第37話 揺りかごの欠片
地図データは簡単に見つかった。
ヨルカはすぐにエヴェラに送信する。
久しぶりに彼女の胸がときめいていた。
早く帰って結果を聞きたい。
ヨルカは壁の時計を見つめた。
◇
エヴェラ:昨日話していたヨルカの件。地図が届いて、場所を特定したよ
俺 :ヨルカが最初に見つかった場所かもってやつだろ。箱が落ちてたって。カリンちゃんの話だと、『光の入らない壺』って言ってなかったか?
エヴェラ:孤児院前に立っていた時期とは符合するんだよ。村ごとに掟が異なるのなら、壺が箱になってもおかしくはないしね。
夕食の後、キッチンで洗い物をしている時、エヴェラから、そんな話を聞いた。
オルガノ村の南東。崖下の街道。
そこに『箱』の破片とともに、子どもが一人いた。
どうやってそこに?
なぜ破壊されたのか?
どうして一人だったのか?
疑問がつのる。
エヴェラ:ヨルカは、ユウトと二人で行きたいみたいだよ
……二人、か。
彼女が望むなら、そうしよう。
俺はヨルカの寂しげな目を思い出していた。
◇
俺はランチの際、家族の前でそのまま伝えた。
「ヨルカと二人で、ちょっと出かけてくる」
「えー。また旅行? みんなで行こうよ」
アマンが不満そうに声を上げる。
本日、冒険者をお休み中のトラも「おう、行くぞ」と腕を組んだ。
「ヨルカが見つかった場所に行く。……今回は二人だけだ。悪いな」
レナが最初に気づいた。小さくうなずく。
サリーも察したようだった。
カリンから聞いた、エルフの風習のことを思い出したのだろう。
「……わかった。気をつけてね、二人とも」
レナがそう言うと、アマンは渋々うなずいた。
トラは「土産な」とだけ言った。
◇
出発の朝。
ヨルカが俺の前に降り立ち、両手を広げた。
「兄さん、ぼくが抱えて飛んだ方が早いよ」
「いや、いい」
「風も気持ちいいよ? それともおんぶがいいかな」
「いいって」
俺の顔が引きつっているのが、自分でもわかる。
エヴェラ:ユウトは高いところが苦手なの。知らなかった?
ヨルカが目を丸くして、それから小さく吹き出した。
少将殿に笑われるとは思わなかった。
「笑うな。召喚された日はちゃんと飛んだぞ」
—————あの日は、何も怖くなかったからな。
「ごめん。……ぷふ」
ヨルカは全然ごめんという顔をしていない。
久しぶりに、年相応の笑い方をしていた。
「じゃあ馬車で行こう」
ヨルカが御者席に飛び乗る。
手綱を握る姿が妙に様になっている。
レナの馬への語りかけとは真逆の、きびきびした操り方だった。
レナが「お弁当、忘れてる」と渡してくれた。
見送りに来たアマンが小さく手を振っている。
馬車が動き出す。
朝の街を抜けていく。二人きりの旅。
◇
市街地を出てから、しばらく。
道は緑に囲まれ、空が広くなった。
俺が御者を代わり、ヨルカは隣で膝を抱えている。
流れる自然の景色に、変わらず目を細める。
いつもは誰かしら騒いでいる馬車が、今日は静かだ。
こんなのも悪くない。
「なあ、ヨルカ」
「なに?」
「お前さ、最初に会った時のこと、覚えてるか?」
ヨルカが俺を見上げた。
何を言っているのかという顔で、首をかしげる。
「覚えてるよ。全部」
「全部って……あの時まだ、ほとんど喋れなかっただろ」
「音も、匂いも。味や、魔法の光だって」
俺は少し驚いた。
それから、懐かしさがこみ上げてきた。
「じゃあ覚えてるか。お前が初めて俺の飯を食った時のこと」
「……スープ」
「そう。エヴェラに教わりながら作った、ひどい出来のやつ」
ヨルカが小さくうなずく。
「木の器を両手で持って、ずっと離さなかっただろ」
「……うん」
「冷めてもずっと持ってた。
取り上げようとしたらすごい顔で睨まれたんだぞ」
ヨルカが少しだけ笑った。
俺もつられて笑う。
「あの時は心配だったよ。小さくて、冷たくて」
「……冷たかった?」
「ああ。特にお前の手と腹がいつも冷えてた。
毎晩、俺が温めてたの覚えてるか?」
「覚えてる」
ヨルカが自分のお腹に手を当てた。
——昨日もこうしていた気がする。
「兄さんの手、いつもあったかかった」
ヨルカはそう言って、少し笑った。
馬車の揺れだけが続く。
「だいじょうぶ。いつだって温めるから、冷えたら呼んでくれ」
不意に、彼女の目が遠くなった。
何かを聞き取ろうとするように、首を少し傾ける。
「……ヨルカ?」
「ううん。なんでもない」
彼女は首を振って、俺の肩に頭を預けた。
なんでもない、と言う時のヨルカは、
大抵なんでもなくない。
でも、聞かなかった。
風が頬をなでる。馬車が揺れる。
トラの村に行った時と同じ道を通っている。
でも今日は、二人だけだ。
隣のヨルカの呼吸が穏やかになっていく。
少し眠ったのかもしれない。
軍ではどんな顔をしているんだろう。
瞼を閉じる彼女を見つめ、俺はそのまま、手綱を握り続けた。
◇
元オルガノ村についた。
村は破壊されたまま、住人は戻っていない。
馬車を降りて歩いた。
今だ戦禍の跡が残る街道を歩く。
近くの森を抜ける。
街道から外れた、暗い崖下の道。
木々の間から差し込む光だけが、
地面にまだらな模様を作っている。
「ここか……」
俺は足を止めた。
薄暗く、誰もいない。何の変哲もない場所。
草が茂り、木が深い影を落としている。
風の音だけが鳴っていた。
俺は上を見上げる。向かいあった崖が、
青空を一本の線にしている。
「高いなあ」
見ると、ヨルカは地面を見つめている。
ここに、この子はいたのかな。
泣きもせず、じっと座って。
「何か覚えてるか?」
「……わからない。エヴェラ場所はあってる?」
エヴェラ:座標は一致してるわ。ただ1年近く経っているから、
物理的な痕跡はほぼ残っていないと思ったほうがいい
ヨルカが地面に膝をつき、草をかき分けた。
俺も一緒にしゃがんで、丁寧に地面を探る。
木の根元に、何かがあった。
腐りかけた板の欠片たち。
釘が何本か飛び出て、錆びて曲がっている。
「……箱、かな」
俺がそっと拾い上げた。黒く塗りつぶされた表面の板。
それだけだった。布も血の跡も、もう何も残っていない。
ヨルカに渡すと、彼女はそれを手のひらに乗せた。
じっと見つめている。何の表情も浮かべていない。
あの投書に書かれていた、壊れた箱。
この欠片が、そうなのかはわからない。
でもヨルカは、それを大事そうに握りしめた。
「何か思い出せそうか?」
木片を指でなぞるヨルカに俺は聞いた。
「暗い。そんな場所は覚えてる。でも、それだけだよ」
ヨルカが落胆の表情を見せる。
俺はエヴェラに相談する。「何か記憶を呼び起こす魔法ないのか?」
エヴェラ:ヨルカ。一つ提案があるの。
ヨルカが顔を上げた。
二人に聞こえるように、エヴェラが続ける。
エヴェラ:エルフに効果があるか不明だけど……。退行催眠——私が誘導して、記憶を遡る。試してみない?
「……催眠? そんなの本当にできるのか」
俺はエヴェラに疑いの目を送る。
エヴェラ:魔法ではないし、保証はできない。でも、ヨルカなら——できるかもしれない。どう?
「ぼくにできるのかな?」
エヴェラ:大事なのは、記憶に触れないこと。作り出さないこと。見るだけよ
ヨルカが俺を見た。
水色の瞳が、許可を求めている。
「やりたいか?」
「やらせて、ください」
このままじゃ帰れない、よな。
俺は、古びた木片を見つめる。
◇
気持ちの良さそうな切り株を見つけた。
大きな木の根元に、柔らかな草が広がっている。
薄暗い樹木の中で、ここだけが光に照らされていた。
俺は切り株の前にあぐらで座る。
ヨルカが俺の膝に頭を乗せ、仰向けに横たわる。
木漏れ日が彼女の顔を温めている。
風が葉を揺らす音。遠くで鳥だけが鳴いている。
ヨルカは箱の欠片を、胸の上に抱いたままだった。
「……どのくらいかかるんだ?」
エヴェラ:体感では2時間くらいかな。
「2時間? このままか?」
俺の足がもう怪しい。
エヴェラ:大丈夫。ヨルカの速度に合わせるから、すぐ終わるよ。
「すぐって、どのくらいだ?」
エヴェラ:……しびれる前にはね。そこはヨルカにとって、安心できる場所なの。動かないで!
ヨルカが笑っている。
俺の膝の上で、彼女は目を閉じていく。
その顔が、だんだんと力を失っていく。
口元の笑みが消え、表情がなくなる。
まるで、眠りの底に沈んでいくように。
俺はその顔を見ている。
何もできることがない。ただ、ここにいるだけ。
ヨルカの唇が微かに動いた。
声にならない何かを呟いている。
彼女の黒い髪が、風で揺れる。
俺は手を伸ばして、その髪にそっと触れた。
ここにいる。
どこにも行かない。
お前がどこから来たとしても、
帰る場所は俺の隣だ。




