鈍感αはライバルΩが運命だなんて信じない〜発情期のたびに美貌の天才剣士に下着を盗まれる俺の受難〜[BL R15]
直接的なものではありませんが、際どい表現もありますので、R15です。ご注意下さい。
国境にほど近い、そこそこ栄えた街で生まれた俺は、三歳から木剣を振り回して育った。
「うまいぞ!お前は兄弟の中で一番剣術の才能がある!」
警備隊の隊長だった父は、五兄弟の末っ子だった俺の剣才に喜び、せっせと指導してくれた。
父の言葉に喜んだ俺は、さらによく訓練に励み、七歳の頃に近所の剣術場に通い始めた。
「素晴らしい!わしが教え始めてからこの十年で、一番剣才がある」
あらゆる教えは染み渡るように身についた。一年後には十歳上の少年達と戦っても連戦連勝だった。三年後には、まともに撃ち合えるのは師範だけになった。
己の上達に喜んだ俺は更によく励んだ。
「もうわしに教えられることはない。さらに上を目指せ」
師範からの激励を胸に、俺は十歳で領都の剣術場に推薦されて向かった。
同じ頃に自分の第二性がアルファと判明し、俺はますます稽古に励んだ。
「アルファならば、筋肉も体力もつきやすい。もっと上に行けるはずだ」
領都でも、二年もしないうちに俺は師範と戦っても勝率が五分を超えるようになった。
「ここ五十年に一人の才能だ!王都でもお前より出来るやつは見たことがないよ!」
皆の絶賛に鼓舞され、領都中の激励を背に、俺は自信満々に王都へと向かった。
「お前は我が領の誇りだ!英雄となり、我が領の名を広めてこい!」
領主様が下さったお言葉を胸に、我が領の名を高らかに知らしめてやると心に決めて。
だが、そんなに甘くはなかった。
たしかに王都にも、俺と同年代で撃ち合えるような者はそうそういなかった。
けれど。
『不正出の天才』
『千年に一度の麒麟児』
『剣神の具現』
あらゆる言葉で賞賛と畏怖を集める、同じ年の少年がいた。
初めて剣を合わせた時から、俺は一度も勝てたことがなかった。
しかもそいつは。
「俺、オメガなんだよねぇ」
「……え?」
呑気な顔でさくらんぼを食べながら、俺に自分の性を教えたのだ。
「だから、そのうち君の方が強くなると思うよ」
にこっと、なんの気負いもなく笑って。
****
「またお前かーー!!」
「そうです僕でーーーーーーす!!」
バタンとドアを開け放って叫べば、陽気な声が元気よく返ってくる。
「ウルセェえええ!叫ぶなッ!!」
「君が言う?」
「俺は良いんだよ被害者だから!」
堂々と言い切り、何度目かの光景を見下ろして、仁王立ちした俺は絶叫した。
「今すぐ!全部返せ!!今、すぐ!!」
俺のパンツとパンツとパンツとズボンとシャツと靴下とパンツと……とりあえず大量の俺の持ち物にくるまってこんもりとした巣を作っている俺の……友人?に怒鳴りつければ、そいつは愕然とした顔で叫び返した。
「はぁ!?鬼か!?」
必死にひしっと俺のモノたちを抱きしめている姿は哀れを誘うが、同じ歳の成人男性が打ちひしがれていても、ちっとも可愛くはない。少なくとも俺には。なんだコイツとしか思わない。
「これから発情期なのに!?君、オメガの巣作り知らないの!?常識だよ!?」
「知らねぇよ!!あとお前が抱え込んでるのは、番の持ち物じゃなくて盗品だわ!」
日々寮の洗濯場から盗まれていた俺の私物……しかもたぶん洗濯前のモノだ。こいつ、俺のパンツめちゃくちゃ溜め込んでやがる。気色悪い。早く返して欲しい。
「運命の番に対してあまりにもあまりな言い草!」
「お前を運命の番と感じたことはねぇんでな!」
俺の言葉に傷ついたと示すべく、ガーンと口で言いながら頽れているが、知らん。
「俺はフェロモンに左右されたことなんか、一度もないッ」
俺は堂々と言い放つ。鍛え上げた男児たるもの、そんなモノに左右されないのだ。
「ほんっとさ、君ってば鼻が悪すぎない!?ってか、え?僕以外の、他のオメガの匂いも感じないの!?アルファでしょ!?」
「感じねぇな!思春期検査と入隊時検査と、ついでになぜか先月の健診結果が再検査になってまた検査させられたが、三回ともアルファだったぞ!」
「それ明らかにおかしいと思われてるからだよ!?」
「平気だ」
なぜか目の前の顔に「え、普通にめちゃくちゃ心配!」と書いてあるが、俺自身は気にしていない。困っていないので。
「えっ、いやいや、バース専門医のところに行った方が良くない!?たぶん病気だよ!?」
「だとしても困らん。飯の匂いは分かるからな」
信じられないものを見るように見上げてくる男に、俺は高らかに宣言した。
「俺は剣に身を捧げ、道を極めると決めているのだ!バース性などというものに惑わされている時間はないッ」
「……二十歳にもなって、十四歳みたいなこと言ってる」
悲しみを含んだ呆れ声を無視して、俺は次第に紅潮してきた顔から、礼儀正しく目を逸らす。発情自体はオメガの生理現象だ。どうとも思わん。
「……まぁ騎士の情けだ。そいつらはやる。代わりに金を出せ。同じモノを買ってくる。俺には明日履くパンツがいる」
赤い顔をして次第に苦しそうな様子を見せ始めた友人への情けだ。そう譲歩すれば、盗んだ馬鹿はくしゃりと顔を歪めて呟いた。
「……君は、優しいのか、優しくないのか。分からないな」
「優しいだろ、間違いなく」
勝手にパンツを盗まれて部屋に溜め込まれても盗難届を出さずに、苦しい時期を乗り切るのに必要だと言うのならば、不承不承ながらも私物をくれてやると言うのだから。
「……そうかなぁ?」
嘘くさい軽薄な笑顔で日々「君に惚れているからね!」とか抜かしている馬鹿は、悄然と肩を落としながら銀貨を数える。
「はい、これ」
「おう、確かに。これだけくれるなら、全部返さなくていいぞ」
「元から返す気はないよ」
うわマジか、人間性を疑うわ、と思いつつも、俺は金さえもらえれば構わないのでスルーする。パンツをまとめて新調しよう。
「ったく、返す気がないなら最初から金払えよ。俺は片田舎の貧乏人なんだぞ。日用品を買い揃えるのも一苦労なんだからな」
ため息まじりに渡された数枚の銀貨を受け取り、俺はくるりと背を向けた。下位とはいえ貴族出身のこいつとは、相変わらず金銭感覚が合わない。
「じゃあ、またな」
「……ん、またね」
だいぶ苦しそうな呼吸になってきた男に、俺はなんとも言えない哀れさを覚える。自分で自分の体をコントロールできないやり切れなさは、多少は身に覚えがあるものだから。主に、こいつと剣で撃ち合っている時に、だが。
「俺と撃ち合えるのはお前だけなんだからな、待ってるぞ」
「……うん、また一週間後にね」
背中にかけられた約束に安堵しつつ、俺は部屋を出る。
自室に戻り、ほっと息を吐いた。
「……なんとか乗り切ったな」
発情期のたびにこのやりとりを繰り返している。その度に、いつもヒヤヒヤしていた。
いつか「アルファなんだから助けてくれ」と、「抱いてくれ」と言われるのではないかと。
今回も抱いてくれとは言われなくて、俺はホッとしていた。唯一の友とも言うべき好敵手。彼に本気で頼まれたら、きっも断ることなんか出来ないだろうから。
けれど、俺は抱きたくない。
そんな性別に強制される本能に任せて、なし崩しにつまらない肉体関係になんかなりたくはないのだ。
あいつは俺にとって憧れであり、追いかけるべきライバルなのだから。
「なんでアイツがオメガなんだよ……はぁ、ったく、神様は分かってねぇよなぁ」
溜息と共に吐き出すのは神を恨む言葉だ。誰よりも強く、美しく雄々しい剣を振るう男がオメガであるという。
運命の悪戯というより、神の嫌がらせだと思わざるを得ない。
まぁ、剣の腕だけではなく、あいつは実家も子爵位ながらも歴史がある裕福な名家で、顔貌も隠し撮りが売られていてファンクラブがあるくらいの美形だ。
これくらいのペナルティは与えられていないといけないのかもしれない。
「ま、いいや。この一週間の間に、俺は鍛えまくってやる」
次に撃ち合う時には、さらなる高みに居てやろう。
これは神が凡才の俺に与えたハンデなのだろうから。
***
「やっほー!アベルくん、完全復活です!」
ふざけた宣言と共に現れた俺の好敵手に、剣を振っていた俺は早速声をかけた。
「おぉ、やっと来たか。やるぞ」
「一週間前に違うヤるぞが聞きたかったなぁ」
「何を意味わかんねぇこと言ってんだよ」
「ロドリグは冗談が通じないなぁ」
じろりとねめつければ、肩をすくめて笑いながら、アベルはいつもの調子で笑う。肩までの金髪をさらりとかきあげて、後頭部で結えるとパチリとウィンクを寄越した。
「僕とヤリ合うのが、そんなに待ち遠しかったの?」
「おう」
軽薄な冗談には真顔で返すに限る。俺はあっさりと諾うと、にやりと戦闘的な笑みを浮かべた。
「じゃ、さっそくやろうぜ?」
俺の声に、アベルが剣を手に取る。練習用の刃が潰してある剣だ。だが。
「いいよ、……おいで」
まるで男を誘う仇花のような笑みと囁き。それを合図に、剽軽に振る舞っていた男が、すうっと目を細めた。
ブン、と軽く振っただけの剣が空気を切り裂く。まるで力みのない、何気ない動き。それなのに、アベルの右手が俺に剣を向けた瞬間から、俺たちの間の空気がピンと張り詰める。
呼吸すらも躊躇われる緊張。まるで世界に互いしかいないかのように見つめ合う。
あぁ、隙がない。
どこから詰めようか。
そう思いながらジリジリと睨み合っていると、ふ、とアベルの唇が笑みの形に綻ぶ。
「え?……ッ!」
「油断はダメだよ、ロドリグ」
一瞬の隙をついて、アベルが一気に距離を詰める。突き込まれた剣先を寸でのところでかわした。
「くっそ!」
「ふふっ、ロドリグは可愛いね」
舌打ちしながら、なんとか巻き返そうと隙を探るが見つからない。撃ち込む場所が見当たらない。
また今日もアベルのペースだ。そのまま防御の体勢から攻撃に転じることはできず、そして。
「ちっくしょぉおおおお!」
「あははっ、ロドリグは素直すぎるからなぁ」
「俺は油断なんてしてねぇぞ!?」
「焦りは油断に繋がるよぉ?君には冷静さが足りないよね」
「焦ってもねぇよ!」
剣を持つのは一週間ぶりのはずなのに、ちっとも衰えをみせないアベルに嫉妬と羨望を覚える。団から支給される抑制薬があるとはいえ、発情期で寝込んでいたのだから、衰弱しても良いはずなのに。こいつはいつだって艶々だ。発情期前より元気な気すらする。腹立たしい。
「くそっ!ちょっとくらい弱ってみせろよ!」
「君にそんなみっともないところ見せられないさ。失望されるといけないからね」
「はぁ!?」
さらりと返されたセリフに目を剥く。意味がわからないと喚いても、アベルはおかしそうに笑うだけだ。
「僕は常に、君の憧れの人でいたいのさ」
「……腹立つなぁ」
パチリとやけに様になるウインクを返され、俺は悔しさに呻く。
憧れていることを否定できないからこそ、腹が立つ。そんな俺の心情を理解しているらしいアベルが、クスッと吹き出した。
「君は本当に素直だなぁ」
「嘘はつかない主義なんだよ」
「嘘がつかないだけだろう」
汗ひとつかいていない色男に優しく微笑まれて、ハァ、と大きく息を吐いた。こっちは冷や汗と脂汗で、じっとり汗ばんでいるというのに。
「はぁ……あーあ」
練習場の隅に腰を下ろし、ぼんやりと稽古の様を眺める。
俺の相手を出来るやつは、もうここにもアベルしかいない。団長クラスの方々にはまだまだ俺も及ばないから、彼らがいる時は稽古をつけてもらえるが、上層部は多忙だ。滅多にない。だから俺は、アベルがいないときは、ひたすら自主練に励むしかないのだが、……アベルは。
「お前、俺とやり合ってもつまらないだろ」
「へ?なんでさ」
「必ず勝つ戦いなんて、面白くないじゃねぇか」
不貞腐れたように吐き捨てた俺に、アベルはキョトンとした後で苦笑した。
「僕、わりといつも本気なんだけど、伝わってない?」
「伝わってねぇよ。楽しそうにニヤニヤしやがって。俺をおちょくって面白いか?」
「え、面白いよ?」
「性格が悪いな!」
「あはは!」
冗談だよ、と笑い混じりの声で否定して、アベルはやけに優しい顔で俺を見た。
「これまで僕はずっと、天才だとか麒麟児だとか言われて、誰も相手にしてくれなかったからね。僕をきちんと本気にさせてくれる君が、真正面から挑んできてくれるのが、とても楽しいんだ」
悟り切ったような顔で言うアベルは、ただ純粋に剣を楽しんでいるように感じた。ひたすら打倒アベルを掲げて我武者羅に齧り付いている俺とは違う。一つ違うステージに立っているように感じて、悔しくなる。
「……くそっ」
俺と同じ歳のくせに、剣の道を極めた達人みたいなことを言うアベルに、俺はますます納得がいかない。なんでここまで差があるのだろう。練習量だけならば、俺の方が多いはずなのに。
「あーあ!ちくしょう」
「ふふっ、ロドリグは、なにがそんなにご不満なんだい?」
ゴロンと子供のように地面に大の字になりぼやいた。アベルは涼しい顔で上から俺を覗いてくる。揶揄うような言葉に、俺は八つ当たりするしかなかった。
「いつもいつも、何でお前はそんなに余裕なんだよ!」
「そりゃ、勝利に固執していないからじゃないかな?」
「はぁ?」
思ってもいない返答に、俺はパチクリと目を瞬いた。
「僕は君とやり合えるのが楽しいだけで、勝ちたいとは思っていないから。そこが余裕に繋がるんじゃない?」
「……嫌味な野郎だな」
つまり、相手にされていないと、本気になっていないということじゃないか。
悔しい。いつかコイツに必死な顔をさせてやる。コテンパンに負かせて泣かせてやる。絶対だ。
何百回目かの決意を胸に、俺はため息をついた。
「まぁ、俺はまだまだ成長途上だからな!今に見てろよ!」
「もう二十歳超えてるのに、元気だねぇ。ま、期待しているよ」
***
「勝負あり!勝者、アベル!」
「くぁああああ!くっそぉおおお!」
いつもと同じく、数度の撃ち合いの後であっさりと勝利を奪われ、俺は地面を殴りつけた。練習の時はもっと続くのに、試合になると簡単に負けてしまう。きっと普段は、少しでも長く遊ぶために、手加減をされているのだろう。そう考えると悔しさと情けなさで居た堪れない。とりあえず訓練場を百周したくなった。
「ロドリグ、まずは礼だよ」
「ははっ、アベルは余裕だな。ロドリグ、とりあえずさっさと位置に戻れ。叫んでもいいが礼の後にしろ」
「……はい、すみませんでした」
落ち着いたアベルの指摘と指導官の言葉に、俺は歯軋りしながら位置に戻り騎士の礼をとる。相変わらずアベルの礼は美しい。隅々まで神経が行き届き、髪一筋の無駄もない。比べて俺は無骨そのもの。悔しい。神はアベルにいくつの贈り物を与えたのだ。
「あーあ、また負けた」
「昇進はしたんだから、いいじゃない」
「でもお前が一番隊長、俺が二番だ」
「良いじゃん。隊長同士、同格だろ?」
「……名目上はな」
だが、一番強い奴が一番隊長と決まっている。つまり俺は二番手だ。いつまでも俺はアベルの次点。悔しいとしか言えない。
「僕は君の方が上に立つのは向いてると思うけどな」
「はぁ?」
俺の悔しさなど知らなげに、一番隊長の座にも執着がなさそうなアベルが、随分と無神経な発言をする。お前より弱い俺に対する嫌味か。
「お前より腕が劣る俺が一番だったらおかしいだろ。嫌味なやつめ」
「でもやっぱり、オメガなんかの下につきたくないってやつもいるし」
「……はぁ!?」
あっさりと口にされた現実的な理由に、俺は眉を逆立ててアベルに剣を突きつけた。
「おい、バース性を理由にお前に従わないやつがいたら教えろ」
「危ない、カッとなると剣を向けるのはやめて」
くすりと笑ったアベルに、あっさり鞘で刃を地面に下ろされる。
「言え。即刻、俺が叩き潰す」
「ははっ、なんでさ」
本気の怒りを込めて宣言するが、アベルは面白い冗談でも聞いたかのようにケラケラと笑った。
「俺ならともかく、俺以外のやつがお前を馬鹿にするのは許さん」
「あはは!なにそれ!独占欲?」
「違うわ馬鹿者」
茶化そうとするアベルに苛立ちが増す。お前を馬鹿にするのは、俺が馬鹿にされるなと同じなんだよ。お前は俺の憧れで唯一のライバルだからな。……調子に乗りそうだから、絶対口にはしないが。
「お前に一太刀も入れられないようなヘナチョコ騎士が、くだらねぇこと抜かすのは許さん」
「あはははっ、でも君も、貴族じゃないのに、て言われると思うよ」
「貴族のくせに弱っちい奴らだろ。まとめて叩き潰してやる」
「頼もしいー」
適当にパチパチと手を叩いてくるアベルに、俺は眉を顰める。
「茶化すな。俺は本気だぞ」
「ふふっ、ロドリグのそのピュアさが、僕はとても好ましいよ。大好きだ」
日常的に呼吸のごとく吐かれる愛の言葉を無視して、俺が真顔のまま見返すと、アベルは苦笑して肩をすくめた。
「まぁまぁ、でもオメガが上官なんて嫌だってのも分かるんだよ。定期的に不在になるわけだからさ」
「…………」
それは生理現象だ。体調管理をしっかり、なんて言うのとは別次元の、食う寝るのと同じものだ。仕方ないだろう。
お前が悪いわけではないと、そう伝えたいのに言葉が出ない。何を言っても中途半端な気がして、喉で言葉がつっかえてしまった。
「僕が発情期休暇の時は、君が一番隊もまとめて面倒見てくれるわけだし、実質君の方が上だろ」
「……そのへんは、仕方ないだろ。体質の問題なんだから」
なんとか絞り出した台詞にアベルが綺麗な笑みで「ありがとう」と呟く。
言わせたくもない台詞を言わせてしまったと、俺は久しぶりに自責の念に駆られた。無神経なことを言ってしまったうえに、気の利いたことのひとつも言えない。アベル自身にフォローさせてしまった自分が、情けなくて嫌になる。
「お前もついてないよなぁ」
思わずぽつりとこぼれたのは、俺の本音だった。
同情と、尊敬と、情景と、嫉妬。そんなものにまみれた、醜い俺の本音だ。
「へ?何が?」
「だって、お前……オメガだろう?」
「うん、そうだね」
不思議そうに首を傾げるアベルに、俺は訥々と日々思っていることを伝えた。
「どれほど鍛えていようが、体調管理に気をつけていようが、定期的に寝込むことになるじゃないか」
「あぁ、ヒートのことか。慣れちゃえば平気だけどね」
「そうかもしれないけど、……もしお前がアルファだったとしたら、きっと建国の英雄よりもすげぇやつになってただろうに」
オメガであるばっかりに、アベルの実力は完全に発揮できていない。そう嘆いた俺に、アベルは「うーん」と困った顔で首を傾げた後、へたりと眉を下げて苦笑した。
「僕は、オメガの性をペナルティだなんて思ったことはないよ」
「え?」
「確かに筋肉もつきにくいし、体力ではアルファやベータにも劣るけど。鍛えれば鍛えた分だけ、それなりの成果は得られるしね」
「……え?」
確かにそれはそうだけれど、でも、もしアルファならもっと、と思わないのだろうか?
そう尋ねても、アベルは困った顔で首を振るだけだ。
「性別も、才能と同じ。誰もが生まれもって与えられたものだけで戦わなきゃいけない。それは、みんな同じさ」
「……そうか。お前、大人だな」
さらりと返された言葉に絶句する。俺の憐れみが、とても上っ面で、浅はかなものだと思い知らさせた。恥ずかしくて唇を噛み締めた。
「ははっ、そりゃもう二十歳だからねぇ」
「……発情期って、高熱病と同じくらいにしんどいんだろ?よく耐えてると思うぜ」
あぁ、敵わない。そんな気持ちでつぶやいた俺の本気の讃辞に、アベルは苦笑する。
「僕、別に発情期はそんなに嫌いじゃないんだ。オメガであることを実感できるからね」
「え?」
意外な台詞に顔を上げる。アベルの表情は自然で、強がりでも何でもないのだとわかった。
「自分の性がなんなのか、たまに分からなくなるから。ほら、僕ってば王都で一番強いからさ?ヒートくらいないと、オメガであることを忘れそうでさ」
「……言ってろ」
ウインクを寄越してくる男に、俺はため息を吐く。俺みたいな凡人がこいつに同情するなんて、馬鹿馬鹿しかったのだと、俺はようやく理解した。
「お前、オメガじゃなければと思ったことないのか?」
「ないよ」
試しに、これまで疑問だったことを問うてみたが、あっさり否定される。
「なんでだ?オメガって、普通は他の性別が良いって思うんじゃないのか?」
「人によると思うけど、僕は……オメガなら、好きな人間の子が孕めるかもしれないから。オメガで良かったなぁって思ってるよ?」
「……そ、か。ロマンチストなんだな」
姉さんが、初産の後に「幸せ!女に生まれてよかった!」と叫んだことを思い出しながら、俺は相槌を打った。そうか、子供か。考えたこともなかったな。俺は剣のことしか頭にないから。だから、俺は。
「俺は、お前がアルファなら、もっと凄かったろうなと思うと、どんな剣士になったんだろなと思うと……神様勿体無いことするよなぁ、て思うけどな」
「っ、な」
俺が最上級の賛辞のつもりで伝えた言葉。それを聞いて、それまで普通に話していたアベルが、急に顔色を変えて立ち上がった。
「え?どうした?」
「……ロドリグは、本当にデリカシーがないね」
「へ?」
青ざめた顔で俺を見返すアベルの目には、普段と違う冷たさが宿っている。感情が読めなくて戸惑った。
「僕は何度も言っただろ?僕は君を運命の番だと思ってる、って」
「あ、あぁ、そうだったな」
「……ふふ、まだ分からない?僕が産みたいと願っているのは、君の子だよ」
「…………え?」
唐突にぶつけられた告白はあまりにも強烈で、俺はあからさまに動揺した。瞠目して息を呑む俺に、アベルはひんやりと優しい声で問いかける。
「それなのに君は、僕がオメガでなければ良いのに、と言うのかい?」
「あ……」
凍りつく俺に、アベルは「ははっ」と自嘲するよう笑った。いつもの快活で剽軽で、軽薄な笑い方とは違う。見慣れない顔が恐ろしかった。
「いや、まぁ君にとって僕はフェロモンすら香らないらしいからね。僕の一方的な願望を押し付けても悪いか。これは勝手な八つ当たりだ。すまなかったね」
表情をなくしたアベルが自己完結していく。背筋を怖気が走った。
けれど、愚かな俺はなんと声をかければいいのか分からず、黙りこくってしまった。
「ふふ、困らせて、ごめんね……しばらく、離れるよ」
「ア、アベル……」
アベルはそのまま、無言で訓練場から出て行ってしまった。
「アベル……」
追いかけても、何と言えば良いのか分からない。
俺は座り込んだまま、こんな時でも美しい後ろ姿をただ見送った。
「…………ア、ベル……」
分からない。
どうすればいいのか、どうすべきだったのか。
ちっとも分からない。
俺は、剣のことしか頭にないから。
アベルの心は難し過ぎて、分からないのだ。
***
「は?アベルが見合い?なんだそれ!?」
アベルと気まずくなってから、幸いにも顔を合わせることはなく二週間が過ぎた。
だが、いくら鈍い俺でも、流石にアベルを見ない期間が長すぎると思い、仲間に尋ねた。
そうしたら、「今更か?」と首を傾げられたのだ。
「アイツ、見合いをするために休んでるんだろ?有名な話だぞ、知らなかったのか?」
「なんであいつが見合いなんてするんだよ?」
食ってかかる俺に、仲間はむしろ不思議そうに眉を寄せた。
「だって、あいつも一応貴族だろ?」
「え、でもオメガだろ?ベータかオメガの嫁さんをとるのか?」
ベータがほとんどの田舎で育った俺には、そのへんの感覚が分からない。
あいつが女を抱くのか?あんな綺麗な顔して、発情期のたびに赤い顔して苦しんでいるのに?ずっと抑制薬を飲みながら、旦那さんをしていくのか?
あまりにも大変すぎるじゃないか、気の毒だ、と思っていたら。
「まさか!貴重なオメガだぞ?嫁に欲しいと山ほど釣り書きが送られてきてるだろうさ」
「ええっ!?あいつが嫁になるのか!?」
「そりゃそうだろ」
たしかに、考えてみればあいつはオメガだ。なぜ思いつかなかったのだろうか。
あいつは、抱かれる性であり、孕む性なのだ。
ならばアベルは、……俺の知らない、どこかのアルファと?
その想像は背筋を寒くさせた。
「アベルが十歳すぎた頃から、貴族界じゃあいつの取り合いだぞ?どこの家があいつの血を手に入れるか、って」
「そ、そうなのか?」
「……おまえ、何にも知らないんだなぁ。でもまぁ、アルファもオメガも、田舎には珍しいもんな」
そんな大人気だなんて思いもしなかった。
発情期のたびに俺のパンツを抱えて号泣しながら
「発情期に付き合ってくれる恋人もいない可哀想な僕に、慈悲の心を見せてくれても良いじゃないか!」
とか叫んでいた情けない男が、そんな引く手数多だったとは。
唖然とする俺に、仲間は物知らずを憐れむような目で、彼らの常識を教えてくれた。
「オメガはアルファを産む確率が高いから、貴族にとっては貴重なんだ。しかも、たいていのオメガは能力が低いが、アベルは天才とか神の使いとまで言われる実力者。みんなが欲しがってるさ」
「そ、んな……」
アベルの血筋が欲しいアルファたちから、縁談が来ているということか。アベル自身を欲しているわけではなく?
……そんな馬鹿な。それが、貴族の当たり前なのか?
アベルの意思は、幸せは、どこにあるんだ?
「じゃ、じゃあ、どうなるんだ?」
「だから、嫁になるんだよ。大貴族からも見合い話が来てるらしいし、玉の輿だよなぁ!」
アベルがいつ、そんな御輿に乗りたいと言ったんだ?……ふざけるな。
「剣は、剣はどうするんだ」
「はぁ?そんなのやめるんだろ」
「なんで!?そんなの、世界の損失だぞ!」
ぞっとして叫ぶ。あいつが、剣神から愛された才能をもつあいつが、剣を捨てるだなんて。そんなばかな。そんなふざけたことがあってたまるものか。
しかし俺の怒りに、ともに剣の道を志しているはずの仲間はちっとも同意してくれなかった。
「ははっ、乱世ならともかく、この平和な時代に必要なのは、剣の腕があることよりも、高い能力のあるアルファを数多く産むことだろ?アベルはオメガなんだから」
アベルはオメガ。
その通りだ、だけど、その言い方はどうだ?
あまりにも……あまりにも。
何か言ってやりたいのに、脳みそがぐちゃぐちゃで、言葉が出なくなる。
「……アベルはそれを望んでいるのか?」
「いやだから、本人の希望なんか関係ねぇよ。貴族の結婚てのはそういうもんなんだって」
「わからねぇ……全く理解できない」
「まぁ、ロドリグは田舎出身の平民だもんな」
泣き出しそうな俺の肩を、仲間は慰めるかのように叩いた。
「価値観が違うんだ。分からなくても、仕方ないさ」
***
「何しに来たんだい?」
考えもまとまっていないのに、訓練を終えた俺は、アベルの実家の門を叩いていた。騎士服を着ていたためか、門前払いされることもなく、たまたま在宅しているというアベルに会うことができた、のだが。
「あ、いや……最近見ないから、その、……元気かなと」
「この通り、健康そのものだよ」
淡々と返すアベルに、俺はどうして良いのか分からない。こんなに冷たい態度のアベルは初めてだ。俺の失言は、それほど酷かったのだろう。
「……なんか、いつもと違うな、アベル」
ポツリと、泣き言のように弱々しく呟いてしまった俺に、アベルはふっと笑って首を傾げる。いつものような楽しげな笑みではなく、冷たく嘲笑うような笑みだった。
「そうかい?昔の僕は、こんなものだったよ」
「……昔?」
よく分からないことを言うアベルに、俺は困惑で泣き出しそうだ。尋ねるように見つめても、無感情な目で見返されるだけだ。
「昔、なんてわからねぇけど……お前、もっと、違ったじゃねぇかよ」
八つ当たりだと分かっていても、思わず溢れた本音だった。
「違う?……君から見て、僕はどういう人間だったんだい?」
アベルはいつも陽気で軽薄で、優しいけれどふざけていて、そのくせ剣を持てばありえないほど強くて、冗談ばかり言っていつも笑っていて、俺にいつも楽しそうに話しかけてくれた。
俺から見たアベルは、そんな人間だった。
いつも言葉足らずな俺だけれど、今回ばかりは知識のない頭を掻き回して、必死に説明した。それなのに。
「……僕、そんな感じだったかい?優しいとか、言われたことないんだけど」
アベルは、誰のことだと言わんばかりで不可解そうに眉を寄せる。本気で首を傾げているアベルに、俺はイラッとした。
「そんな感じだったろうが!いつも俺をおちょくってケラケラ笑って、失礼千万だけどさ。他人のちょっとした不調にも気がつくし、……優しくて良いやつだったよ、お前は」
「……優しくて良いやつねぇ。言われたことないけど」
「嘘だ」
アベルは優しいし、気のいいやつで、騎士団でも好かれていた。アベルは格が違いすぎて、みんな遠慮していただけだ。
「なぁ。なんでそんな、冷たい目をするんだよ。……いや、俺が悪かったんだよな?ごめん。謝るからさ、許してくれよ。お前に他人みたいな目で見られるの、かなりキツい」
弱々しく泣きついた俺に、アベルがぎゅっと眉を寄せる。赤い唇が震え、俺を詰る言葉を吐き出した。
「……だ、って、他人じゃないか」
「え?」
「君は、僕を抱こうともしない。もちろん恋人でもない。正真正銘の他人だろう!?」
「た、たしかに他人だけど!仲間だろ!?ライバルだろ!?友達だろ!?」
必死に言い募る俺に、アベルは立ち上がって叫ぶ。
「全部他人だよ!肉体関係がなければみーーーんな他人ですっ!」
「なんだよそれ!なんだよその価値観!」
幼児の癇癪のような絶叫の内容は、明らかにおかしかった。
「これが僕の価値観なんですぅー!」
「じゃあ抱いたらその瞬間から他人じゃなくなるって言うのかよ?それも変だろ!」
あまりにも肉体本位な考え方に混乱する。それは絶対普通じゃない。アベルがズレているはずだ。
「変じゃないよ!オメガにとっては、アルファと肉体的に結ばれることで心身の安定につながり、絶対的な幸福感が得られる。素晴らしいじゃないか!」
「はぁ!?だから、好きでもないアルファと結婚するために見合いしてんのか!?」
アルファとオメガの性と本能について、滔々と語るアベルに苛立つ。カッとなった俺は、感情のままに叫び返した。
「ふざけんな!俺を負かし続けている天才剣士が、そんなくだらんことするなよ!」
「くだらなくなんかない!……独りで過ごす発情期が、どれだけ辛いか知らないくせに!」
「はぁ!?じゃあ俺に言えよ!!」
「……え?」
「あ」
しまった。思った時には遅かった。言葉はもう、口から飛び出した後だ。
「え?抱いてくれって頼んだら抱いてくれるの?これまで抱いてくれなかったじゃん!」
「……お前が明言しないからだろ!頼まれたら断らねぇよ!」
「うそつけ!」
こうなったからには仕方ない、と俺は胸を張って言い切る。だがアベルは忌々しげに俺を睨みつけて言い放った。
「嘘だ、絶対に嘘!抱きたくないって顔に書いてあったぞ!僕があんなに苦しんでいても、淡々と見捨てて帰りやがってたくせに!」
「なし崩しに抱いたら友達じゃなくなっちまうかもしれねぇだろ!それが嫌だったんだよ!せっかくライバルなのに!」
「は?…………え?」
俺の魂の絶叫に、アベルの地団駄がやっと止まった。そしてしばらくの沈黙の後、アベルが恐る恐る尋ねてきた。
「……君にとって、もしかしてライバルって、最高級の関係性のつもりだったの?ていの良い断り文句じゃなく?」
「当たり前だろ!ライバルは世界で唯一の絶対だぞ!?」
「剣にストイックすぎる……!」
アベルがショックを受けて椅子に座り込んだ。目を丸くして、まじまじと俺を見ている。やっと話を聞いてくれそうな気配に、俺はホッとして話し続けた。
「それなのに、せっかく出会えた生涯のライバルとオメガの本能に強制されてグダグダの肉体関係になるなんて、絶対嫌だったんだよ!」
「なんで!?本能には従おうよ!そもそも君だってアルファじゃないか!本能がないのか!?」
責めるように言い募るアベルに、俺は胸を張って「俺は本能など分からん!」と言い切った。
「ついでにオメガのフェロモンもわからん!筋肉つきやすくて身体能力が高いことくらいしかアルファの自覚もない!そんな俺に、アルファやオメガの本能とやらが分かるとでも!?」
「……たしかに?」
「お前が本能だから抱かれたいとか、オメガの本能が俺を運命の番だと言ってるとか、運命の番だから子が産みたいとか、俺にはさっぱり分からん感覚なんだよ!」
「……えぇええ」
俺の力説にアベルが困惑と納得を浮かべ、完全に脱力している。その様子を仁王立ちで見下ろしながら、俺はさらに自論を捲し立てた。
「本能なんかの言うままに動くなんて気に食わん!だってそこには、お前の意思も俺の意思も関係ないじゃないか!それは許しがたい!」
「えぇー……いやまぁ、そういう君だから、僕みたいなオメガにも対等に向かってきてくれるわけだけれど……それにしても……」
ぶつぶつと呟きながら、アベルがぐてっとソファに身を預けて、俺を見上げてくる。疲れたのか、気だるげな様子が無駄に色っぽい。こいつはいつも無駄に色気を振りまくのが良くない。トラブルの元だ。
「ねぇ、ロドリグの中では、本能って意思に含まれないの?」
ふと思いついたように尋ねてくるアベルに、俺は何度も似たようなことを聞くなと眉間に深い皺を刻んだ。
「じゃあお前に聞くが、食欲は意思なのか?」
「たしかに。……いや、解釈によるな」
「え?」
俺が当たり前のつもりで言った言葉に、アベルがいったん納得してから首を傾げる。
「食欲自体は生理的欲求だが、何を食べるかの選択は意思だろう。お腹が空いたからなんでも良いと言っても、まずい保存食と焼きたての肉があれば肉を選ぶ。そこには意思が介在しているだろう?」
「……そう、かもな?」
言われてみればそんな気がしてきた。俺も困惑しながらアベルを見返す。
「つまり俺とお前の解釈が異なったということか?」
「うん」
「お前の『アルファに抱かれたい』は本能でも、『俺に抱かれたい』というのはお前の選択だと言いたいわけか?」
「そんな感じ。でもまぁいいや」
ニコッと笑って、アベルが立ち上がった。
「抱いてくれるんでしょ?」
いつもの調子を取り戻して無邪気さを装うアベルに、俺は眉を顰めた。
「断る」
「なんで!?完全にベッドインの流れだったでしょ!?」
俺の短い拒否に、アベルが目を剥いて食ってかかってきた。だが、お前こそ何を聞いていたんだ。
「オメガだから、アルファに抱かれると楽になるから、なんて理由で肉体関係になるのは嫌だ。俺はロマンチストなんだ。俺は、恋人でもない相手とは寝ない」
「ちょっと待って、全然意味がわからない」
「要はちょうどいいから、発情期の間だけ処理してくれってことだろ?ふしだらじゃねぇか」
「違うよ!?君が僕の運命の番だからだよ!?」
「あー、それも嫌だ」
「なんで!!」
「運命の番とか言われても分からん。それもオメガ性の本能による生理反応だろ?気に食わねぇな。本人の意思が感じられない」
「意思意思うるさいな!何で急に頑固なのさ!このロマンチスト拗らせ石頭童貞め!」
頭をかきむしりながら、アベルがやけっぱちに叫んだ。
「じゃあ何!?僕が、君が好きだから抱いて欲しいって言ったら、抱いてくれたの?」
「あぁ、そうだ」
「ほらやっぱり無理な……あれ?」
俺の返事が聞き取れなかったらしい。アベルがきょとんと首を傾げるので、俺は言葉を変えて、肯定を繰り返した。
「それなら喜んで」
「ちょっと待って、なんだか耳がおかしくなったみたい」
顔を赤くしたアベルが、なぜか後退りしながら俺を見る。そういえばこの男の赤い顔なんて見たことがなかったな。どうやら初めて俺の方が優位に立っているらしい。内心愉快に思いつつ、俺はにっこりと笑いかけた。
「お前が俺を好きだと言うのならば、俺もお前を好きだからな。抱いて欲しいと言われれば、喜んで」
「どういうこと???」
綺麗な顔をくちゃくちゃに歪めて、理解不能な生き物を見るように俺を見上げてくるアベルに、俺は堂々と宣言した。
「本能とかはよく分からんが、俺はこの世で最もお前に惚れ抜いている。だから、お前の思うものとは違うかもしれないけれど」
ぽかんと口を開けて呆然としているアベルを見ながら、俺はくしゃりと破顔して頷いた。
「お前が俺を好きで、俺を求めてくれるならば喜んで応えるぞ。俺の人生くらいならくれてやろう」
「……ちょっと待って、頭も心もついていかない!どういうこと!?」
「うーん、通じないか。これが価値観の違いってやつか」
しみじみと頷く俺に、アベルは頭を抱えて髪をかきむしっている。禿げるぞ。
「あーーーもういやだ!訳がわからないよ!」
「何がだよ。……で、どうすればいい?」
「なにがさ」
最初とは打って変わって、感情がわかりやすくなったアベルが、不貞腐れて頬杖をつきながら俺を見る。
「もうすぐやってくる発情期、俺はどうすれば良い?」
「……知らないよ」
「これまで発情期を共にするアルファはいなかったのか?」
「……いない」
「ふーん、じゃあ見合いは?」
「……しない、してない。結婚する気もない。なんだか全部嫌になって、引きこもっていただけ」
「そうか」
誰かと番おうと思っていた訳ではないと知り、ホッと息を吐く。世界一強い俺のアベルが、金や権力しかないどこぞのアルファの所有物になるだなんて、許せなかったのだ。
「じゃあ、お前は何を望む?」
「……僕は、君に抱かれたい」
ポツリと落とされた希望は、掠れた声の懇願だった。
「ずっと抱かれたかった。運命の番だからでも、アルファだったらいい訳でもない。僕を一人の人間として、敵視したり友達として遇したり、普通の人みたいに見てくれる君が良いんだ」
真摯な愛情の吐露に、じわじわと喜びがこみあげる。安堵と歓喜の吐息と共に、俺は呟いた。
「そうか……よかった」
「……僕にここまで言わせておいて、なにを浸ってるんだよ!何が「よかった」なのさ!?」
相変わらず情緒不安定なアベルが真っ赤な顔で文句を言ってくるが、気にならない。俺は満面の笑みで返した。
「同じ気持ちでよかったと思って」
「は?」
「世界一特別な相手に、世界一特別に思われているってことだろう?そんな素晴らしいことはない。世界が春に包まれたような気分だな」
「なんで急にポエム」
「姉ちゃんの受け売りだ」
「納得」
ふふっ、くく、あはははは!
互いに吹き出して、大笑いした。
最後には涙まで出てきて、おかしくて仕方なかった。
人生最初で最後のプロポーズは、随分と滑稽で楽しい思い出になったのだった。
***
「あれ?訓練に復帰したんだ、アベルのやつ」
「あぁ」
驚いたように言う仲間に、俺は頷く。
「昨日仲直りしてきたんだ」
「は?」
仲間は、一拍おいて、頬をひくつかせながら俺に尋ねた。
「え?喧嘩してたから引き篭もってただけ?」
「そうらしい」
「馬鹿なの?」
「馬鹿だよなぁー」
「いやお前もな?」
しみじみと同意したのに、なぜか俺も馬鹿扱いされた。解せぬ。俺は喧嘩していても毎日鍛錬を欠かさなかったから、あいつとは違うのに。
「あーあ、なんだよ、痴話喧嘩かよ」
「……」
「え、なんで否定しないんだよ?いつもなら苦虫噛み殺して「ちげぇよ」って言うじゃん」
「……」
「え?」
返事をせず素振りに勤しんでいると、背後から聞き慣れた声が届いた。
「おーい、ロドリグー」
「アベル」
とん、と剣を下ろして振り向けば、ニコニコと楽しげなアベルが駆け寄ってきた。
「休暇申請の仕方教えるから、行こう」
「あぁ、わかった」
「ちょ、ま、なんの!?」
「プライベートなこと聞くのはマナー違反だぞ?」
「ぐっ」
俺の至極まともな意見に、仲間は言葉に詰まる。しかし、まぁ、休みの間はこいつにも迷惑をかけるし、伝えておくか。
「でもまぁいいか、どうせそのうち分かるしな」
「そうそう。……僕とロドリグは晴れて恋人同士になったからね!次回の発情期休暇を申請しに行くんだよ」
「はぁああああ!?」
アベルが満面の笑みで落とした爆弾に、仲間は絶叫し、周囲からも物音が消えた。
「ってことは、一番隊も二番隊も隊長不在ってことか!?」
現実的な問題に顔色を真っ青にする仲間に、俺は肩をすくめ、アベルは舌を出して頷いた。
「そういうこと!」
「頼むな、三番隊長」
「マジかよお前ら!?」
気の毒な三番隊長に掴みかかられそうになるも、俺たちはひらりとかわして、サクサクと休暇申請を提出しに向かう。訓練の休憩時間内に出してこないといけないので、相手をしている暇はないのだ。
「嘘だろぉおおおお!?これだからっ!これだからアルファもオメガも嫌なんだよッ!!」
俺たちの後ろでは、ベータの三番隊長の悲鳴が虚しく木霊していた。
***
初めての発情期休暇は、酷く朦朧としたものだった。
アベルに誘われるまま、俺は酩酊したような心地で、気がつけば目の前の紅唇に噛みついていた。どこもかしこも美味しそうな匂いがして、飢餓感を刺激される。何が何だか分からず、ひたすら「うまそうだ」「頭から丸呑みしたい」と懺悔のように呟いていたら、アベルがクスリと笑った。
「ロドリグ、君、フェロモンによる性的な欲求を食欲と判断しているんだね」
「そう……なのか?」
そう言い切ると、アベルはうっとりと微笑み、俺に囁く。
「君が今感じている、食欲をそそる匂い……これが、フェロモンだよ」
「……あぁ、そうなのか」
蠱惑的な微笑に思考を侵され、何も考えられないままに、俺は納得した。あぁ、そうか、だから。
「だから時々、噛みつきたくなってたんだな」
「え?」
「肌が白いし、なんか、うまそうだなって……食欲なんだと思ってたよ」
訥々と語る俺に、アベルは呆れた顔で眉を釣り上げた。そしてわざとらしく声を荒げる。
「それ性欲だよ!もう二度と、食欲と混同しないでねっ!?」
「ん……悪かった」
甘く叱責する声に、俺はうっとりとしたままで問い返した。
「で、……食べちゃダメなのか」
「食べ……!?ひ、比喩的な意味なら、……どうぞ」
「いいのか」
「……ぜひ」
衝動のままに抱き合い、うなじに噛みついて番う。多幸感に脳みそが溶けそうだった。
いつまでもおさまらない熱に、俺たちはひたすら抱き合い、貪り続けた。
もう二度と離れない、放せない。
お前は一生俺のものだ。
互いにそう誓い合いながら、俺たちは初めての愛欲に溺れた。
……そんな脳味噌が溶けそうな夜は、丸一週間続いた。
「騎士で良かった。一週間も体力がもつなんてすげぇな俺たち」
「主に君ね!?僕は当分剣なんか振るえそうにないよ!!」
「そ、そうか……」
詰るように喚くアベルに俺は眉を落とす。割と申し訳なかったと思っているのだ。
だが、半泣きの三番隊長から苦情が入ったので、俺だけでも訓練場に向かわなければならない、が。
「……早めに帰ってくるから」
「…………ん」
新婚らしいやりとりに頬を染めながら、俺たちは頷き合う。
ちゅ、と可愛らしい口付けは、頬にだけ。
「行ってらっしゃい、ロドリグ」
「行ってきます、アベル」
名残惜しいけれど、このまま行こう。
唇に口付けたら、きっとまた止まらなくなってしまうから。