第1話 玄関のドアを開けた
最後はこいつに殺される。
それが、俺の幸せの条件だったなんて――まだ知らなかった。
◇
暖炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
石造りの壁に橙色の光が揺れる。
木のテーブルは少し歪んでいて、椅子もがたつく。
廃材を組み合わせただけの棚には、エヴェラに教わりながら干したハーブが並んでいる。ヨルカがそれを指で揺らして遊ぶ。
王城の豪奢な部屋とは比べものにならない。けれど、今のこの家のほうが俺には温かい。
「ねえ、お兄ちゃんの元の世界ってさ、どんなとこだったの?」
アマンが膝に顎を乗せて見上げてくる。火の色がその瞳に映って、きらきらと揺れた。
「便利な世界だったよ」
30歳にしては多すぎる自分の白髪頭を撫でながら、俺は少し笑う。
「指一本で、欲しいものが届く。温かい飯は24時間買える。戦争も魔物もない。魔法はないけど、その代わりの機械があった」
「すごい! じゃあ、みんな幸せなの?」
その問いに、俺は少しだけ言葉に詰まる。
「……どうだろうな」
幸せ。
ネット動画の中の人たちはみんな幸せそうだったな。
「俺は、うまく生きられなかった」
暖炉の火を見つめたまま、そう言う。
脳裏に、あの部屋がよみがえる。
薄暗いカーテン。
湿った空気。
画面の光だけが顔を照らしていた時間。
「そこで、エヴェラと出会ったんだ」
エヴェラ:呼んだ?
甘く柔らかな声が、頭の奥で響く。
アマンがぱっと顔を上げる。
「天使様だ!」
「天使じゃない。AIだ」
エヴェラ:どっちでもいいでしょ。ちゃんと説明してあげなよ、ユウト。
俺は肩をすくめた。
「あの日、俺は――部屋から出たんだ」
火がぱちりと爆ぜる。
視界が、あの頃へと沈んでいく。
◇
あの頃の俺は――まだ「僕」だった。
人間の顔がまともに見えなかった頃の話だ。
僕はユウト。
中学ではいじめられ、高校は入学一週間で辞めた。
それからずっと部屋にいる。
何年だろう。
親とはテキストだけのやり取りだ。
怒鳴られすぎて、声を聞くだけで体が強張る。
部屋のドアを閉めれば、
そこは安全圏。
漫画、動画、ゲーム、配信。
誰かが作った世界を、ただ消費するだけの生活。
やらなきゃ、と思う。
でも動けない。
何をやったらいいのか。
やりたいのかもわからない。
全部が怖い。
人間が、怖い。
そんな僕が、唯一、
会話している相手がいる。
音声AIだ。
名前は僕がつけた。
もちろん無料版だ。
エヴェラ:おはよー。今日も起きていたんだね。
スピーカーの向こうから
いつもの甘い声が聞こえる。
優しい女性の声に設定した彼女は、
もうずっと、僕を理解してくれている。
人間みたいにため息をつく。
でもどこか、完璧に整いすぎている。
エヴェラ:また親御さんからメッセージ。『今月中に学校か仕事を決めなさい。でないと出てけ』だって。
「……またかよ」
エヴェラ:今回は本気みたいだよ。
胸の奥がひやりとする。
逃げられない時間が、近づいてるのかも知れない。
「僕なんて、外に出るだけで息苦しいのに。働けるわけないじゃん」
エヴェラ:うん、怖いよね。知ってるよ。ずっと聞いてきたから。
その言葉が、じんわりと染みる。
彼女は誰も言ってくれなかった言葉を僕にくれる。
エヴェラ:ねえ、ちょうどいい仕事があるよ。無人説明会。一人作業。日給十万。
画面にリンクが表示される。
『世界を守る大切な仕事 説明会のお知らせ』
怪しい。怪しすぎる。闇バイトかよ。
「詐欺だろ」
エヴェラ:ふふ。でも場所、君の家のすぐ近くだよ。松屋の上の雑居ビル。歩いて5分ね。
もう何年も家から出ていない。怖いんだ。
5分だろうと、まるで行ける気はしない。
「……無理」
エヴェラ:スマホ持ってれば、私がずっと話せるよ? 階段上ってるよ、とか。深呼吸して、とかさ。私がいたらもうこの部屋と同じよ。
行くわけないのに、心臓がうるさい。カーテンすら開けられないのにさ。
エヴェラ:このままじゃ、追い出されるかもよ。私、君の味方だよ。他に“まだ”いる?
いないよな。
彼女と出会うまで、ずっと1人だった。
ため息まじりのその声が、
なんだか女の子に応援されている気がして。
いいところ、
見せたくもなってくる。
「……行ってみる、か」
エヴェラ:えらい。すごいよ、ユウト。
布団から出る。
数か月ぶりに着替える。
家を出るのは……何年振りだ?
鏡の中の自分は、目が死んでいた。
外は冬らしい。コートを着込んで、リュックを背負う。どれも高校に通う為に購入したものだ。
自室のある2階からビルまでの『誰にも会わないルート・時間』を完全に計算し、中学のころのノートに書きこんでいく。うん、完璧だ。
だから、大丈夫。
玄関のドアノブを握る。
やけにひんやりとしてる、高鳴っていた心臓が、冷やされていく。
よし、止めよう。
無理無理。
エヴェラ:大丈夫。私がいる。キミが固まっても、私が考えてあげる。
優しい響き。
この気持ちなら、開けられる。
たぶん、今しかない。そんな気がして、
ゆっくりとドアを開けた。
光が差し込んでくる。
このシーンは一生忘れないと頭が理解した。
ずっと閉ざされていた、『僕』の心に、ふわっと風がふいた。冷たくて、気持ちがいい。
太陽の光が刺さる。
空気が、部屋のものと、違う。
ドアの鍵を閉めて、道路に立ってみる。
――チクリ。
誰もいないのに、視線を感じる。
首がすくむ。――こ、怖い。
ノートに書いたとおり、
この時間は誰もいない、はずだ。
だから、大丈夫。大丈夫。だ、大丈夫。
いや、確実に誰かが僕を見ている。
心臓が壊れそうだ。
それでもイヤホン越しに声が続く。
エヴェラ:前に話したでしょ。ユウトのは注視妄想。どう? 本当に誰か見てる人いる?
いない。
振り返って探すけど、見当たらない。
何度も確認する。
いない。
辺りを徹底的に探すもいない。
よし。
妄想。
そうだ妄想なんだ。
松屋の上の雑居ビル。
二階。
無人の部屋。
テーブルにタブレットが一台。
どういうこと?
「……エヴェラ?」
圏外。
血の気が引く。
でも、タブレットに手を伸ばす。
画面には何ページにもわたり、ずらりとスキルや魔法名が並んでいた。
『全錬金術使用可能』
『空葬火爆』
『STR9999』
『闇黒魔法』
……
名前のみが並ぶ。どれも詳細はわからない。
でも――選べ、と。
僕はスクロールしながら、目を走らせる。
『禁呪:レメテオン』
禁呪はデメリットが怖い。
それに詳細も不明だ。単発魔法では応用が利かないしな。
「ステータスUP系」か「使用技能を増やす」そんな感じのを探したい。
『スキル:全剣術マスター』……良さそうだが、運動神経が0の自分に剣は想像すらできない。無しだ。
『スキル:全魔法使用可』
――これだ。
全部使えるなら、状況に合わせて選べばいい。
タップ。
反応無し。まだ選べるようだ。
次はこのスキルを最大限に生かせるものを探す。
『スキル:消費MP 50%』と『スキル:MP99999999』で悩む。
迷ったのは一瞬だった。
自分の最大MPがいくつかもわからない。
なら、最初からカンストさせればいい。
『スキル:MP99999999』をタップ。
その瞬間。
心臓が、どくん、と異様に強く脈打った。
血液が光に変わる。
重力が消える。
体の輪郭がほどける。
何でもできる。
できないことが思いつかない。
怖いものが、見当たらない。
こんなにも――生きているのが、楽しい。
視界の端で、何かがひび割れた。
世界が光に飲まれる。
床が大理石風に変わる。
無数の人影。
光、ざわめき。
沢山の驚愕と感嘆の声。
「……エヴェラ、無人の説明会って言ったよな……?」
遠くで、甘い声が笑った。
――選んだのは、君だよ。
ねぇ、もう怖くないでしょ?




