第40話 正しさの毒
「毒、入っているから」
ヨルカの瞳は真っ直ぐ、俺を見ていた。
「……え?」
シラスが床に散らばった液体に手を伸ばし、指先で触れる。匂いを嗅ぎ、その顔が変わった。
「ヨルカ、お前も飲んだのか!」
「うん。お祖母様の殺意を味わっていたの」
ヨルカは短く答えた。彼女の身体に魔法効果中の光が灯る。解毒魔法をかけたのだろう。
シラスは立ち上がり、廊下に出て行く。
「母さん! 父さん!」
怒声が壁を震わせた。何か言い争う声。
鈍い音がした。そして、静寂。
俺はヨルカと目を合わせる。
俺たちは黙って、廊下の向こうを見つめていた。
足音が聞こえる。
戻ってきたのはシラスではなかった。
ドスドスと荒ぶる音を立てて、
老爺が部屋に入って来た。
手に、装飾が施された細長い杖を握っている。その後ろに、老婆が縮こまるように立つ。
エヴェラ:……戦闘用の杖ね。気をつけて
「おい、お前の孫だろ!」
俺の呼びかけを無視し、
老爺は血走った目で、ヨルカをにらみつけた。
「わしの家から忌み子を出すわけにはいかん!」
杖の先端に魔力が集まり、淡い光を帯びていく。
「今度こそ、死ね!」
俺は咄嗟に叫ぶ。
「エヴェラ!」
エヴェラは何もしなかった。
耳元で「あの子なら、防げる」とだけ聞こえた。
杖から放たれた光が、ヨルカに向かう。
雷のような音が辺りに響く。
——瞬きの間。
ヨルカの水色の瞳の前に、小さな魔法陣が浮かぶ。
その途端、杖から放たれた光が逆方向へ走る!
そのまま——老爺の胸を貫いた。
轟音。
吹き飛んだ老爺が壁を崩壊させ、天井の一部が崩れ落ちる。粉塵の中、老婆が叫びながら駆け寄った。
半壊した部屋の中、ヨルカが浮かび上がった。
倒れた老夫婦に、右手の人さし指を向けている。
「お祖父様の声。落ちる前に聞いたのと同じね」
——苦笑していた。
「ヨルカ、何をする気だ」
「この村は、みんなが悲しむ場所だよ」
ヨルカの声は穏やかだった。
「母さんも、父さんも。……この人たちも、ずっと悲しんでいたよ」
指の前に光が集まり始める。
「だから、終わらせよう」
「やめろ。落ち着け」
「兄さんには、わからないから」
ヨルカの目が俺を見た。
透き通った水色。どこか遠くを見るような。
血を流す老爺と、腰を抜かした老婆。孫を殺そうとした二人。
俺は倒れた老夫婦の前に立った。どうしてなのか、答えを持たないまま。
「兄さん。危ないよ。後ろにいて」
声が、かすかに震えていた。
次の瞬間、足が動かなくなった。
俺の全身を透明な壁が覆う。バリアと拘束。同時にかけられた。そのまま、部屋の隅に移動させられる。
「……あとで謝るから」
ヨルカはそう言って、俺から目をそらした。
指先の光が、さらに大きくなっていく。
エヴェラ:ユウト。あの魔法の規模、村どころか周辺一帯が消滅するよ。
俺 :止められるか?
エヴェラ:拘束解除と短距離転移。寿命を使うけど、あなたをヨルカの前に立たせることはできる。
一瞬、脳裏をよぎる。
俺が殺した沢山の人達。その呪詛に怯えた夜。ヨルカを戦場へ送ってしまった、自分。
エヴェラ:寿命を使っても、止めたいの? 彼女には復讐の権利もあるかもしれない、そう言ってたよね。
俺 :止める。こんな、感情の暴走みたいなやり方、ヨルカは望んでない。
「やれ!」
——バリアが砕ける。
視界が歪んだ。
一瞬の暗転の後、ヨルカの指先と魔法陣が、目の前にあった。
「——兄さん?!」
ヨルカの目が見開かれる。
「どうして魔法まで使って……。なぜ、守る価値がないと、わからないの? 」
「お前を、守りに来たんだ」
ヨルカの顔が歪む。指の光が揺らいだ。
————だが、消えない。
ヨルカの瞳が揺れた。
光を収束させようとする——指先が震える。
「止め——」
魔法陣が脈打つように明滅した。
ヨルカの顔が蒼白になる。
「駄目……もう、魔力の行き場がない——」
エヴェラ:ヨルカ、魔法を止めて! 今なら間に合う!
「止めたら、ここで全部、弾ける……っ!」
魔法陣が複雑さを増し、光輝く。
激しい振動と低い音が鳴り響き出した。
ヨルカの声が裏返る。
「避けて、兄さん——!」
——————————ジュッ。
音も光も、一瞬で消えた。
ヨルカの魔法陣から何かが展開した刹那。それを飲み込むように黒い穴が開き、膨大な魔力が闇の中へ吸い込まれていった。
エヴェラが、何かしてくれたようだ。
残ったのは静寂と、崩れた家と、膝から力が抜けていく感覚。
「兄さん!」
ヨルカが駆け寄ってきた。
俺の腕を掴む彼女の手が震えている。
「ごめん、ごめんなさい……っ」
「ヨルカ。もう大丈夫だ」
視界の端が白く滲み始めていた。
前にも、こんなことがあった。
エヴェラ:次元魔法で飲み込んだよ。全部合わせて、10年。……前回と同じ、身体の変化が始まるからね。意識は、たぶん保てる。
「もう、帰ろう」
「……うん」
ヨルカがうなずく。
俺は、立ち上がろうとして、少しよろけた。
ヨルカの肩が、すぐに入ってきた。
もう肩の高さも同じくらいだな。
老夫婦は、呆然としたまま、何も言わない。
崩れた壁の隙間から外に出る。
空が広い。森の匂いがする。
遠くから、来る途中で会った、子どもたちの声がする。鳥の声も。
「ヨルカ」
「なに?」
「さっき、村を消そうとしたろ」
「……うん」
「あの子たちも全部、か?」
ヨルカは何か考えるように上を向いた。
「お母さんも、村が好きだったんだろ?」
エヴェラ:ヨルカ。あなたが断ち切ろうとした命は、あなたのような子を救う『力』にも変えられる。——計算して。
ヨルカは数秒、目を閉じた。
「……そっか。でも、消したほうが早い」
エヴェラ:はぁ……。じゃあ、お兄ちゃんが教えてあげて?
「 俺には、わからん。ヨルカ、どうすればいい? 教えてくれ」
ヨルカは俺を少し見てから、また空を見上げた。
「……教育。まず、大人たちに正しい知識を。そして、子どもにはパーソナリティの傾向に沿った教育を」
遠い目をしていた。
あの崖の上で見た時と、同じ目だった。
「……時間はかかる。でも、エルフの愛は深いから。きっと、お母さんたちなら、聞いてくれる」
「古い掟だ。従わないやつも出るだろ。そいつらはどうする?」
「……殺す」
ヨルカは目を細めた。
「——と、兄さんに怒られるから、しない」
そう言って、笑った。
「俺は……今回は止めたけど、お前が正しいと思うなら」
「いいや。ぼくは怒られる」
——ふぅ。
「わかった。お前の中のお兄ちゃんに従え。怒られるならやめとけ」
エヴェラ:いいの、ユウト?
「ああ。こいつは俺より頭がいいんだ。俺より俺のことを知っているしな」
ヨルカが笑って、抱きついてきた。
小さな掌が、やけに温かい。
「……ヨルカ、すまん。周りが、白くなってきた。倒れるかもしれない」
「支えてる。大丈夫」
肩に回された手に、力がこもる。
「ヨルカ!」
背後から声がした。振り返ると、シラスが走ってくる。服は汚れ、頬にも傷がある。
「また——また、会えるか?」
ヨルカは俺を支えたまま、少しだけ振り返った。
「天使の台所。王都にある食堂。そこにいるから」
シラスは立ち止まった。泣いてしまいそうな顔で。
「あの絵。母さんなんでしょ? 持ってきて。完成したら」
彼は「必ず持って行く」と手を振った。
俺たちは森の中に消えていく。
自分の妻子を殺したかも知れない父母と、彼はどう向き合っていくのだろうか。
◇
————10年か。考える時間なんて無かった。けど、覚悟だけはしてきた。ヨルカの長い人生に取り返しのつかない失敗は、まだ早い。
ヨルカの肩に体重を預けながら、不安定な足どりで森を歩く。
「兄さん」
「ん?」
「とんでもない事しちゃった。兄さんの命……」
「……俺が勝手にやったことだ」
「1人で、行くべきだった。だけど……怖かったの。本当に、ごめんなさい」
俺は少し立ち止まり、震えるヨルカを抱きしめた。
視界の白が、少し広がった。
「ぼくは……たしかに冷静じゃ、なかった」
「いいんだよ。まだ、子どもなんだから」
◇
森を出る頃には、俺の足はほとんど動かなくなっていた。馬車にたどり着き、御者席にヨルカが座る。
俺は荷台に寝かされた。
空が遠い。
「寝ていいよ、兄さん。着いたら、起こすから」
ヨルカの声だけが聞こえる。
馬車が揺れ始める。
——帰ったらみんな驚くだろうな。
また老けた兄ちゃんが帰ってくる。
レナは泣くかもしれない。
トラは「また銀髪が増えた」と笑うだろう。
サリーは黙って、全部察する。
アマンは笑って——
最後に見えたのは、御者席のヨルカの背中だった。
真っ直ぐで、頼もしい。
——ここで記憶が途切れた。
◇
シラスは、二人の背中が森に消えるまで見ていた。
それから振り返り、半壊した家に戻った。
娘は、彼が後悔した年月よりも、ずっと成長していた。自分だけが何も知らず、ただ生きてきたのだ。
しばらくして、その家から大きな音がした。




