第22話 黒パンの行方
俺たちは『天使の台所』を後にして、スラムへと向かった。
散歩も兼ねて、トラの友達を夕飯に誘うためだ。
「こっちだよ、兄ちゃん!」
トラが先頭に立って、銀色の髪を揺らし、得意げに歩く。
俺たちは後に続く。笑顔で横を歩くレナの足取りが軽くて嬉しい。
アマンはお気に入りのキツネの着ぐるみに着替えて来た。
尻尾がピョンピョン跳ねている。ヨルカがしっぽを捕まえようと後ろに続く。
「どんな家なんだ?」
俺が聞くと、トラが思い出すように答える。
「んー。ボロい? あ、ここで左だよ」
スラムの奥は道が細く、迷路のように入り組んでいる。
俺たちは物珍しそうにあたりを見回しながら、彼の後に続く。
「スラムの家は、どれもボロいだろう……。その三人兄弟って、どんなやつらなんだ?」
トラはまた少し考え、教えてくれた。
「ヘンスは大きくて、バカ。ゼルグは小さくて、バカ。レーテルは小さい?」
「説明ざっくりすぎない?」とサリーが呆れる。
「あとね、ヘンスはネズミ捕るのがうまいんだ! よく一緒に捕ってた」
トラはレナたちと出会う前は、ネズミを捕まえて食べていたらしい。彼らとはその頃出会ったようだ。冬が近づくとネズミも減り、困っていたらしい。
「あ。こっちだ」
トラはまた角を左に曲がりながら、話し続ける。
「でも、母ちゃんが死んだみたいで、今は3人で住んでるんだって」
エヴェラ:これで元の道に戻ったわよ?
前方に見慣れた看板が見える。
『天使の台所』だった。
「……あれ?」
「おい、トラ……」「迷ってるじゃねえか」
俺たちから口々に文句が飛ぶ。
アマンは爆笑し、サリーがため息をついている。
トラが慌てて「こっち、絶対」と逆の路地へ方向を変える。
やがて街の雰囲気が変わり始めた。
建物の壁は隙間だらけの木造ばかりだ。
人通りも増える。スラムの住人たちと新人冒険者らしきグループ。
見慣れた顔もちらほら見えた。
食堂の客だ。
「ヨルカちゃーん」声をかけてきたのは、昨日も来ていた中年の女性だ。ヨルカの頭を撫でて、果物を手渡している。
歩いていると、次々とヨルカに声をかける者が現れる。
「おう、ヨルカ! 今日も可愛いな!」
「あら、おでかけ? 気をつけてね」
ヨルカは「またきてねー」と彼らに微笑みを向ける。
エヴェラ:人気者ね。すでにファンがついてる。
俺 :おう、営業スマイルを忘れてない。さすがうちの看板娘。
ヨルカの小さな手には、果物や干し肉などが並んでいる。前が見えなそうなので持ってあげる。彼女の手の中には飴玉が三つ残った。
◇
しばらく歩いたところで、サリーがアマンに声をかける。
何かを食べているのに気づいたようだ。
「アマン」
「なに?」
「それ、どこから出したの」
「ぽっけ」
アマンが指差したのは、着ぐるみのお腹の部分。大きなポケットから
黒パンが一本、むき出しで顔を出していた。
エヴェラ:あれは、四次元ポケットなのかしら。
俺 :だから洗濯するとき、パンくずが出てくるのか……
道の端に座り込む男の姿が目に入った。
元兵士だろう。片足がない。
男は空の器を俺たちに向けようとしたが、小さい子どもたちを見て、
そっと手を引っ込め、うつむいた。
「いたそー」トラが足を見ながら目を丸くする。
アマンが立ち止まった。サリーも止まる。
アマンはしばらく男を見てから、黒パンをそっと器に置いた。
男が顔を上げる。アマンはもう歩き出していた。
サリーは空いたアマンの手を繋いだ。
気づくと、レナが遥か前方を歩いていた。
いつものペースで歩いているつもりが、元気すぎたのかもしれない。
振り返ったレナが大きく手を振っている。
みんなが小走りで追いかける。俺だけ、出遅れた。
エヴェラ:ユウト、講習終わってからランニング、さぼっているでしょ。
俺 :いや、食堂忙しくて……
エヴェラ:言い訳しない。弓の練習もしなきゃダメよ。どんどん置いていかれちゃうよ?
そうだよな。今まで以上に身体づくりが必要なんだろう。
少しでも長く、みんなと歩けるように。
「ま、待ってくれー」
息を切らしながら追いつく。
スラムの奥に入るにつれて、空気が変わる。
建物もより貧相になった。
物乞いの老婆が、
小さな箱を前に置いて目を閉じている。
この辺りで物乞いをしても、周りは同じ貧困層だ。普通はもっと大通り、余裕のある人が歩くところに座る。何か事情があるのだろう。
「箱からっぽだー」
トラが笑った。笑い方が子どもだ。悪気はない。
レナがトラの手をそっと握った。それだけだった。
ヨルカとアマンがしゃがみこんで、老婆の空の箱を見ている。
俺は銅貨を何枚か取り出して、ふたりに渡した。
ふたりは顔を見合わせて、老婆の箱へ入れる。
エヴェラ:ユウト、きりがないわよ。
俺は心の中で頷いた。
手の届くところだけだ。
でも、帰り道に声をかける。
それだけ、決めた。
◇
「ここだ!」
トラが立ち止まったのは、
崩れかけた建物の前だった。
隙間だらけの壁。窓は腐りかけた木枠だけでガラスはない。なんとか布で塞いでいるようだ。中から何かの臭いが漏れている。
ゆっくりとドアが開いた。
出てきたのは、目の鋭い少年だった。背が高い。腕が細いが、立ち方に隙がない。
「……誰だ」
長男のヘンスだろう。トラと同じ14歳とは思えない目で俺を睨む。
腰には小さなナイフを差している。柄は擦り減っていた。
「よっ」
トラが顔を出すと、その表情が少し緩む。
後ろからゼルグが顔を出す。好奇心まるだしの目だ。
ドアの陰に、小さな手が見えた。ヘンスの服をつかんでいる。この子がレーテルだろうか。
「……トラかよ。誰だよこいつら」
見回しながら、俺たちに鋭い目を向ける。
「俺の兄ちゃんだ!」
トラが胸を張った。
ヘンスとゼルグが俺の顔をまじまじと見る。
「うそつくな」
ヘンスが眉をひそめる。
「父ちゃんだろ」
ヘンスを見てからゼルグが言った。
「父ちゃんなの?」
トラが振り返り俺を見上げる。
……なんでだよ。
「お前の父ちゃんはちゃんといるだろ」
「あ、そっか。やっぱり兄ちゃんじゃねーか!」
納得したトラが二人に凄む。
「でも、じじいじゃん」
ヘンスが笑った。後ろからも「白髪じじい」と聞こえた。
子どもたちが囃し立てる。こいつら……。
しまいには泣くぞ。俺。
「黙りな」
サリーが3兄弟をキッと睨むと一瞬で静まった。
「あんたたち、ごはん、いらないみたいだね」
彼女の声が静かに降りてきた。
「ごはん? ……いる」
ヘンスが真剣な顔に戻り言った。
俺は肩をすくめて言った。
「飯、食いに来ないか」
三人が顔を見合わせる。
「金はいらねー」
その一言で、ヘンスがゆっくりとうなずいた。
「じゃあ今夜、店に来い。お前らにうまいもん食わせようと思って来たんだ。場所はトラが知ってる」
ヘンスはしばらく俺を見ていた。警戒している。当然だ。
ここは奴隷狩りが活動している地域だから。
ドアの陰から、レーテルがちらりと顔を見せた。ヘンスの服をつかんだまま、こちらをうかがっている。兄ふたりもそうだが、この子もひどく痩せている。
「と、ともだちもつれてっていいか? 4人いる」
「ああ、いいぞ」
そうヘンスに答えると、少し笑った。
「トラの兄ちゃん、かっこいいな」
ゼルグが言った。レーテルはまだ服をつかんだまま、ちらちら俺を見ている。
「だろ!」
トラが飛び上がった。
◇
トラはあの子たちと遊ぶらしいので、
残して帰ることにした。
帰り道、俺は老婆と元兵士に声をかけた。
「今夜、飯を食いに来てほしい」
老婆は目を開けなかった。
警戒しているのか、
返事はない。
「無料だ。場所はここから真っすぐ、看板が出てるからさ」
ヨルカが老婆の前にしゃがみ、何も言わずに、小さく笑った。
老婆がそっと目を開けて、うなずいた。
元兵士の前でも立ち止まった。
アマンがパンを渡した男だ。
「今夜、飯を食いに来てほしい。足代わりはないが、場所は近い。来られるか」
男は俺を見た。目に警戒がある。
だが、アマンを見て、小さくうなずいた。
◇
『天使の台所』に戻ると、夕方の光がキッチンに差し込んでいた。
子どもたちは休ませた。俺は夜の仕込みをしながら、エヴェラと
あいつらが来るかどうか話していた。
来なくてもいい。声をかけただけだ。できることはここまでだ。
ただ、足が速い食材を使い切るべく、調理していく。
——カランカラン。
まず老婆が来た。
杖をついて、困惑した表情で入り口に立っていた。
アマンが走って迎えに行って、
席まで案内した。
元兵士も松葉杖で来てくれた。ヨルカが椅子を引いて案内する。
男は少し迷ってから、座った。
ふたりに熱いお茶を出し、子どもたちが来るまで待ってもらう。
熱い湯気が立ち上る中、老婆がカップを両手で包んだ。
食堂の内装とお茶、子どもたちの笑顔でふたりの警戒は解けていき、少しずつ口を開くようになっていた。
トラがヘンスたちを連れて来た。7人全員だった。
ヘンスは入り口で一瞬止まった。店の中を見回して、それからゆっくり入ってきた。
レーテルはヘンスの服をつかんだまま、
小さく中を覗いて「かわいい」と漏らす。
「レーテル、こっちおいで」
レナが手を差し伸べた。レーテルはしばらくヘンスを見上げた。ヘンスが小さく頷く。レーテルはおずおずとレナの隣に座った。ゼルグがその隣に座る。
にぎやかな夕食だった。
ヘンスは最初、運ばれた料理を前に動かなかった。毒でも入っているとでも思っているのかもしれない。ゼルグがもう三口目を食べているのを見て、ようやく口をつけた。
老婆と元兵士は、自分たちが生きてきた時間と、どうしてこうなったのかをゆっくりと教えてくれた。よほどお腹が空いていたのか、食べる速度はトラに負けていない。
ヘンスが連れて来た4人の子どもは、彼らの幼馴染で、今は家もなく、
夜はヘンスたちの家に泊めているのだという。最初こそ警戒していたが、今ではわいわいと騒ぎながら、うまそうに食べている。
レーテルはレナの隣で、小さく小さく食べていた。
テーブルに置かれた黒パンを少し食べてから、自分のポケットに隠している。
隣のゼルグもそれを見て、同じようにパンを隠し始めた。
ふいにレーテルの肩が叩かれる。
ビクッと身を固め、ゆっくりと振り返る。
「だいじょうぶ、だよ」
ヨルカがにこりとして立っていた。
ふたりにお土産用のパンを入れた袋を渡す。
レーテルは少しだけ、口元を緩めた。
アマンがお土産用のパンを山ほど持ってきて、他の人に配り始めた。
老婆はパンの袋を撫でながら、
「ありがとう……」とつぶやく。
元兵士は断ろうとしたが、黙って頭を下げた。
食後、俺はみんなに提案する。
◇
俺は手を叩いて注目を集めた。
「提案がある。聞いてくれ」
「明日からは、飯の代わりに簡単な仕事を頼むつもりだ。薪割り、市場の買い出し、配膳……キッチンに入りたい子には料理も教える。できる範囲で手伝ってもらえると助かる。手が足りないんだ」
みんなが顔を見合わせる。
手伝ってもらえたら、トラとサリーが冒険者に戻れる。子どもたちの休みが増える。みんなは気兼ねなく飯が食べられる。八方良しだ。
エヴェラ:あなたが休みたいんでしょ?
俺 :そうだ。俺は毎日働けるような人間じゃない。
「俺、薪割りなら任せろ」
「俺も!」
「……お皿、洗える……かも」
口々に肯定的な声が上がる。
ヘンスが言う。
「毎日……食えるのか」
「ああ、毎日来ていい」
ヘンスは俺をしばらく見ていた。
「……わかった」
ゼルグが「やったー」と叫んだ。
レーテルもいつの間にか大きく笑っていた。
老婆と元兵士にも、できることを協力してもらうことになった。
今日の食事はこれで終了とし、明日のランチにまた来るよう伝えた。みんなが帰っていく。
エヴェラ:ついに従業員も雇えるのね。立派な経営者になれそうね。ご両親に報告したいわ♡
俺 :給料がご飯だけじゃダメだろ。そのうち、金も出せるように仕組みを作っていこう。
◇
俺は子どもたちを集め、今後の話をする。
「食堂を手伝ってくれる人が増える。これでトラとサリーが動けるようになるはずだ」俺は続けた。「冒険者の仕事を少しずつ再開しよう」
「それいいね」レナが言った。
トラとサリーが顔を見合わせ笑い合う。
——待たせて、悪かった。
話がまとまりかけたところで、
アマンが口を開いた。
「あの4人は、どこに帰るのかな」
ヘンスが連れて来た幼馴染の4人には家がない。
今は、ヘンスたちの家に転がり込んでいるはずだ。
「この国に孤児をケアするような制度はないのか?」
俺が疑問を口にすると、
レナが答えた。
「いくつか孤児院があるよ」
「王国から補助金も出ているって聞いた。だけど……」
レナが寂しそうな顔でそう続けた。
全員の視線がサリーに集まった。
喜んでいたサリーの表情が、少しだけ変わった。
「サリー、知ってるか?」
サリーは答えなかった。
彼女が顔を伏せたまま、しばらく沈黙が続いた。
「知ってる、けど……」
彼女はそう言うと、俺の袖を掴み、外へと連れ出した。
その手は、震えていた。




