幕間 Subject Y phase 2
兄さんの温かい膝の上。
ぼくは、まぶたを閉じる。
頭の中全体に、優しく響くエヴェラの甘い声。
その裏で、低く深い音が身体の底を震わせる。
彼女の指示で送られた言葉を、自分のものとして脳内で復唱していく。
さあ、木漏れ日の中、気持ちの良い風を感じます。
一番安心できる人のそばに、寝そべっています。
身体が順に重く、温かくなっていきます——
頭、顔、首、背中、腕、腰、足。
言われたとおり、部位ごとに意識を向ける。
重みと温もりが確かに広がった。
額に風が吹く。全身が重くなる。
まぶたがさらに落ちる。
身体にわずかな振動を感じる。
それが深まっていく。
甘い声が続ける。
落ちていくと。
身体は、ゆっくりと溶けていく。
甘い声に導かれ、形を失う。
滴となって兄さんの膝からも零れ落ちる。
温かな地面に吸い込まれ、暗い土の奥へ。
奥へ……。
深く、深く——。
闇の中に、記憶の断片が通過していく。
甘い声が記憶を引き出させる。
「最初の光」
与えられた言葉が、ヨルカの脳で反射を引き起こす。
ヨルカは、それを見つめている。
反射し、自動で生まれてくる、脳の奥からの光を。
見逃さない。
それは、ほんの小さな、記憶のひとかけら。
記憶を見たヨルカの中から、
次々と反応の連鎖が産まれ、さらに記憶を引き出す。
それらに触らず。じっと眺めている。
慈しむように。流していく。
最初の光。
最初の温もり。
呼吸と香り。
音と液体の質感。
誰かの手。
困惑の顔。
誰かの疲れた笑顔。
誰かの胸。
奪われた光。
奪われた温もり。
暗闇。片隅の小さな光。
覗き込む黄色の瞳。
耳に届く、悲しい声。
母の味のする、布。
冷たい壁。身体の痛み。
一人のさみしさ。
かみ殺した声。禁止された声。
暗闇。
エヴェラは再度、問う。
「二度目の光」を。
脳が震える。
暗闇。
時間。
身体の痛み。
争う声と沢山の音。
初めての、大きな音。
恐怖。
視界が震えている。
母の叫び声と。
——激しい揺れ。
男たちの声。
笑い声と、何か。
身体が浮く。
落ちている。
声が聞こえた気がした。
衝撃と光。
身体の痛み。
身体が光に覆われていた。
あの声の人。
上を見上げる。
真っ黒な天井に青い線が入っている。
……ずっと、上。
「母は上にいるのかな?」
記憶の中を見ているヨルカが、
「問い」を挟んでしまった。
世界が一瞬ゆがむ。
優秀な脳が反応し、答えを探す。
最期の母の声、あれは————
すぐ真横から聞こえていた!
ずっと。衝撃までの間、
すぐそばで聞こえていた。最後まで、ずっと。
落下する箱が見える。
箱を抱きしめながら、ささやく女性の姿————
「ごめんなさい。だいじょうぶ。ここにいるよ」
……母の言葉。
毎日、聞いていた言葉だった。
胸の奥が、熱く震える。
まだ、聞いていたい。
吐息の隙間まで、逃さないように必死に耳を澄ます。
だけど、それが、ぼくを現実へ引き戻していく。
記憶の中で見た、ぼくの身体の光。
あれは、防御魔法の光だ。
————全ての魔力を。ぼくに。
ぼくは最後に、
地面に激突した時の「音」を思い出した。
その音も、衝撃も、粉塵も、すべて消えていく。
そして、まばゆい光が、ぼくを包んだ。
「二度目の光は、一人で見たんだ。」
ヨルカは生まれてから一番大きな、泣き声を上げた。
兄さんの膝の上で、喉が裂けるくらいに——。




