第六十三話 屋敷と人形
結局、目的地に到着するのに三日半かかった。到着したのは夕方だった。長い旅路だった。
「ディスイズザマイホームタウン、アンド、ヴィレッジオブスノーウォマン」
靄の中からだんだんと家が佇んでいるのが浮かび上がってきた時、カミヤが特に意味のない英語でこう呟いた。僕は一瞬、異世界に迷い込んだの思った。実際、そうなのかもしれない。
村は、山脈の中にいくつも聳え立つ目立たない山の八分目くらいに位置していた。標高は高いが、この村の存在する場所は平地だった。
登っている途中は、こんな所に人が暮らしている家が一つもあるわけがないと思い込んでいたから驚いた。辺境という言葉が正確に当てはまる。
歩みを進めるにつれて、前方の景色が明瞭になっていく。木造の古い家屋がいくつも立っているのが見えて、それが近づいてくる。
カミヤが迷いなく真っすぐ突き進むので、僕は不安になって後ろから声をかけた。
「裏から入って行かなくていいのか?新潟の杖の時みたいに」
「今回は話を通してるから大丈夫だよ、多分」
ここから十歩踏み出せば村に入るという地点まで近づいた。ここまで来ると、村の雰囲気を感じ取ることができる。
中央に舗装されてない幅が広めの通りがあり、その両側に住居らしき家屋が建っている。通りは長く、家も途切れてない。古くて簡素な木造の平屋が立ち並んでいた。恐らく、家の数はかなり多い。意外なことに雪はほとんど積もっておらず、道や屋根に所々こびり付いているのみだった。
文明が発達する前の、農村集落のようだった。江戸時代に迷い込んだような気持ちになる。
僕たちは一歩踏み出して、雪女の村に入る。家々に挟まれた通りの真ん中を歩く。
カミヤが先陣を切っていた。その後ろを僕が、最後尾を由紀が俯いて歩く。僕が辺りを見回しながら観察するのに対して、由紀は両側を全く見ない。地面だけを見つめていた。
通りには人が歩いており、家の前では人が立っていた。男性もいたし、もちろん女性も、子供もいた。だがやはり女性の割合が明らかに高かった。九割はいかないだろうが、八割は確実に女性ではないだろうか。
一見した所、この村の人々は普通の人間にしか見えなかった。しかし全員、雪女なのだろう。服は全て真っ白い着物だったし、肌が病気みたいに白かった。
彼らは僕たちの方を黙ってジロジロと眺めていた。その目付きは警戒と観察が混じったような目だった。新潟の雪女とは違って自我はあり、凶暴ではないようだった。
ある雪女の二人組は僕たちが近づくと話を止めて、通り過ぎると小声で再びコソコソと話していた。この村の僕たちに対する反応はそのようなものだった。話しかけてくる者は一人もなかった。
カミヤの言ったように、村人たちは僕たちに無遠慮な視線を投げ続けるのみで、攻撃する様子はない。ホッとした。もし村人が野蛮でいきなり捕らわれて牢屋に入れられたり、最澄みたいに突然凍らせて来ようとしたらどうしようかと心配していた。でも、こんな堂々とではなく、せめて裏から入るみたいな事はできなかったのかと思う。
「ここが一番大きいんだけど、他の離れた山の中腹にも三つ、集落があるんだよ。俺はそっち出身なんだ」
「へぇ……」
カミヤは歩きながら説明してくれるが、頭に全く入ってこない。周りの雪女の視線は止むことがない。大勢に見られ続けるというのは何も悪い事をしてないとしても、どうにも緊張する。
通りを奥へ進むにつれて民家と雪女が少なくなってくる。家と家の間にある隙間道が広くなり、やがてとある一角から線引きされたように家がなくなった。そこからはうろついてる雪女もいなかった。
ずいぶん歩いたが何もなくなり、どうなっているのかと思った。疲れの混じった溜息が出る。どうやら村を突き抜けたようだ。この村に銀霰姫がいるわけではないらしい。
カミヤはさらに人気のない道を歩き続ける。再び、山を登ることになる。僕と由紀はカミヤに続く。細い道で傾斜は急だったものの、道があるにはあるので登りやすく感じた。
途中で、大きな倉が建っていた。狭まった通りから離れて見える。建物自体は古びているが、かなり大きかった。後ろはすぐ林で、木々の枝が屋根に垂れかかっていた。周囲に何もない中、それだけが存在している。
なんだか気味の悪いものを感じた。
「あれ、何?」と由紀が倉を指差して前のカミヤに聞いた。
「さぁ?最近できたらしいけど。普通にいらない物を置いてるだけの倉庫じゃない?いつも鍵かかってるから開かないよ」
カミヤは足を止めずにスタスタ歩いていく。僕と由紀はカミヤとの開けた距離を縮めようと少し早足になった。早くあの倉が見えなくなる所まで歩きたかった。
小高い丘を上がると、眼下に立派な屋敷が見えた。広々とした日本家屋だ。四つの小ぶりな城が引っ付いて、一つに纏まっているように見える。離れた所からでも一目見て大きいと思わせるほどなのだから、実際に中はとてつもなく広いのだろう。入り口には模様の書かれた幕が垂れ下がっている。通ってくる時に見た村の家々と違って清潔感があった。
屋敷に続く道は石で舗装されており、屋敷の区画に入る地点に鳥居に似た門が置かれていた。門の前で白い着物を来た女性が二人、こちらを見て立っていた。髪を後ろにまとめている。白い着物に淡い紫の帯を絞めて足袋と草履を履いている。年齢は中学生くらいに見える。この二人も村の雪女たちよりも小綺麗だった。
丘を降りていきながら、僕は肩にかけているケースの重みを意識する。この中にアーチェリーの弓と矢が入っている。非常事態になった時に、これをどこで組み立てて用意するかが課題だ。
門の前に着くと、二人の雪女が深々とお辞儀をした。僕と由紀もつられてお辞儀を返す。カミヤは親友に出くわした時のように「おぅ」と右手を上げてニカッと笑った。
二人の雪女はクルリと体を回転させて、石畳の道を歩き出した。僕たちも二人についていく。この二人は案内役の用だ。
垂れ幕を潜ると、玄関があった。広々とした簡素な空間だ。雪女は草履を脱いで一段上に上がり、右手で草履を外向きに直す。鏡で移したかのように同じ動作を同じタイミングで行っている。同じように僕も一段上に上がり、分厚い雪山用の靴を外向きに並べる。
玄関に置かれた草履は二つしかなかった。この喋らない案内役二人のものだ。残りの靴は僕たちの物で、だとすると他に人はいないように思えるが。
案内役の雪女は足袋を地面に擦るように歩く。摺り足だ。弓道などの武道で特有の歩き方だ。礼儀を大事にする場で行う、日本独特の静かな歩き方だ。剣道でもするらしいし、旅館の女将さんもしていた。
僕、由紀、カミヤは案内役二人の後を付いていく。玄関を入って左に廊下があり、そこを右に折れると果てしなく長い廊下が伸びていた。五十メートル走ができそうだ。等間隔で床に蝋燭が立てられている。天井に提灯がぶら下がってもいる。少し暗いが見えないことはないくらいの明るさだった。
横には襖があり、ほとんど閉じられていたが、いくつかは開けられていた。全て殺風景な和室だった。四畳ほどの部屋もあれば、体育館を二つに割ったくらいの広さの部屋もあった。二十畳はあるんじゃないか。部屋の隅には生け花や兜が置かれていたり、壁には水墨画が掛けられていたりしていた。富士山や龍が描かれている。浮世絵のような、のっぺりとした女性の絵もあった。
どの部屋も気持ちのいい畳の匂いがした。新品の畳の匂い。漂ってくる。色も清潔で、どこも綻びがない。村の家々とは完全に別世界に存在するように思えた。
案内役の雪女は長い廊下を右に左に何回も曲がる。最初から右右左右左だったが、そこから先は歩いて行くうちに忘れてしまった。頭で丘の上で眺めた全景を思い浮かべて自分が今どのあたりにいるのかと考えてみるが分かるわけもない。グルグル歩き回るうちに迷路に迷い込んだ気持ちになった。
何十個目か分からない角を曲がると、左側から光が差してきた。縁側だった。急な光に僕は目を細めた。ずっと真っすぐ長い廊下が伸びているのは変わらないが、左側が庭と空になった。ようやく両側が襖と座敷でなくなった。少し解放された気分になった。
庭には石が置かれて池が作られていたり、砂利の区画と芝生の区画が混じったように存在していた。丸く刈り整えられたポツポツと木が植えられていた。池には橋が掛かっている。本格的な日本庭園だった。
縁側から右の座敷にも光が差して、部屋が隅々まで見えるようになる。開いていた襖の中の畳が光を反射している。部屋の雰囲気まで明るくなっていた気がする。
左の庭と右の座敷を交互に眺めながら歩いていると、奥の壁が近づいてくる。その突き当りの右側の部屋に差し掛かる所で、案内役の二人は歩みを止めた。そして膝を付けて座り、右側の案内役が口を開いた。
「お越しくださりました」
こう言って身を乗り出し部屋を覗き込む。数秒後、二人は僕たちの方に座ったまま向き直った。
「どうぞ、お入りください」
そこから二人は人形のように動かなくなった。生きて呼吸はしているのだろうが、目の黒目が固定されている。
カミヤが先陣を切って二人の間をすり抜け、僕、由紀、と続いた。
襖は開きっぱなしだった。部屋の前に立つと、中から女性の声が聞こえた。
「ようこそ、お越しくださいました」




