第六十七話 親友とハッピーエンド
銀霰姫は僕たち三人の様子を確認して頷いて「これまでの話をまとめると、こうなります」と言った。
「雪女は世界を覆っていた地獄をその身に宿した妖怪。世界中の妖怪の間では恐怖の対象ですらある。雪女は氷を雪をつかさどる。氷の地獄を鎮めることにその身を捧げて、その地獄から力を得たので。私たちはそういう存在なのです。
銀霰姫は代々受け継がれる雪女の女王です。銀霰姫は雪女が背負う地獄の大半をその身に引き受けます。それができる雪女は雪の力が相当に強い者に限られ、数える程しかおりません。
そしてそのような者でも、銀霰姫になれば平均で七年か八年ほどしか生きられません。その代わりに、全ての雪女から尊敬と畏怖を抱かれ、雪女の歴史に名を刻まれ、この屋敷で何不自由ない生活を送ります。そして讃えられながら死んでいきます。実際、羨ましがられ、崇拝と言ってもいい感情を向けられます。
銀霰姫は死ぬ前に次の銀霰姫に継承を行います。今の銀霰姫が死ぬとその者に銀霰姫の名と力が移ります。
こうして、雪女はずっと地球を暖かくしていたんです。
これが、マカハドマと銀霰姫の関係です」
ようやく、どうして由紀が銀霰姫になりたくないのか、逃げていたのか知ることができた。
銀霰姫の言う理屈は分かった。しかし感情でそれが腑に落ちたというわけではなかった。
「そんなの、生贄か人柱じゃないか……」
僕はこう呟いてしまった。全体のために自分が犠牲になれなんて、戦時中じゃあるまいし。名誉ある死とか煽てられても、その他多くからの圧力で殺されてしまうことには変わりない。
「平和呆けした人間の目にはそう映るでしょうね」
銀霰姫は鋭い声で言った。
「実際、生贄に近い行為でしょう。しかし、こうするしかないじゃないですか。何万年もの間、他の方法を考えだそうとした雪女は数えきれないほどいます。でも無理でした。一体、どうしろと言うんです?あなたたち人間が暖かく過ごせるのは私たち雪女が冷たさを背負っているおかげなんですよ?」
厳しい口調で、銀霰姫は僕に問いかけてきた。
冷静に考えてみれば、銀霰姫が怒るのももっともだ。ついさっきまで何も知らなかった関係のない人間から綺麗事を指摘されれば、それは怒るだろう。明らかに僕の配慮が足りなかった。
しかし、どうしても「はいそうですね」と納得しきれないのだ。死刑制度と似ている。死んだ方が人類にとっては確実に良い凶悪犯罪者がいるが、かと言ってそんな奴全員殺してしまうのはなかなかできない。どうしても人を殺すという行為に対して可哀そうや罪悪感のフィルターが掛かってしまうようなものだ。これを今言っても、銀霰姫に言っても人間の命に対する価値観が僕と違い過ぎる雪女には通じないだろうが。
「人間の社会というものも、そうなのではないですか?」
銀霰姫は僕が何も反論しないのを待ってから言った。
「誰かが苦痛を強いられることで、他の誰かがその苦痛を受けずに済んで楽にいられる。食べ物ですらそうです。食われる方が死の苦しみを感じて生命を終え、それを体に入れた別の生命が生き長らえる。自然はそれの繰り返しです。
人間の社会の場合では、その生命が金に置き換わっているのでしょう?金を奪い合い、それが足りなければ辛い生活を続けながら絶望し、場合によっては追い詰められて自殺する。あれば贅沢して下民を汚い下等生物のように見下す。そんなもんなんですよ。人間の歴史も。誰も犠牲なんか知ったこっちゃない。憐れみとは軽蔑の過去形なのですよ」
銀霰姫は息継ぎをした。
「意識しなければ分からないでしょうが、皆、これまで生きてこれている者は他人の生命を踏み台にして生きてきているんですよ。知らぬ間に。銀霰姫も知らぬ間に犠牲になっている一人なだけなんですよ。そんなただ一人で身を捧げてもうすぐ死ぬ私に、ついさっきまで何も知らずにのうのうと生きてこれた人間の一人が、何を言ってくれるのです?」
僕は絶句していた。銀霰姫の言う事も一つの視点ではもっともだ。僕から言えることは何もない。いくらおかしいと思ったとしても、目の前のこの女性の前では何を語っても僕の言葉は侮蔑や煽りへと変わってしまうのだ。
ここまで言い切って、銀霰姫はハッとした表情をした。慌てた様子で、先ほどまでの攻撃的な声音が嘘のように頭を下げて謝り始めた。
「言い過ぎました。申し訳ございません。客人に失礼な事を述べ立ててしまいました。ご気分を悪くされたと思います」
「いえ、言ってることはもっともです。こちらこそ申し訳ありません。無遠慮な事を申し上げて傷つけてしまいました。顔を上げてください」
銀霰姫は下げていた頭を上げて「では、おあいこと言うことで」と言った。笑った口元が見えた。僕も「はい」と笑って答えた。自分のしたことも忘れて不思議な魅力のある人だなと思わされた。
「先ほどは悲嘆に暮れたような事を言いましたが、これは雪女の使命なんです。私はそれに納得しています。しょうがないことなのです」
銀霰姫は少し寂しそうにこう言った。
「銀霰姫がいるのは世界を寒くさせないため」
カミヤが唐突に口を開いた。
「ええ」と銀霰姫が答える。
「銀霰姫になると数年後に死ぬ」
「ええ」
「つまり、銀霰姫は皆のために死ぬ」
「ええ」
「結局、それだけのことだよ」カミヤは僕の方を向いた。「俺も由紀ちゃんの事を言えないからね」
「どういうこと?」
「俺が女から男になったのは、銀霰姫になるのを逃れたためでもあるんだ。三割くらいだけどね。七割は本当に男になりたかったから。男は銀霰姫になれないからね。だから同じさ。銀霰姫の候補になりかけて、由紀ちゃんは南西に逃げて、俺はチンコつけた」
「そんな事をした者はカミヤが初めてですよ」
銀霰姫はクスクス笑いながら言った。
「銀霰姫は女性でなくてはいけないという長年の伝統を踏みにじるわけにはいけませんからね。まさか男になって回避する者が出るとは、昔の雪女は思いもしなかったでしょうね。前例がない。盲点です」
「時代が良かったんだよ。もう乳も切り取って、男性ホルモンも入れてるよ。巨乳だったのにな、俺。胸毛もちょっと生えてるよ。触ってみる?」
「結構です」
銀霰姫は即答で断った。しかし「ありがとう」と付け加えた。
僕はようやく雪女が、僕の通っている大学のある県までやって来ていたのか、全容が分かった。由紀は銀霰姫にさせられそうになり、この女性を置いて逃げた。身代わりにこの女性が銀霰姫になった。そして最澄や枝川を仕向けた。居場所がバレたのは、恐らく僕が由紀と付き合い始めたからだ。
「由紀がいなくなり、カミヤは男になって戻ってくるし、その次に強い力を持った雪女は私でしたから。まさか自分の番がこんなに早く来るとは思いませんでした。まさに不意打ちです」
銀霰姫は自虐するようにフッと笑って言った。
「ごめんなさい……」
由紀は再び謝った。
「いえ、そんなつもりではないのです。もうこれに関してはおしまいということにしたのに、口を滑らせました。やめてなさい。どのみち、いずれ巡ってくることでした」
「いいえ、何度謝っても謝り足りない。本当に裏切るようなひどいことをした。一番の親友に」
「一番の親友だからこそ、全てを託せるんですよ。私の分の幸せまで。覚えていますか?子供の頃、引っ込み思案だった私をあなたはいつも連れ出してくれた。ずっと一緒に何百年も過ごしてくれた。それだけで満足なんですよ」
「そう言えばあったね。そんなこと」と由紀は思い出したように言った。
「それに救われたのです」
銀霰姫は静かに立ち上がり、由紀の方に歩いて行った。畳と地面に広がっている着物の擦れる音がした。
「私は私が好きだった人の為に、この命を使ってあげたいのです。遥か昔から知ってる仲の人に。私が死んだ後もあなたが幸せなら、もうそれでいい気がします。死ぬ前に恨んでも仕方ありません。あなたはこの雪女の里から出て、愛する人を見つけれたのでしょう?私はあなたの幸せを応援します」
銀霰姫は由紀の前で立ち止まった。僕のすぐ斜め右だ。後ろに置いてある行燈が頬と髪の影を揺らしていた。右腕を上げると、着物の袖から白く細い手が露わになる。その手を由紀の頬にそっと当てた。
「私はあなたに会いたかったのですよ。カミヤに頼んだのは、実はそのためだったのです。私はここから出られませんから、誰かに連れてきて貰うしかなかった。最澄や枝川を仕向けた事も知ってました。でも、あの者たちに手荒な真似は禁止と言っても、そうなってしまうのも実は分かってました。さすがにあれほど手荒な事をするとは思いませんでしたが、それでも、会いたかった。最後に会えてよかった」
銀霰姫は由紀の体に巻きつくように腕を絡めた。由紀の頬のすぐ横に顔を置いている。僕はようやく銀霰姫の顔の全体を見ることができた。シュッと横長い目と、それと対照的な大きい黒目だった。長い睫毛には涙の雫が引っ掛かっていた。
由紀の肩に顎を乗せて、銀霰姫は抱きついたままさらに手をきつくした。
「正直、少し羨ましい気もしますがね。ずっと私も欲しがっていた幸せですから。でも私はあなたの幸せを応援することに決めました」
「私を恨んでないの?」
「親友を恨むわけないでしょう?」
不安そうな由紀の言葉を、銀霰姫は母親のような優しい声音で否定した。
「私が大人しく銀霰姫になる時の条件だったのですから。一つだけ約束して貰いました。由紀は銀霰姫の候補から永久に外すと。完全に村との縁を切り、自由の身にすると」
由紀は驚いた顔をした。顔を動かさずに瞳だけ右に銀霰姫の方へ向けた。銀霰姫は由紀の髪を撫でている。
「私の幸せはもういいんです。代わりにあなたが幸せになってください。これが私のせめてもの願いです。私のために、あなたが幸せになってください」
由紀はコクリと頷いた。瞼から涙がボロボロとこぼれている。
「協力しますよ。人間になりたいのでしょう?」
銀霰姫の問いかけに、由紀はもう一度頷いた。
「じゃあ、なるといい。それがあなたの幸せなら」
「ありがとう……」
由紀は子供のように大声を上げて泣いた。銀霰姫は睫毛に雫を引っ掛けながら、由紀の頭を撫でていた。
銀霰姫は「私も、最後の最後にあなたに会えてよかった」と呟いた。
その光景を、僕とカミヤは立ち尽くして眺めていた。二分ぐらいして、僕はそっとカミヤに耳打ちした。
「あれ?これでハッピーエンド?」
「さぁ?わかんない。トイレ行ってきてもいい?」




