行く。
そして私は、玉座へ向かって言った。
「貴方が全ての元凶か」
玉座に座る、見慣れた姿だが、感じたことのない雰囲気を宿す少年は答える。
「元凶などと聞こえが悪い。が、此度は逃す。
げにも、我がアヘビス……この世界の新たなる王にして、唯一の神だ」
「アヘビス。承知した。それが貴様の名前か」
「王が名乗ったのだ。貴様にも名乗る義務がある」
「私は、アルバータ・マンセルと申します」
「……マンセル。か。して、貴様は我に何を求む」
私は即答する。
「見浦ゼン氏を返せ。この人の心を踏みにじる極悪人が」
【完】




