第48話 その炎が照らすもの
アマンが火魔法を覚えた。
エヴェラとメノウさんから基礎を教わり、生活魔法の火は1年ほどで使えていたが、料理人となると、攻撃魔法にも使える火魔法が求められる。高火力で炒飯でも焼くつもりなのか。
魔法を使いこなすヨルカに羨望の眼差しを向けていたアマンは、3年間真面目に勉強し、ついに火魔法を発現できるようになったのだ。俺たちは大いにそれを祝った。
肉やチーズを炙ったり、アマンは得意げに魔法を使っていた。才能がある、とエヴェラが言うとアマンの目が輝いた。
だが、問題も起きた。
「アマン! また川辺の草燃やしたろ!」
「ちょっとだけだよ。すぐ消したし」
「ちょっとじゃないだろ」
一緒に遊んでいた、ゼルグとレーテルも俯いている。
「面白かったから……」
「面白くない。火は人を殺せる。お前の手にあるのは、そういう力だ」
俺の声が、思ったより低く出た。アマンの顔から笑みが消える。
「……わかってるよ。わかってるけど」
「わかってないだろ! だから言ってんだ」
大きな声が出てしまった。
俺は口を抑える。
アマンが唇を噛んだ。俺を睨み、それから視線を逸らした。
「……もう、料理なんてしない」
そう言い捨てて、地下道に駆け下りていった。ドアが閉まる音が響く。
エヴェラ:いいの?
「よくないよ……」
◇
夜。
地下道の家。石のドアの前に座り込んでいた。
ディナーも終わり、みんなの夕食の時間になっても出てこない。
「アマン。晩飯、食べないのか」
———返事がない。
「お腹空いたらでてくるよ」みんなはそう言ったが、全く出てこないので、俺は焦りだす。中で何をしているのか。何を思うのか。
「お前の好きなやつ作ったんだけどな」
沈黙。
俺はドアに背を預けたまま、天井を見上げる。頭の中で、「どうしたらいいか?」が駆け巡る。
ドアを叩いてみる。
話しかけてみる。
何も反応が無かった。これをずっと繰り返している。
部屋からは動いている音はする。どうしたら、いいのだろう。
——ふと前の世界を思い出す。もう戻れない、あの部屋のことを。
閉じこもり、親の声を無視した。あの時、ドアの向こうで母親がどんな顔をしていたか。父親がどんな気持ちでドアを叩いていたのか。俺は俺の気持ちで精一杯だった。
あのドアの向こうでは、
こんなに心細い姿をしていたのか。
たったの数時間。アマンが部屋に籠もっただけでこれだ。
何年も、呼びかけてくれた両親。どんなに辛かっただろう。
最後には、彼らは俺と話すことを諦め、文字だけのやり取りになってしまっていた。なんて、酷いことをしたんだろう。
もし声が届くのなら……
あり得ないことだと少し笑った。
石のドアを見つめる。
しばらくすると、レナがスープを持って現れた。彼女は「少し待っていて」と言った後、ドア越しにアマンと話をしていた。そのまま中に入っていく。
アマンはレナの後ろに隠れながら部屋からでてきた。それから俺には目を合わせずに、食堂へ夕食を食べに行った。
俺は、大きなため息をつく。
エヴェラ:子育ての醍醐味を味わえているのかもよ?
「これは、キツイわ……」
◇
翌朝。
厨房に、アマンがいた。
何も言わず、仕込みを始めている。昨日の俺の怒りを覚えているのか、目を合わせない。だが、包丁を握る手に迷いはなかった。
「おはよー。アマン」
俺は隣に立ち、同じように仕込みを始めた。
しばらく、包丁の音だけが厨房に響く。
「……ごめん」
アマンが小さく言った。
「おう」
エヴェラ:おう、じゃないでしょ。ちゃんとしなさい
いつの間にかレナが後ろに立っていた。サリーも腕を組んで見ている。
「……大きな声、出して悪かった。だけど、火の扱いはキッチンだけだ。いいな」
「うん」
アマンが頷く。その目が少し赤い。泣いたのだろう。昨夜、一人で。
俺は彼の頭をぽんと叩いた。
「腹減っただろ。飯にしよう」
「……わかった」
厨房に、いつもの朝が戻る。
まだ少し、ぎこちないまま。
◇
数日後。
天使の台所はいつもの風景に戻っていた。
アマンは、ゼルグとレーテルを連れ、遊びに出かけた。
レナが「気をつけてね」と声をかける。アマンが「大丈夫だよー」と手を振る。
いつもの光景がそこにあった。
三人は川辺を歩き、市場を冷やかし、裏通りを探検していた。
「ここ知ってる?」
アマンが足を止めた。路地の端にある、古びたマンホールの蓋。
「前ね。ここに住んでたの。みんなと出会った場所」
ゼルグが目を輝かせた。「まじで? 入ってみようぜ」
「やめたほうがいいんじゃない……?」レーテルが不安そうに言う。
「大丈夫。ここの道、覚えてるから」
アマンが蓋を持ち上げる。下水の匂いが広がる。暗い穴が口を開けていた。
「くさっ。こんなとこに、どうやって住んでたんだよ」
三人は梯子を降りていった。
◇
下水道は、記憶よりずっと狭く感じた。
天井が低い。水の流れる音が反響している。薄暗い闇の中をアマンを先頭に進んでいく。
「ほんと、くさい」
「慣れるよ。ちょっとだけあったかいだろ? こっち」
アマンは迷いなく歩く。この暗闇の中で、暮らしていた。……お兄ちゃんが来るまでは。
角を曲がると、見覚えのある広い空間に出た。かつてねぐらにしていた場所。何度かあった大雨のせいか、大きな残骸が増えている。
「あ、ここだ。ここで寝てた」
「すげえ……本当にここに住んでたのか。レナさんたちも?」ゼルグが辺りを見回す。何もない、ただの汚れた暗がりだった。彼の顔が引きつる。
レーテルが何かに気づいて、アマンの袖を引いた。
「ねえ……誰かいる」
暗闇の奥。汚い下水道の壁際に、確かに何かが動いた。
アマンが手のひらに火を灯す。兄とは約束したが、友達の安全のためだ。許してくれるだろう。
照らされたのは子どもだった。小さな影が三つ、身を寄せ合っていた。
汚れた服。痩せた身体。怯えた目がこちらを見ている。一番大きな子が、鋭い目を向けている。
————あの頃の自分たちだ。
アマンの胸が、ぎゅっと締まった。
「大丈夫。怖くないよ。前にここに住んでたんだ」
アマンは笑顔を浮かべ一歩だけ、近づく。
「ねえ。うちにおいで。美味しいご飯があるよ」
もう一歩進んで、手を差し出した。
「なんだお前ら、帰れ!」
目つきが鋭い男の子が叫んだ。声が裏返っている。怖いのだ。怖くて、震えている。彼の隣の二人は怯えた目で黙っていた。
レーテルがアマンの腕を掴む。「アマン、帰ろう。危ないよ」
だが、アマンは動かなかった。
ここにいるべきじゃない。雨が降れば危険だ。今は寒いし、それにずいぶん痩せている。
「雨が降ると、ここは危ないんだ。一緒に行こう」
さらに、もう一歩。
指先に灯した小さな炎が、震える少年の顔を照らす。
「来るなっ!」
アマンは膝をついて、怯える男の子の目線に合わせた。
彼が安心するよう、笑顔を浮かべる。
「怖かったんだね。だけど、うちには兄ちゃんも姉ちゃんもいるから。大丈夫」
手を差し出した。———あの日、自分が、そうしてもらったように。
「来るなって、言ってんだろ!」
——男の子が立ち上がり、アマンを押しのけるように動いた。
その手に何かが光った。
火魔法の明かりが消えた。暗闘。レーテルの悲鳴。ゼルグが何か叫んでいる。
アマンは何が起きたのか、わからなかった。
腹が、熱い。
音が、遠くなる。
水の音も、ゼルグの声も、全部。
手で触れると、濡れていた。
視界が天井に変わる。
背にあたる石の床が冷たい。
「アマン! アマン!」
レーテルの声が遠く聞こえる。
「お前、何やってんだよ!」
ゼルグが男の子を殴り、その手に持っていたナイフを奪う。
暗闇の中で、アマンは小さく言葉を漏らす。
「兄ちゃん……」
視界が、白くなっていく。
◇
———カランカラン!
天使の台所のドアベルが、激しく鳴った。
ゼルグが転がり込んできた。膝を擦りむき、息も絶え絶えに。
「アマンが……アマンが刺された! 下水道で、血が……!」
レナの手から、皿が落ちた。




