第23話 小さな手は、冷たかった。
俺たちは食堂の裏にある川辺にきた。
ここは見晴らしがよく、穏やかな川の音と風が心地よい。
まだ、寒いけど、みんなここが好きみたいだから
テーブル席を1つだけ置いている。
春が来たらテーブルを増やし、
客も座らせるつもりだ。
俺たちは黙って座っていた。
風は冷たく、少し震える。
川面が月を映して、
静かに光っていた。
ふいに、レナが現れた。
彼女は俺とサリーの前に、熱いお茶を置いて
何も言わずに去っていった。
——ありがたい。
俺たちはカップを両手で覆い温める。
サリーは孤児院で何かあったのだろう。
それは、みんながうすうす気づいていたことだ。
彼女はいつも強気で、
泣いているところなんて、見たことがない。
俺の方がみんなの前で泣いているくらいだ。
もう隠すつもりもない。
子どもたちはそれぞれの傷を抱えている。
きっとサリーだって例外ではない。
みんなで「傷」を共有できればいい
なんて、俺は自分勝手に考えていた。
俺一人を連れ出したのだ、話しづらい。
言いたくない、話なんだろう。
重い話を覚悟しなくちゃいけない。
ちゃんと、受け止めてあげられるだろうか。
彼女はお茶のカップのふちを指で遊んでいる。
まずは、聞かなくちゃ、な。
「短い間だったけどさ、俺たちはちゃんと家族になれたと思ってる。サリーはどうだ?」
サリーが俺の顔を見る。
絞り出すように、一言だけいった。
「みんなと一緒にいるの、たのしいよ」
……家族とは、
言ってくれないんだな。
「俺は知っての通り、ポンコツで、頼りにはならないかもしれない」
サリーは少しだけ微笑んで、
首を横に振ってくれる。
「だけど」
俺は身を乗り出す。
「どんな過去があっても、俺はずっとサリーの味方だ」
「命がけで守るつもりだ」
俺は本気だ。
たとえ、俺のように、
取り返しのつかないことをしていたとしても。
沈黙が、
川の音を際立たせる。
彼女は流れてくる流木を、
ただ、黙って眺めていた。
「俺のことはサリーに全部話すつもりだ。でも、サリーは全部話す必要なんてない。」
「だけど、少しだけでも、俺にも教えてくれないか?」
「お前のことを」
サリーは少しぬるくなったお茶を飲み、息を吐く。
何度か口を開きかけ、閉じる。
——沈黙。
沈黙に耐えられない。
何か、言った方がいいのか。
俺の口が、再度開きかけたとき、
川を見つめたまま、サリーは話し始めた。
両親が亡くなったこと。
孤児院に入ったこと。
さっきまでの沈黙が嘘のように、
彼女の言葉が続いていく。
「私、一人ぼっちになって、でも、孤児院で家族ができたと思ったの」
「やさしくて、あたたかくて。……たぶん幸せだった」
「だけど、あの男たちが、いたの」
「あの男? 孤児か?」
「先生……職員、かな」
「そいつらに、何かされたのか?」
エヴェラ:ユウト、黙って聞いてあげなさい。
「すまん。続けてくれ」
「そうだよ。カレン先輩が、その男たちに……」
俺はエヴェラの指示どおり、
ただ、黙って待った。
彼女の震えが、
テーブルに伝わり始める。
悲しげだったサリーの顔に赤みが差し、
突然、大きな声で叫んだ。
「カレン先輩だけじゃない! 他の子たちだって。何年も……」
「……きっとメリーも」
それきり、彼女は黙った。
また、闇の中に沈黙が響く。
俺 :なあ、エヴェラ。これって、何があったと思う?
エヴェラ:……性的な搾取、そういった被害が長期的にあった、ということでしょうね。
——なんだ、それ。
俺は、孤児院が謎の暗殺集団だったんじゃないかと、
勝手に変な妄想をしていた自分を恥じる。
彼女はただ、醜い人間の犠牲者だった。
怒りの炎が、自分の頭を焦がしていく。
サリーは両手の拳を握りしめている。
涙を浮かべながら。
「サリーも、何かされたのか?」
エヴェラ:ちょっと、ユウト! 無神経にもほどがあるわ。
俺 :いや、だって、聞いとかないと……
エヴェラ:最低ね。
俺 :……
考えてみればそうだ。
みんなにだって聞かれたくない話。
まして男の俺になんて、絶対、聞かれたくないだろう。
勇気を出して、信頼して話してくれたのに。
だけど、俺の無遠慮な質問に、
サリーは答えた。——やりきれない顔をしながら。
「私は、逃げたの。みんなを置いて。一人で……」
彼女の顔から、血の気が引き、今では青白い。
「孤児院ぐるみでやってるのか?」
「わからない……ただ、院長は知っていた。」
「その3人の男たち。それ以外の先生は、問題なかった……と、思う」
サリーは自信なさげに答えた。
信じたいのだろう。
「院長は、なんて?」
「……貴族の子弟だから、我慢しろって」
サリーの声は震えていた。
怯えた、小さな少女がそこにいた。
遠くで、水鳥が鳴く。
何かを急かすように。
俺は自分の顔が熱くなっているのを感じた。
そんなの許せるか? 無理だ。
「なあ、そいつら……、殺そうか?」
サリーの身体がこわばった。
彼女は膝をかかえていた手をギュッと握った。
「……わかんない。殺してやりたいって、毎日思ってた。でも……」
エヴェラ:いい加減にしなさい。何も考えずに行動した結果を、あなたはよく知っているはずよ? 自分のために、家族に殺人させるなんて、彼女の心にどんなものを残すと思う?
俺 :……
エヴェラの冷徹な声が、
熱くなった俺の頭を殴りつける。
そうだ……俺はまた、
自分の感情のままに動こうとした。
目の前で震えているサリーを見てみろ。
彼女が欲しかったのは、復讐の代行じゃない。
ずっと誰にも言えずに、
抱えたまま、笑顔で生きて。
この地獄を、
誰かに認めてほしかったんじゃないのか?
俺は椅子から立ち上がり、
サリーの前に膝をつく。
地面は冷たくぬかるんでいた。
椅子の上で膝をかかえた彼女は、いつもより小さく見えた。
性的な被害者に俺のような男が触れていいのかわからない。
だけど、レナの両手で手をつつまれた時の、あの安心感。
それで震えるサリーをつつみたかった。
彼女の小さな、固く握りしめられた拳に、そっと手を重ねる。
小さな手は、氷のように冷たかった。
「……ごめん。今の言葉は忘れてくれ。俺、どうかしてた」
サリーは顔を上げない。ただ、肩が小さく上下している。
「俺は……」
エヴェラ:……ユウト。今の彼女に、分析や謝罪はいらない。ただ、認めてあげなさい。彼女が歩んできた道のりを。
エヴェラの声が、今度は少しだけ柔らかくなった気がした。
俺は深呼吸をして、自分の言葉を探す。
「サリー。もう一度、言う。」
「え……?」
サリーが、濡れた瞳で
ようやく俺を見た。
「どんなことがあろうとサリーを守る。」
「もう絶対に、誰にも、お前を傷付けさせはしない」
「俺は、お前を一人にさせない」
サリーはだまったまま、
手を握り返してくれた。
「ま、もうサリーの方が強いかもしれないけどな」
俺はなんとか笑う。
安心できるような笑顔を、彼女に渡したい。
——だけど、彼女は泣き始めた。
川の音がかき消してくれるのを期待してか、
サリーは泣き続けた。
大きな声で、ずっと。
俺はただ、彼女が泣き止むまでその細い肩を支え続けた。
エヴェラ:……受容完了。
エヴェラが何を言ってるのかわからない。
だけど、俺の心の中の炎は消えていない。
俺 :……でもな、エヴェラ。俺はやっぱり、そいつらを許せそうにないんだ。
エヴェラ:そうね、しっかり準備して対応しましょう。ただじゃ、置かないわ。
今は、彼女の肩を支えるだけでいい。
だけど、サリーを泣かせた報いを、必ず、受けさせてやる。
それが、ポンコツな俺が、この子の「家族」としてできる、
唯一のことだと思ったから。
夜風が川沿いを吹き抜ける。
冷たい空気が、お茶の湯気をさらっていった。
泣き止んだサリーは、
小さな、かすれ声でつぶやいた。
「……ありがと。お兄ちゃん。」
◇
――ヴゥン――
[Internal Log - Memory Slot 592]
対象事象:User保護下Subject Sによる自己開示。
Userによる全肯定的受容を確認。
診断 :C-PTSD及びモラル・インジュリーの深化を認める。
対処log : Subject SのC-PTSDへのCBTベースでの介入を開始。
User生存ルート継続率:81% → 93%
次期提案優先度:
・フェーズ02_認知再構成への移行。
・孤児院の調査方針策定。




