第七十四話 ゴチと道連れ
「今までの会話は全部嘘で、私を騙して銀霰姫にさせるため……」
由紀は憔悴したような声音で呟いた。斜め下を向いて心ここにあらずといった様子だった。
僕は銀霰姫に「もう由紀を助けるのを手助けする気は、一ミリもないってことか?」と尋ねた。
「その通り。そんなもの、最初っから存在しなかったと気が付いた。私の中の、塔のように聳え立っていた高さ百キロの由紀への信頼は幻だったんだ。一ミリもなかった。ゼロミリだ……
人になるなんて許さない。私を泥だらけの靴で踏み台にするように地獄に蹴り落としておきながら、自分だけ天国に昇ろうとするなんて許せない。泥濘に頭の先まで沈みきっても、お前の足首を掴んでやる。道連れだ」
「あとちょっとだったのにね~。おしかったね~。誰のせいだろうね~」
カミヤが煽るようにケラケラ笑う。
「もう後は、その紋章の丸の中に二人だけを置いて、あんたが力を放出するだけだったのにね~。残念でしたぁ~。ぶっぶぅ~~」
ウザすぎる。カミヤは僕に殴られた時のしょげかえった面影は消えていて、生き生きとした表情を浮かべている。コイツは誰かを馬鹿にする時が一番生き生きしている。
よく知っているなと思って、僕はカミヤの方を見る。僕の視線にカミヤが気付く。
「何回も見たことあるって言ったじゃん。祭壇に半球を被せたみたいなドームが現れて、そこに雪の力が充満される。そのまま数分経てば、雪の力がそっちからそっちに、銀霰姫から由紀ちゃんの方に移ってる。それで終わり。ドームも氷具の光も、全部消えて終わり」
カミヤは銀霰姫を見る。
「本当にあと少しだったのにね。俺も四回しか見たことないから、久しぶりに見たかったな。まぁ、また今度でいっか」
「私はまだ諦めてませんよ」
銀霰姫はニヤリと笑った。
「由紀を捕まえてから縛り付け、儀式が終わるまで転がしておけばいい話です。知ってますか?稀に雪女が人間になる時、その雪の力を誰に押し付けるのか。適当な人間を攫ってきて、身動きできないようにして、その紋章の円の上に転がしておくのです。由紀、お前も同じですよ。人間に肩入れするような裏切り者には、人間と同じ目に遭わせてやるのがちょうどいい」
銀霰姫は薄ら笑いを浮かべている。
「ふふふふふ。そう、それがいい。うるさければ猿ぐつわを噛ませて、足首や膝を動かして這おうとすれば股から下を切り落として、氷を出して抵抗しようとするならば指を全部切り落としてしまえばいい。手足がなくとも、銀霰姫にはなれますからね。ふふふふふ」
頭のネジが完全に外れている。元々、妖怪に人間の倫理観などないと気づいてはいたが、コイツは明らかに危険だ。このまま同じ空間にいると、最悪な結末が待っている予感しかしない。
かと言って「帰ります」と言ってそのまま帰らせてくれるわけがない。銀霰姫は目つきと言葉の節々から現れる執念を隠す気すらない。
せめてもの時間稼ぎとしての言葉を探していると、カミヤが銀霰姫に尋ねた。
「そういえば、吉乃はどうすんの?次の銀霰姫になるって言ってた雪女。今頃、ウキウキなんじゃないの?」
「あいつは殺しました。今日の朝」
「マジで?」
カミヤは驚いて大きな声を上げた。
「えぇ。普通の包丁だとなかなか死ななかったので、氷の包丁で内臓を抉りだしました。今朝、あなたたちが来る前にここに呼び出して殺しました。さっきみたいに『あとのことは託しましたよ』と抱きついた時に、背中から刺しました。感動の涙が、痛みと恐怖の涙に変わりましたね。
同じ涙でしたが、その涙は感動と痛みと恐怖というように種類は全く違っていて、それらが混じりあって見分けがつかなくなるのを見ると不思議な気分になりますね。全く違った色が混じりあって、全く別の興味深い色になるように。いいものを見せてもらいました。私は最悪な死の際に立って、頭がおかしくなっているんでしょうかね?」
同意を求めるように、銀霰姫は言った。僕に答えられるわけがない。由紀も同様だろう。黙っている。カミヤは「趣味が悪いね」と嫌悪感を剥き出しにして顔を引きつらせていた。お前も似たようなものだろう。
何かを思い出したように銀霰姫は天井を見る。
「吉乃以外の他の銀霰姫の候補も、同じようにして全員殺しました。全員で七人。彼女らの死体は、あなたたちを案内した二人の付き人の雪女に、裏の山へ置いてきてもらいました。死体の上に雪を覆いかぶせて。
今頃、手紙が村に渡って、死体が発見されているぐらいでしょうね。由紀、もう、お前しか銀霰姫の候補はいない。全ての雪女が血眼になってお前を捕まえようとするだろうさ。アッハハハハハ!!!ざぁまぁみろ!!!逃げ場なんてないぞ!!!」
狂ったように笑いながら、同時に吠えるように、銀霰姫は由紀へ大声を浴びせる。
「お前に未来なんてない!!!その人間も殺す!!!銀霰姫の任期を終えるまで、絶望の中で自分がしたことを悔みながら死ね!!!ビチ糞がぁ!!!」
僕と由紀は呆然と立ち尽くしていて、何も言えなかった。
カミヤだけが「ははっ、クソじゃんコイツ」と言って笑っていた。
銀霰姫は散々笑って、大分落ち着いたようだった。
「さぁ、もう逃げ場はない。大人しく諦めなさい。カミヤ、由紀と人間を大人しく差し出せば楽に殺してあげますよ?」
楽をしたいのはお前の方だろうと思った。
「しょうがないなぁ」とカミヤは頭を掻きながら一歩進み出た。
「お前……」
「ごめんねぇ。春樹」
こう言ってカミヤは祭壇を降りたすぐ横に立っている由紀の方へ歩いていく。由紀はカミヤをじっと見つめる。
「ねぇ、由紀ちゃん分かったでしょ?君のかつての親友は、敵になってしまった。君をどれだけ不幸にするかしか考えてないよ。だからさ……」
カミヤは息を深く吸う。
「だからさ……アブダ」
腕を外に大きく横に振りながら、カミヤは言った。指先からアイスピックのように鋭いつららが何本か発射される。
つららは銀霰姫へ、真っすぐ飛んでいく。
「由紀ちゃん!春樹!ズラかるよ!」
カミヤはこう叫び、由紀の腕を掴んで走って戻ってくる。
「ニラブダ」
銀霰姫の手前の地面から、氷の壁が現れた。壁に鋭いつららが次々と突き刺さる。
「アブダ」
銀霰姫が続けて言った。銀霰姫の目の前の氷の壁から、無数の針の氷が浮き出てくる。氷でできた剣山が一面に張り付いているように見える。そのままその針が、カミヤと由紀のすぐ前方に連射される。針も、白い絵具を塗りつけたように真っ白だった。
「あぶなっ」と言って、カミヤは足を止める。つられて由紀も止まる。無数の針が二人の前を横切り部屋の氷の壁に次々と突き刺さる。「あと少し遅ければ体の左側がハリセンボンになるところだったよ」
「ふぅっ」
氷の壁の向こうから、息を吹きかける音がした。氷の壁が一瞬で砕けて霙となる。銀霰姫の目の前はビショビショに濡れている。粒状の氷が水たまりの中に浮かんでいた。
「やっぱ無理だよねぇ」
カミヤは残念そうに言った。
銀霰姫は足元の水たまりを軽蔑したような目で眺めていた。
「やはり抵抗しますか……いいでしょう、逃げれるものなら逃げてみろ」
「春樹!廊下にあるから使え!」
何を?と聞こうとしたが、先に足が動いていた。四歩下がると、廊下の壁に何かが立てかけられているのが見えた。僕らのリュックや雪山用ゴーグルや服が並べられている中に、ひっそりと佇んでいた。
黒い箱が置いてあった。開けると、アーチェリーが組み立てられた状態で入ってあった。傍に矢筒もある。緑色のランプが点滅していた。
その横に手提げ袋も目に入った。中から雪玉が顔を覗かせている。
「いつの間に」
カミヤがさっき一人でトイレに行っていたことを思い出した。二人で庭を見ながら黄昏る前だ。あの時、既にこうなる可能性を見越して組み立てて、紛れ込ませていたのだろうか。僕は当時、全ての面倒事が終わったと気が緩んでしまっていて周りを注意して見てなかった。だから多分あの時だが、確信は持てない。
僕はアーチェリーをひっつかんで、座敷に戻ってきた。部屋の外に出ていたのは十秒もなかったと思う。カミヤは再びつららを飛ばそうと、右手を銀霰姫に向けていた。手首の周りをブレスレットのように、鋭い氷が囲っている。
僕の方はメギドの矢をアーチェリーに番えて、弓を引きながら腕を水平に持っていく。照準器の中心に銀霰姫の横顔を捉える。
カミヤが「行け」と言って、指をパチンと鳴らす。手首の周りの氷が銀霰姫に飛んでいく。
「ニラブダ」
銀霰姫は再び目の前に氷の壁を作る。カミヤのアイスピッキングがドスドスと音を立てながら突き刺さる。
「何度やっても同じことです」
リリース。
僕は矢をつまんでいた指を離した。メギドの矢は真っすぐ銀霰姫の左頬に向かって飛んでいく。
命中した。矢を放った瞬間に、そう確信した。アーチェリーや弓道において、その矢が当たるかどうかは放った瞬間になんとなく分かる。指を離した瞬間に「駄目だ」と思ったときは大体外れている。逆に当たる時は矢を離した後の確信の直後に的中する音が聞こえる。
「アタタ」
こう聞こえた。電柱のように太い氷の柱が雪女の右肩から現れる。それが大蛇のようにうねり、僕が放った矢をあっけなく弾いた。由紀の氷のクラーゲンの足とそっくりだった。
矢は曲がり、三回ほど地面を跳ねて空しく転がっていた。
「なんですか、これは」と銀霰姫は床の矢を見下ろした。「そう言えば、六出の杖を守っていた雪女たちの死体の中に、焦げたような腕が転がっていたと聞きました。まさか、その矢ですか?」
「そうだよ」
カミヤは悪びれもせずにこう言いながら、由紀を引っ張って僕の方に歩いてくる。
「こそこそと人間の手を借りてこんな物を作っていたのか。こざかしい……」
「俺が何を好きで作ろうと勝手じゃん」
「雪女のくせに人間の手を借りて雪女を殺す道具を作らせ、それを人間に渡すなど、万死に値する。やはり、お前は殺さなくてはならない。死体を氷漬けにして広場に置いてやる。見せしめにさらしてやる。永遠にな」
「俺のイケメンが永久に女性たちの目の保養になるんなら、最高の公共の福祉だね」
銀霰姫は歯軋りをして、僕の方を見た。ばっちりと目が合う。
「人間ごときに雪女が殺されたというのも腹が立つ。下等な存在に我々が殺されるなど、あってはならない。誰のおかげでのうのうと生きていられると思っている?」
最後の一言の、言いたいことはもっともかもしれない。それどころか、客観的に見れば僕が間違っていて、彼女が正しいのかもしれない。
僕が答えられずに黙っていると、カミヤが「そりゃ、君のおかげでしょ。ごちになりま~す」と言った。




