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第五十八話 箒とトライアングル


 メギドの矢は雪女の胸に刺さった。


 矢が刺さった瞬間、雪女はジッと目線だけで胸を見やるだけだった。驚かず、矢が胸を貫通しても痛みを感じていないようだった。恐怖は全く感じていなかった。面倒臭そうな目をしていた。


 雪女が矢を抜こうと、右手を胸の方へ持ってきた時だった。「カシャッ」という小さな音がした。


 雪女は不思議そうに顔を傾けて、自分の胸に刺さっている矢を覗き込んだ。蒸気が吹き出て、雪女の顔に直撃した。

 矢の側面の穴は開いていた。雪女の体の中心から蒸気が撒き散らされる。真冬の空気の中で、蒸気は一段と濃く白い。あっという間に雪女の上半身を白く包み込んだ。


「GyyaaagaaaAA!!!」


 雪女の叫び声が響いた。時折、蒸気の中で雪女があがく手が見えた。

 やがて蒸気は空気に溶けて、靄の中から雪女の姿が露わになる。


 雪女の皮膚はただれたみたいにドロドロに溶けていた。片栗粉をといだ液体を、顔や腕にぶっかけたみたいだった。それが髪まで浸されてビチャビチャで、瞼を伝って目に入りそうだった。

 雪女は地面に倒れて、苦しそうに喘ぎ始めた。溶けた皮膚は真っ赤になり、見える皮膚が全てひどい火傷みたいになっていた。先ほどまでの真っ白い皮膚はどこにも見当たらない。


「あA゛aAaaAa゛aaaヴAa゛aaa……」

 雪女は声になっていない声を喉から出していた。


 この矢から蒸気が出るのは長くて二十秒くらいだとカミヤは言っていた。普通の雪女だったらそれで十分殺せると言っていた。しかし、実際に効いてはいるが、殺せてはいない。


 もう一発、続けて撃ち込まなければならない。倒れて動いてないし、いける。躊躇いは全くなかった。

 矢のランプは緑に点滅している。準備はできていた。矢にかけて素早く引き、照準器で狙いを定める。


 リリース。


 メギドの矢は真っすぐ雪女の方へ飛んでいく。命中するだろうという手ごたえがあった。

 これが今準備のできている最後の矢だった。全部で矢は八本あったが、再び矢筒のケーブルに繋いで待つ時間はもう得られそうにない。


 しかし既に相手は瀕死に近い。倒れたまま、虫みたいに手足をジワジワ動かしているだけだ。僕は勝利を確信していた。

 雪女の目がギョロリと動く。右手を横に振ると、背中から細い氷が伸びて飛んでくる矢を弾いた。矢は向こうの地面をバウンドしながら遠ざかって行った。

 赤く充血しきった目が僕を捉えた。むごたらしい殺意が伝わった。一瞬、全身が痺れたように硬直した。


 雪女は全身がドロドロに溶けて面影がなくなっているが、明らかにキレている。瞼の肉が溶けてそれが流れ落ち、ただでさえ見開かれていた目が飛び出ているように見える。眼球が地面に零れ落ちそうだ。

 ゾンビのように、雪女はフラフラと立ち上がり、僕の方へ一歩踏み出す。場所はバレている。ただの矢でないこともバレている。いくら弱点を突いた矢でも刺さらなければ意味がない。


「ドスッ」という音が聞こえた。


 メギドの矢が、雪女の胸から突き出ていた。雪女は呆然として胸を見やる。わけが分からない、という顔だった。僕も同じ表情で雪女を見ていた。

 由紀の顔が雪女のすぐ後ろにあった。由紀は矢の尻に近い部分を握りしめている。その矢が背中から胸へ貫通している。


 雪女はギリギリと首を回して由紀に目を向けた。由紀はジッと、雪女の目を見つめ返す。


「ブシュ」という音が鳴る。


 メギドの矢の側面が開き、蒸気が噴き出した。由紀は素早く一歩下がる。再び、雪女の叫び声が響き渡った。

 僕はリュックから雪玉を取り出す。少し近づき、五個連続で投げる。二つは外れたが、一つは雪女の肩に、もう一つは顔に、あと一つは腹部に命中した。割れた球体からカリウムと水が混じり、火花を上げながら蒸気を発生させる。


 雪女は悲鳴を大きくして、地面に倒れ込む。湧き上がる白い蒸気に包まれて、雪女の姿は完全に見えなくなった。





 時間経つにつれて、蒸気は薄れていった。地面に倒れている黒い物体が露わになった。

 雪女は仰向けに倒れていた。死にかけのカナブンみたいに足をゆっくり動かしている。肌は焼け焦げて黒い煙が出ている。胸から細い金属が突き出ている。


「生きて、るのか?」と僕は呟いた。


 まだ生きていることに驚いた。尋常でない生命力だった。しかし遅かれ早かれ死ぬように思えた。実際、もう力は残ってないのだろう。起き上がって僕の方に突進してくるなんてことはなく、ほとんど動かない。遠くから見ると、巨大な木炭が暗闇に放置されているようにしか見えなかった。哀れさすら感じられた。


 僕はもう決着がついて全てが終わったという気分になっていた。しかし由紀は雪女の方へ歩いていく。

 由紀は雪女の頭の上に立ち、その姿を見下ろした。雪女は、下から由紀を見上げている。


「あ……あぁ……」


 声になってない声を、雪女は喉から絞り出している。

 由紀はしばらく雪女の顔を見下ろしていたが、ふと杖を持っていた右手を振り上げて、勢いよく地面に下ろした。杖の先端が雪女の脳天にめり込む。


「あaa゛AAAaaa!!!aaAaa!!!」


 雪女は再び叫び声を上げた。腹が跳ねるが、肩を由紀が踏みつける。

 由紀は杖をグリグリと雪女の額にねじ込む。杖の方が折れてしまうのではないかと思う。それか杖が雪女の頭を貫通するか。


 ここまでされても、雪女はまだ死んではいなかった。本当に不死身に近い。ゾンビとカミヤが言ったのも頷ける。しかし、ここまで苦しんでも死ねないというのは不幸だと思った。

 トライアングルのような音が聞こえてきた。何回も連続して空間に響き、それはだんだん大きく、何重にも重なる。


 雪女の脳天から光が漏れ出している。杖の先が光っているのだ。光の方も音と同様に大きくなっているのだろう。

 雪女は由紀を見つめている。目には恐怖が滲んでいた。


 爆音が響いた。白い光が目に飛び込んできて思わず目を細める。爆発の起きた地面の土が大量に吹き上げられ、凄まじい風に乗せられて僕の体にぶち当たってくる。

 やがて爆風が収まり、土煙が薄まって消えていく。爆心地に残っていたのは由紀だけだった。ただ一人立っている。服は所々破けて肌が見えていた。


 由紀の足元にあったはずの雪女の姿は跡形もなくなっていた。ただ、氷の破片がさらさらと辺りを流れていた。少し離れた場所に千切れた腕が転がっていた。腕にビキビキと亀裂が入って割れて粉々になり、これも砂が風に攫われるみたいに空気に流れて行った。


 しばらく由紀は砂煙の中で地面を眺めながら立ち尽くしていたが、やがて僕の方を向いて力が抜けたように言った。


「終わった」


「うん。終わった」


 僕も返す。由紀がヘラッと笑ったのを見て、僕も同じように笑いかける。急激に力が抜けてくる。

 足に力を入れなおして、僕は由紀の方に駆け寄った。服は破けているものの、大きな怪我はなかった。


「向こうは?」と由紀が思い出したように言った。


 今更ながらにカミヤの事を思い出す。僕たちのすぐ横で戦っていたはずだ。やけに静かだったことに思い至り、まさかとは思うが不安が込み上げてくる。

 カミヤはまだ雪女と向き合っていた。しかし、もう雪女の方は四人しか残っていない。四人とも肩で息をしていた。他の動いている雪女は地面を這って死にかけていた。動いてない者は息絶えていた。所々に切断された手足が転がっている。


「あぁ、終わった?こっちもそろそろだよ。ちょっと待っててね」


 カミヤは夕食を作っている母親のように言った。

 くるりとカミヤは身を翻し、雪女に背を向けて僕たちの方へ歩いてくる。さっきまで戦っていた雪女四人は放置している。


「ちゃんと死んだ?まぁ、あの爆音からすれば、死んでるよね」


 白い煙が漂っていると思ったが、何か臭い。カミヤが口から冷気を出しているのかと思ったが、コイツは煙草を吸っていた。右手で吸い殻を持っている。天使のような氷の翼はもう必要ないのか、既に背中から消えていた。左手に雪崩の箱を持っていた。


「もうこれでおしまいだ。もうこいつらの相手すんのも飽きてきた所だし。やっぱり底が知れてる相手ってのはいけないよ。途中からテンション下がる」


 こう言って、雪女に向けて雪崩の箱を開けた。

 轟音と共に、箱から鉄砲水のように一気に雪が噴き出し、雪崩となる。一瞬で目の前の景色が白く覆われる。雪崩は雪女を巻き込んで一緒に流していく。

 地響きのような轟音は続き、箱からの雪は止むことがない。カミヤは箱を胸の前に構えたまま棒立ちしている。


「便利でしょ?俺は『箒』とか『ゴキジェット』って呼んでるんだけど」


 カミヤが箱を弄びながら振り返った時、一面は雪の海のようになっていた。僕らのいる場所は足に使っている程度だが、前に進むにつれて雪は多くなり、突き当たりの林は木も先が少し見えているだけだった。

 後ろの倉まで雪はほとんど侵食しておらず、大きな火事となり燃え盛っている。前方の景色と背後の景色が完全な別の世界に見えた。


 雪崩が急に静かになった。僅かに「キーン」という耳鳴りみたいな冷たい空気の音がするのみだ。雪に埋もれた雪女が出てくることはなかった。



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