第七十二話 嘘と儀式
由紀は先ほどから呆然としたままだったが、ようやく口を開いた。
「春樹に押し付けるなんて、そんなことできないよ。もう帰ろう」
その言葉の節々からは弱々しい響きが感じられた。目が絶望で濁りきって、全身から疲れが滲み出している。
せっかくここまで来たのに、タダで帰るのだろうか。どうにかできないのか。
僕が戸惑っていると、カミヤは尻を地面につけて座りこんだまま言った。
「そっか。そういう終わり方もありかもね。いいけど、あと一つ、俺が一番気になってるのは銀霰姫の方なんだよ。俺よりタチが悪いのはアイツだよ。本物のゴミだ」
僕と由紀はカミヤの方を見る。カミヤは銀霰姫の背中を見ていた。
「アイツは、知ってたはずなんだよ。雪女が人間に戻るには、人間に、春樹に雪の力を移さなくちゃいけないってことを。俺は知ってて、いざという時に教えてどうするか見て楽しみたいから黙ってたけど、アイツは黙ってた。何の問題もないようにふるまってた。由紀ちゃんにも何も言わずに儀式を始めた」
カミヤは膝に手をついて氷の床から立ち上がる。少しふらつくようで、僕の肩に手を置いて立っている。
「そういう違和感はあった。所詮、人間の命一つくらい、春樹をどうしてもいいと思ってるのかもしれないとか軽く思ってた。でも、銀霰姫が由紀ちゃんと反対方向のステージの丸に入ろうとした所でハッキリした。お姫様、あんた、由紀ちゃんに銀霰姫を押し付けること、諦めてないだろ?」
僕はカミヤの言葉に思わず反論する。
「何言ってんだよ。それはもう終わったことで、もういい事だって言ってたじゃないか。銀霰姫になっても、由紀のことだけ想っていたって。さっき、由紀と二人で抱き合ってあんなに泣いてたのを見てなかったのか?」
「いんや。この『天牢雪獄』では、雪の力を人や物に渡らせることができる。なら、片方を送る側にして、もう片方を受け取る側にしなくちゃいけないよね?由紀ちゃんから雪の力をなくすには、片側には受け取る春樹がいなきゃいけないんだ。だけど、コイツはしれっと、この一番ミスの許されないこの最後の行程で、本来は春樹が立つべき所へ自分が行こうとした。しかも立つ奴が違うだけでなくて、ステージの丸の位置、送るほうと受け取る方が逆だしね」
右手で僕の肩に体重を乗せたまま、カミヤは左手の中指で祭壇を指し示す。
銀霰姫が何事もないように入ろうとしていた丸が、雪の力を送る側だとする。由紀の立っているのは実は受け取る側。本来なら、由紀を人間にするには雪の力を出さなければならないわけだから、今いるべきは銀霰姫がいる送る側だ。そして僕がいるとすれば、由紀の立っている丸だ。
祭壇の丸とカミヤの話を照らし合わせながら確認をして、ゾクリとした。
「多分、油断させてようやく人間になれると思ってて、終わったら人間ではなく銀霰姫にされていたっていう、そういう算段だったんだろうね。俺はこれに気付いて教えたんだ。俺が教えなきゃ、どうなってたんだろうね?」
ここまで言い切って、カミヤは銀霰姫に向かって「どう?当たってる?」と聞いた。
銀霰姫は何も答えない。もう五分くらい、身じろぎ一つしてない。体が冷凍されたみたいに固まっている。
由紀は必死な声音で銀霰姫に尋ねる。
「どういうこと?違うよね?カミヤの言ってる事が一から百までデマカセなんだよね?あなたは私を許してくれて、協力してくれてたんだよね?」
そうあって欲しいと願い、懇願するような目だった。
僕も、由紀と同じ気持ちだった。銀霰姫は優しそうな人に思えた。最初はどうなることかと思ったが、その不安を払拭させてくれた。自分の事を二の次にして、由紀を自由の身にしようと色んな事をしてくれた。ここまで良くしてくれた、一度信じた人を簡単には疑いたくなかった。
しかしカミヤの言う通りだとすると、この場にいる僕と由紀以外は、鼻から違った方向を向いていた。思惑がチグハグだったのだ。銀霰姫は由紀を嵌めて次の銀霰姫にしようとして、カミヤは僕を雪女にさせようとして、由紀は銀霰姫をやめたくて、僕は由紀のためにカミヤの言葉に騙されて契約させられて今、生贄になりかけている。
カミヤの言ってる事が、どこからどこまで本当なのかわからない。嘘が混じってるということもある。コイツの口から出ることの九割は信用ならない。が、嘘だと言い切れる証拠もない。いや、僕はむしろ嘘であって欲しいと、由紀と同じような顔つきをして願い始めていたのだ。
僕があれこれ考えている間も、由紀は銀霰姫に問い続けていた。
「ねぇ、嘘だよね?そんなことないよね?全部、カミヤが嘘ついてるんだよね?」
「……」
「何か答えてよ……」
ここで、銀霰姫が小声で何か言った。だが、小さすぎて聞こえなかった。後ろを向いたままだからというのもある。表情も伺えない。耳を澄ませながら聞こえるのを待つ。
「……ふふふふふふ」
だんだんと銀霰姫の声は大きくなり、はっきりと笑い声が届いてくる。
「ふふふふふふふふふふふふふふふ……アッハハハハハハ!!!!!」
銀霰姫はゲラゲラと身をよじりながら笑っていた。タカが外れたみたいだった。やがてグルリと首から上だけを回して、顔だけで振り向いた。横目でカミヤを下目使いで見やっている。
「本当に、カミヤ、お前は最後の最後まで……やはり、お前は殺しておくべきでした……いや、これが終わったら殺す……お前は雪女という種族にとって、邪魔者でしかない」
「いいねぇ。よく笑う女の子は好きだよ。可愛いからね。でも君は例外だから笑わなくていい。その口、二度と開かないように波縫いしてあげようか?」
カミヤは変わらずに軽口を叩く。銀霰姫は笑うのを止めて、カミヤを睨みつける。カミヤはまだ僕の肩を掴んで杖代わりにしているので、銀霰姫の冷たい視線が僕に向けられているような錯覚を覚える。
「嘘、だって、言ってよ……」
由紀は途切れ途切れの涙声で言った。ふらついていて、今にも膝から崩れ落ちそうだった。
「本当ですよ」
銀霰姫は、暖かさの欠片もない冷徹な声で言い放った。
「どうして……」
由紀は信じられないという風に目を見開いた。
「さっきまでと、言ってることとやってることが違うじゃない。私が銀霰姫になる必要はもうないって……」
「ずっと、考えてました。由紀、あなたのことをです」
銀霰姫は由紀を正面に見て指差した。




