第一話 さすらいのマエストロ(1)
山のふもとの寂れた町に、たった一軒だけホテルがある。ホテルの玄関までの一本道は、魔法で七色にぴかぴかと光り、宿泊客を誘っていたが、ルークはわざとそれをよけて歩いた。
魔法の道を歩いていけば、一歩ごとにマリンバのような音が鳴り、普通に歩くよりもずっと速く目的地に辿り着くことができる。現に、この町の住人は、いくつも枝分かれした魔法の道を快速で進み、酒場や自宅を行き来していた。
暗い夕空を見上げると、箒やら狼やらベッドやらにのってびゅんびゅんと飛び回る人々の姿が見える。皆火のブローチや月の帽子を身につけているので、流れ星のように光り輝いていた。
今年十三になる少年ルークは、縦横無尽に行き交う人々からそっと目をそらし、上着のフードを深くかぶり直した。昼でも夏でもフードや頭巾をかぶる理由は、短く切った髪の毛を隠すため。自分が「魔法なし」であることを隠すためだった。
ホテルの扉をゆっくり開くと、昼のようにまぶしい明かりがルークを迎えた。ルークは少しひるんだが、やがて意を決して足を踏み入れる。
ロビーには誰もいなかった。店員でさえもだ。受付カウンターに置かれたぬいぐるみが口を開いた。
「いらっしゃいませ! ようこそ、どんぐりホテルへ! 空いているお部屋は、地図をごらんください。その後、テレパシーでチェックインをしてください。お支払いは、レプラコーン銀行の魔法貯金口座から直接お振り込みいただけます」
ルークは、トランクを床に下ろし、壁にでかでかと貼り出されたホテルの間取り図を見た。部屋は二十ほどあるようだが、うまっているらしい部屋は少ない。テレパシーでチェックインをと言われたが、彼はテレパシーが使えないのだ。
ぬいぐるみは言い終えた後、ぴくりとも動かない。カウンターをよく観ると、小さな錫の鐘があった。それをちりんと鳴らすと、カウンター内の魔法陣に一人の男が現れた。
「いらっしゃいませ。当ホテルにお泊まりでしょうか?」
どんぐり色のスーツを着た、長い髪の男は、深々と頭を下げた。ルークもうなずく。
「……はい」
「ありがとうございます。チェックインはテレパシーで承っております」
「あの……」
口ごもるルークを見て、ホテルマンは怪訝そうな顔をした。
「失礼ですが、チェックインは初めてでございますか?」
「あ、はい」
「かしこまりました。では、あちらの間取り図をご覧になって、ご希望のお部屋をお申しつけ下さい」
ルークは間取り図の前に来て、はたと困った。どの国どの町でもそうだが、ほとんどのホテルのサービスは、魔法が使えることを前提に用意されている。鍵を開ける番号も、テレパシーで宿泊客本人に伝えられる。部屋に備えつけのベッドは(雲の上にいる気分を味わえるように)ふわふわと宙に浮いているらしいが、魔法で空を飛ぶこともできないルークでは、よじ登るのも一苦労だろう。テーブルに敷かれた魔法のテーブルかけは、注文するだけで料理が現れるが、当然魔法が使える人々の注文しか聞いてくれない。
できることなら、魔法を使っていない部屋に泊まりたい。だが、それを目の前にいる笑顔のホテルマンに伝えるのは、嫌だった。魔法を使える人々は、使えない人々をひどく見下している。お荷物、厄介者。面と向かってそう言われたことは数え切れないくらいあるし、世界のシステムは魔法使いのために作られている。
ルークはしばらく逡巡していたが、ホテルマンの表情が少しずつ曇っていくことに気づき、とうとう覚悟を決めた。
「あの」
「はい」
「僕、実は……」
その時、玄関の扉が大きく開いた。
「いらっしゃいませ、ようこそ「どんぐりホテル」へ!」
ホテルマンはぱっと笑みを浮かべ、あいさつしたが、入ってきた人間を見た瞬間に凍りついた。知らない男だったが、ルークもかなり驚いた。
眼鏡をかけた、にこやかな中年の男だった。年は四十代後半から五十代くらい、背丈はルークとホテルマンの中間くらいか。シルエットはやせているが、腹だけは少し出ているらしい。黒いジャケットに、ラフな青いインナーを着て、手提げカバンを片手に持っている。ホテルに泊まるような者としては信じられないくらいの軽装である。
だが、二人が驚いたのはそこではない。髪型である。坊主に近いほど短く刈りつめて、それを帽子や頭巾などで隠しもしていない。黒く短い髪はてっぺんが少し薄く、白いものがかなり混ざっていた。
魔法を使える者は、皆一様に髪を長く伸ばしている。髪に魔力が宿っているからだ。一方、魔法を使えない者は、髪を短くすることを推奨されていた。魔法が使えないことを見てすぐ分かるようにするためだ。名目上は、必要な支援をすぐ受けられるようにするために。
ルークの髪も肩より短いが、普段はフードで隠している。髪型を見せることで受けられる恩恵よりも、被る差別の方が多いからだ。
唖然としているホテルマンに近づき、その男はやはりにこやかに言った。
「こんばんは。チェックインをさせてください。期間は……そうだな、三泊で。それと、自分は魔法が使えません。魔法のない部屋をお願いします」
「……かしこまりました」
ホテルマンは穴の開くほどその男を見つめながら、カウンターの紙に何事かを記入した。
「魔法なしのお部屋は料金割り増しとなりますが、ようございますか」
「構いません。しょうがないよね」
男がルークに顔を向けて、笑いかけた。ルークは息をのみ、それからホテルマンに言った。
「あの! ぼ、僕も……魔法なしの部屋を……」
ホテルマンはぱちぱちと瞬きした。
「魔法なしのお部屋は、当ホテルにはお一つしか……」
「じゃあ、一緒に泊まろうか。それでもいい?」
男がルークに尋ねた。ルークはうなずく。
「お支払いは……」
「現金で」
男が金貨を一枚カウンターに置くと、ホテルマンは露骨にため息をついた。
魔法なしの部屋は、かなりせまい。辛うじてベッドは二つあったが、足がはみ出してしまいそうなほど小さかった。これで料金割り増しかよ、とルークは心の中で毒づいた。
「食事はなしだってさ。どこかに食べにいこうか」
「は、はい!」
男に話しかけられ、ルークは慌てて返事した。
「君、お名前は?」
「ルークです」
「ルーク君ね。ずっと一人で旅してるの?」
「はい。……あ、お金……」
「ああ、いいよ。俺が出す」
男は微笑んだ。
「そのかわり、明日もし暇だったら、散歩につきあってよ」
「散歩、ですか?」
「そう。俺はそのためにこの町に来たんだ」
「はあ」
訳がわからないまま、ルークは彼を見上げた。
「ルーク君はどこから来たの? ご家族は?」
「家出してきたので、家族がどうしてるかは知りません」
ルークはそっけなく答えた。
「なるほど」
男が、声を潜めて尋ねる。
「もしかして、家族の中で君だけ魔法なしだった?」
ルークはうなずいた。
「そうか。大変だったね」
「あなたは?」
「俺は、家族皆魔法なしだったよ」
男があっけらかんと答える。ルークは少しうらやましく思った。魔法なしの人々が集まって作った村が、この国のどこかにあるらしい。周りが皆魔法を使えなければ、劣等感を抱くこともあまりない。そんな環境で育っていれば、ルークも一人ぼっちであちこちさまよう羽目にならなかったかもしれない。
ルークとその男は、それから二日間ずっと行動を共にした。ルークの方にはこの町でやりたいことなど特になく、一人ぼっちで過ごすよりは誰かと一緒にいた方がましだと思ったからだ。男は最初の夜に言った通り、町をぶらぶらと散歩して回った。ついていくルークは、最初しっかりと上着のフードで頭を隠していたが、男があまりにも堂々としているので、そのうち彼を真似して短い髪の毛を日向にさらすようになった。
恥ずかしい思いをしたことも何度かある。町の飲食店も大抵魔法が必要なのだが、男は当たり前のように魔法なしのサービスを要求した。その分お金がかかることには無頓着のようだった。ルークはいつも魔法が使えるふりをして、生きたエビやら魔法でコーティングされた肉料理やらと格闘していたのだが、男は全く違う生き方をしてきたらしい。
また、男がたくさんお酒を飲んで、ホテルに引きずっていくのに苦労したこともあった。
二日目の夜、ホテルの部屋の中で、男がこんなことを言った。
「窓の外を見てごらん」
言われた通りに暗い外を見下ろすと、魔法の道がちかちかと明滅していた。完全に消えている部分もところどころ見える。
「あの道、俺たちが来た日にはきれいに光っていたよね。何故今こんなに消えかかっているのか分かる?」
「さあ……」
「この町の魔力が弱まっているんだ。魔力は無限じゃない。彼らが好き放題に魔法を使っていれば、いずれ尽きてしまう。もちろん、今日明日の話ではないけどね」
「へえ……」
じゃあ、いずれはあのホテルマンも、町を我が物顔に飛び回る魔法使いたちも、ルークたちのように地べたを歩くことになるのか。ルークはこっそり笑った。ざまあみろ。
ところが、男はこう言った。
「そうなる前に、なんとかしてやらないと」
ルークは、まじまじと男の顔を見た。
「なんとかって。あいつらに僕らが何かしてあげる必要とかあります? あいつらは僕らを邪魔者扱いしたり、見下しているのに!」
「魔法を使えなくなったら、彼らは困ってしまうからね」
「ちょっとくらい困ればいいんですよ。魔法なんか使えなくたって、生きていけるのに。僕だってあなただって、魔法なしでやってきたでしょう! それをあいつら、さもかわいそうみたいな目であわれんで……」
捨ててきた家族のことを思い出し、ルークは顔をしかめた。魔法なしのルークを恥じ、家に閉じ込めた父。魔法が使えない息子を過保護に扱い、服を着たりお茶を淹れたりするような当たり前のことですら、一人でさせてくれなかった母。ルークを馬鹿にして、魔法でからかってくる兄と妹……。
「僕らをのけ者にするような世界なんて、一回壊れてしまえばいいんですよ」
ルークが吐き捨てると、男は首をちょっと傾げた。
「俺は、この世界は俺のためにあるんだと思ってるよ」
ルークはあきれた。いい年したおっさんのくせに。だが、男は瞳をきらきら輝かせたまま言った。
「もちろん、君のためにもね」
彼は窓のカーテンを閉め、ランプの火を(勝手に)消した。
「明日、会わなければならない人がいる。ルーク君も一緒においで。面白い経験をさせてあげよう」




