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第八十五話 針山と跳躍

「アブダ」


 カミヤがこう唱えると、右手の周りに鋭い円錐状のつららが何本も形成される。そうして後ろをチラリと見る。

 雪女の軍勢は大量の松明の明かりが見えるだけで、姿は闇に隠れてほとんど見えない。かなり離れているように思う。


「そのつららを飛ばしても、届かなくないか?」


 僕は思ったままをカミヤに問うた。隣を見過ぎたあまり、自分の足音への意識がお留守になってしまい、バランスを崩しかける。ここでこけたら、後ろから迫ってくる雪女との距離が一気に狭まる。危なかった。


「アブダ、アブダ、アブダ、アブダ、アブダ」


 何回もカミヤは早口で氷の呪文を唱え続ける。つららは右手の周囲だけでなく、腕にも左手左腕に何重にも纏われている。

 僕の言葉を無視していたカミヤが、ようやく僕の方を見てニチャアと口の端を歪めて笑った。邪悪な笑顔だ。こういう顔をしている時のカミヤはろくな事を考えてない。


 カミヤは右手を振り上げて、思い切り地面に振り下ろした。手と腕の周りのつららが、先端を上にして雪にめり込むように埋まっていく。

右半身を纏うつららを全て撃ち終わると、続けて左半身のつららも地面に撃ち込む。その間に「アブダ」と何度も唱えてつららを右腕に纏わせていた。

 器用な事をしているのに、雪の坂道を下るスピードは全く変わらない。

 これを五回も繰り返して、カミヤは「ふぅ」と息をついた。


「トラップ完成」


 既に後方にあるが、細く鋭いつららが雪から二十センチほど突き出ている区域がいくつもできていた。僕は後ろを振り返る。所々、大きな剣山が雪から顔を出しているように見えた。針山地獄のように広い箇所もある。


 坂道を高速で滑っていると、あれに引っ掛かるだろう。そうすると前のめりにこけて体が串刺しになるだろう。僕はその光景を想像してゾッとした。


「妨害は先を走る方が圧倒的に有利だからねぇ」

 こう言いながら、カミヤはまだ地面につららを撃ち込んでいた。邪悪な笑顔をしていた。しかし先ほどよりかは本気でなく、ながら作業に近かった。隣から音がしているのに気づいて見ると由紀も同じように雪の坂に針山を埋め込んでいた。


 僕は「えぐいな」と小声で呟きながらも、同じことをした方がいいのだろうかと迷っていた。「僕たちが前に走っていて良かった。同じことをされてたら死んでたかもしれない」


「あいつら頭悪いからこんなことはしないと思うけどね。でも、俺は前よりも後ろにいる方が良かったな」


 カミヤはこう言った。


「何でだよ?」


「だって俺が後ろから追う側だったら、雪崩起こして勝ちだもん。生き埋めにしてさ。雪崩の箱は回収できてるし」


 カミヤは雪崩の箱を取り出し、空中に軽く投げてキャッチする。結構な速度で坂道を駆けていると思わせないような一連の流れだった。後ろから、雪女の空気を引き裂くような悲鳴が聞こえた。僕たちは前に進み続ける。


「エグいな」と僕は顔をしかめて再び呟いた。さすがに同情する。


「ゴキブリを殺すのをエグいって言う奴、初めて見たよ」

 不思議そうな顔をしてカミヤは言った。


 雪女の悲鳴が次々に響いてくる。針山は不規則に分布しており、あの大群が坂を滑り降りていて、見つけて避けるのは難しいだろう。先頭の雪女も見つけて避けれるか分からないし、後方の雪女は前が見えにくい。横に広い剣山もあり、それだと急には避けられない。


「あいつらいつまで追ってくるんだろう?」と僕が疑問を抱き、由紀が「どこまで行くつもりなの?」とカミヤに聞く。


「逃げ切るまで」


「いや、それはそうだけどさ」


「まだ距離はある。当分追いつかれないよ。後ろどうなってる?」


 僕は軽く後ろを振り返る。暗闇で遠くは見えないが、石の氷具が出す青白い光が松明の光の動きが止まっていたりするのは分かる。僕は前を向き直す。


「パッと見て分かるくらいに数は少なくなった。でもいる」


「向こうも早いね。もう、ここで由紀ちゃんを逃したら終わりだって思ってるんだろう。あいつらも必死なんだろうなぁ」


 カミヤの話し方は、僕に三か月ほど前の出来事を思い出した。いよいよ夏が終わる直前で、カミヤにアーチェリーを教え込まれていた時だった。

 休憩中に僕がトイレに行って帰ってくると、カミヤが座り込んでいた時があった。何を見ているのかと後ろから覗き込むと、カミヤは地面のアリの巣を眺めていた。ちょうど虫の死骸を巣に引き入れる所だった。その時に「大変だなぁ、アリも」と言ったが、その時の言い方と全く同じだった。


「いくらトラップ作っても、スピード上げても、振り切れる気がしないよ。執念だね。追い詰められた奴は人間でも妖怪でも強い。火事場の馬鹿力ってヤツだ。応援したくなるよ」


「最後の絶対思ってないだろ」


「まぁ、それでも俺たちの方が早いと思うけど。今は下り坂だから微妙に位置バレてるだろうけど、登り坂になってそれを超えてしまえば向こうから見えなくなる時が来るって、偉い人が言ってた。そこから俺が登って来る雪女に雪崩を撃ってもいいし」


「信用していいのか分からないんだけど」

 由紀が不信感丸出しで言う。

「前科あるし」


「信じてよ、仲間なんだからさ。大丈夫だって。もうほぼ勝ちみたいなもんだよ」


 風が吹いた。ゴウッという低い音が耳元で聞こえる。僕は風で体を持っていかれそうになったが、なんとか持ち直す。


「風強いな」と僕が言った瞬間、後ろから青白い光線が飛んできた。


 光線は僕たちの上を通過して、地面に衝突して爆発する。流星が降ってきたのかと思った。光線と地面の衝突した場所から大量の雪が吹き上げられる。さらに強い風が襲ってくる。

 青白い光を見た瞬間に何だか分かった。六出の杖だ。氷具の倉で雪がマンホールを使って追い払ったが、それをまだ拾って持って来ているらしい。


 由紀は風で髪が乱れるらしく、右手で頭を抑えていた。目を細めて爆発地点を見やっている。

 僕は驚いてしまって、それがすぐに冷めなかった。

「ビックリした。こわっ、というかあぶなっ。杖撃ってきやがった」

 突然の攻撃にビビってしまっていた。


「でもまぁ、当たんないよね。ただでさえコントロールがムズいし、こんだけ離れてちゃあ。これでもよく近くに当てれた方だよ、まぐれだろうけど」


 カミヤの言う通り、なかなか次は当たらない。一番最初が一番近くに落ちた。しかし光線が落ちてくる度に地面が揺れ、大量の雪が噴き上げられて体に吹きかけられる。

 下り坂が終わり、次は緩やかな登り坂になった。


 カミヤは数メートル宙に跳ねては着地してまた跳ねた。こうして坂を登ってゆく。ウサギのようだ。飛んだ時に足元の雪がカミヤの足を押し上げるようにうねっている。こうして跳躍力をつけているようだった。カミヤは雪ウサギだとつまらない冗談を大声で、わざわざ僕に聞こえるように叫んだ。


 由紀はそのまま坂を滑るように登っている。足を地面に着けっぱなしだ。

「跳ねるよりもそのまま足元の雪を後方に流して推進力にする方が得意なの」と言った。「もう少し急だと跳ねたほうが傾斜の影響が少なくて済むからジャンプして行くけど。慣れてるから傾斜が緩やかだと、この方が早く楽に進めるの」 


 結局、僕は坂を飛び跳ねることにした。二つの方法を少しずつ両方やってみて、こっちの方が楽だった。着地した時だけ、足元に力を込めて氷か雪を出せばいい。空中には数秒いるのでその間は楽だ。

 着地や跳ねるときにバランスを崩しかけたら、手をついて手から出せばいい。三回に一回くらいは手をついた。手を使ったら、まず失敗することはない。初めてだったが、由紀とカミヤと比べても、坂を登るスピードはあまり変わらない。ついては行けている。


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