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第八十六話 トラップと殺虫剤


「ドォン!!!」


 後方で爆発音がした。また、追ってきている雪女が何かしてきたのかと思った。しかしこっちには何も飛んでこず、むしろ、恐らく下り坂の終わりの地点あたりから悲鳴が聞こえている。

 大きな氷山が現れているのが見えた。その上に雪女の死体らしき物が大量に乗っていた。空中で雪女の体が飛んでいた。遠くだから虫みたいに小さく、大量に見える。


 カミヤがボソボソ何か唱えていた。体と口から冷気が漂っている。

やがて何か呟くのを止めると「ふぅ」と一仕事終えたような溜息をついた。僕は氷漬けの遊園地を思い出した。


「杯を、さっき置いてきたんだ。やられっぱなしは癪だからね。さっきのお返しだ。モテる男はお返しを忘れないのさ」


 杯の効果は、確か杯の場所へ自分の氷の力を送る事だったはずだ。離れた場所にでも、そこに杯を置いていれば氷を転送できる。カミヤは坂の途中で杯を置いてきて、今それを発動させたのだ。


「……先にトラップを置いたのはこっちだと思うけど。というか、四十倍返しくらいになってないか?」


「ちょっとだけ本気を出したよ」 


 この中で一番、雪の力が強いのは多分カミヤだ。地獄の中でも、由紀は第三の「アタタ」までしか使っているのを見たことがないし、枝川の時にピンチになっても、四は使ってなかった。カミヤは杖を取りに行った時、大量の雪女を一人で相手にする時に第四の「カカバ」まで使っていた。それが力の天井とも限らない。一体どこまでできるんだ、コイツは。





 上り坂は傾斜が緩やかな癖に、そこまで長くなかった。坂を終えると、平野に出た。一面平坦な雪原が、全ての方角へどこまでも続いているように見える。


 てっきり再び下り坂が続くのかと思っていた。雪女の里に来る時は、山を登ったり降りたりを何回繰り返したか分からない。小さい山もあれば大きな山を超えたこともあった。もちろん平野もあったが、カミヤが倉の裏のルートは険しいと言っていたから、ずっと下りのような急傾斜なのかと思っていた。


 しかし険しかったのは最初の下りだけだったようだ。あれはほとんど崖みたいだったし長かった。これからまた、あれ以上のが出てくるのかもしれないが。


 僕から五メートルくらい前で、カミヤは立っていた。静かに背を向けている。カミヤは到着した時に、子供のようにはしゃいで最後の一歩を大きめに飛んだので、坂の終わりからは離れた位置にいた。


 由紀は最後の最後までスキーのように滑っていて、僕の左側に「ザッ」というブレーキの音を立てて止まった。さすが雪女はスキーまで上手なのかと思った。


「平野だな」


「だね。微妙に斜めってはいるけど」


 僕が辺りを見回しながら独り言を言うと、由紀が反応してくれた。

 続けて、カミヤが前を向いたまま口にする。


「広いねぇ。まぁ、ここだと結果的に回り込んだらすぐ来てくれるからいいね」


「……どういうこと?」

 僕が尋ねてもカミヤは何も答えなかった。疲れていて意味不明な事を言ってしまったのかと思った。


 雪はかなり弱まっていた。分厚い雲が過ぎ去ったのだろうか。月と星の光が届く。空気が綺麗だからか、冬だから空気が澄んでいるからなのか、星は多く大きく感じられる。夜空に散らかしたみたいにある。

 ひたすら広い一面の雪原に真っ暗い天空から微かな光が届けられるのは、幻想的に見える。こんな危機的な状況じゃなければ、一晩中見惚れていたいところだ。


「坂を登って来る雪女たちを雪崩の箱で流してくるよ」


 カミヤは僕の頭の中で広がりつつあった風情をぶち壊す事を言った。


「殺虫剤撒いてくるわ。これで、あいつらも全滅だろう」


 こう言い残して、カミヤは振り返って先ほど僕らが登ってきた方へ歩いて行く。僕の横を通ってすれ違う。

 由紀はカミヤの方を向いて意外そうな顔をした。


「ちょっと疲れてるのかな?」


「いや、あいつの体力は無尽蔵だと思うけど」


「でも何か元気なくなってるような」


「そういう振りをしているだけじゃない?俺はもうあいつを信じないと決めたんだ。由紀も止めた方がいい」


「でも、逃げながら後ろの雪女にあれこれして、本気出したとか言ってたし」


 由紀と僕がこんな会話をしている間に、カミヤは坂にたどり着く。古臭い箱を持って、そのまま覗き込むように下り坂を見下ろそうとした。

 矢をリリースする時のような「パシュッ」という音がした。音につられて、つい音のした方を見る。


 カミヤの横から、つららが飛んできていた。ちょうどカミヤの右頬を貫こうとする軌道だった。僕は「左!」と大声で叫ぶ。


 カミヤは一秒も見てないはずなのに、左手で邪魔そうにつららを叩いた。心底面倒臭そうな顔をしていた。「いたぁ……」と言いながら手を振っている。血は出ていない。まるで、机の角に手の甲をぶつけた時のような反応だった。


 何重にも重なる足音がする。坂の方向からではない。左からだ。遠くの、雪が重なって見えにくくなっている地点から人影が見える。人影はだんだんと輪郭を帯びてくる。雪女が何十人もいた。

 ゾロゾロと左側から出てくる。ひたすら僕たちを追っていたのとは別の一団だ。


「お前らかよ。別ルートからも回り込んでたのか。どこから出てくるってのも、本当にゴキブリだな」


 カミヤが呆れたようにこう言った瞬間、坂の下がキラリと光った。カミヤは顔をのけぞらせる。ギリギリの所で、前から飛んできた光線を避ける。髪の先をかすめていた。


 体をのけぞらせたまま、カミヤは一歩強く踏み込んで高く飛ぶ。ふわりと、僕の近くに着地する。


「これって逃げ切れると思う?」

 カミヤが僕に聞いてきた。


「無理、だと思う」


「俺も無理だと思う。でも見てよ、あいつらの顔、殺る気満々だよ」


 右側からつららを飛ばしてきた、新たな雪女の一団をカミヤは指差していた。

 ずっと僕らを追いかけてきた雪女たちも、ズルズルと坂を超えて平野に現れる。


「うわぁ、登ってきた……雪崩すんの忘れてた。というかできなかったよ」


 坂から出てきた雪女は減っていた。倉を囲んでいた状態から新たに増やしたが、カミヤのトラップや皿のせいでまた減ったのだろう。杖の乱射も関係あるのかもしれない。あれは普通の雪女なら一発か二発撃つたびに倒れるようだ。もしかしたら死ぬのかもしれない。しかし、増援が左から現れたので結局は増えている。


「結構いるなぁ。八十、いや、百はいるだろ。ワンチャン百三十とか。百五十はいないと思うけど。いや、いるかもしれないけど」


 カミヤがテンパって要領の得ないことを言う。


「どっちだよ」


「だって、後からまだ増援来るかもしれないし。そうなったら死ぬ。どうする?俺たちで相手する?全力で逃げる?」


 由紀が「逃げるのは無理なんじゃなかった?」と聞いた。


「ん~、多分、一人は捕まると思うけど。春樹、捕まってくれる?」


「嫌に決まってんだろ」


「相手するんなら、ワンチャンいけるような気がしないでもないけど」


「三対百で?」


「三じゃないよ。聞こえる?」


 何が?と聞こうとした時に、左からつんざくような悲鳴が聞こえた。反射的に目を向けると、三人の雪女の首元がえぐれていた。肩は丸ごとなくなっている。

 傍からグチャグチャと肉を噛んでいる音がした。三体の獣がいた。彼らは咀嚼するように顎を動かし、口元からは血が滴り落ちていた。

 やがて目の焦点が合って、輪郭がはっきりとしてくる。視界に映った姿に僕はデジャヴを覚える。狼だ。いや、コイツは狼男だ。


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