第六十六話 フェニックスとケルベロス
「そんなことが……」
「簡単に信じることができないのは分かります。しかし、事実なのです。そして、そのマカハドマを世界から消し去る方法、それはこの地球を覆いつくしていた冷気、氷や雪を、最恐の地獄の力を、全て一つに閉じ込めてしまうことでした」
ここまで言って、銀霰姫は「どう説明したものでしょうか」と顎に指を当てて悩み始めた。
唐突にカミヤが座敷の部屋から出て行った。僕は何事かと思って後ろを振り向いてカミヤの背中を凝視した。カミヤはドスドスと乱暴な足音を立てながら縁側に出たかと思ったら、そのまま地面に降りて行った。
カミヤは庭の石が敷き詰められている区画で、ポケットとリュックの中の物まで全部出して石を詰め込んで帰ってきた。掌にも握りしめられている。
「鬼は外!」と叫びながら、カミヤは座敷に石をばらまき始めた。凄く楽しそうな顔をしているが、奇行に走られた側の僕たちは困惑した。
「ちょっと、何してるんだよ?」
僕はカミヤの肩を掴んで尋ねた。しかしカミヤは意に介さない。笑顔で石を撒き散らしている。
持ってきた石を全て投げ捨てると、再び庭の方に歩いて行った。縁側を通る時に暗くて先が見えない廊下に向かって声を張り上げた。
「ねぇ!行燈持ってきた奴、聞こえる?箒とチリ取り持ってきて!ゴミ箱も!」
そうして再び石を持ってきて部屋にばら撒いた。妙な鼻歌まで歌っている。
「鬼はそとそと福はうち♪鬼はフルチン全裸マン♪怒る赤鬼チンコも赤い、勃ったら真っ赤♪メス鬼マメあるクリトリス♪」
最低な歌だ。そもそも節分なんて三か月も先だ。「鬼とエロい事した時の話聞く?」と言ってきたが無視した。
部屋全体に石で散らかったのを、カミヤは腰に手を当てて満足そうに眺めていた。そして廊下で立っていた案内役の二人から箒と籠をひったくり、二本あるうちの箒の一本を僕に差し出した。
「はい」
「お前、何やってんだよ。馬鹿じゃないの?」
「退屈だったからさ。ちょっと黙り過ぎたら爆発してこうなっちゃうんだよ。泳がないと死ぬマグロみたいなもんさ。悪い癖だよね」
「悪い癖多すぎるだろ」
僕は箒を握って畳を掃く。座敷に散らばっている石や泥を集める。箒は三本あって、一本は由紀にも渡されて手伝わされている。由紀は溜息をついていた。
僕はカミヤにイラついていた。早く銀霰姫の説明の続きが聞きたかった。掃除をさっさと済ませようと思った。銀霰姫の話を頭の中で反復しながら手を動かしていると、ふと思った事があった。
「あ」
僕は小さな声を出した。「どうしたの?」と由紀は僕の顔を見る。
「気付いた?」
カミヤは手を止めてニヤニヤして僕の方を見てきた。
「こういうことなんだよね、雪女がやったことは。部屋中に散らかっている物を全部、一つの箱に入れ込んで部屋を綺麗にしてしまうようなもんさ」
銀霰姫は「ほう」と感心するような声を出した。「説明が上手ですね。頭はおかしいですが」
「どうも」
カミヤは端的な礼を言った。僕にはベラベラ喋りかけて絡むくせに、銀霰姫にはそっけない。
銀霰姫は石と泥で汚れた部屋を見回して再び話し始めた。
「この部屋が地球だとしましょう。四角い部屋がそのまま四角い世界地図です。汚れ切っています。冷え切っています。何とかしたい。汚れを集めて一つの籠に入れてしまえばいい。冷気を一つに閉じ込めてしまえばいい。その籠の役目を引き受けた妖怪が私たちです」
「引き受けたっていう、優しいもんじゃないでしょ」とカミヤが口を挟んだ。「最初は何の特徴もないただの妖怪だった。少数民族みたいな。弱くて何にもない。だから押し付けられたんでしょ?」
「そうですね。悲しい歴史です。しかし、これがあったからこそ、妖怪の中で最も強い力を得られたのではありませんか」
「それ、マジで思ってんの?頭大丈夫?」
カミヤの一言に、銀霰姫は言葉を詰まらせた。
僕は石を掃きながら銀霰姫とカミヤの話を聞いていた。手を止めるとその度にカミヤが視線を送ってきたから、手を動かし続けていた。部屋の所々に石山ができていく。最後の順番にそれらを回収するつもりだった。
「私たちの先祖は仲間から一人を選び、その者にこの世の雪の力、氷の地獄、マカハドマを封じ込めました」
銀霰姫は言った。
「しかしマカハドマの力は強大です。地球を極寒で覆いつくしていたのですから。それは簡単に耐えきれるものではありませんでした」
「ちょっとこの籠小さすぎるよ!」とカミヤは縁側に向かって叫んだ。「こっちは部屋中に砂利を撒いてんだよ。一つだけじゃ足りねぇの分かってるだろ。お前らの脳みそはこの籠みてぇに容量が少なくて空っぽか?もう一個持ってこい!デカいヤツな!」
案内役の二人は黙って再び縁側の廊下を奥へと歩いて行った。
「ったく」とカミヤは小言を言いながら怒っている。元々、コイツがしたことの片づけを八つ当たりするのは可哀そうだ。しかし本人は気にしてないようだ。
「こういうことなんだよ。この籠に石は全部入れられないでしょ?大容量のスーツケースなら入るかもしれないけど、パンパンになるだろうね。ヒビが入るかもしれない」
「その通りですね。器となった者は平均で七年くらいしか生きられません。短い者だと数時間で死んでしまいます」
銀霰姫は頷いて言った。そして説明を続けた。
「やがて、マカハドマを宿した者が子を作り、雪の力が遺伝するように子供に渡りました。花や虫に薬剤の耐性ができるように、子孫にも雪の力が渡り、その耐性が付きました。正確には耐性のない者は死んで淘汰されていったのですが。
長い時間をかけて多くの者に雪の力が渡り、私たちは特徴も名もない妖怪から「雪女」と呼ばれるようになりました。
雪の力の耐性が生まれて地獄を少しは民族全体で分散できた時、私たちの先祖は喜んだと思います。しかし子供に渡る力の量など、この世を覆いつくしていた地獄に比べれば、この畳に落ちている一つの砂粒くらいなものです。いくら数が増えても意味はほとんどない。一人が犠牲にならなければならないことには変わりませんでした」
ようやく、畳に散らばった石を数箇所に集め終えることができた。後は、籠の中に石を入れるだけだ。僕は由紀と協力して石を手で掴んでは籠に入れるのを繰り返し始めた。
銀霰姫の声は鈴の音か鉄琴のように空気中をよく響かせるので、離れていても良く聞こえる。カミヤはとっくに掃除に飽きて、壁にもたれて座って銀霰姫が話すのをボンヤリ眺めていた。
「やがて、雪女の中に雪の力を手足のように使いこなす者も現れました。氷の武器を生み出してそれで戦ったり、吹雪で相手を凍らせたり……先ほど、カミヤとの会話の中で『妖怪の中で最も強い』と言いましたね?その通りです。私たちはこの世界で最も強い妖怪です。恐らく、一対一でなら最恐です。狼男よりも、バンパイアよりも」
「銀霰姫なら、フェニックスやケルベロスも目じゃないね」
カミヤが言った。それに銀霰姫が答える。
「例え不死でも全身を凍らせて身動きできなくしてしまえば恐れるにたりないでしょう」
「本気を出せばヒュドラとかレヴィアタンにも勝てるでしょ?」
「使う地獄にもよるでしょうね。もしハドマが使えれば五秒もかからないでしょうね。私は使えませんが。しかし、ウバラでも十分でしょう」
「ハドマを使う?」
僕は抱いた疑問を口にした。ハドマとは、八寒地獄の七番目の地獄の名前だ。この疑問には、おしゃべりなカミヤが答えてくれた。
「雪女の力ってのはさ、氷の地獄の力なんだよ。地球を全部、極寒の地に沈める程の氷の地獄のね。それを引っ張ってきて使ってるんだよ。その地獄を引き出す呪文が、氷の地獄の名前なんだよ。言ってもピンとこないだろうけどさ」
僕は由紀やカミヤが氷を出していた時に「アブダ」やら「ニラブダ」やら呟いていたのを思い出す。やはり、あれは地獄の名前だったのだ。予想は正しかった。
「あとね、地獄の名前が大きくて過酷になるほど、使える雪の力も大きくなるよ。第一の地獄アブダだと、第一の地獄程度の力を持ってくるし、第二のニラブダだとニラブダっていう風にね。勿論、デカい地獄の方が疲れる。まぁ、そもそも引っ張ってこれないんだけど。無理すると死ぬし」
確かに、口ずさんだ地獄の階層が深くなるほど、氷の技の威力が強くなっていた記憶がある。だとすると、使える地獄が深いほど雪女は強いのかもしれない。
思い返すと、由紀は第三の「アタタ」が限界のようだった。何度ピンチになっても、それ以上の地獄の名前を呟くのは聞いたことがない。カミヤは第四の「カカバ」だ。ということは、カミヤは由紀よりも強かったのだろうか。
「銀霰姫に選ばれると使える地獄も大きくなりますが、歴代の銀霰姫でも第七のハドマが限界でした。それもたった四人だけで、今でも名前が伝わっているほどです。大体の場合、非常に良くて稀な存在で第六のウバラ、大体は第五のココバがなんとかという具合です」
ここまで言って、銀霰姫は質問があるか確認するように間を空けた。僕も説明された事は納得していて、カミヤも由紀も黙ったままだった。




