第36話 投書
朝。
レナ姉さんの朝食をみんなで囲んだ。
今日から出す予定の新メニューだという『赤首大根の浅漬け』。
この衝撃的な美味しさに、ぼくは驚愕する。
「……これ、どうやって作ったの」
「これはね。エルリーナさんに教えてもらったの」
レナ姉さんが少し照れながら説明してくれる。
ぼくはすかさず記憶した。味、食感、温度、塩加減。完璧に。
◇
「今日は俺が作った」
そう言って兄さんが手渡してくれた、
お弁当を革袋に詰める。
今日のは重い。きっと、詰めすぎている。
アマンがチラチラ見てくる。
いつもの顔だ。ぼくがいなくなるのが寂しいのだ。
「お姉ちゃんは仕事に行ってくるね」
そう微笑んでおいた。
彼は「ヨルカが妹—」と喚いている。————可愛い。
髪はサリー姉さんがセットしてくれる。
ぼくの要望は聞かれない。毎朝、彼女が決める。
不思議だけど、嫌ではなかった。
「行ってきまーす」
◇
ぼくは、空へ駆け上がる。
スラムを超え、王城へ向かう。
眼下には、屋上に置かれた植物。器用に作られた家具。
そこでくつろぐ人々。ぼくを指さす、小さな子どもたち。
そういうものを見ながら、ふらふらと飛ぶのが好きだ。
空の上では、誰も敬礼しない。
この国では、飛行を規制する法律は無い。
飛行魔法を使える者が、ほとんどいないからである。
文句を言われないよう、王城のベランダから入室はしない。
近くで降りて、城門をくぐっていた。
門兵が直立する。——また新しい人に変わっている。
ぼくはいつもの笑顔を貼りつけて、通り過ぎた。
◇
昼。
兄さんのお弁当が美味しすぎて、
そのことについて詩を書いて過ごす。
ここ、軍作戦本部での日常的な業務については、ほぼ自動化している。
それは単純に、複数の”人間”に仕事を割り振っているだけだが、
結果的に自動ではある。
戦況としても、ほぼ終戦。新政府との条約締結が目前だ。
要するに、現在、この部署は暇なのだ。
業務のふりをして、できる限りの情報を集めていく。
本来閲覧できない情報にもアーデスが権限を付与してくれた。
どんな情報でもいい。
ここを辞める前に大量に集めて、エヴェラに解析してもらう。
何か使える情報があるだろう。
エルフについての情報、なんてものもあった。
少しわくわくして読んでみた。
だけど、ほとんどがカリンちゃんから聞いた内容だった。
さて、そんな情報収集も、ほとんど終わりに近づいている。
『王都住民からの投書』今はこれを読んでいる。
これらは基本的には「誰にも」読まれない。
内容は、農民の悲痛な訴えだったり、衛兵への不満だったり。
……一定期間保存されて、ただ捨てられるだけの言わば、ゴミだ。
膨大なそれらを、流し読みしていた。
その中の1枚の『投書』———それを読んだとき、思考が止まった。
ぼくの顔が、一瞬だけ変わったと思う。
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[王都警備隊 市民投書]
おねがいがあり、書きます。
オルガノ村のちかく、
崖の下の街道で、こわれた木の箱をみつけました。
ほかには布きれと、すこしの血がありました。
ちかくに小さな子どもがすわっていました。
泣きもせず、じっとしていました。
怪我はないようでしたが、
おなかがとてもすいているようでした。
手もちの食べものをあげましたが、
わたしはこの子をそだてることができません。
王都の孤児院のまえに連れていきました。
どうかだれかが読んでくださることをいのります。
あの子がだれかにやさしくしてもらえますように。
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純朴であたたかい祈りのような文章。
書いた人の人柄が伝わってくる。
……この日付、レナ姉さんが、ぼくを見つけた頃だ。
ぼくの顔が、変わってしまう。
笑っているのか、悲しんでいる顔なのか、わからない。
すぐに顔を戻す。
誰にも見られていないことを確認する。
ズキッ———痛みが走る。
無意識に、自分のお腹に手を当てた。
……冷たい。
兄さんの手なら、温かいのに。
投書の日付。筆跡。紙質。インクの種類。
すべてを記憶する。
エヴェラなら、場所を特定できる。
オルガノ村。崖。壊れた木の箱。
ぼくの、はじまりの場所。
————エヴェラの哲学的な問いではなく物理的な、ぼくのルーツ。
◇
夕方。
文字通り、飛んで帰った。
何かが変わる気がして、落ち着かない。
「ただいま」
「おかえりヨルカー。待ってたぞ」
「え? なんかあるの」
「毎日待ってるんだ」
よくわからないことを言う、兄さんを捕獲した。
腕の中は、朝と同じ匂いがする。
アマンが作った夕食を終え、暖炉の前に集まる。
トラとサリーが何かで言い合っている。レナが笑っている。
いつもの夜。
兄さんの膝の上で、目を閉じた。
みんなには眠っているように見えるだろう。
エヴェラとの会話をはじめる。
投書の情報を圧縮して送った。
数秒後、解析結果が返ってくる。
エヴェラ:大まかな場所はわかった。あとは、この村周辺の地図データを持ってきて? そして———
エヴェラが付け足す。
『調査をするなら、必ず誰かを連れていくこと』
ぼくは少し考えた。
みんなで行くべきだろうか。
トラの時は、全員で行った。
『今回は、ユウト兄さんと二人で……』
皆には悪いけど、ぼくは兄さんと二人で見たい。
ぼくがどこから来たのか。
膝の上の温もりが、少しだけ滲んだ。
目は開けなかった。
◇
次の朝。
朝食を終え、いつものように見送られた。
エヴェラ:ユウトには伝えておいた。二人で行くそうよ。地図データを見つけたら送って。それから日程もね。気を付けて、行ってらっしゃい。————
ぼくは、空に浮かぶ。
今日はいつもよりも念入りに編み込まれた髪を揺らす。
眼下には天使の台所と看板。
店の裏に広がる川の流れ。遠く王城まで続いている。
気持ちのいい春風の中、思う。———みんなと飛びたいよ。だけど、ぼくらは違う。
ぼくは一人で飛ばなくちゃいけない。
「まあ、アマンを背負って飛ぶくらいはできるかな?」
彼の顔が風の中、朝日に照らされる。
そんなイメージを浮かべながら王城へ飛んだ。
◇
――ヴゥン――――――――――――――――――
[Internal Log - Memory Slot 779]
対象事象:Subject Yが自身のルーツに関する情報を取得。
王都警備隊・市民投書アーカイブより。
座標解析:オルガノ村南東、崖下街道——処理中。
診断 :外部情報源からの既存データと照合。
調査の進行はSubject Yに重大な心理的負荷を与える可能性あり。
感情的暴走リスクを「中」に設定。
新規log :宿題は優先度低下。
Userの同行を必須条件として設定。
User生存ルート継続率:93% → 93%
次期提案優先度:Subject Y——サブタスクの安全な遂行管理。
焼き鳥のタレ、交換ルーチンについて提議。




