第35話 ある春の日の休日
「なんだろう、すごくいい匂いがしないか?」
王城へ通る大きな街道を少し外れた、小道。
『天使の台所』が出店する屋台が、そこにあった。
本店の食堂は、レナ、アマン、ゼルグに加え、新たな希望者が参加していた。孤児に限らず、孤立無援の者などを広く受け入れた結果だ。
人が増える過程で小さな窃盗や裏切りもあった。
でも、数日後には、なぜか犯人は消え、全部戻ってきた。
食堂だけでは余ってしまう人員の活用のため、炭作成チームから、焼き鳥と炭の販売屋台チームが派生した。これが、その第1号店である。
通りでの接客は、ガラが悪い客も多い。
しばらくの間、店員はヘンスとトラ、それからアマン。新人の2人も一緒。
ヘンスとトラは顔がガラ悪そうな客に向いてそうだから。アマンは焼き鳥の焼き加減指導のためにきた。俺は監督。
店の前では、焼き鳥の香りが香ばしく漂っている。塩とエヴェラ秘伝のつけダレ。道行く人が釣られて顔をのぞかせるが、開店は、もう少し待ってほしい。
競合店は蛇のような動物と野兎を焼いている。……少なくとも香りでは勝っているようだ。
「トラ、その剣、見せろよ」
「はー? 駄目だ。そもそも、お前。手がべとべとじゃねーか」
二人は俺が捌いた鶏肉を串うちしている。
その手は、まだ生肉の匂いがする。
トラはダンジョンの調査の仕事の後、装備を変えた。
これまで、ギルドの初心者講習時にそろえた最下級の盾と剣を使っていたが、それを刷新したのだ。
「それ兄ちゃんがくれたんだろ?」
「ヘンス。お前が兄ちゃん言うな。おれの兄ちゃんだぞ」
「いや、本人の希望だからよ…… もう、呼び慣れたしな」
店に来る全ての人間に「お兄ちゃん」と呼ぶように強要している兄の肩を、トラが叩く。———常連のおじいちゃんも、兄ができたと喜んでいた。
「ちょっと、ユウト兄ちゃん。おれは少し寂しいぞ」
「でも……お兄ちゃんは職業みたいなもん、だからさ」
俺が困った顔でつぶやくと、ヘンスは噴き出し、トラは首をかしげる。その背中には巨大一角イノシシの角と鋼で作った大型の剣が光る。
Dランクになったトラに、俺たちが贈った、軽さと堅牢さが売りの大剣だ。
スラムの武器屋に、俺たちが仕留めた一角を持ち込み、設計図と金を積んで作ってもらったものだった。
同じくサリーには『一角』から削りだした鋭い小剣を二本渡した。彼女は打ち合うことも少ないため、鋭さと軽さに重点を置いた逸品だ。すぐに友達に見せに走っていた。
羨むヘンスを見て、「俺は十分、トラを贔屓しているぞ」と笑った。
◇
暖炉の前のテーブルは、何度も繰り返した微調整によって、みんなが肘をついてもガタつかなくなった。
夕食の後、地下道の『家』に戻って暖炉の前でお茶を飲む。子どもたちは5人とも揃っている。最近では、この時間、いつもこうして過ごしていた。
子ども、といってもヨルカの見た目は大人の女性だ。
今の姿になってからは変化が止まっているように見える。
最近は、俺よりずっと年上のような目をすることがある。……すべてを見透かすような。
そんな一番の大人のヨルカだが、
俺の膝に頭を乗せ横になって暖炉を見ている。
彼女は隣に座るレナに頭を撫でられていた。
突然、ヨルカは思い出しようにアマンに言う。
「ちょっとアマンー。今日のお弁当、めちゃくちゃ甘かったんだけど」
アマンは勝ち誇った顔で笑う「辛いの嫌だっていったろ」
「だからってケーキと果物と甘いジュースはないだろう?」
「何それ、美味しそう! 私にも作ってアマン」
レナが目を輝かせ、サリーとトラが便乗する。
ヨルカが膝の上から、俺を上目遣いに見上げる。
「……お願い、お兄ちゃんがつくって」
軍の少将の威厳など微塵もなく、甘えた妹の顔だった。
彼女は俺たちの前では、軍の顔を見せない。……いや、まさか、この顔のまま軍で働いてないよな?
「そんな顔されたら断れないだろ。お前は俺をよく知ってるな」
俺が苦笑すると、ヨルカの瞳がふっと細くなった。
それを見て、変わらずヨルカなんだと改めて思う。
こんな綺麗な顔で、まだ11歳なんだよな。
「店の周りに花が増えて来たよね」
レナが寝そべるヨルカの髪を編みながら言う。
「最近は春の気配も見えて来た。流石に温かくなったら『家』じゃなくて、外がいいか?」
俺が聞くと「ここでいいー」と返ってきた。
エヴェラ:地下だから意外と涼しいかもよ?
「ねー、また旅行に行きたい。」
アマンも俺の膝に頭を乗せて来た。
「どこに行きたい?」
サリーがアマンの背中に問いかける。
アマンは考えるように天井を見上げ「わかんない」と答えた。
「みんなの故郷に行くって言ってたな。でも……サリーの故郷は隠れ里だし、アマンとヨルカはわからない。レナは……」
俺は思い出したようにつぶやいた。
サリーがレナの顔を覗き込むと、レナの表情が曇った。
「行っても、父さんと母さんはいないから……あの街を出る時、全部燃えていた。きっと何もない……」
暖炉の火が、彼女の瞳に揺れる。
みんなが静かになった。
その沈黙を破るように、ヨルカがぽつりと呟いた。
「サリー姉さんのところに行ってみたいな」
「わたしも行ってみたいけど……行けるの?」
エヴェラ:難しいでしょうね……。 妥当なルートとしては、サリーが「一族の仕事をする」って決めたら彼女だけが入れる。そのあたりじゃないかしら。
「それなら行かなーい」
サリーが寂しそうに言う。
「少し待っててね、サリー姉さん。なんとかしてみるよ」
「そんなことできるのかよ?」
ヨルカが透き通る瞳で、上品にトラに微笑んだ。
「トラ、世界は可能性に満ちているのよ」
「エヴェラみたいなこと言うなよ」
トラが笑い、エヴェラが『呼んだ?』と現れて、みんなが一気に明るくなった。
見下ろすと、ヨルカの少し寂しそうな目に気づいた。
俺はそっとヨルカの髪を撫でる。
彼女は故郷の話になると、こうして遠い目をする。
自分の「始まり」に思いを巡らせているように。
◇
「じゃあ、頑張ってな」
早朝のジョギングをしている。
折り返し地点は、神殿騎士アルトの広大な屋敷だ。
木々が多く、森のようになっている。トラはここで修行をするため、朝飯までお別れだ。
「じゃあねー、兄ちゃん」
どんな修行をしているのかは知らない。
しかし、神殿騎士に稽古をつけてもらえるは誉れなことらしい。
食堂では「トラちゃんは、将来、神殿騎士になるのかい?」なんて常連客に声をかけられていた。
トラは嬉しそうだった。
戦うことが好きなのかもしれない。
走りながら思う。
俺は多分、走ることが好きだ。
風を切り裂く、自分の力だけで。
走る前は、好きだと思わないのが不思議だ。
走り出してから、はじまる何かがあるのかもしれない。
何度立ち止まっても、走り出し始めよう。
そう思えた。
エヴェラ:帰ったら、サボってた弓もやるのよ? 久しぶりにあの子たちと冒険に行くんだから。
俺 :エヴェラに合わせて撃てばいいだけだろ?
エヴェラ:弓を引くには筋肉がいるのよ? 子どもの2倍はやりなさい。
エヴェラの声が頭の中に響く。
冷たかった風に、少しだけ暖かい空気が混じる。
俺たちは、自分たちの命を生きよう。
春の風の中で、そう決めて、走っていく。
市街地に戻ると、春風に焼き鳥の香りが運ばれてきた。
ああ、腹が鳴る……




