第21話 お兄ちゃんになった日
俺は『天使の台所』のキッチンで、
今日の営業の仕込みを始めた。
メニューは少ない。
まずは必要な野菜をカットしていく。
包丁の音だけが、静かなキッチンに響いていた。
朝の光が小窓から差し込んで、
まな板を白く照らしていた。
自分でも理解している。
俺はかなり、強引に子供たちを置いて、キッチンに来た。
もしかしたら
みんなに心配をかけているかもしれない。
きっとそうだ。
たぶん、レナも……。
彼女は、食堂に来たが「ご馳走様」とだけ言って、
ドアを開け、外に出て行った。
気を遣わせたのは間違いないようだ。
彼女はずっと、誰かに与え続けてきた人間だ。
俺の気持ちなんて、全部、お見通しなんだろう。
彼女が口にするだろう言葉に、どう答えていいのか。
俺は、まだ思いつかないんだ。
自分だったら、
命をもらった重荷になんか、耐えられない。
もしかしたら、怒られるのかも。
余計なことをしたと。そう、考えているかもしれない。
繰り返される自問自答の合間に、
野菜は全て切り終わっていた。
スープの仕込みのため、市場で買ってきた寸胴鍋に水を入れる。
鍋のふちに水が揺れて、光を跳ね返した。
水を満たした寸胴鍋をかまどに乗せようとする。
昨日までも重かったが、今日は岩のように動かない。
……水は、あとから入れるべきだな。
カランカラン。
顔を真っ赤にして鍋と格闘していると、
ふいにドアベルが鳴る。
レナが戻って来た。
彼女は微笑みながら、「ただいま、お兄ちゃん」と言った。
怒っては無さそうだ。
彼女はキッチンに入ってきて、「手伝う」と言う。
俺は、寸胴鍋を持ってもらうことにした。
どちらにしろ、一人じゃ無理だ。
「せーの」
ふたりなら、持てた。
俺たちは笑い合う。
かまどに乗った鍋が、じわじわと温もりを帯び始めた。
彼女は笑顔のまま、俺の白髪の部分を撫でた。
少しだけ、困った顔をしながら「頑張りすぎだよ」とつぶやく。
「気にしなくて、いいんだぞ」と俺が言う。
「気にするよ」とレナが笑った。
「ありがとう。お兄ちゃん」と。そう続いた。
顔が熱くなるのを感じた。
そうだ、俺はお兄ちゃんだ。
レナの。みんなの。
「あの魔法使った時さ、俺の命がレナに入っていくのが、わかったんだ。」
レナは覚えていないかもしれない。
だけど、伝えたいのは、次の言葉だ。
「つまりさ、俺たちは命をわけた、ほんとうの兄妹になったんだ」
少しだけ俯いたレナが
顔を上げ、目を丸くする。
「お兄ちゃんの命が入って来たの、ちゃんとわかったよ。今も、ここにある」
そう言って胸に手を当て
嬉しそうにつぶやく。
「そっか、本当の兄妹になれたんだ」
キラキラと笑う彼女を見ていると
俺は、嬉しくて笑ってしまう。
さっきまで思いつかなかった答え。
ふと思いついた、これでいい。
口から出てきた
自分の言葉に、俺は納得した。
「出会った日にさ、他の子たちにも魔法をかけただろ? だから、あいつらも、レナも、俺の本当の家族になったってことだ。いいだろ?」
自分でも飛躍した理屈だと思う。
でも妙にしっくりきて、俺は笑った。
レナも笑うが、涙があふれ出ている。
良かった、俺は失ったんじゃない。
手に入れたんだ。
もしかしたら、彼女もなんて言えばいいのか
わからなかったのかもな。
「おれも手伝いたいー」
アマンたちが、キッチンに入って来た。
サリーはレナの涙を見るが、俺たちの幸せな顔を見て、微笑む。
トラがレナを見て
「あー! レナねー、泣いてる?」と無邪気に言う。
「トラ、私たちはね! 兄妹になったんだ。うれしいね」
レナが笑った。
トラは不思議そうな顔をしてつぶやく。
「えー、前からそうじゃん?」
俺は、みんながそろったのを見て、
手を叩いて注目を集めた。
「よし、開店まで30分。みんな気合いいれろ」
5人が元気いっぱいな瞳で俺を見ている。
もう、この見た目に慣れてくれたよな?
「今日もみんなに腹いっぱい食わそうぜ」
「「「「 おおー!! 」」」」
◇
カランカラン。
ランチタイムも終わりかというところで、
見慣れた顔が入ってくる。
ギルド長のドーデスさんと、受付のマチルダさんだ。
アレンさんが、ふたりに伝えてくれたのかもしれない。
マチルダさんは看板メニュー3品。ドーデスさんは
本日、急遽メニューに入れた『日本の朝定食』を注文したようだ。
結局、誰も頼まなかったのに、さすがギルド長。渋い。
キッチンを片付けていると、ふたりの席から叫び声が聞こえてくる。
マチルダさんが、一口食べるごとに絶叫していた。
……嬉しいけど、出禁にするか? 笑ってしまう。
「兄ちゃん。マチルダさんも、『アサテー』食べるって」
トラが伝票を持ってきた。
まだ、食べるのか。
ランチも終わりなんだが、まあ、世話になっているしな。
俺はかまどに火を入れなおす。
「あと、兄ちゃんと話したいみたいだよ?」
そうか。
俺はアマンに、味噌汁と干物の仕上げを頼む。
最近では焼き加減に妙にうるさくなったアマンは、自信満々だ。
俺は濡れた手を拭いながら、ふたりの前に顔を出した。
「え? えええええええええええええええええ」
あ、自分の顔が変わっていたのを忘れていた。
それにしても、この人、ちゃんと暮らしていけているのか心配になる。
一通り叫ぶと、マチルダさんは俺に心配そうな顔を向けた。
ドーデスさんも、言葉を選んでいるのか、無言で俺を見ている。
「ど、どうされたんですか? その、お顔が……髪も」
うーん。
回答を何も準備してなかった。
エヴェラ:本当のことは言わないほうが良いわよ? 勇者の宿命、とでも言っておけば?
そうだな。前の勇者も数百年前だ。
誰も詳細なんて知らないだろう。
「これは、まあ勇者の宿命みたいなものなので……気にしないでください。あはは」
俺は白髪を撫でながら笑った。
マチルダさんがまた叫ぶかと思ったが、真剣な顔で言う。
「お身体、大切にしてくださいね」
ありがたいな。彼女はきっと、すごく純粋で、優しい人だ。
ドーデスさんは、自分の白髪頭を押さえながら、笑ってくれた。
「勇者殿、なかなかお似合いですよ」
ふたりを見送って、『天使の台所』は営業を終了した。
今日からディナータイムも、と考えていたが、俺は疲れてしまっていた。
この店を開店したのが、昨日だなんてとても思えない。
元の世界の何年分もの感情が、動いた気がする。
エヴェラ:ユウト、時間には密度があるの。その時間に込めた「意志」が密度を決める。それが元の世界のあなたとレナの違いよ。
よくわからない。
だが振り返ると、確かに俺が動画を見ているとき、
俺はどこにもいなかったのかもしれない。
哀しみも喜びもなく、ただ動画に反応するだけの時間だった。
あの時間を生きていたと言っていいのだろうか。
俺 :俺もレナのように、残った時間を命いっぱいに生きたいな。
この1日は、どうだったのかな。そうであってほしい。
エヴェラ:まあ、わたしには「意志」というものが、理解できないのだけれど。子ども達と出会ってからのユウトの行動には、それがあるように見えたね。
みんなは昨日だけで慣れたのか、元気いっぱいだ。
申し訳ないが、ディナーはもう少し経ってから始めよう。
皿を洗い、ゴミをまとめる。
片付けを終えたキッチンは、朝より少しだけ広く見えた。
「ねー、お兄ちゃん。これ、どうしよ?」
昨日と今日で出さなかったディナー分と、それからランチタイムでも余った
食材とパンがある。
「冷蔵庫に入りきらないもんな。さすがに俺たちじゃ食べきれないし……」
「おれ、全部食える!」
「おれだって」
トラとアマンが食い気を見せるが、物理的に無理な量だ。
エヴェラ:ユウト、この食堂を作った理由、まだ覚えてる?
俺 :なんだっけ? いろいろあって忘れた。
エヴェラ:『腹ペコの子どもたちに腹いっぱい食べさせたい』そう言っていたよ?
俺 :ああ、そうだったな。子どもたち。俺の家族は、もう腹を空かすなんてことはなくなってきたけど。もしかしたら、同じような子がいるのかもしれないな。
下水道には俺たち以外の人間を見なかった。だけど、家があっても食べられない子もいるのかもしれない。
「レナ。腹を減らしてる子ども、最近見かけたか?」
レナは思い出すように中空を見上げるが、やがて首を振った。
思えば彼女は最近ほとんど出歩いていなかった。
歩くことも辛かったのかもしれない。
無神経なことを聞いてしまった。
彼女が見つけていたら、きっともう助けているだろうしな。
「俺、知ってるー」
トラが、昨日のパンをかじりながら言った。
「スラムのはしっこに、家があるんだけどさ。親はいなくて、子どもだけで住んでるんだ」
「なんで知ってるんだ?」
俺が聞くと、トラはニヤッと笑って言う。
「この前遊んだからな」
「そっか、トラの友達ならちょうどいいな。まずはその子たちに食べてもらうか」
俺たちは散歩も兼ねて、スラムへと向かった。
トラが得意げに、先頭に立って歩いていく。




