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第六十八話 ピアスと嫉妬


 それから長い時間、由紀と銀霰姫は抱きつきあったままでお互いを慰めあっていた。


 邪魔者でしかない僕とカミヤは外に出ることにした。しばらく二人きりにしてやろうという事になった。

 カミヤはトイレに行っていた。帰ってくるまで、結構時間がかかった。それほどこの屋敷は広いのだろう。カミヤは来たことがあるたしいから案内なしで目的の部屋まで行けるだろうが、僕は迷子になってしまって無理だろう。


 僕とカミヤは縁側から出て、外の壁に並んでもたれかかって立派な庭園を眺めていた。日は完全に沈んでしまっているが、月の明かりだけで十分に明るくて、ぼんやりと暗闇に浮かび上がる庭は幻想的に見えた。だが、寒いことこの上ない。カミヤは隣で煙草を吸っていた。


 やがて僕は寒さに耐えきれず、カミヤは退屈に耐えきれずに、縁側を上がって部屋に戻った。

 二人はまだ抱き合っていた。


「もういい?」

 カミヤは面倒くさそうに言った。

「そういうのは終わった後で好きなだけやってくれない?」


 由紀と銀霰姫の体は固く張り付きあっていて永遠に引きはがすことはできないと思われたが、やがて接着されていた体を離した。


「では、儀式に移りましょうか。覚悟はいいですね?」


 銀霰姫は僕たちの方を向いて確かめるように言った。

 由紀は頷いたが、僕は重要な事を思い出した。


「まだ必要な氷具が一つ足りないんじゃなかったけ?あと二つ必要で、その中の一つをここに急遽取りに来ることになったから。まだまだ足りない」


「もうそろってるよ」


「えっ?」


 僕の疑問にカミヤが答えた。僕は間抜けに裏返った声を出した。

 僕は二つ取りに行ってまた戻ってくる気分だった。ここに一晩か、何日でもいいけど、由紀と銀霰姫を一緒にさせて泊まってから、氷具をさっさと回収してくる気だった。しかし一番ヤバそうな所があっさり終わったから気が楽になっていた。頭が呑気になって緩んでしまっている。

 僕はまた、カミヤが無駄にホラを吹き始めたのかと思った。


「カミヤ、お前、まだあと二つ足りないって言ってたじゃないか。ここに来る前に。『まだニンジンとジャガイモが足りない、そんなのカレーにはほど遠いよ』とか言ってさ。ちゃんと覚えてるぞ」


「一つ目の氷具は、もう目の前にあるよ?探してごらん?」


 僕は辺りを見回す。殺風景な座敷しか見当たらない。カミヤが散らかした石と泥はもう片づけて、箒や石の詰められた籠も銀霰姫の従者が持って行ってしまった。目につくのは部屋に何カ所か置かれて、ぼんやりとオレンジ色の光が揺らいでいる行燈だけだ。


「何?行燈?」


「俺たちがいるこの部屋さ。俺たちの周りを取り囲んでいる空間全体が氷具なんだ」


「さすが、物知りですね」


 銀霰姫がカミヤを褒めた。


「雪女の中でも一、二を争う位に長生きしているだけのことはある」


「どうも」


 カミヤはなぜか不貞腐れたように礼を言う。どんだけ嫌いなんだよ。


「この部屋は、この雪女の総本山にしかない特殊な部屋なのです。これがあるからこそ聖地と呼ばれていると言っても過言ではありません。最も大切な空間なのです」


 銀霰姫は右手の指先で畳を撫でながら説明した。


「カミヤは知ってたのか?」


「当然」


「そんな部屋に石を撒いてたのか……」


「………」


「あれはさすがの私でも怒りそうでした」


 銀霰姫は冗談めかして笑って言った。その笑い声を聞くと安心して、僕も少し笑ってしまった。しかし銀霰姫の方を見ると目は全く笑ってなかった。僕の笑いが引きつったものに変わった。


「あんた、結構よく怒ってるよ?」とカミヤが言い出したから、僕は「もうお前、一生黙ってろ」と言った。


「辛辣ゥ!はぁはぁ。もっと頂戴」


「でも、どのみちあと一つ足りない」


 由紀が会話に割って入った。進まない話にイライラしたのかもしれない。カミヤは由紀の方に向いて喋りかけた。


「もう一つはね、あるんだよ、ずっと。すぐ近くに。由紀ちゃんが身に着けてるよ。初めて目にした時から俺にはピンときていた」


 カミヤは手を伸ばして、由紀の耳に触れようとした。由紀は目を閉じてビクッとしたが、そのまま動きを止めていた。カミヤは由紀の耳たぶをつまみ、顔を近づけて「これだよ」と言って柔らかく揉んでいる。僕は嫉妬めいた苛立ちを抱く。


 カミヤはじっと由紀の耳たぶを至近距離で見つめていた。


「このピアスだよ。『玉雪の耳飾り』だね。パッと見は綺麗なピアスにしか見えないけどね、俺にはすぐ分かったよ。灯台もと暗しって奴だ」


 こう言ってカミヤはスッと由紀から離れた。あと五秒遅ければ俺の右手が暴れ出しアッパーを食らわせていたかもしれない。少し前から右手が疼いて力を抑えていた。

 僕の気持ちも全く気付いていないようで、カミヤは由紀に質問した。


「この耳飾りは色違いのが、他にもいくつかあるんだよ。これ、誰から貰ったの?」


「父から。母の形見だって」


「形見って、君はこれを母親が付けてるの見たことあるの?」


 由紀は数秒間、沈黙した。


「……耳飾りは付けていたけど、これじゃなかった気がする。色が違ってた。これは澄んだ水色だけど、母さんが付けてたのはもっと色が濃かった。気にはなってたけど聞けずに死んでしまったから結局分からずじまいなの」


「ふうん。君は氷を操るのが滅茶苦茶上手い。氷の扱いが器用って言うのかな?不自然な位にね。枝川との戦いを見てて思った」


 確かに、枝川との戦いではこんな事ができるのかと驚いた。倉庫の外まで氷の細い糸をこっそり伸ばして、その先で隕石のように巨大な氷塊を作り上げて外から倉庫を潰していた。六出の杖を取りに行った時も、倉に侵入するときにウォーターレーザーのような氷の細い糸のカッターを指の先から出して穴を開けて侵入した。


 これらは集中する時間が必要なのだろうが、戦っている途中でさえも、由紀の氷の動きは繊細だった。新潟の雪女や最澄、カミヤはもっと大雑把に氷を出して戦っていた。つららを飛ばしたり、地面から氷の壁を出す程度だ。カミヤは氷の翼を作ったりしていたが、それでも何となく荒かった。緻密さで言えば由紀の方が遥かに上だったように思える。


「確かに君自身も上手いんだろうけど、個人でどうこうできるレベルじゃないんだよ。ここまで出来る奴はいない。氷具『玉雪の耳飾り』の力だ。付けている者の氷の動作の精密性が向上する。かなり使いこなしてるよね。何か練習法みたいなの言われてた?耳飾りくれた時とかに」


 由紀はハッとした顔をした。


「教えて貰ってた。でもそれは、母が死ぬずいぶん昔のことで。弟も一緒に」


「どんなの?」


「小さな事だよ。例えば、お風呂に入ってる時に人差し指を立てて、付いてる水滴を一粒だけ凍らせて弾き飛ばせようとするとか」


「それ、できんの?」


 由紀は頷く。


「最初はできなかったけど、ずっとやってたらなんとか」


「すごいね。もしかすると、由紀ちゃんの母さんは君がこの氷具を手にするのを知ってたのかもね。君の特技は訓練の賜物ではなくて、氷具の力だったんだ。まぁ元々それだけできれば普通よりも氷は相当に器用だろうけど」


 由紀は斜め下を向いて考え込んでいた。カミヤはそれを気にした様子はなく、僕の方を向いた。


「とにかく、必要な物はこれで全部揃ってるよ」


「何で、言ってくれなかったんだよ」


 僕は文句を言った。最初に言ってくれてたら大分気が楽になってた気がする。


「ネタバレなんてするわけないじゃん。こういうのは突然言うから面白いんだよ。ほら、今の君の顔や、発覚した時の由紀ちゃんの顔。こういうのを近くで見たいがために俺はいるのにさ」


 僕は呆れた溜息をついた。カミヤはニヤニヤしている。

 銀霰姫は慰めるように僕にこう言った。


「結局、この者は口先で何を言おうと、自分が面白がることしか考えてませんから。信用してはいけません」


 その通りだ。これが終わったら縁を切ろうという決意がより固くなった。それが早まったと思えばいい。


「では、儀式を始める舞台を用意しましょう」


 銀霰姫は目を閉じて人差し指を唇に軽く当てて小声で何かを唱え始めた。

 ピシピシという音を立てながら、四方の壁にヒビが入り始める。ヒビは広がり亀裂となり、その隙間から冷気が大量に流れ込んできて部屋の中に充満した。白い靄で辺りが見えづらくなる。


 壁に氷が薄く張り付いていく。それが何重にも重なり、元の壁を覆い隠す。冷気が流れ込む隙間だけが残っていた。

 銀霰姫は立ち上がり、僕たちの方へ歩いてきた。そして最初に自分が座っていた座敷の奥の上座の方を見た。


 上座から部屋の中央にかけて、氷でできた祭壇が現れていた。祭壇の周囲の氷の床は少し高くなっており、ステージのようになっている。そのステージは雪が降り積もったように白く、複雑な模様が広く描かれていた。祭壇には等間隔で一メートルくらいの高さの柱が何本か立っていて、皿のような形の物が乗っている。

 氷が形成される音と、なだれ込む冷気が収まった所で銀霰姫は言った。


「これが氷具『天牢雪獄てんろうせつごく』です」



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