第八十三話 鮫とマンホール
再び、雪女が杖を構える。杖の先に光が灯る。「キィィィン」と、ガラスを引っ掻くような音が聞こえてくる。
由紀の事が頭をよぎった時、ちょうど由紀が奥から出てきた。小走りで僕たちの方へ来て、外を覗き込んで「バレたんだね」と呟いた。すぐに大体の事を悟ったようだった。
由紀は手に、何か大きな金属製の物を抱えていた。曲線を帯びているように見えるが、細かい部分は倉の中は薄暗いので分からず、一体それが何なのかは分からない。しかし持って逃げるには明らかに大きすぎる気がする。
杖を持った雪女は、杖の先端を倉の方へ向けてくる。真っすぐ僕らのいる扉の方に向けている。両手で握りしめていた。由紀も使い始めの時は反動でコントロールが狂っていた。
やけに溜めの時間が長い。先端の白い光は大きくなる。辺りを響かす金属音も大きくなっている。
「あの杖さ、味方が握ってる時はめっちゃ心強いけど、敵が持ってると絶望感ヤバいね」
カミヤは何故かヘラヘラ笑っていた。頭がおかしくなったのかと思った。既に十分おかしいが。
「なに呑気な事を言ってんだ。棒立ちして。すぐに次が飛んでくるぞ。距離取って避けるかニラブダで防ぐかするぞ」
僕はカミヤと由紀の腕を取って倉の端に寄ろうとしたが、カミヤは「大丈夫だって」と言ってその場を動こうとしない。逆に服の裾を掴まれた。
「はぁ?」
何をコイツが考えているのか、全く分からなかった。カミヤは由紀を指差した。
「下手にうろついたら当たるよ」
「だからここにいたら当たるんだよ」
由紀は立ち上がり、扉を開いて一歩外に出た。そして三歩ほど前に進んだ。
杖を持った雪女は由紀を真っすぐ見つめる。フラッシュが炊かれたように、一瞬の閃光が辺りを包む。
先ほどよりも太い光線が飛んでくる。それは外に出た由紀に直撃する。僕は一瞬、頭が真っ白になった。
しかし白い光は由紀の体を消し去ることなく、由紀の少し前を起点にして二股に分かれて流れて行った。流れた光は左右の壁の奥に大きな穴を開けた。僕とカミヤには当たらなかった。
「盾?」
由紀は体の前に、何かを持って構えていた。一人だけ倉の奥に残って探して、先ほど持ってきた物だ。杖からの光を完全に防いでいた。これが、由紀が探していた父親の氷具なのだろうか。
まだ杖の光は続いている。由紀が体の前に押し出している氷具が、光を二股にして流す。由紀と杖からの光はかなり近く、おかげで持っている表具の細かい部分が明らかになった。
形は大きな円盤だった。分厚く重たげな金属でできていた。表面には細かく模様や数字が掘られている。
「……マンホール?」
細かく見せて貰う必要もなく、マンホールだった。道路に埋め込まれている、誰も見向きもしない円形の金属だ。それを、由紀は持って盾にしている。
「ふざけたもんだけど、由紀ちゃんにとってはあれが父親の形見なんだ」
カミヤが隣で言った。
「彼女の父親は捕えられて、適当にそこら辺にあったガラクタを氷具にされた。屈辱的だっただろうね」
杖から伸びる光は徐々に薄れて細くなり、空気に溶け込むように消えていく。光が消えても由紀はマンホールを構えたまま立っていた。結局、六出の杖での攻撃を最後までマンホールで弾いた。
乾いた木の音がした。雪女の手から杖が滑り落ちて地面に転がっていた。直後、雪女の体も崩れ落ちるように地面に倒れた。指先をピクリとも動かさなかった。
「力を使い果たしたみたいだ。杖は使えたけど、由紀ちゃんほどじゃあなかったね」
カミヤが平然と言った。
「光線も由紀ちゃんより細くて色も薄かったし」
地面に転がった杖を、別の雪女がかがんで手に取ろうとする。いくら雪女が一人二発しか撃てないとしても、雪女は三十人以上いる。いくら由紀がマンホールを使ってあの全てを吹き飛ばす杖の光線を防ぎきれるとしても、何十発もは簡単にいかないんじゃないか。
「もう少しだけ力を貸して」
こう呟いて由紀は体をねじり、マンホールをフリスビーのように投げた。
マンホールは相当重たいはずなのに、予想外に遠くまで飛んでいった。空気を平行に切り裂いていく。ちょうど雪女たちの立っている手前に落ちると、地面にぴったりと張り付くまで「ガランガラン」と音を立てて不安定に回っていた。
マンホールが動きを止めて静かになると、円形の淵と表面の模様が光った。表面には文字と数字が掘られてあるので、光のペンで描かれたみたいになっている。マンホールの番号と土地名らしき漢字が浮かんでいる。漢字の方は光で文字が潰れていて読めない。
マンホールの輝きが増したと思ったら、いつの間にか地面の上で光ってる円が二つになっていた。その二つがさらに細胞分裂のように四つに増え、さらにその四つが八つになる。全てが円の中に模様と文字を浮かび上がらせている。遠目にはどれが最初のマンホールなのか見分けがつかない。あっという間に雪女の周囲の地面はマンホールだらけになった。
雪女は足元に浮かんでいる無数の光のマンホールを見て、それらを踏まないように飛び跳ねていた。円が揺らぎながら迫ってくると慌てて足を上げている。その様子を眺めて僕は呑気に、小学生の頃の帰り道にやっていた、道路の白線だけを踏んでアスファルトの黒を踏むと鮫に食われて死亡という遊びを思い出していた。
「ありがとう。さよなら、お父さん。最後に会えてよかった」
由紀はこう呟いた。全てのマンホールの円の淵がピシピシと凍り始める。
直後、一つのマンホールの上から何かが飛び出した。マンホールの淵をなぞった太さの氷の柱だった。夜空に突き刺さりそうなほど高く伸びている。
次々と、マンホールの上から氷の柱が飛び出す。全て直線状に伸びているが、斜めだったり、上向きだったり、ほぼ真横だったりする。マンホールから氷の柱が現れる度に、爆発するような低い衝撃音が聞こえる。その音が無数のマンホールで連続して重なって、滝で水が絶え間なく水面を打つ音に似ている。
飛び出した氷に雪女の体が当たる。その度に雪女の体がはじけ飛ぶ。それは腕だったり、足だったりする。胸を貫かれた者もいた。その数は一人や二人ではない。誰かの腕が飛び散って宙を舞ったかと思うと、手前に次々と現れる氷の柱で見えなくなり、それがまた新しく雪女の体の一部を吹き飛ばす。
マンホールから飛び出した氷の柱はなかなか止まない。一つのマンホールから上方と左斜め右のように、二つか三つ氷の柱を現わしていたりする。
由紀の前方は氷の柱で隙間なく編みこまれたようになっている。その壁で雪女とは完全に隔てられた形になった。いや、向こう側の雪女で生きている者がいるのか分からない。
僕らは蔵の出口に立っているが、前方にあるはずの空地や広めの道も、右側の屋敷も左側に伸びる道やそれを挟む林も、斜め上の夜空も、全て遮られている。編みこみの氷の壁しか見えない。そして一本一本の氷には血が滴っている。氷の柱が現れる間隔は遅くなってきているものの、まだ終わってはいない。
やがてマンホールからの攻撃は止み、あたりは静かになる。
由紀は氷の壁の前に立ち尽くしていた。僕とカミヤは後ろから眺めていたままだった。
「終わった。行こう」
由紀は僕らの方を振り向いて、少しはにかんだように笑った。
「最後に会えたから。もうこの場所に心残りはない」
何気ないような調子で由紀は言ったが、僕はまだマンホールによる攻撃のすさまじさが頭の中で消化しきれておらず「あぁ」とも「うん」ともつかない「あぅん」という返事を上の空で返したのみだった。
カミヤも少し呆然としていたが、少し考えて言った。
「しょうがない。蔵の裏手から逃げよう」




