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継の箱庭  作者: 福猫
24/24

●大変よくできました

 藤子さんとお花見の約束をした。

 藤棚が満開になるのは五月頃だって教えてくれたリューが、カレンダーを持ってきてくれたから、どの日にしようって相談して、五月中頃のお天気がいい日にお電話しますってことで決まった。


 そういえばカレンダーを見たのが初めてだって伝えたら、藤子さんが色々教えてくれた。

 春の庭は一月から六月までが春、そのあとは二カ月ずつ季節が進んでいくんだって。

 今日は三月十日だったから、お花見まではまだまだ遠いねって言ったら、どんな着物を着て行こうか、どんな料理を作って行こうか、どんなことを一緒にしようか今から考えることがいっぱいで楽しいって藤子さんが笑ってた。

 当日だけじゃなくて、その日を考えながら準備する時間も楽しんじゃうなんて、人間って面白いなぁ。


 わたしの頭を撫でながら、お花見の日までに一度着物を合わせに来ると告げて、藤子さんは帰っていった。


 時間はお昼を少し過ぎた。

 お客さんのいない間にいつものカウンターで、でも、初めて椅子に座ったまま昼食を済ませて、そのあとは読書でもするのかなって思ってたら、わたしが何をしたいかって聞かれた。

 だから――



「文字を覚えたい。書けるようになりたい」



 って、答えた。

 たくさんの文字を覚えるのは大変だから、今から始めて、少しでも早く使えるようになりたい。

 グッと手を握りしめて力強く発したわたしに、リューは紙とペン、そしてお店のメニュー表を差し出してきた。



「メニューの名前が書けるようになれば、お客さんから注文を取って、メモに書き記すことができるでしょう?」


「! お手伝いできることがひとつ増えるね。うん、頑張る」



 ペンの持ち方を教えてもらい、メニュー表の文字をお手本にして、紙に真似て書いていく。

 そういえば、猫の時に文字なんて覚えてないのに読めているのは箱庭の自動翻訳のおかげって言ってたけど、じゃあどうして書くのには練習がいるんだろう……。



「どうして知らないはずの文字がいきなり読めるのに、書くのはできないのかな?」


「うーん、そうですねぇ……美夜が猫だから、というのが大きな理由ですかね。文字が読めるように知識を与えられても、頭で文字や書き順が思い浮かんでも、実際に書くという動作は体が覚えていないとできないことですから」



 そういうものなんだ。

 たしかに文字を見ると、この字はこういう順番で書いていくんだなって自然に思い浮かぶのに、ペンを握った手の動きはなんだかぎこちなくて、線がヘニョってしてる。



「なかなか……難しいね」


「ふふふ。私たち人も、子どもの頃はそうやって苦戦しながら文字の練習をしたものですよ」



 リューもきれいな字が書けるようになるまで時間がかかったって。

 みんなそうなんだ、わたしだけじゃないんだ……このヘニョってなってる字が、いつかきれいに書けるその時まで、毎日頑張って練習しようって思った。


 生まれて初めての、文字を書くという動作をしばらく続けていると、ふと手を止めた瞬間に感じた疲労がすごかった。

 手が……ジーンってしてる。

 現世では、一気に手を使いすぎると腱鞘炎っていうのになるくらいダメージを受けるらしい。

 病気のない世界だけど無理はよくないから、ひとまずはここまでと言ったリューにより、練習セットが回収されていった。


 手だけじゃなく全体が固まってるような気がしたから、椅子から降りて大きく伸びをする。

 ふぅーっと息を吐いて力が抜けたところで、再びドアベルが鳴った。



「いらっしゃいませ!」


「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」



 次のお客さんはふたりのおじさん。んー、デイビッドさんより少し若い……のかな。

 窓のある広いテーブル席へ座った。

 ……あそこが一番遠い席なんだよね。


 注文を取り、珈琲を淹れていくリューを見ながら数分、いよいよ私の出番だ。

 練習どおり落ち着いて行けば大丈夫。

 液体の入ったカップをふたつお盆に載せ持ち上げる。

 足元に注意しながら、でもお盆はまっすぐ、視線は前に下にと忙しいけど慌てずに。



「お待たせいたしました」



 無事辿り着いた……けど、まだ気を抜いちゃダメ。

 えぇと……奥の人が黄色のカップで、前の人が青いカップ……だよね。

 リューに言われたとおりに出して、ごゆっくりお過ごしくださいって伝えてカウンターへ戻る。



「よくできました」



 リューのその言葉を聞いてようやく肩の力が抜けた。

 へへへ。よかった、ちゃんとできた。


 今日はそのあと、新たにひとりのお客さんを迎えて営業終了。

 夕焼け空の赤色に夜色が混ざり始めた頃、看板を片付けてお店を閉めた。



「今日はお疲れさまでした。お手伝い初日から素晴らしい働きぶりで、大変よくできました。私もとても助かりましたし、ありがとうございます」



 リューがいっぱい褒めてくれるから、ほっぺたがずっとにゅふにゅふ緩んでる。

 明日も頑張る! という宣言を残して、ふたり二階へ戻っていく。


 初めての仕事を終えた疲労と達成感がなんとも心地よくて、リビングのソファーに座り、クッションを抱きしめたままぽけーっという効果音が聞こえそうな顔で呆けていた。


 なんとなく彷徨わせた視線を、読書中のリューに止めてしばらく…………あ、そうだと思い出す。



「お風呂」



 バサッ――


 わたしが呟いた瞬間に聞こえてきた落下音は、目の前のリューからだった。


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