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第七十五話 オーロラとアドレナリン 


「まぁいい。それも、お前を殺してしまえば終わる事。その矢も、私にも当たらなければ意味がないのだから」


 こう言って、銀霰姫は床の曲がった矢を指差した。指先から真っ白な冷気が伸びて矢を包み込む。靄に囲われて矢は見えなくなり、白い冷気が徐々に消え去った後には矢は上から氷を被されたみたいに氷漬けになっていた。


 銀霰姫は指先を由紀の方に向ける。さっき地面に転がっていた矢を凍らせた時は冷気がゆっくりと漂っていたのに対し、今度は恐ろしく早い。


 由紀は「アタタ」と素早く唱えて、肩からの氷を体の前に出して盾代わりにするが少し遅かった。冷気は由紀の右腕に纏うように集まり、すぐに固まって氷と化した。その氷は銀霰姫の指先に繋がっている。


 由紀の腕に絡まった氷が銀霰姫の方に流れていく。つられて、由紀の体がズルズルと引きずられていく。銀霰姫の指先へと氷が引っ張られて吸収されているのだ。


「アタタ」


 由紀は再び第三の地獄を唱える。肩から伸びていた粉々に割れてなくなり、左右の肩甲骨から三本ずつの太く長い氷が現れる。由紀の十八番だ。六本全てのクラーゲンの足で、自分を引っ張る氷を叩く。


 銀霰姫は「その技、よく二人で練習しましたね。蛸の足と名付けて。懐かしい」と穏やかに言う。


 ガンガンという重い音が何度も響いた。が、由紀の方の蛸の足は大きな亀裂が入っているのに対し、銀霰姫と由紀を繋ぐ氷は少し欠けたのみだった。

 由紀の氷の扱いはいつもよりもどこかぎこちなかった。左手で文字を書いてるかのようだった。氷でできた巨大な蛸の足も、凹凸が多くて荒い。僕は、由紀が今、ピアスを付けていないことに思い至った。


「無駄ですよ。銀霰姫となった私とあなたとでは、氷の強度という点では次元が違う。派手なだけのあなたの氷では、私の氷を割ることはできない」


 由紀は苦々しげな表情をする。そして背中から伸びている氷をドスドスと地面に突き刺した。この氷で杭を作ろうとしているのだ。数メートルの蛸の足はほぼ床を貫いて地面に埋まっている。実際、引きずられる速度は遅くなった。


「小癪な」

 銀霰姫は言ったが、すぐに余裕の表情を取り戻した。

「このまま引っ張って腕を引きちぎってからでも悪くはない。銀霰姫に右腕はいらないのだから。それに、あなたの手は綺麗で羨ましかった。冥途の土産に頂戴」


 この言葉を聞いて、由紀は背中からの氷を肩、二の腕と徐々に侵食させて、銀霰姫からの氷に絡めた。地面に突き刺さっている六本の氷と、銀霰姫の指先に繋がっている氷は一体となる。これで腕が引っ張られる力の中心となって引きちぎれることはなくなった。


 再び銀霰姫は指先から伸びる氷を引き寄せようとする。由紀は地面に突き刺した氷をさらに太く、平たくする。二人の攻防は綱引きの様相を呈していた。


 リリース。


 メギドの矢が、銀霰姫の方向に吸い込まれていく。二人が綱引きをしている間、僕は二本目の矢を構えて狙いを定めていた。

 銀霰姫は、左手の人差し指を矢の方向に向ける。指先から冷気が放出される。その冷気に矢が飛び込んで見えなくなったかと思うと、ゴトリと音を立てて矢が床に落ちた。一本目の矢と同じく氷で固められている。


「無駄だと言っているでしょう」と銀霰姫は冷たく言った。


「これならどう?」

 カミヤが言った。いつの間にか平たい皿の形をした氷を作っていて、その上に雪玉を月見団子のように積み重ねていた。多分、全て乗せているのだろう。カミヤは皿の端を持っていて、「おらぁっ!」と言いながら皿ごと銀霰姫に向けて投げつける。

 雪玉は散らばりながら、銀霰姫の方へ放物線を描く。


「無意味」


 軽蔑するような目で銀霰姫は言った。

 指先から出ている冷気の形が変化し、広くなる。銀霰姫の姿は完全に隠れる。雪玉は全て冷気の中に吸い込まれ、床にボトボトと音を立てて落ちた。雪玉は全て外側から氷漬けにされていた。


 床が割れる音がした。由紀が地面に突き刺した氷ごと、引きずられているのだ。


「さぁ、由紀。こっちへ来なさい」


 銀霰姫は地獄の手招きをする。由紀は足元の床を壊して跡を残しながら銀霰姫の方に引き寄せられる。綱引きは銀霰姫の方が明らかに強いようだった。

 僕とカミヤはとっさに由紀の腕を二人で掴んで抵抗に加わるが効果はない。


 銀霰姫は雪玉を防いだ時に僕たちの方に向けていた人差し指を、手首を曲げて下向きにする。自らの立つ祭壇を指し示しているようだった。目を閉じてブツブツと呪文を唱えると、薄い青色の光が、祭壇の周囲を取り囲み始めた。

 光はドームのように半球を被せた形をしていた。祭壇を完全にすっぽり収めている。表面の青い光は濃淡がついていて、群青色に近かったり、白に近い色もあった。


 様々な色の絵具を水の中に垂らした時みたいに、全ての色が微妙に絡み合いながら、なめらかなカーブを描いて球の表面を流れている。不規則な広がり方をしながら混ざりあっている。その様子を見て、僕はオーロラを連想した。

 あまりにも美しく幻想的な光景で、自らの状況も忘れて一瞬だけ見惚れてしまった。しかしカミヤの一言で現実に引き戻される。


「ヤバいね。始まっちゃったよ」


 儀式自体は簡単だと言っていたことを思い出す。ドームができて、お互いが円の中に入って雪の力が移るまでしばらく待つだけだと言っていた。由紀はドームに、十秒か二十秒しないうちに入ってしまうだろう。


 銀霰姫が由紀を騙して立たせたままにしようとした円は今、僕の左斜め前方にある。由紀は僕の真っすぐ前にいる。銀霰姫が右の円形の紋章の中に立っている。カミヤの説明の通りなら、由紀は祭壇の銀霰姫の反対側の左の円に入らなければ、儀式は成功しない。ドームに入り込んでしまった瞬間に終わりというわけではないが、これは気休めにしかならない。ヤバいことには変わりない。


 銀霰姫は、人差し指を時計の針のように回転させた。僕が何をしているのかと思った直後に、地面が揺れ始めた。地震かと思ったが、違った。

 祭壇がステージごと、床の上を回転してるのだった。銀霰姫の立ち位置は曲線の軌道を描きながら遠くなり、片方の円の紋章は由紀の方に近づいてくる。


 ステージが回転を終えた時、由紀が引きずられていく延長線上の、ドームのすぐ中に、円は位置していた。僕は絶望した。まだ遠いと思っていたら一番近い場所に移動してきた。気休めなどと思って少しでも希望を抱いた自分を罵倒したくなった。


「急がなきゃね。春樹、これを氷の上で割ってくれ」


 カミヤは服の中から雪玉を三つ取り出して僕に渡した。まだ持っていたのか。

 この薄黒い氷に熱が効くのかは分からない。が、これを試してみるしかない。綱引きを強制させてくる氷の、由紀から少しだけ離れた部分に、思い切り雪玉を打ち付けた。連続で三つ割った。炎を煙が激しく舞い上がる。


「アタタ」と唱えて、カミヤは左手に氷を形成している。手元が分厚くて広く、先端が細く薄い。大きなナイフが手から生えてるみたいだ。


 煙と炎はピークを超えて静まってくる。発生した場所に目を凝らすと、この部分だけが溶けて細くなっていた。焦げた汚水のような黒い水滴がポタポタと床に落ちて水溜まりを作っている。薬品と水と燃えカスが混じっているのだろう。


「先にお前を処理する」


 銀霰姫はこう言って僕の方を見た。「アブダ」と呟いて腕をふり、無数の真っ白いつららを発射する。


 カミヤが「アタタ」と言って、手の平から氷の盾を出す。目の前で氷同士のぶつかる衝撃音と割れる音が聞こえる。

 全て防ぎ切ったかと思った時に盾が割れた。まだ数本のつららが空中で飛んでいた。

 二本のつららがそれぞれ僕の頬と手の甲をかすめた。これはギリギリ触れなかったが、その後に脛に一本のつららが接触して皮膚を切り裂いた。刃物を使われたかのような切り傷から血が吹き出る。頭の底まで揺さぶるような激痛が走った。


 カミヤの方から「いでぇ!!」という叫び声が聞こえた。つららが二本、右腕に突き刺さっていた。真っ赤な血が噴水のように噴き出す。顔には僕が殴った時の血の跡が付いており、カミヤの全身は血だらけだ。

 僕とカミヤが負傷したのを見計らったかのように、銀霰姫は由紀を氷伝いに強く引っ張る。由紀の体は吹き飛ばされたかのようにドームに飛んでいく。地面に食い込んでいた氷は折れていた。


 ドームの光が大きくなり始めた。心臓の鼓動のように、ドクンドクンと音を立てながら収縮して点滅を繰り返している。表面を流れる色は濃く、動きは速くなっている。部屋中の氷の壁には、流れる青や白の光を映し出している。由紀のすぐ目の前に迫った円の紋章は銀色の光を放っている。


「やめて!お願い、やめてよ」と由紀は懇願するように泣きながら言った。

 僕ら三人の様子は地獄絵図だった。

 銀霰姫は高笑いを上げた。


「その円まで入ったらおしまいだ!手足を切り落として、氷の檻に閉じ込めてやる!」


「そんなにうまくいくかな?」


 さっきまで苦しんでいたカミヤは、いつの間にか駆け出していた。思い切り飛び跳ね、銀霰姫の指先と由紀の右腕を繋いでいる氷の綱へ落下した。左手の手刀に重ねて形作った氷の刃を振り下ろす。溶けて細くなった部分に、全体重をかけた。


 パシッ、パシッ。


 断続的に音を立てながら氷の綱にヒビが入る。ぶつかって静止していたカミヤの氷の刃が、床まで到達した。銀霰姫の氷を断ち切った。


「よっしゃぁ」とカミヤは一人で歓声を上げる。「氷タイプには炎タイプだ。ポケモンで習わなかった?」


 由紀はあと二、三歩の所でドームの中に入り込む所だった。あと三十センチぐらいだろう。本当にギリギリだった。割れた瞬間に由紀はバランスを崩して前方に転びそうだったが、なんとか堪えた。

 由紀を待ち構えるように点滅するドームはさらに光が強くなっていた。眩しすぎて、由紀とカミヤの顔は片方が塗りつぶされている。すぐ近くの円の紋章の銀色の光も、由紀の足元を照らしていた。


 銀霰姫はカミヤの阻止を受けても、顔色一つ動かさなかった。その余裕の表情が、僕に違和感を与えた。


「おいで」


 こう言って、銀霰姫は由紀に向けて手招きをした。

 岩石のような氷塊で埋められた壁の隙間から、風が吹き出した。それは瞬く間に暴風となり、部屋中を駆け巡る。

 崩したバランスを立て直しかけた由紀は再びバランスを崩した。


 僕は銀霰姫の違和感を察した瞬間から由紀の方へ駆け出していた。実際、その予感は正しかった。

 地面を踏むたびにつららに引っ掛かれた足がぐらついて、僕自身が転がりそうになった。しかし脳内でアドレナリンが吹き出していて、あまり痛いとは感じなかった。

 由紀は体勢を崩して、背中からドームの中へ身を投じてしまう所だった。僕はその手を掴んで、引っ張り上げた。由紀の体は方向を変えてドームから離れる。僕はホッとした。


 僕は作用反作用を忘れていた。由紀がドームを引きはがす時の力で、入れ替わりに僕自身がドームに身を投じる形になっていた。怪我をした足は、走って来た慣性でドームに向かう力と、由紀を引きはがす時の力を全て打ち消して僕を元の場所に留めておくことはできなかった。


「えっ?」


 間抜けな声を出しながら、僕の体はドームの中へ背中から倒れていった。



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