第二話 ヤバい歌
ルークやリリーがいた町から南の方角、馬車で二日ほどかかるところに、ミルンというそこそこの都市があった。
ミルンにはもちろん魔法使いが大勢暮らしていて、昼夜魔法が溢れかえっていたが、「魔法なし」の人々もそれなりにたくさん住んでいる。10人いれば1人は魔法なしという具合なので、魔法使いたちも魔法なしも互いの存在に慣れていた。魔法を使わない店や、魔法なしでも楽しめるアイテムもミルンにはたくさん出回っている。商売上手な者は、魔法を何重にもかけて誰でものれるようにした空飛ぶ箒や、逆に魔法を使わずにのんびり過ごしてデトックスする施設を考案して、人々の注目を集めていた。
また、ミルンには学校がいくつもあったが、その中の1つが「魔法なし」のための音楽学校だった。髪を短く切った魔法なしの少年少女が、弦楽器や管楽器、打楽器や歌を六年ほどみっちりと学ぶ場である。音楽学校には寮があり、百人余りの生徒たちが毎日賑やかに生活していた。
エミリーとアンナは、音楽学校の3年生である。故郷が同じで、同じクラリネットを学ぶ2人は、いつも一緒に行動していた。寮の部屋も一緒である。陽気なエミリーと冷静なアンナは正反対コンビとよく言われるが、2人でいると不思議と落ち着くらしい。
晩秋のある真夜中、エミリーは寮のベッドでふと目を覚ました。何かきっかけがあったわけではない。ただ自然に目が開き、思いのほかしっかりと頭が働きだしてしまったのだ。
カーテンを開き、窓の外をのぞくと、まだ真っ暗だった。あくびを1つしてみたけれど、全然眠気は戻ってこない。エミリーは、何となく窓を開けて、夜風を部屋の中に引き入れた。熟睡中のはずのアンナが「寒い」とつぶやいたので、慌てて窓を閉めようとした。
ところがその時、エミリーの耳に、ひそかな旋律が届いた。
聴いたことのないメロディー。短調だ。でもフラットやシャープがいくつくっついているかはわからない。
エミリーは、窓から顔を出した。そのメロディーは、夜の風や虫の声にすらかき消されそうなか細い音量で、でも管楽器や弦楽器の音ではなく、歌であることだけは聞き取ることができた。
大きな虫が、突き出たエミリーの顔にぶつかった。
「ぎゃあっ!」
悲鳴を上げながら窓をドカドカと閉めていると、うめきながらアンナが目を覚ます。
「……何やってんの、エミリー……うっさいんだけど……」
「ごめん、でも、何か変な歌が聞こえるの」
「ええ?」
寝ぼけまなこをこすりながら、アンナが自分のベッドから降りる。エミリーはまた窓を開きながら、アンナを手招きした。
「ほら、今も聞こえる!」
「どれどれ」
エミリーのベッドによじ登ったアンナは、しばらく黙って耳をすませていたが、やがて首を振った。
「何も聞こえないよ」
「え! うそ!」
「嘘じゃないってば」
エミリーは自分の両耳をばたばたと叩いた。
「幻聴かなあ?」
「さあ……夢でも見てんじゃないの?」
エミリーは、試しにアンナの頬をつねった。
「痛っ!」
「あ、夢じゃない」
お返しにアンナもエミリーの手をつねる。
「ちょっと、あざできるー」
「あんたが先にやったんでしょ」
さらにちょっかいを出そうとしたエミリーは、はっと動きを止め、顔をこわばらせた。
「やっぱり、聞こえる! 歌だよ。女の人が歌ってる!」
エミリーは震えながら、窓の向こうに目をやった。
「裏の森の方からだ……」
寮の側に小さな森があるのである。
怯えるエミリーを見て、アンナもようやく本気になった。窓をぴしゃりと閉め、カーテンを引いた。そして、エミリーを壁側の自分のベッドに押しやった。
「どう? まだ聞こえる?」
エミリーは首を振った。
「じゃ、今日はそこで寝なよ」
「うん……」
2人は互いのベッドに横になった。だが、しばらくしてエミリーがぽつんと呟く。
「頭の中に、あの歌がすごい残ってる」
「とっとと忘れなさいよ」
「うん……」
そのうちエミリーが鼻歌を歌い始めたので、アンナは体を起こした。
「もう、エミリー! その歌とやらを聴きたくないの、聴きたいの、どっち!?」
「聴きたくない……」
「あたしだってそうだよ」
アンナは、毛布をどさどさとエミリーにかぶせた。
「早く寝なよ。明日も早いんだから」
早朝に、寮の皆で体操をするのである。
真夜中の謎の歌は、その後何日もエミリーの耳にだけ届いた。聞き覚えのない旋律が、何の曲なのか調べようとはしたけれど、それらしい楽譜はちっとも見つからない。最初怖がっていたエミリーだが、もうすっかり慣れてしまい、夜になると窓を開けて歌が始まるのを待つようになった。
「この歌、全部覚えちゃった」
「覚えてどうすんのよ」
呆れた目を向けるアンナに、歌を歌ってみせるエミリー。
「フフフフフーン、フン、フンフーン」
「前歌ってたのと違くない? ンフフフフフーン、フフフーン、でしょ」
「あれ、アンナもこの歌聞こえるの?」
「あんたのせいで覚えただけだってば」
上機嫌で歌うエミリー。やはりさっきと少しだけリズムや音程が異なっている。
「もう、あんたほんとにソルフェージュ下手なんだから。毎晩その歌聴いてるのになんで毎回リズム違うわけ?」
「だってしょうがないじゃん、あたしクラリネットだもん。歌の道には進まないんだから」
「んなこと言ってると、マエストロに怒られるよ」
エミリーはぎくっとした。マエストロは世界各地を旅して回る指揮者で、今はたまたま音楽学校に滞在している。定期的に演奏の指導をしてくれるので、エミリーやアンナも顔見知りだった。
突然、アンナがベッドから立ち上がった。
「ねえ、マエストロに相談してみたら?」
「えっ?」
「あの人なら、あたしたちよりずっとたくさん歌や曲を知ってるでしょ。ね、何の歌なのか教えてもらおうよ」
エミリーは小さくうなずいた。ちょうどその時、少しだけ開けておいた窓の隙間から、あの歌が流れ込んできた。
マエストロが泊まっている部屋は、男子寮の三階にある。部屋の広さは、生徒たちの2人部屋とそう変わらない。彼がいつ来てもいいように日用品や衣服を詰めたクローゼットやベッド、書き物をするための簡素な机。それから彼がいつも持ち運ぶ小さなカバン。部屋の中にあるのはそれだけだった。
おっと、もう1つ大切なもの__彼自身を忘れていた。マエストロは、机の前でオーケストラの楽譜を熱心に読んでいたが、エミリーとアンナが訪れると、真面目な顔で話を聴いてくれた。
「どんな歌だった? エミリー、歌ってごらん。上手く歌えたらソルフェージュに加点してあげる」
アンナがエミリーの脇腹を小突く。エミリーは顔を赤くしながらあの歌を歌った。歌い終わると、マエストロは苦笑いした。
「……加点はなし。クラリネットの練習を真面目にやっているのはよく知っているけど、他の科目もちゃんと練習しなさい」
「はぁーい」
舌を出すエミリーのとなりで、アンナが歌ってみせた。
「そう、この歌! これです!」
騒ぐエミリーを無視し、マエストロは考え込んでいた。
「……アンナ、悪いけどもう一回お願い」
アンナがもう一度歌うと、マエストロは言った。
「これは『死の歌』だ」
「死の歌!?」
エミリーとアンナは同時に聞き返した。
「何それ何それ、怖っ! あたし死ぬの!?」
「エミリー死ぬんですか??」
「やだ! 歌聴いたんだから、アンナとマエストロも一緒に死んでください」
「落ち着いて。聴いたら死ぬ歌じゃないよ。『死の歌』という名前であるだけだ。とても古い歌でね、今ではほとんどどこでも歌われていない。作者も不明だが、ある時期に魔法使いの間で流行っていたことがあるそうだよ」
「ある時期って?」
「何百年も昔のことだけどね。昔は魔法を使うのに呪文や歌を用いていた。思い通りに物事を操る歌の楽譜が流通し、空を飛ぶ歌、火を焚く歌、雨を降らせる歌など、さまざまな魔法の歌が作られたんだ」
「じゃあ、死の歌は……」
「誰かを殺す歌ってこと!?」
ひいっとエミリーは悲鳴を上げた。
「あたしを殺そうとしてるやつがいるってことですね!?」
マエストロは眉をひそめた。
「……心当たりがあるのかな?」
「この間、悪口言ってきた魔法学校の奴をボコボコにしてやったから、そいつの仕返しかも……」
「ボコボコにしたの!?」
「やーね、暴力的」
おどろくマエストロと、エミリーに白い目を向けるアンナ。
「だって、すっごいヤなやつだったんだもん」
マエストロがちらりと時計を見た。もう真夜中を少し過ぎている。
「今夜はもう女子寮にお帰り。死の歌が怖いのなら、寮長さんに相談して、部屋を替えてもらった方がいいかもね」
「はーい。でもマエストロ、あたしこれから何か気をつけた方がいいですか?」
「不用意に人をボコボコにしないように」
エミリーは口をとがらせた。
「冗談はさておき、俺も少し調べてみるから、普通に生活していていいよ。ただ、夜は必ず誰かと一緒にいた方がいいね」
「分かりましたー」
エミリーとアンナは急いで寮に帰った。半分ほど開いていた部屋の窓を閉めながら、エミリーが呟く。
「ねえ、なんかこの歌……」
「何?」
「前より近くで聞こえる気がする」
エミリーの言葉に、アンナはぞっとした。ぼうっと外を眺めるエミリーをおしのけ、窓をしっかりと閉める。鍵とカーテンも忘れずに。
翌朝、体操の開始を告げる鐘の音で、2人ははね起きた。寝坊だ。おおあわてで服を着替え、髪をとかすのもそこそこに部屋を飛び出す。
ふと最後に部屋を見た時、エミリーは気がついた。自分のベッドの側の窓が、ほんの少しだけ開いていた。
それからの三日ほどは、退屈だった。楽しみにしていた合奏が中止になり、マエストロもちっともエミリーの前に姿を現さない。噂によると、なにやら急ぎの用事で部屋にこもりきりらしい。寝不足のせいで授業中に叱られることも多く、あの歌のことを考えると食欲もわかなかった。
極めつけは、アンナが帰省してしまうことだ。実家の兄が結婚するので、家族全員でお祝いをするらしい。二日間、エミリーは寮の寝室を1人で使うことになる。のびのびできていいなと別の友達には言われたが……。
「いい、エミリー。何かあったらすぐ逃げるのよ」
「うん、分かってるよ、アンナ」
「何だったら、ハーラたちの部屋に泊めてもらえば?」
「それもいいかもね」
エミリーの心配をしながら、アンナは故郷の町に帰っていった。学期中でなければ、一緒に帰ることができたのに。相棒がいないと、いつもの学校がぐっとつまらなくなる。
その夜、エミリーはいつもよりもずっと早くベッドに潜り込んだ。真夜中まで、あと3時間近くある。ぐっすりと眠り込んでしまえば、きっと歌は聞こえない。早く寝るために、読んでいると眠くなる楽典を読んだ。甘いホットココアも飲んだ。その甲斐もあってか、ベッドに入って十分もしないうちに眠気が押し寄せてきた。
ところが、早く寝すぎたのか、ちょうど真夜中に目が覚めてしまった。
目をぱちっと開けて、周りがまだ真っ暗だった時、一気に眠気が吹き飛んだ。少し寒い。起き上がってみてエミリーはぞくっとした。ちゃんと閉めたはずの窓が、また半分ほど開いている。
「やだ……」
そうしなければいけない気がして、エミリーは窓の外へ耳を傾けた。虫の声、ふくろうの声、風の音、そして。……
歌は聞こえない。
ほっとして、エミリーはつい吹き出した。がらんとした部屋に、彼女の笑い声が響く。あくびをしたせいであふれた涙をぬぐいながら、エミリーは窓を閉め、鍵をかけ、カーテンを引いた。
その瞬間、エミリーの耳元で歌が流れた。
誰かが、すぐそばで歌っている。何百年も昔の、『死の歌』を。熱い吐息がエミリーの耳にかかる。誰かの髪の毛先がうなじをくすぐる。誰かの重みが、肩にのしかかる。
エミリーは悟った。最初、遠くで歌を歌っていた者は、やっぱり毎日少しずつ近づいてきていたのだ。そして今夜、部屋の中に入り込んでエミリーが起きるのを待っていた__。
とんとんと、肩を指でたたく感触がある。歌は、途切れずに続いている。呼吸さえもはさまずに、誰かが歌を聴かせ続けている。
エミリーは、きょろりと目を動かした。ちょっとでも振り向いたら、側に誰がいるのかが見える。アンナがやっぱり帰省をやめて、エミリーを驚かしているのかもしれない。魔法使いのライバルが、仕返しの為に寮に忍び込んだのかもしれない。そうだったら、話は簡単だ。
だけど、もし、そうではなかったら?
つんつんと肩をつつく鋭い爪の感触。アンナも他の寮生も、爪を丸く切っている。長くもつれあった髪。音楽学校の生徒の髪は皆肩までの長さしかないし、魔法使いたちはいつもきれいに結い上げている。生温かい息と、時折頭にふれる、ぞっとするほど冷たい肌。
くるりと振り返り、歌う誰かの顔を見た時、それが生きている人間のものではなかったら、エミリーはどうしたらいい?
しつこく続く歌が、凍りついたままのエミリーの頭を満たす。気づけば、エミリーの口からもそのメロディーが流れ出す。誰かの歌声に、嬉しそうな笑いが混ざり始めた。
突然、部屋の扉がばたんと開かれた。
「エミリー!」
歌が途切れた。飛び込んできたのは、マエストロだ。彼はエミリーの後ろに一瞬だけ目をやり、それから1枚の紙をエミリーに突きつけた。
「これを歌いなさい」
エミリーは紙を受け取った。五線譜の上に、見知らぬメロディーが手書きされている。
「え、で、でも……」
マエストロはいつもよりも厳しい顔で、エミリーに命じた。
「いいから、歌うんだ」
エミリーは楽譜に目を落とし、泣き出しそうになった。
「音程が分かんないです……」
マエストロは呆れた様子で、こめかみを押さえた。
「だからソルフェージュは真面目にやれと言ったんだ。じゃあこうしよう。今歌わなかったらオケから降ろす。吹奏楽もだ。どう?」
「それはいやです!」
エミリーは必死に楽譜を読んだ。そして、おそるおそる歌い始める。後ろの『誰か』が、負けじと死の歌を歌う。
「そっちの歌は聴くな!」
マエストロに叱られながら、エミリーは最後まで歌った。楽譜の最後に繰り返し記号がついている。何度も歌ううちに口が滑らかになり、死の歌につられなくなった。
マエストロは怖い顔でエミリーの後ろを睨んでいたが、エミリーが振り向こうとした時
「よそ見しない!」
と叱りつけた。
歌って歌って歌って__喉がからからになったころ、ぱらぱらと床に何かが落ちる音がして、エミリーの背後の気配が消えた。
「よし、もういいよ、エミリー」
エミリーがぱっと振り向くと、床の上にたくさんの長い黒髪が散らばっていた。
「……これ、何だったんですか?」
マエストロはその髪を拾い上げ、考えながら言った。
「裏の森には、昔のお墓がいくつかある。その中に埋葬されていた髪じゃないかな。死んでも、髪にはかなり長く魔力が残るから。こんな危ない目にあったことは、墓守りに報告しないといけないね」
「……あたしの後ろに、何がいました?」
彼はその質問には答えなかった。
「この楽譜は?」
「同じ時代の、死者の為に祈る歌を書き起こしてみた。一から思い出すのにだいぶ時間がかかったけどね。『死の歌』は呪いのような使われ方をされていたけど、呪いに対抗できるのは大抵祈りだよ。祈る気持ちに、魔法が使えるかどうかは関係ない」
部屋の外から、にぎやかな声がする。他の寮生たちが、何事かとエミリーの部屋をのぞきこんでいた。
まだ時間は深夜である。マエストロはあくびをしながら言った。
「他の生徒の部屋に混ぜてもらって、ゆっくり休みなさい。明日は久しぶりに合奏をするよ」




