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第七十七話 歴史とクールタイム 


 頭の中に送られていた映像がようやく止まり、意識が現実に戻ったきた時、僕の周囲を取り囲む紺色の空気は薄れてきていて、半分透明になっていた。ドーム自体も同様に、だんだん消えようとしていた。


 ドームの内側に映し出されていた映像も消えている。あれは何だったのか。まるで、自分が追体験したみたいに感じられた。まだ、僕の中に重くのしかかっている。


 いや、分かってはいる。あれは、銀霰姫の歴史、そして記憶だ。

 銀霰姫の相続の時に、恐らく新しく銀霰姫となった雪女は全てこれを見たのではないだろうか。この、天牢雪獄の中で。僕は誤って入り込んでしまったから、由紀が見るかもしれなかった映像を代わりに見てしまった。


 だとすると……いや、そんなはずは……まず、今の銀霰姫が生きているなら、その心配はないはずだが……大丈夫だ、僕はそもそも雪女ではないのだから……


 とりとめのない仮説が頭の隅に浮かんでくるが、追体験させられたような映像の衝撃がまだ頭の中にずっしり残っていて、まだまともに考えることができない。

 由紀やカミヤの顔がはっきりと見えるが、どこか遠くか、画面越しのように感じる。僕の意識はまだ頭の内側に向いていた。殺される直前の銀霰姫の映像や、数限りなく行われた儀式の様子が、まだ脳内で再生されていた。


 ドームはやがて空気に溶け込むように、完全に消えてしまった。僕を取り囲んでいた冷たくて青い空気もなくなっている。

 由紀とカミヤが駆け寄ってくる。二人とも何か言ってくれている、心配の言葉をかけてくれているのだろうが、上の空で耳に入っても脳まで届かなかった。僕は銀霰姫の方を見ていた。


「あぁ……あぁ……」


 銀霰姫は地面に膝をつき、うなだれたような恰好をして、ボソリと呟いていた。


「あぁ……あぁ……失敗だ……」


 こう何度も聞こえた。由紀とカミヤも銀霰姫の方を見る。銀霰姫もこっちを見た。視線は僕の方に向いている。


「全部、台無しだ!!あれだけ用意したのに……この時をどれだけ待ち望んだか……それを、最後の最後で……どうして……どうして、人間!!お前が中に入ってきたんだ!!」


 鶏のように目を剥いて、銀霰姫は僕に叫ぶ。声の勢いが強くて、口からの風圧が全身に浴びせられているように感じた。


「だから、やっぱりお前を殺してからにしようと思ったのに……真っ先に殺そうとしたのに、カミヤが守ったから……カミヤ、なぜ守った?自分の腕を盾にまでして」


「ん?そりゃ、好きな人を殺すって言われたら腕くらい捨てて守るでしょ?なに、バカみたいなこと聞いてんの?」


 カミヤは腕に包帯を巻きながら答える。腕のつららは抜けていて、腕の表面に薄い氷がカサブタみたいに張り付いている。数秒後に僕は止血なのだと気が付いた。


「死ねって言われて死ぬ奴はいないのと同じだよ。言われたのが好きな人だったら守るでしょ?あぁ、君は死ねって言われて死ぬから銀霰姫になったのか。バカだったね、ごめんね」


 包帯を切って、歯と左手を使って器用に腕に結びながらカミヤは言う。半分くらいはモゴモゴ言って聞こえにくい。


「ふざけやがって」


 銀霰姫は怒りの形相を深くした。眉が吊り上がり、目は見開きすぎて目尻が裂けそうだ。というか、少し裂けて血が流れている。般若の面のようだ。

 右手の手の平を僕らの方に向ける。完全に銀霰姫の顔から冷静さは消えていた。感じられるのは真っ赤な怒りと殺意のみだった。


「アブダ」


 こう呟き終えるか終えないかという瞬間、銀霰姫の腕にヒビが入った。ヒビは手の甲を渡るように線を引き、着物の袖から覗く腕の部分にも割れ目が入った。まるで氷がハンマーで叩かれた時のようだった。


 銀霰姫は僕たちに向けていた手を引っ込めた。ヒビの入った右腕を左腕で握り、悲鳴を上げた。


「ピキッピキッ」


 今度の音は僕にも聞こえた。銀霰姫の頬に、ヒビが入った。続けて叫び声が部屋中に響く。首にも亀裂が走る。

 銀霰姫は突然、激しく嘔吐した。大量に床に吐き出したのは水の混じったみぞれだった。

 一通り霙を吐き終えて、銀霰姫は口を拭う。口から冷気が広がる。額に小さなヒビが入る。


「ドームの中に放出していたマカハドマが戻ってきた……私の中に戻ってきた、由紀の体に移すはずだったのに……せっかく静めていたのに、暴走して体の中で波を打ってるみたいだ……私の体の中で、まともに制御できなくなっている……とんでもないことをしてくれた……」


「デリケートだからねぇ、天牢雪獄は」とカミヤは呑気に言った。


 銀霰姫は苦しげな目で僕を見やる。


「おしまいだ……お前がいたから、異物があったから……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ!!」


 眉間と首元に、大きな亀裂が走った。銀霰姫の体はいつ割れてバラバラに崩れ落ちてもおかしくないように思えた。

 続けて、地響きがした。巨大な地震みたいで、僕は地面に膝と手をつく。

 ゴゴゴと音を立てながら、壁の氷が震えている。この部屋の内側に纏わり付いている氷が、ゆっくりと壁に溶け込むように引っ込んで消えていく。床の氷も同様だ。

 祭壇も、地面に沈んでいく。氷具を置いていた燭台は折れて地面に転がっていた。


「あ゛あ゛あ゛ぁぁ……待て、戻れ、戻れ……」


 銀霰姫の懇願も空しく、壁の氷は無慈悲に消えていく。銀霰姫は壁や床に手を当てて力を込めたようだったが、少し祭壇が床に沈むスピードが遅くなっただけで効果はなかった。

 やがて地響きは止んだ。元の、普通の広々とした座敷に戻った。先ほどまでゴツゴツとした氷の壁に囲まれていた面影は全くない。床も南極の地面のようではなく畳だ。祭壇もなくなっていた。所々に氷の欠片が落ちているだけだった。あと、燭台から落ちた面や杖などの氷具が部屋に散らばっている。


 銀霰姫は地面に膝をついたまま、うなだれていた。長い髪が顔の横を隠してしまって表情は見えないが、絶望していることは確かそうだった。僕はその様子を静観していた。


「天牢雪獄は連続して使えない。一度使えば、次に使うまで十四日のインターバルをおかなければいけない。クールタイムってやつだね」カミヤが隣で言った。「もう終わりだよ、お姫様のわがままは。君の体も、もう限界じゃないか」


「私はどうすれば……銀霰姫は誰に……どうやって……どうなるの?」


 銀霰姫は俯いた顔を少しだけ横に向けてカミヤを見た。目にはもう生気や憤りといった物が消え失せていて、諦めや恐怖から生まれたであろう涙だけが滲んでいる。


「さぁ、俺の知ったことじゃないよ。君のしたことなんだから。まず、楽には殺して貰えないだろうね。一時しのぎの銀霰姫の代役が見つかるまで、最後の一滴まで搾り取られて。後世に最も愚かな銀霰姫として名を残すのも確定だ。死体を晒されるのは君の方だろうね。全部、俺達には関係ない。無様に死ねよ。馬鹿が」


 軽蔑しきった表情でカミヤは吐き捨てる。これほど冷たいカミヤの声は聞いたことがなかった。


「ううう……」

 銀霰姫は再びうなだれて、地面に頭をこすりつけるようにうずくまったそして「うああぁぁぁぁ!!」と断末魔のような叫び声を上げて動かなくなった。


 断末魔が終わって数秒後、カミヤは何事もなかったかのように振り向いた。僕と由紀の肩をポンと叩いて笑った。


「今度こそ、ずらかるよ。もう夜だけど、こんな所に泊まりたくはない。というか、早く出なきゃ俺たちもヤバい」


「ええ」


 由紀は頷いた。僕は両手の手の平を広げて眺めていた。ふと吐いた息の白い煙の量が異常に多くて、手で掴もうとすると、手からも白い冷気が出ていることに気付いたからだ。


「どうしたの?大丈夫?」と由紀が聞いてくる。


「わからない」

 僕は正直な所を答えた。


「分からない?」


「うん。ただ、体の芯が冷たい……」


「それって……」


 由紀が何か言おうとしたが、カミヤが割って入ってくる。


「春樹、ドームの中に尻もちつきながら入ったよね?外からだと、春樹が入ってしまってから見えなくなったんだけど、君はどこに尻もちついたの?」


「どこって、丸い紋章のちょうど上だけど。銀霰姫が由紀を立たせようとした所」


「何か見た?映像みたいなの」


「あぁ、見たよ。一瞬だったような何年も続いたような、不思議な感じだった」


 僕はドームの中で見た光景について軽く話した。カミヤは少し考え込むようなそぶりを見せた。そして医者が重病人を診察するように、体の状態をあれこれ尋ねてきた。僕はそれについて一つ一つ答えた。


「それって……」


「それって、何だ?僕は、どうなってしまったんだ?こんな、体の内側が凍りついたような冷たい感覚は初めてなんだ」


 不思議な映像を見はしたが、ドームから出てきて僕自身が変わったことと言えば、体の芯が冷たいだけだ。あんな寒い空間にいて、体の芯まで冷え切っているだけかもしれない。

 自分がどうなってしまったんだろうと、僕は途方に暮れかけた。


「とにかく、まずここからずらかるよ」とカミヤが言った。


「しかない……」


 後ろから、声が聞こえた。僕、由紀、カミヤは後ろを振り向く。

 銀霰姫は右足を思い切り床にぶつけるようにして立ち上がった。ふくらはぎにヒビが入り、血の代わりに氷の欠片が飛び散る。体が大きくふらつき、ギリギリの所で立て直してなんとか転ばずに済んだ。


「捕まえておくしかない……手足を根元から切り落として動けなくする。喋れないように、舌も切り落とす。目玉もくり抜く。ダルマにして、その辺に転がしておく。そして、十四日後まで待つ。そしてまた儀式を行う」


 銀霰姫はこう言った。素晴らしい思いつきを得た時のように、天井を見上げる。髪が顔の横を流れる。正常な精神の目をしていなかった。焦点が合ってない。完全にイっている。

 僕の背筋に冷たいものが走り、ゾクリとする。


「そうだ……そうすればよかったんだ……」


「本気で言ってんの?」


 カミヤが再び軽蔑した目で問いかける。銀霰姫は話を止めない。


「カミヤ、お前もだ……銀霰姫候補の予備として置いといてやる……そうだ、そうしよう……うん、それがいい……そうすれば……」


 銀霰姫は僕たちに一歩踏み出す。


「私はお前たちを呪わなければならないんだ!!それだけが存在意義だ!!」


「とんでもない執念だねぇ」


「カミヤも人間も、先に殺しておくべきだった。残して、後でじっくり殺してやろうと思ってしまったのが失敗だった。そうすれば、邪魔されることもなかった。だが、今度は生かして存分に痛めつけてやる……カカバ」


 銀霰姫は第四の地獄の名を呟く。背中から首、肘にかけての後ろから真っ白い氷が現れる。それが広がり、巨大な蝶の羽のようになる。


「短期決戦で終わらせる」


 こう銀霰姫は呟き、由紀の方に手の平を向けた。

 その手の平に向かって、二本の細い矢のような氷が空気を切って飛んでいく。それは銀霰姫の手の平と二の腕に突き刺さった。貫通している。

 銀霰姫の動きが止まった。串刺しになった腕と手に目をやっていた。時間が止まったみたいだった。


「ぎゃあああぁぁぁぁ」


 やがて銀霰姫は叫び声を上げる。右腕を抱えて地面にうずくまる。腕と手から血がダラダラと流れて、地面に水たまりを作る。

 銀霰姫の手と腕を貫いたのは鋭く細い氷だった。


 由紀とカミヤは僕の方を振り返った。僕は右の手の平から蒸気のように溢れる白い冷気を眺めていた。

 銀霰姫が手の平をこちらへ向けた時、僕はとっさに右手を振った。本能だった。そしたら氷が飛び出した。

 僕は呆然としていた。カミヤは「そういうことねぇ」と呟いた。


「もう、自分でも分かってるんじゃないの?」


 僕は何も答えなかった。由紀も何も言わない。

 カミヤの言いたいことは分かった。僕自身も、気付いてはいた。しかし口にして認めることを拒否していた。


「でも、僕は人間だ」


「もう人間じゃないんだよ」

 カミヤは口にしない僕の代わりにばっさりと言った。

「体の中に、僅かだけどマカハドマを宿している。君はもう、俺たち雪女の仲間だ」


 カミヤは僕のすぐ前に膝をついて座り、肩に手を当てた。僕の顔を覗き込むような体勢だった。


「さっき、つららを出したじゃん。人間は普通、手からつららなんて出せないんだよ」


 僕は愕然とした。



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